学位論文要旨



No 122537
著者(漢字) 李,治平
著者(英字) Li,Chih-Ping
著者(カナ) リ,チヘイ
標題(和) 特発性肺線維症と肺癌 : 病理学的解析
標題(洋) Idiopathic pulmonary fibrosis and lung cancer : pathological analysis
報告番号 122537
報告番号 甲22537
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2833号
研究科 医学系研究科
専攻 病因病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 中村,卓郎
 東京大学 助教授 福嶋,敬宜
 東京大学 講師 森屋,恭爾
 東京大学 講師 山田,晴耕
内容要旨 要旨を表示する

 特発性肺線維症(idiopathic pulmonary fibrosis; IPF, 病理組織学的にusual interstitial pneumonia; UIP)は特発性間質性肺炎(idiopathic interstitial pneumonia; IIP)の中で最も頻度の高い病型である。IPFは年余の経過で出現してくる乾性咳、労作時呼吸困難を自覚症状とする。IPFはそれ自体予後不良な疾患であるとともに、高頻度に肺癌を合併することが知られている。Hubbardらによれば、IPFにおける肺癌発生の相対リスクは非IPF対照群と比べたとき、7.31とされている。しかしながら、IPFにおける肺癌発生のメカニズムは未だ明らかにされていない。そのメカニズムを解明する為、本研究では以下三項のごとく、サイトカインに関する遺伝子多型、Aldo-keto reductase 1B10 (AKR1B10)を中心とした分子生物学的な変異、血管新生に着目した病理組織学的な変化の点よりIPFでの肺癌発生を検証した。

(1) 特発性肺線維症における肺癌発生と各種サイトカイン遺伝子多型

 対象とした遺伝子はTransforming growth factor-β1(TGF-β1)、Tumor necrosis factor-α(TNF-α)、Interleukin-1β(IL-1β)、Interleukin-10(IL-10)である。これら遺伝子の特定のgenotypeはIPFないし肺癌、あるいはその双方の発生と関連しているが、IPFにおける肺癌発生との関連は現在まで検証されていない。今回の検討では肺癌合併及び非合併のIPF症例それぞれ9、21名、健康成人対照群103名の末梢血から抽出したDNAを用いてTGF-β1、TNF-α、IL-1β、IL-10の遺伝子多型について検討した(TGF-β1 codon 10 、TGF-β1 codon 25、TNF-α-308、TNF-α-238、IL-1β-511、IL-1β+3953、IL-10-1082、IL-10-819、 IL-10-592)。その結果、TGF-β1 codon 25 Arg/ProがIPF患者における肺癌発生の危険因子であることが判明した。TGF-β1 codon 25 Arg/ProはTGF-β1産生非亢進型のgenotypeとされる。したがって、TGF-β1がIPFにおける肺癌発生に抑制的に作用している可能性が示唆された。

(2) 特発性肺線維症扁平上皮化生部におけるAldo-keto reductase1B10 (AKR1B10)の発現

 Aldo-keto reductase 1B10 (AKR1B10)が属するaldo-keto reductase superfamilyは、芳香族および脂肪族のアルデヒドの還元反応に関与する。また、AKR1B10はβカロテンよりのレチノイン酸生成に対し、抑制的に作用するとされる。このAKR1B10は肺扁平上皮癌や、喫煙者の肺腺癌などで発現が亢進しており、肺癌発生、なかでも喫煙者の肺癌発生への関与が指摘されている。一方、肺癌合併及び非合併のIPF蜂窩肺における化生上皮の比較検討より、扁平上皮化生がIPFにおける肺癌発生と相関することが報告されている。そこで、今回、IPF肺の扁平上皮化生に注目し、AKR1B10の免疫組織化学的検討を施行した(対象は肺癌合併IPF13例、肺癌非合併IPF13例)。結果は以下のごとくである。すなわち、(a)AKR1B10発現はIPF肺において扁平上皮化生部に限局する。(b)肺癌合併IPFでは肺癌非合併IPFより扁平上皮化生でのAKR1B10発現が有意に高頻度であり、強度である。(c)非喫煙者IPFより喫煙者IPFでは扁平上皮化生でのAKR1B10発現は有意に高頻度である。さらに、AKR1B10陽性の扁平上皮化生部は陰性の扁平上皮化生部に比べ、Ki-67 labeling index、すなわち増殖細胞率は有意に高いことが観察された。これらの結果より、IPFにおける扁平上皮化生の発生および肺癌の合併にAKR1B10が関与することが示された。AKR1B10発現はおそらく喫煙により誘導され、また、AKR1B10によりレチノイン酸生成が抑制されることが扁平上皮化生の発生につながるものと考えられる、また、AKR1B10発現は細胞増殖率の亢進に関与し、癌発生に促進的に作用するものと考えられた。

(3) 特発性肺線維症蜂巣肺における血管新生と発癌

 血管新生と癌の関連については、生物学的、臨床病理学的側面から広範に研究されており、血管新生の抑制は癌治療の標的ともなっている。一方、いわゆる高発癌状態の背景組織における血管新生の状態や、その癌発生における意義については未だ不明な点が多い。今回、Factor VIII関連抗原の免疫組織化学染色を用いて、肺癌発生の背景となるIPF蜂巣肺の微小血管密度(Microvessel Density:MVD)を組織計測手法により、比較検討した(対象は肺癌合併IPF13例、肺癌非合併IPF13例)。その結果、肺癌合併IPFは肺癌非合併IPFより蜂窩肺でのMVDは有意に高いことが示された。なお、肺癌合併IPF蜂巣肺では癌からの距離はMVDに影響しない。このことから、IPF蜂巣肺における血管新生の亢進が肺癌発生に寄与する可能性が示された。一方、喫煙はIPFにおいても発癌の危険因子であり、また、喫煙は中枢気管支の血管新生を誘導するものとされている。しかし、今回の検討では喫煙者では非喫煙者に比べ、IPF蜂巣肺におけるMVDは低かった。したがって、血管新生に関しては、中枢気管支と肺末梢部である蜂窩肺とでは喫煙に対する組織反応が異なるものと考えられた。さらに、喫煙者群と非喫煙者群を分けたとき、いずれの群でも肺癌合併IPFでは肺癌非合併IPFより蜂巣肺におけるMVDは高く、肺癌合併IPF蜂巣肺のMVDが高い原因として、喫煙以外の因子を考慮する必要があるものと考えられた。

 以上の検討により、(1)TGF-β1遺伝子多型、(2)AKR1B10の扁平上皮化生における発現亢進、および(3)IPF蜂巣肺におけるMVDの増加がIPFにおける肺癌発生に関与することが示された。このうちTGF-β1遺伝子多型やAKR1B10の扁平上皮化生における発現については、血液スクリーニングや細胞診標本の免疫組織化学などにより、IPF患者での肺癌発生の危険群の特定や早期発見に応用可能な知見であると考えられる。一方、MVD増加に関し、TGF-β1遺伝子多型が関与することも考えられるなど、今回検討した事項はIPFにおける肺癌発生において、複合的、協調的に作用している可能性がある。本学位論文の内容は、IPFにおける肺癌発生をテーマとし、いわゆる高発癌状態からの癌発生に対し、遺伝子多型や背景病変の血管新生など、新たな側面から加えた検討の成果であり、その内容は方法論としても今後の高発癌状態研究に寄与するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では特発性肺線維症(idiopathic pulmonary fibrosis,IPF; 病理組織学的にusual interstitial pneumonia, UIP)における肺癌発生のメカニズムを解明する為、サイトカインに関する遺伝子多型、Aldo-keto reductase 1B10 (AKR1B10)を中心とした分子生物学的な変異、血管新生に着目した病理組織学的な変化の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 肺癌合併、非合併のIPF症例、及び健康成人対象群の末梢血から抽出したDNAを用いてTGF-β1、TNF-α、IL-1β、IL-10の4遺伝子9領域の遺伝子多型を検討し、TGF-β1 codon 25 Arg/ProがIPF患者における肺癌発生の危険因子であることを見出した。TGF-β1 codon 25 Arg/ProはTGF-β1 産生非亢進型のgenotypeとされており、TGF-β1がIPFにおける肺癌発生に抑制的に作用している可能性が示唆される。

2. 肺癌合併、非合併IPF症例の免疫組織化学的検討により、(a)AKR1B10発現は扁平上皮化生部に限局すること、(b)肺癌合併例では非合併例よりAKR1B10発現が有意に強く,高頻度であること(c)非喫煙者IPFより喫煙者IPFではAKR1B10発現は有意に高頻度であること(d)AKR1B10陽性の扁平上皮化生部は陰性の扁平上皮化生部に比べ、Ki-67 labeling index、すなわち細胞増殖率が有意に高いことを見出している。これらは、AKR1B10の発現がIPFにおける扁平上皮化生の発生、肺癌の合併、細胞増殖率の亢進に関与することを示し、AKR1B10が癌発生に促進的に作用することを示唆している。

3. Factor VIII関連抗原の免疫組織化学染色を用いて、肺癌発生の背景となるIPF蜂巣肺の微小血管密度(Microvessel Density:MVD)を組織計測手法により比較検討し、肺癌合併IPFは非合併IPFより蜂窩肺でのMVDが有意に高いことを示している。肺癌合併IPF蜂巣肺では癌からの距離はMVDに影響せず、IPF蜂巣肺における血管新生の亢進が肺癌発生に寄与する可能性を示唆している。中枢気管支では喫煙は血管新生を誘導するとされているが、今回の検討では喫煙者では非喫煙者に比べIPF蜂巣肺におけるMVDは低く、中枢気管支と肺末梢部の蜂窩肺とでは喫煙に対する組織反応が異なることが示唆された。

以上、本論文はIPFに於いて、TGF-βの遺伝子多型、扁平上皮化生部分にみられるAKR1B10の発現、血管新生密度が、肺癌の発生と関わることを明らかにした。TGF-βの遺伝子多型とAKR1B10の発現は、血液スクリーニングや細胞診標本の免疫組織化学などにより、IPF患者での肺癌発生の危険群の特定や早期発見に応用可能な知見であろう。また、TGF-β1遺伝子多型がMVD増加に関与する可能性も考えられ、これらの事象がIPFにおける肺癌発生において、複合的、協調的に作用している可能性がある。本論文は、いわゆる高発癌状態からの癌発生に対し新たな側面から検討を試みたものであり、IPFにおける肺癌の発生機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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