学位論文要旨



No 122541
著者(漢字) 渡辺,慎
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,マコト
標題(和) 拡散テンソルMRIを用いた手術ナビゲーションシステムの開発と基礎的検討 : 術前データのレジストレーションによる術中線維追跡
標題(洋)
報告番号 122541
報告番号 甲22541
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2837号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 阿部,裕輔
 東京大学 助教授 百瀬,敏光
 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 教授 斉藤,延人
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなる。

 第1章は、研究の背景、目的についての記述である。手術ナビゲーションシステムは、手術対象の画像データを内部に座標として登録しておき、実際の術野の位置情報と比較可能な形で表示することで術中のオリエンテーションに役立たせ、低侵襲の手術を可能にする手術支援システムである。一方、拡散テンソルMRI(magnetic resonance imaging)に基づくトラクトグラフィ(diffusion tensor tractography, DTT)は、生体の神経組織を非侵襲的に可視化する唯一の方法であり、白質路を巻き込む各種疾患の検討に応用されている。脳神経外科領域においても、術前の検討で腫瘍と白質路との関係を把握するために用いるだけでなく、既存のナビゲーションシステムに解剖学的画像と重ね合わせてDTTを入力し、術中に神経線維、腫瘍とプローブの位置関係をリアルタイムにモニタ画面に表示して脳機能の温存に役立てた応用例が当院を含めて報告されている。このようにDTTの手術ナビゲーションシステムへの導入は低侵襲かつ可及的に広範囲な腫瘍の切除を支援する有力な手法と考えられるが、現在市販されているシステムでは、開発時点では想定されていない拡散テンソルデータの変換・加工や入力が煩雑であり、事前に準備したDTTしか表示できない。術中の解析・DTT描画は不可能である。また一度に使用できるデータチャネル数も限られるなど制約が多い。

 この研究では、これらの制約の克服を目的としてDTTを含めた拡散テンソルデータの解析機能および手術ナビゲーション機能を統合したシステムを開発し、まずファントムを用いて操作方法、精度や機能について評価する。続いて臨床で使用し、既存システムと比較するとともに実用性や応用方法について検討・考察を行う。

 第2章は、拡散異方性を表現可能なファントムの作成についての記述である。白質路を含むナビゲーション機能の検証に先立って、拡散テンソルデータセットと、その実空間での追跡を可能にするためのデータに応じた形状の物体が必要である。まず、三次元プリンタを用いたrapid prototypingの手法により、正常ボランティアの頭部MRIデータを元にDTTと形態情報を組み合わせた樹脂製のファントムを作成する。

 さらに物体それ自体で拡散異方性を持つファントムについても開発を試みる。撮像時間などの条件に制約があり経時的に変化し得る生体の神経組織に依存しないでDTTが再現可能な系が作成できれば、テンソル解析やナビゲーションを繰り返す際に有用と思われる。ここでは生のアスパラガス茎や各種の市販の糸の束について検討を行った。アスパラガス茎については水に浸し寒天で固定したファントム、糸の束についてはプラスチック容器に収容し水に浸したファントムを作成し、臨床と同様の条件でMRI撮像を行ったところ、アスパラガス茎の他、糸の束についてはポリエステルで高い拡散異方性が認められ、DTTの描出が可能であった。ポリエステル束については円弧状や分枝状に加工したファントムについても、それぞれの形に応じてDTT描画が可能であった。ただし、生の植物茎は長期間の保存はできない。また、糸を利用したファントムについては、水の扱いや束の形状保持に課題が残り、繰り返し利用するファントムとしてはまだ解決すべき点があった。

 第3章は、開発したナビゲーションシステムの構成、データのレジストレーション方法やナビゲーションでの操作性に関する記述である。開発したシステム(図)は、CCDカメラ、ポインティングデバイス(反射型マーカを装着したプローブ)および PCベースのワークステーションから構成されている。ワークステーションには独自に開発した画像表示、解析およびナビゲーションソフトウェアがインストールされている。システム登録用の画像データについては、MRI撮像の際に予め被験者の頭皮に基準点となるマーカを複数貼り付け、撮像後にそれらの座標を記録しておく。画像データをシステムに転送後、プローブでマーカを指示・CCDカメラにより検出し、プローブ先端の位置とシステム内の座標を対応付けることでレジストレーションを行う。レジストレーション完了後、直ちにリアルタイムのナビゲーションが可能となる。また、ナビゲーションと同一の画面内で、DTT描画を含めた拡散テンソル解析も可能である。以上の動作を前章で作成した頭部ファントムを用いて検証し、操作性および精度について検証した。レジストレーションは簡便で、ナビゲーションでの画面表示はプローブの動きにリアルタイムで追随し良好であった。ファントムのナビゲーション誤差はボリュームデータの空間分解能未満のレベルに抑えられた。

 実際の手術でのレジストレーションにあたって注意すべき点としては、開始直後を除き頭皮はドレープで覆われ直視できなくなるため、体表マーカのみでは手術台の移動後に再レジストレーションおよびナビゲーションが不可能となることである。これについては、術野近傍に消毒前後ともにアクセスできる二次的な基準点を設けられれば解決可能である。ここでは、既存のナビゲーションシステムに附属するリファレンスアークが、不潔操作用と清潔操作用で同一の形状であったので、それらの上の点を二次的な参照点として利用することで、頭皮上のマーカによらず再レジストレーションが可能であった。

 第4章は、リファレンスアークを使用したレジストレーションにおける計算方法および誤差の検討に関する記述である。実際の脳神経外科手術でのリファレンスアークおよび頭皮マーカの座標データを元に、計算方法として一次変換と平行移動を組み合わせたアフィン変換、回転と平行移動を組み合わせた剛体変換の2通りを用いてレジストレーション誤差を検討した。レジストレーションの基準点としてリファレンスアーク上の6点の座標、対象点として頭部のマーカの座標を想定してコンピュータプログラムによるシミュレーションを行ったところ、既に報告のある剛体変換の他、アフィン変換でもマーカを指示する際の誤差(fiducial localization error, FLE)とレジストレーション時の誤差(target registration error, TRE)との間に比例関係が認められた。誤差の絶対値は剛体変換の方が小さく実用的と考えられた。

 続いて対象点の位置と誤差の大きさの関係についても検討を行い、リファレンスアーク上に配置された基準点の重心座標に近い対象点ほどTREが小さいことを示した。手術部位とリファレンスアークの位置関係を設定する上で重要と考えられた。

 第5章は、以上の開発システムを既存システムと同時に手術室で試用した際の動作についての記述である。頭皮マーカを使った最初のレジストレーションや、リファレンスアーク上の点を使った再レジストレーションは特に煩雑ではなかった。中心溝など複数の指示点の表示位置も既存システムと同様で、レジストレーションの結果は妥当と思われた。また既存システムと異なり、術中のシステム内でのDTTも可能であった。

 第6、7章は、本論文の総括および今後の課題と展望についての記述である。開発したシステムは今後多数の症例で使用した上で、表示位置の妥当性を確認し、脳神経外科領域での有用性を実証する必要がある。また、基準用マーカの適切な固定ができれば整形外科領域での応用も考えられる。

 今後の展望としては、まず電気生理学的手法と組み合わせての使用が考えられる。脳占拠性病変切除中に切除腔壁の白質を直接電気刺激して得られるsubcortical MEP(motor evoked potential)において、本システムでは刺激電極の表示と併せて、電極から一定の距離を通過する線維を抽出した描画も可能で、切除腔とその近傍の線維の三次元的な位置関係が把握しやすくなると思われる。電極・線維間距離の術中測定にも応用が期待される。

 将来的には、術中超音波やMRIを利用した手術操作に伴う脳組織変形への対応など、新たな機能の追加も考えられる。

図 開発した手術ナビゲーションシステム全体の構成

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、脳神経外科領域の手術において機能上重要な部位の操作に不可欠となった手術ナビゲーションシステムに、拡散テンソル画像の解析およびDTTの表示という新たな機能を付加する試みである。既存のナビゲーションシステムで拡散テンソルデータを扱う場合、その解析結果はスカラ量としてシステムに転送し表示できるものの、テンソル解析や解析結果の術中での柔軟な更新は不可能であった。本研究では、拡散テンソルデータをそのまま扱え、術中にDTTの描画が可能な手術ナビゲーションシステムの開発を行い、手術での想定通りの動作を確認した。それに付随して、検証手段として拡散異方性を表現するファントムを作成するとともに、システムについて基礎的な検討を行った。これらの過程を通して、以下の結論を得ている。

・ファントムについて

 正常ボランティアの頭部MRIデータを用いて、形態情報およびDTTを組み合わせたファントムを作成しシステム検証に用いた。

 今までに報告のなかったポリエステル糸を用いて、拡散異方性を持つファントムが作成でき、曲げや分岐の加工も可能であった。経時的な形態・性状の安定性については課題が残ったが、安定したファントムが得られればin vitroでの白質路のシミュレーション、撮像シークエンスの検証・調整や、MRI装置の調整などに有用と考えられた。

・ナビゲーションシステムについて

 市販のCCDセンサ、PCワークステーションおよび独自に開発したソフトウェアを組み合わせて手術ナビゲーションシステムを開発した。ファントムデータのレジストレーション操作や、ナビゲーション時のプローブ操作は容易であった。既存システムでも実行できていた形態情報のナビゲーションに加えて、同一システム内でのDTTの描画を含む拡散テンソルデータの解析・表示およびナビゲーションも可能となった。精度については、解剖学的構造を基準点とした場合、目標点の誤差はボリュームデータの空間分解能未満に抑えられた。

・レジストレーションの計算方法と精度の関係

 実際の手術でのリファレンスアークおよび頭皮マーカの座標データを元に、計算方法としてアフィン変換と剛体変換を用いてレジストレーション誤差のシミュレーションを行った。既に報告のある剛体変換の他、新たにアフィン変換でもマーカを指示する際の誤差(FLE)とレジストレーション時の誤差(TRE)との間に比例関係が認められた。誤差の絶対値は剛体変換の方が小さく実用的と結論された。

・リファレンスアークと手術対象の距離の関係

 座標データを利用したシミュレーションにより、レジストレーション時の誤差(TRE)は、リファレンスアーク上に配置された基準点の重心座標に近い点ほど小さいことを示した。手術部位とリファレンスアークの位置関係を設定する上で重要と考えられた。

・手術での動作

 手術開始前のレジストレーション作業は既存システムよりも容易であった。既存システムと異なり再レジストレーション作業が必要であったが煩雑ではなく、ナビゲーション時にリファレンスアークのCCDセンサでの追跡は不要であった。ナビゲーションでの表示位置は視覚上の評価や既存システムでの表示と一致した。手術中のシステム内でのDTT描画や、DTTを表示しながらのナビゲーションもリアルタイムで可能であった。

・今後想定される応用例

 術中DTTの描画機能を活用した応用法としては、まず電気生理学的手法との組み合わせが可能と考えられた。脳占拠性病変切除中に切除腔壁の白質を直接電気刺激して得られるsubcortical MEPにおいて、本システムでは刺激電極の表示と併せて、電極から一定の距離を通過する線維を抽出した描画も可能で、切除腔とその近傍の線維の三次元的な位置関係が把握しやすくなると判断された。この他、留置した電極と線維間の距離を術中に測定する場合などにも応用が可能と考えられた。

 以上、本論文は、形態画像による解剖学的ナビゲーションと、拡散テンソル画像による機能的ナビゲーションを統合的に運用可能な手術ナビゲーションシステムの開発とその臨床応用に重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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