学位論文要旨



No 122542
著者(漢字) 音羽,健司
著者(英字)
著者(カナ) オトワ,タケシ
標題(和) パニック障害の疾患感受性遺伝子の探索 : ゲノムワイド関連解析の結果に基づく1番染色体における候補遺伝子の検討
標題(洋)
報告番号 122542
報告番号 甲22542
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2838号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 綱島,浩一
 東京大学 助教授 海老澤,尚
 東京大学 助教授 熊野,宏昭
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

 パニック障害(panic disorder)は動悸、発汗、胸部不快感、めまい感など自律神経系の異常興奮を伴うパニック発作が長年にわたり繰り返されることを特徴とする。パニック障害はしばしば寛解と増悪を繰り返し、広場恐怖やうつ症状を合併することも多い(Weissmanら、1997)。初発は思春期後期から成人早期(20歳代)で、生涯有病率は3%以上であり、幅広い年齢層に認められ(FinnとSmoller、2001)、男女比は約1:2である(Eatonら、1994)。

 パニック障害の家系研究(family study)や双生児研究(twin study)から発症に遺伝要因が関与していることが指摘されている。これまで、ゲノムワイドの連鎖研究から数多くの領域に対する連鎖の報告がある。そのうちのひとつとして、1番染色体部位があげられる。Croweら、Gelernterらは、それぞれ1番染色体短腕(1q)部位に連鎖の報告をしている(Croweら、2001、Gelernterら、2001)。Smollerらは1家系を対象に調べ、マウスの不安の表現型の量的形質座位(quantitative locus: QTL)に対応する部位について検討し、1qに小児期不安障害の発症と連鎖があることを報告している(Smollerら、2001)。

 精神疾患に代表されるような多数の遺伝子が発症に関わる複雑疾患(complex disease)では、従来の関連研究のような候補遺伝子をターゲットとした候補遺伝子アプローチには限界があり、またゲノムワイドの連鎖研究においても、疾患の候補領域を絞り込むには有効であっても、浸透率の低い疾患感受性遺伝子を直接同定することは困難であった。近年、マイクロアレイ(microarray)技術の発展に伴い、一度に多数の多型(single nucleotide polymorphism: SNP)をマーカーとしたゲノムワイドの関連解析が可能となってきた(Bunnyら、2003)。しかし、精神疾患では統合失調症や双極性障害の死後脳を用いた発現解析が中心に行われており、全ゲノムを対象としたSNP解析はまだほとんど行われていない。

 本研究においては、日本人を対象としたパニック障害に対し50万SNPsをマーカーとしたゲノムワイドな関連解析を行い、その結果をもとに1番染色体領域におけるパニック障害の疾患感受性遺伝子の候補について検討した。

2. 対象と方法

2.1. 対象

 研究実施に当たっては、東京大学大学院医学系研究科ヒトゲノム・遺伝子解析倫理審査委員会および三重大学医学部研究倫理委員会の承認を受け、被験者には研究内容についての口頭・文書による説明と書面による同意を得た。

 対象として、パニック障害患者200名(男64名、女136名、平均年齢39.5 ± 9.4歳)と、健常対照群として関東周辺、関西・中部・東海周辺でリクルートされた性比を一致させた100名(男26名、女74名、平均年齢38.5 ± 9.8歳)を用いた(1次サンプル)。診断は主治医が診察し、カルテも参照した上でDSM-IV(American Psychiatric Association、1994)に基づいて行った。また健常対照群については、パニック障害の遺伝的基盤と共通する神経症傾向・不安特性の強い群である、NEO-PIR Neuroticism≧125およびSTAI(Anxiety-state)≧53は除外した。

 ゲノムワイドスクリーニングの結果から選択した1番染色体上の候補遺伝子について1次サンプルに加えて、パニック障害患者267名(男96名、女171名、平均年齢37.9±10.5歳)と健常対照者462名(男181名、女281名、平均年齢34.6±10.9歳)を追加して解析を行った(2次サンプル)。なお462人の健常対照群のうち、NEO-PIR Neuroticism≧125およびSTAI≧53を除外した386名(男162名、女224名、平均年齢36.8±12.2歳)を対象とした解析も行った。

2.2. SNP解析

2.2.1. 500K SNPチップを用いたゲノムワイド関連解析

 全ゲノム上に分布する50万SNPsのタイピングを、東京大学ヒトSNPタイピングセンター(人類遺伝学教室)に依頼した。タイピングにはAffymetrix社製の500K SNPチップ(GeneChip Human Mapping 500K Array Set(Affymetrix、CA))を使用した。

 500K SNPチップの結果から候補となる遺伝子を選択する際に、患者・対照間の対立遺伝子頻度でnominal p-value < 0.01であるSNPが2つ以上連続して存在する固まりを集積部位とし、この集積部位の中から疾患と関連するSNPsに絞ることとした。p≦0.001のSNP数をp値の水準毎に調べ、そのうちで集積部位に含まれるSNP数を数えた。集積部位に存在するSNPs(p≦0.001)を含む既知の遺伝子については、SNPbrowser Version 3.5 (Applied Biosystems、CA)を用いて調べた。

2.2.2. ゲノムワイド関連解析の結果から選択した1番染色体上の候補遺伝子の関連解析

 1番染色体上の候補遺伝子の関連解析には、TaqMan法を用いて1次サンプル、2次サンプルともに解析を行った。解析にはABI PRISM 7900HT Sequence Detection System (Applied Biosystems、CA)を用いた。

2.3. 統計解析

 患者・対照間で、対立遺伝子頻度および遺伝子型分布をカイ二乗検定によって比較した。各SNPからなるハプロタイプ頻度をEMアルゴリズムを用いて推定し、permutation法を用いて患者・対照間でのハプロタイプ頻度を比較した。各SNPs間の連鎖不平衡度はD'として計算した。

3. 結果

3.1. 500K SNPチップを用いたゲノムワイド関連解析

 患者・対照間の対立遺伝子頻度でp≦0.001の水準にあるSNPsは全ゲノムにおいて1643個存在し、そのうち集積部位に存在するSNPsは431個であり、これらが位置する既知の遺伝子数としては79個見出された。1番染色体上に位置する遺伝子は7個であった。

3.2. 1番染色体上の候補遺伝子の関連解析

3.2.1. 1番染色体上の候補遺伝子の選択

 上記7個の候補遺伝子部位(PDE4B、BCAR3、ASTN、SYT2、PPFIA4、USH2A、NUP133)について検討を行った。遺伝子の機能についてNCBIデータベースより調べ、神経機能に関連する遺伝子であることや、p値の水準を考慮し、PDE4B、SYT2遺伝子について検討することとした。

3.2.2. PDE4BとSYT2の関連解析

 PDE4Bでは6SNPsを、SYT2に対しては9SNPsについてタイピングを行った。

 PDE4B遺伝子におけるSNPのうち、1次サンプルでは4つでnominal p-valueで1%の有意差が患者・対照間で認められた。2次サンプル、1次・2次サンプルを合わせた結果ではいずれのSNPでも有意差を認めなかった。連鎖不平衡のパターンは、1次サンプル、2次サンプルともに患者・対照群でSNPs1-2(Block1)とSNPs4-6(Block2)の2つの連鎖不平衡ブロックを形成していた。患者・対照間のハプロタイプ頻度比較では、SNP3とBlock2を合わせたSNPs3-6の4SNPsで、1次サンプル、2次サンプルともにglobal p < 0.005と有意な結果が得られた。また1次サンプルでは、Block2だけでも、SNPs1-6全体でも有意な結果が得られた(global p < 0.005)。しかし、個々のハプロタイプでみると1次サンプル、2次サンプルに共通して有意なハプロタイプは認められなかった。

 SYT2遺伝子におけるSNPでは、1次サンプルの2つでnominal p-valueで1%の有意差が患者・対照間で認められた。しかし、2次サンプル、1次・2次サンプルを合わせた結果ではいずれのSNPでも有意差は認めなかった。連鎖不平衡のパターンはいずれのサンプルともに患者群、対照群でSNPs1-2(Block1)、SNPs3-5(Block2)、SNPs6-9(Block3)の3つの連鎖不平衡ブロックを形成していた。患者・対照間のハプロタイプ頻度比較では、各ブロックのハプロタイプ解析で有意な差を認めなかったが、Block1とBlock2を合わせた5SNPs(SNPs1-5)、および9SNPs(3 Blocks全体)で、1次サンプル、2次サンプルともに、全ハプロタイプを総合した比較で有意な結果が得られた(global p values=0.005-0.0001)。しかし、個々のハプロタイプでみると、1次サンプル、2次サンプルに共通して有意なハプロタイプは認められなかった。

4. 考察

 本研究においては日本人を対象としたパニック障害におけるゲノムワイドの関連解析を行い、この結果をもとに1番染色体における候補遺伝子SYT2、PDE4Bについて検討した。その結果、SYT2、PDE4B遺伝子ともに、permutation法によるハプロタイプ全体の比較で一部パニック障害との関連を示唆したものの、個々のSNPやハプロタイプでは関連を支持する所見を確認できなかった。このことからSYT2、PDE4B遺伝子はパニック障害の候補遺伝子として今後も検討に値すると思われるが、結論を得るには、十分なサンプル規模をもつ新たな対象での研究が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、日本人を対象としたパニック障害に対し50万SNPsをマーカーとしたゲノムワイドな関連解析(genome-wide association study)を行い、その結果をもとに1番染色体領域におけるパニック障害感受性遺伝子の候補について検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1. 全ゲノム上に分布する50万SNPsのタイピングを行った結果、対立遺伝子頻度の患者・対照群間のアリル頻度差でp≦0.001の水準にあるSNPsは全ゲノムにおいて1643個存在した。これは、偶然による期待値である500,000×10-3 = 500個の3倍にあたる。そのうちp-value < 0.01であるSNPが2つ以上連続して存在する固まりである集積部位に存在するSNPsは431個あり、これらが位置する既知の遺伝子数としては79個見出された。このうち1番染色体上に位置する遺伝子は7個であった。

 2. 上記1番染色体上の7個の候補遺伝子部位のうち、遺伝子の機能とp値の水準から2つの遺伝子PDE4B、SYT2に絞り、PDE4Bでは6SNPsを、SYT2に対しては9SNPsをマーカーとして用いて関連解析を行った。

 PDE4B遺伝子におけるSNPのうち、1次サンプルでは4つでnominal p-valueで1%の有意差が患者・対照間で認められた(SNP1;p = 0.004、SNP2;p=0.009、SNP4;p=0.002、SNP5;p=0.002)。しかし、2次サンプル、1次・2次サンプルを合わせた結果ではいずれのSNPでも有意差は認めなかった。

 連鎖不平衡のパターンは、1次サンプル、2次サンプルともに患者・対照群でSNPs1-2(Block1)とSNPs4-6(Block2)の2つの連鎖不平衡ブロックを形成していた。Permutation法による患者・対照間のハプロタイプ頻度比較では、SNP3とBlock2を合わせたSNPs3-6の4SNPsで、1次サンプル、2次サンプルともに全ハプロタイプを総合した比較では有意な結果が得られた(global p < 0.005)。また1次サンプルでは、Block2だけでも、SNPs1-6全体でも有意な結果が得られた(global p < 0.005)。しかし、個々のハプロタイプごとに検討すると1次サンプル、2次サンプルに共通して有意な結果を得たハプロタイプは認められなかった。

 なお、対照群を性格検査などから神経症傾向、不安特性の高い群を除いた場合と、除かなかった場合との2通りで解析したが、結果に大きな差は認められなかった。

 3. SYT2遺伝子におけるSNPでは、1次サンプルの2つでnominal p-valueで1%の有意差が患者・対照間で認められた(SNP6;p=0.005、SNP7;p=0.002)。しかし、2次サンプル、1次・2次サンプルを合わせた結果ではいずれのSNPでも有意差は認めなかった。

 連鎖不平衡のパターンは1次サンプル、2次サンプルともに患者群、対照群でSNPs1-2(Block1)、SNPs3-5(Block2)、SNPs6-9(Block3)の3つの連鎖不平衡ブロックを形成していた。Permutation法による患者・対照間のハプロタイプ頻度比較では、各ブロックのハプロタイプ解析では有意な差は認めなかったが、Block1とBlock2を合わせた5SNPs(SNPs1-5)、および9SNPs(3 Blocks全体)で、1次サンプル、2次サンプルともに、全ハプロタイプを総合した比較では有意な結果が得られた(global p values = 0.005 - 0.0001)。しかし、個々のハプロタイプごとに検討すると1次サンプル、2次サンプルに共通して有意な結果を得たハプロタイプは認められなかった。

 対照群から神経症傾向および不安特性の高い群を除いた場合と、除かなかった場合とでは、PDE4Bと同様に結果に大きな差は認められなかった。

 4. PDE4B、SYT2の解析に使用したSNPsマーカーのうち、500K SNPチップ、TaqManに共通に用いたSNPsで比較したところ、TaqManでのcall rateは96-100%であったのに対し、500K SNPチップでは、67-100%であった。minor allele frequency (mAF)の結果を比較したところ、call rateが90%を下回ったSNPsについては、頻度に差がみられた。特に、minor allele頻度が低いSNPについては結果への影響は大きかった。

 以上、本論文は日本人を対象としたパニック障害におけるゲノムワイド関連解析の結果から選び出した1番染色体における候補遺伝子SYT2、PDE4Bについて検討し、パニック障害との関連の可能性を示唆する所見を得た。本研究は精神疾患に対しては、まだほとんど行われていないゲノムワイドな多型解析をもとに候補遺伝子にアプローチする手法を示しており、パニック障害の疾患感受性遺伝子の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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