学位論文要旨



No 122546
著者(漢字) 草川,森士
著者(英字)
著者(カナ) クサカワ,シンジ
標題(和) 感覚運動ゲーティング、注意・認知プロセスにおけるムスカリン性アセチルコリン受容体の役割に関する研究
標題(洋) Research on the role of muscarinic acetylcholine receptors in sensorimotor gating and attentional/cognitive processes
報告番号 122546
報告番号 甲22546
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2842号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 助教授 坂井,克之
 東京大学 講師 宇川,義一
内容要旨 要旨を表示する

 ムスカリン性アセチルコリン受容体は、7回膜貫通型受容体ファミリーに属し中枢神経系に広く分布している。ムスカリン性受容体にはM1-M5までの異なった5つのサブタイプが存在する。いずれのサブタイプも脳内で発現しており、多くの脳機能において重要な役割を担うと考えられている。しかしながら、サブタイプ選択性の高いリガンドが存在しない為、サブタイプごとの機能の解明は困難を極めていた。この問題を打開する為、各サブタイプの特異的な機能の解明を目的とし、5つのサブタイプそれぞれを欠損させたムスカリン性受容体ノックアウト(KO)マウスが、近年、我々の手によって作出された。

 外界からの刺激を受け、その情報を処理し反応(行動)するという一連の過程において、重要ではない情報の流れのゲート(フィルター)となる機構の存在が知られている。統合失調症などの精神疾患の患者では、この機構に異常があり適切な情報処理ができないことが知られている。感覚運動ゲーティングは その機構の1つであり、プレパルス抑制(PPI)試験はその実験モデルとして活用されている。PPIは、音刺激の直前に先行する小さな音刺激(プレパルス)を提示することで、音刺激に対する驚愕反応が減弱するという現象である。また、同じくゲート機構に関連する現象として潜在抑制というものがある。潜在抑制は、やがて条件刺激として用いる刺激を繰り返し提示しておくと、その後、その刺激を条件刺激とする課題での学習の成立が抑制される現象であり、注意・認知機能の評価に用いられている。

 薬理的な解析によって、コリン作動性神経およびムスカリン性受容体が、PPIや潜在抑制といった感覚情報処理に関与することが示唆されていたが、ムスカリン性受容体のどのサブタイプが関わっているのかは不明であった。M1-M5の5種類のサブタイプKOマウスそれぞれについて、様々な行動試験による表現型の解析を行った結果、プレパルス抑制試験において、M2KOマウス、M4KOマウスそれぞれに異常の傾向が見出された。この結果は、PPIにおけるM2、M4受容体の関与を示唆するものであり、これらの受容体がPPIの調節を担う可能性が考えられた。本研究は、感覚情報処理におけるムスカリン性受容体(M2、M4受容体)の役割の解明を目的とし、ムスカリン性受容体KOマウス(M2KO、M4KO、M2/M4KOマウス)についてより詳細な行動解析を行い、さらに生化学的な解析も行った。

 M2KO、M4KO、M2/M4KOマウスについてPPIの詳細な解析を行った。PPIは3種のプレパルス×5種の時間間隔(先行音刺激と驚愕音刺激との間隔、IPI: inter-pulse interval)の計15条件について検討した。M2KOマウスでは、各先行音刺激(81,84,87dB)のIPIが200ms以下のときに、野生型マウスと比較して有意な亢進が認められたのに対し、M4KOマウスでは、ほとんどの条件下においてPPIは顕著に減弱していた。M2/M4KOマウスのPPIは、野生型マウスと同様の結果であった。これらの結果から、M2およびM4受容体それぞれがPPIの調節に関与していることが示唆される。

 PPIは、驚愕反射の経路をプレパルスの経路が修飾することで起こると考えられている。また、驚愕反射の経路の中継点として知られている脳幹の橋網様体は、脚橋被蓋核からのコリン作動性神経の投射によって、抑制的な調節を受けていると考えられている。PPIが亢進していたM2KOマウスでは、このコリン作動性神経の抑制的作用が増強していた可能性を考えた。その検証として、橋網様体におけるアセチルコリンの遊離量の測定を行った。その結果、M2KOマウスは、野生型と比べ橋網様体におけるアセチルコリン遊離量が上昇していることが示された。この結果は、M2受容体が脚橋被蓋核からのコリン作動性神経において、自己受容体として機能していることを示唆するものである。M2受容体の欠損によって橋網様体でのアセチルコリンの放出が増え、その結果PPIが亢進した可能性が考えられる。

 また、驚愕反射反応については遺伝子型間に差は認められなかったが、M2KOマウスは微弱な音であるプレパルスに対する反射反応が、野生型と比べ亢進していた。この結果もM2KOマウスのPPI亢進に関わっていた可能性と考えられる。

 一方、非選択的ムスカリン性受容体拮抗剤であるスコポラミンの投与による、野生型および各サブタイプKOマウスにおけるPPIへの影響は認められなかった。この結果は、各サブタイプの薬理的かつ非選択的な阻害では、KOマウスの表現型と同じようにはならないということ,さらに、各サブタイプがそれぞれ異なったPPIの調節を担う可能性を示唆するものである。また、ムスカリン性受容体の持続的な欠損と薬理的な阻害の影響が異なる可能性も示唆する結果である。

 続いて、PPIで顕著な異常を示していたM4KOマウスについて、感覚情報処理における注意・認知機能の検討として潜在抑制試験を行った。潜在抑制は、条件付け学習(連合学習)を利用し、条件刺激に先に暴露させる群(PE群)と通常の条件付けを行う群(NPE群)の2つの群における学習能力の差から評価した。条件付けフリージング学習では、音(条件刺激)と、電気刺激(無条件刺激)の対提示による条件付けを行い、その後、音を提示したときのフリージング反応を学習の指標とした。M4KOマウスのNPE群では野生型と比べ有意に学習能力が亢進していた。一方、M4KOマウスのPE群は野生型よりもフリージング反応は低く、音の先行提示の影響が強く現れていた。NPE群とPE群の学習能力の違いから評価される潜在抑制の度合いは、野生型よりもM4KOマウスで亢進していた。続いて、味覚嫌悪条件付け学習を利用し、再度潜在抑制の検討を行った。甘味溶液(スクロース)を条件刺激として与え、その後、塩化リチウムの腹腔内投与による内蔵不快感の誘発によって、甘味溶液への嫌悪反応が形成される。この嫌悪反応を学習の指標とした味覚嫌悪条件付け学習では、野生型およびM4KOマウスはともに同程度の潜在抑制を示していた。しかしながら、M4KOマウスのNPE群では野生型と比べ嫌悪反応の回復に遅れが認められた。この結果は、M4KOマウスにおける学習能力の亢進を示すものと考えられる。

 本研究によって、下記の結果が得られた。

(1) M2、M4受容体それぞれがPPIの調節に関与することが示された。(2) M2受容体が橋網様体において、アセチルコリン遊離の調節を担うことが示された。この結果がM2KOのPPI亢進の原因であった可能性が考えられる。(3) M4受容体の欠損によってPPIだけでなく、潜在抑制の異常も伴うことが示された。

 ムスカリン性受容体KOマウスで認められた、感覚運動ゲーティング、注意・認知機能における行動学的特性は、統合失調症などの精神疾患の患者の症状と共通している。これらの結果は、ムスカリン性受容体の精神疾患との関連性を示唆するものである。ムスカリン性受容体KOマウスは、様々な精神疾患における病態生理の解明に有用なモデル動物であり、多方面からの解析によって疾患の治療法の開発につながることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、感覚情報処理におけるムスカリン性アセチルコリン受容体の役割を明らかにすることを目的とし、ムスカリン性受容体KOマウス(M2KO、M4KO、M2/M4KOマウス)について、行動学的解析(プレパルス抑制試験、潜在抑制試験)、さらに生化学的解析を行い、下記の結果を得ている。

 1. M2KO、M4KO、M2/M4KOマウスについて、プレパルス抑制(PPI)の解析を行ったところ、M2KOマウスは野生型マウスと比べPPIの亢進を示し、一方、M4KOマウスではPPIの減弱が認められた。また、M2/M4KOマウスのPPIは、野生型マウスと同様のPPIを示していた。

 2. 脳幹の橋網様体におけるアセチルコリン遊離量を測定したところ、M2KOマウスは野生型マウスと比べ、アセチルコリン遊離量が上昇していた。したがって、脚橋被蓋核から投射しているコリン作動性神経において、M2受容体が自己受容体として機能していると考えられた。

 3. 驚愕反射反応については遺伝子型間に差は認められなかったが、M2KOマウスは微弱な音であるプレパルスに対する反射反応が、野生型と比べ亢進していた。

 4. 非選択的ムスカリン性受容体拮抗剤であるスコポラミンの投与による、野生型および各サブタイプKOマウスにおけるPPIへの影響は認められなかった。

 5. M4KOマウスについて、注意・認知機能の検討として潜在抑制試験を行った。条件付けフリージング学習では、M4KOマウスは野生型マウスよりも高い学習能力を示し、さらにM4KOマウスでは、条件刺激の先行提示が野生型よりも強く学習へ影響していたため、潜在抑制の度合いは、野生型よりもM4KOマウスで亢進していた。

 6. 味覚嫌悪条件付け学習では、野生型およびM4KOマウスはともに同程度の潜在抑制を示していた。しかしながら、M4KOマウスでは野生型と比べ嫌悪反応の回復に遅れが認められた。この結果は、M4KOマウスにおける学習能力の亢進を示すものと考えられた。

 以上、本論文はムスカリン性受容体KOマウスの解析から、感覚運動ゲーティング、注意・認知機能におけるM2およびM4受容体の関与を明らかにした。本研究は、統合失調症などの精神疾患における病態生理の解明、疾患の治療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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