学位論文要旨



No 122548
著者(漢字) 桑原,斉
著者(英字)
著者(カナ) クワバラ,ヒトシ
標題(和) 近赤外線スペクトロスコピーを用いた広汎性発達障害における前頭前野機能異常の検討
標題(洋)
報告番号 122548
報告番号 甲22548
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2844号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 坂井,克之
 東京大学 助教授 高山,吉弘
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 助教授 青木,茂樹
 東京大学 教授 加我,君孝
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究の背景と目的

 広汎性発達障害(Pervasive developmental disorder: PDD)における前頭葉の異常は1990年代半ばまでは検知することが困難であったが、現在では複数の死後脳研究、脳形態画像研究及び脳機能画像研究がその異常を指摘している。結果、(1)死後脳研究で前頭葉の層構造(Laminar pattern)、小円柱(minicolumns)構造の異常、(2)構造的MRIで2-5歳のPDDで背外側前頭前野、内側前頭前野が増大し、背外側前頭前野では2-5歳以降の体積増加がゆるやか(slow rate)であること、(3)SPECTで安静時の脳血流の低下、(4)脳機能画像研究で「社会性」の障害と内側前頭前野、空間的ワーキングメモリーに関連する課題と外側前頭前野の異常が関係しているということが明らかになってきた。

 外側前頭前野はPDDで障害されている可能性のある実行機能に深く関わることが示唆されている部位であり、神経心理学的な研究では言語的な課題でも空間的な課題でも異常が報告されている。しかし、外側前頭前野の機能的な異常について現在までに報告されているPDDの脳機能画像研究は、空間的な課題に関しての研究に限られている。今回、申請者らは成人PDDの外側前頭前野(BA9, 10, 46)の機能と言語的な課題との関連を明らかにするために脳機能画像を用いて検討した。脳機能画像手法は、臨床研究への応用が進展しているがPDDを対象とした研究報告のないNIRS(24チャンネル)を選択した(研究(1))。

 NIRSは安全かつ、測定中の被験者の拘束が少なく、装置が簡便でありベッドサイドでの利用に期待がもたれている。また、PDDの外側前頭前野機能の発達については今までに報告がない。そのため上述の24チャンネルNIRSを用いた検討に加えて、より簡便な2チャンネルNIRSを用いて、臨床応用の可能性、及び発達経過の異常について予備的に検討した(研究(2))。

2. 研究(1)-24チャンネルNIRS-

2.1. 対象と方法

 10名の成人PDD患者(男性6名、女性4名;18歳-37歳)と年齢、性別が一致した成人健常者10名(男性9名、女性1名;24歳-34歳)を対象とした。IQはPDD群で健常群よりも有意に低かったが(t[18]=2.359, p=0.030)、7名はIQ>85であり高機能PDD(high-functioning PDD)であった。外側前頭前野における[oxyHb]、[deoxyHb]の変化を語流暢性課題(letter fluency test: LFT)の施行中に24チャンネルNIRSを用いて測定した。外側前頭前野下部の8チャンネルを解析に用いた。課題中の[oxyHb]変化量、[deoxyHb]変化量の平均値に対して"診断(健常群とPDD群)"を被験者間因子とし、"半球(左半球と右半球)"と"チャンネル(各4チャンネル)"を被験者内因子とした共分散分析(analysis of covariance: ANCOVA)を行った。IQの影響を評価するために、健常者と有意差が生じない高機能PDD7名(平均IQ: 110)のみを用いて同じ分析を行った。PDD群では探索的に臨床症状(CARS)の下位項目と[oxyHb]変化量との関係を検討するためにSpearmanの相関係数を求めた。

2.2. 結果(図1)

 語流暢性課題の施行時に産出された単語の数は、PDD群と健常群の間に有意差を認めなかった。課題中の[oxyHb]変化量の平均値について行ったANCOVAでは"診断"の有意な主効果を認めた。高機能PDD群のみを解析の対象にしても、結果に変化はなかった。臨床症状(CARS)と[oxyHb]変化量との関係については、右半球の[oxyHb]変化量の平均値と"言語的コミュニケーション(の障害)"との間に有意な負の相関を認めた。

2.3. 考察

 本研究では1) 語流暢性課題の課題成績に差異はないが、PDD群で外側前頭前野の血流上昇が両側性に小さい、2) PDD群において、外側前頭前野の血流上昇と語流暢性課題の課題成績との相関はないが、外側前頭前野の血流上昇と言語的コミュニケーションの障害が負の相関をするという結果が示された。この結果は成人のPDDでは前頭前野に機能的な異常があり、PDDの主な行動特徴の一つである言語的コミュニケーションの障害の基盤となっている可能性があることを示唆するものである。

3. 研究(2)-2チャンネルNIRS-

3.1. 対象と方法

 10名の成人PDD患者(男性6名、女性4名;18歳-39歳)と年齢、性別が一致した成人健常者11名(男性3名、女性8名;18歳-36歳)、及び10名の小児PDD患者(男性8名、女性2名;6歳-17歳)と年齢、性別が一致した健常小児11名(男性9名、女性2名;8歳-16歳)を対象とした。IQは成人被験者、小児被験者それぞれでPDD患者と健常者の間に有意差を認めなかった。 両側前頭極における[oxyHb]、[deoxyHb]の変化を、文字流暢性課題(letter fluency test: LFT)の遂行中に2チャンネルNIRSを用いて測定した。成人被験者、小児被験者のそれぞれで、課題中の[oxyHb]変化量、[deoxyHb]変化量の平均値に対して、"診断(健常群とPDD群)"を被験者間因子とし、"時間(課題前半と課題後半)"と"チャンネル(左チャンネルと右チャンネル)"を被験者内因子とした分散分析(analysis of variance: ANOVA)を行った。課題成績、IQ、年齢と課題中30秒の[oxyHb]変化量の平均値との関係を検討するためにPDD群、健常群でそれぞれPearsonの相関係数を求めた。さらに、PDD群では探索的にCARSの下位項目と課題中30秒の[oxyHb]変化量の平均値との関係を検討するためにSpearmanの相関係数を求めた。

3.2. 結果(図2)

 成人では、文字流暢性課題の施行時に産出された単語の数は、PDD群と健常群の間に有意差を認めなかった。課題中の[oxyHb]変化量の平均値に関して行われたANOVAでは"診断"の有意な主効果が認められた。また、"時間×診断"の有意な交互作用を認めた。両群で、課題成績、IQ、年齢と[oxyHb]変化量との間に有意な相関を認めなかった。CARS下位項目の"言語的コミュニケーション"について、左チャンネルの[oxyHb]変化量との有意な負の相関が認められた。

 小児では、文字流暢性課題の施行時に産出された単語の数は、PDD群と健常群の間に有意差を認めなかった。 [oxyHb]変化量の平均値に関して行われたANOVAでは"診断"の有意な主効果を認めなかったが、"時間×診断"の有意な交互作用を認めた。健常群、PDD群それぞれでt検定(paired t-test)を行ったところ、健常群では課題前半15秒の平均値と課題後半15秒の平均値の間に有意な差を認め、PDD群では認めなかった。健常群では、左チャンネルの[oxyHb]変化量と年齢との間に有意ではないが高い相関係数が認められ、線形回帰直線はy=0.35x-3.3であった。PDD群では左チャンネルの[oxyHb]変化量と年齢の間に有意な相関が認められ、線形回帰直線はy=0.13x-1.1であった。線形回帰直線の傾きの差異は有意ではないが、PDD群で小さい傾向にあった(p<0.10)。CARS下位項目の"活動性の水準"と右チャンネルの[oxyHb]変化量との間に有意な負の相関が認められた。

3. 考察

 2チャンネルNIRSを用いた研究(2)では、成人PDD群では前頭極における[oxyHb]変化量が両側性に減少しているという結果を得た。この結果は24チャンネルNIRSを用いた研究(1)の結果と一致する。今回の結果及び実際の測定時の簡便性を踏まえ、2チャンネルNIRSをPDDの臨床に応用する可能性は今後も検討をしていく価値があるものだと考えられた。

 小児PDDを対象としたNIRS研究は我々が把握している限りでは本研究が初めてのものである。また、機能画像を用いてPDDの前頭葉の発達について検討した報告はない。本研究では小児PDDにおける前頭極の機能異常及び左前頭極機能の発達の遅れが示唆されたが、測定範囲は狭く、また対象数が少なく予備的な報告にとどまる。今後、PDDの前頭前野機能の発達的側面を検討するためには、対象者を増やし研究を進展させることが必要である。

4. 結論

 本研究では、PDDの前頭前野機能を、言語的な課題を認知課題とし、24チャンネルNIRSを測定装置として検討した(研究(1))。また、PDDにおける臨床応用の可能性、PDDの前頭前野機能の発達を検討するために2チャンネルNIRSを用いた予備的な研究も行った(研究(2))。本研究の結果から、成人PDDでは外側前頭前野に機能的な異常を認め、その異常がPDDの主な行動特徴の一つである、言語的コミュニケーションの障害の生物学的基盤になっている可能性が示唆された。また、2チャンネルNIRSを用いた予備的な研究でも、前頭前野(前頭極)の機能的な異常が認められ、臨床応用の可能性が示唆された。小児PDDでも前頭前野(前頭極)に機能的な異常は認めるが成人PDDとは異常の程度が異なること、及び小児PDDでは小児健常者よりも左前頭前野(前頭極)の機能的な発達が遅れている可能性が示唆された。

図1 加算平均波形(24チャンネル) 赤線が[oxyHb]の変化量、青線が[deoxyHb]の変化量、緑線が[totalHb]の変化量

図2 加算平均波形(2チャンネル) 赤線が[oxyHb]の変化量、青線が[deoxyHb]の変化量

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は広汎性発達障害(PDD)の外側前頭前野(BA9, 10, 46)の機能と言語的な課題との関連を明らかにするために成人を対象に24チャンネル近赤外線スペクトロスコピー(NIRS)を用いて検討したものである。また、より簡便な2チャンネルNIRSを用いて、小児・成人を対象に、臨床応用の可能性、及び発達経過の異常について予備的に検討し、下記の結果を得ている。

1. 24チャンネルNIRS研究では、1) 語流暢性課題の課題成績に差異はないが、PDDで外側前頭前野の血流上昇が両側性に小さい、2) PDDにおいて、外側前頭前野の血流上昇と語流暢性課題の課題成績との相関はないが、外側前頭前野の血流上昇と言語的コミュニケーションの障害が負の相関をするという結果を得た。この結果から、成人のPDDでは前頭前野に機能的な異常があり、PDDの主な行動特徴の一つである言語的コミュニケーションの障害の基盤となっている可能性があること示唆された。

2. 成人を対象とした2チャンネルNIRSを用いた研究では、1) PDDでは前頭前野(前頭極)の血流上昇が小さい、2) 血流上昇が言語的コミュニケーションと負の相関をするという24チャンネルNIRS研究と一致した結果を得た。この結果から、実際の測定時の簡便性を踏まえ、2チャンネルNIRSをPDDの臨床へ応用する可能性が提示された。

3. 小児を対象とした2チャンネルNIRSを用いた研究では1) 小児PDDにおける前頭極の機能異常及び2) 左前頭極機能の発達の遅れが示唆された。

 以上、本論文はNIRSを測定装置として、成人のPDDでは前頭前野に機能的な異常があり、PDDの主な行動特徴の一つである言語的コミュニケーションの障害の基盤となっている可能性があることを示唆した。また、NIRSの臨床応用の可能性、PDDにおける前頭前野機能の発達についても予備的な報告をした。本研究はこれまで研究が不十分であった、PDDの前頭前野機能と言語的コミュニケーション障害の関連の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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