学位論文要旨



No 122550
著者(漢字) 竹村,典子
著者(英字)
著者(カナ) タケムラ,ノリコ
標題(和) 成体げっ歯類側頭葉白質におけるニューロン新生の機能解析
標題(洋) Function analysis of adult neurogenesis within the white matter beneath the rodent temporal neocortex
報告番号 122550
報告番号 甲22550
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2846号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斉藤,延人
 東京大学 特任助教授 河崎,洋志
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 講師 山口,正洋
 東京大学 助教授 百瀬,敏光
内容要旨 要旨を表示する

 哺乳類中枢神経回路網への機能ニューロンの付加は個体の誕生後間もなく終了し、成熟した脳では決して起こらないと考えられてきた。ところが実験・顕微鏡技術の発展にともない、神経幹細胞・前駆細胞の存在とそのニューロン分化、既存神経回路網への組込みなどが証明され、近年では成体ニューロン新生(adult neurogenesis)は広く認められる事実となった。現在はこの成体脳の構造的可塑性(機能素子ニューロンの代謝回転)の生物学的意義解明を目指して活発な研究活動が展開されており、これまでに学習・記憶、うつ病との機能関連が示唆されている。

 生理条件下にあるcとして現在広く認められているのは、海馬歯状回顆粒細胞層下層部および前脳の側脳室周辺から嗅球へと続く2領域のみである。しかし脊髄や白質を含むさまざまな領域に神経前駆細胞・幹細胞の存在が確認されており、未知の成体ニューロン新生が推測されてきた。そこで私は修士課程の研究において、免疫組織化学二重染色法を用いた成体ラット脳のスクリーニングを行いその検索を行った。そして側頭葉新皮質下を走行する外包の一部に新規ニューロン新生領域側頭胚層(the temporal germinal layer: TGL)を同定した(Takemura, 2005)。解剖学的にこの領域は扁桃体、海馬、および側頭葉新皮質(内嗅領皮質および嗅周囲皮質)の3つの灰白質領域に囲まれた白質(ニューロン軸索の束)の一部にあたる。この領域には持続的に分裂しているPax6陽性およびOlig2陽性の異系統の未分化細胞が内在し、それらが分裂後2〜3日でDoublecortin (DCX) 陽性ニューロンに分化していることが示唆された。またこれら新生ニューロンのなかにはプログラム細胞死で死滅するものがある一方、白質内を脳の前方へと移動して海馬采に至る新生細胞の存在も明らかになった。

 TGLが情動機能に深く関与する扁桃体外側核(lateral nucleus of the amygdala: LA)に接する白質である所見から、本研究ではその情動機能との関連を検討した。私はまず成体マウス脳で、ラットTGLと解剖学的、組織学的性質の類似したニューロン新生の持続を明らかにした。続いて成体脳への低線量のガンマ線照射(irradiation: IR)が成熟細胞には機能障害を与えずに分裂細胞と幼若なニューロンを選択的に死滅できることに着目し、全脳にガンマ線を照射したマウス(IRマウス)を作製し、動物モデルにおける恐怖および不安の行動指標を用いて個体レベルでの情動変化を検討した。IR/対照群間の基本行動および不安行動に変化はなく、音刺激を2恐怖記憶の定量化指標として用いられる動物の防御行動にはすくみ(freezing)と逃避(flight)があるが、このときのIRマウスの恐怖記憶は逃避行動と思われる水平方向への速動頻度の増大で現われた。さらにその頻度とTGLに存在する新生ニューロン数との間に個体レベルで有意な負の相関関係が認められたことから、TGLニューロン新生による恐怖記憶形成あるいは固定化の抑制が示唆された。

 続いてこの行動変化が構造的基盤に基づいて説明可能かを検討した。私は扁桃体部で前額半切断したラットの後脳部LAに脂質親和性のトレーサーDiIを注入し、LA後方の求心・遠心性神経回路網のin vitroでの可視化を試みた。LAをラベルしたDiIは細胞膜上を隣接する外包へと拡散した後、TGLの背側領域を経て大脳新皮質聴覚連合野(Te3)の最下層部に終わった。これによりTGLニューロン新生がTe3-LA聴神経回路網の一部で持続していることが明らかになるとともに、その扁桃体依存性の音連合学習・記憶への機能関与の可能性が解剖学的に支持された。

 次に我々はガンマナイフ(gamma knife: GK)を用いてTGL領域特異的に細胞分裂を抑制した動物(GKラット)を作製し、IRマウスで得られた結果をさらに詳細に検討した。ラット両側TGLに各10Gy線量のガンマ線照射を行った6週間後、GKラットTGLに存在する分裂細胞数は対照群に比べ85%有意に低下していた。一方、同動物群の海馬歯状回ニューロン新生に変化は認められず、GKラットにおけるTGL領域特異的な細胞新生の抑制が示された。ガンマ線照射2週間後のオープンフィールドテストにおける基本行動にGK/対照群間で変化は認められなかった。ところがそれに続いてげっ歯類に生得的恐怖を誘起する20 KHzの超音波刺激を与えると、音刺激直後のGKラットの自発行動量が対照群に比べて有意に亢進した。これによりTGLニューロン新生の持続が個体の注意・覚醒度を抑制している可能性が示唆された。さらにその恐怖音体験の長期記憶がGKラットで亢進しており、それが逃避行動の有意な増大として現われた。またここでも個体レベルでの逃避行動の発現頻度とTGL新生ニューロン数との間に負の相関傾向(P=0.05)が認められた。以上の結果からTGL新生ニューロンが扁桃体への聴覚入力を抑制することで動物の注意・覚醒度の低減に働き、恐怖記憶固定化および逃避行動発現の抑制に関与している可能性が示唆された。

 次に我々は電気生理学的な手法を用いて、TGLニューロン新生の抑制が外包-LA神経回路網の入出力特性に変化を与えるかを検討した。ここではラット脳の水平断・急性スライス切片を用いて電位感受性色素による光学測定(optical imaging)と局所電位の同時記録を行った。生理的条件下にある動物脳スライスのLAより後方遠位の外包に0.6 mAの単発刺激を与えると、その脱分極応答が白質に沿って脳の前方へと伝播し、TGL領域を通過した後にLAに到達することが光学計測法によって可視化された。またこのとき光応答と同期したLA局所電位変化が記録され、我々の用いた水平断脳切片に外包-LA回路が保存されており、光学計測法を用いたその時空間応答の解析可能が示された。この手法を用いて次に我々は、片側脳半球のみTGLニューロン新生を抑制したGKラットの外包-LA回路の興奮性を両半球間で比較検討した。LA遠位外包への1.5 mA以下の単発刺激はLAニューロン応答に変化を与えなかった。ところがより強い6 mA刺激は、ガンマ線照射半球LAニューロンの有意な応答亢進を誘発した。一方、LA近位外包への6 mA刺激はその応答に変化を与えなかった。これらの所見から、TGL新生ニューロンが外包を介するLAへの強い求心性入力に対し抑制性のゲーティング機能を果たしている可能性が示唆された。本研究結果を総括すると、外包-LA聴覚神経回路を介する強い興奮性入力がTGLニューロン新生領域を通過することで減衰してLAニューロンに伝播し、このときのLAニューロン応答の相対的低下が動物の注意・覚醒度の低減に働くことで恐怖記憶の固定化が抑制される可能性が示唆された。

 本研究結果の臨床的意義のひとつとして、恐怖記憶の亢進、過覚醒、過活動を主徴とする心的外傷後ストレス障害(posttraumatic stress disorder: PTSD)との関連示唆があげられる。PTSDは個体の生死に関わるような事件・災害あるいは虐待などの急性・慢性的な強い情動体験が心的外傷(trauma)として長期記憶固定化され、その侵入的な再現現象(flash back)や過覚醒によって当時の心的・生理的苦痛の再体験を繰り返す精神疾患である。ヒトの側頭葉において、もしも扁桃体機能に関連するニューロン新生が起こっていれば、その異常がPTSDをはじめとする情動記憶の亢進、過覚醒、過活動を主徴とする精神疾患発症の内在的脆弱因子のひとつである可能性も推測できる。成体サルでの扁桃体ニューロンの持続産生の報告なども含め、本研究結果はさらに多角的な側頭葉ニューロン新生の検討を行うことの重要性を示唆しているように思われる。

文献:Takemura NU. (2005). Evidence for neurogenesis within the white matter beneath the temporal neocortex of the adult rat brain. Neuroscience 134, 121-32.
審査要旨 要旨を表示する

 本研究は成体げっ歯類側頭葉白質におけるニューロン新生の機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1. 成体ラット脳側頭葉白質(外包)内で同定された新規ニューロン新生領域「側頭胚層(the temporal germinal layer: TGL)」(Takemura, 2005)がマウス脳にも存在することが示された。

 2. 全脳に低線量のガンマ線照射(irradiation: IR)を行ったマウス(IRマウス)を作製し、成体脳の細胞新生を抑制した動物では、音刺激を用いた恐怖条件付け連合学習において恐怖記憶が亢進することが示された。またこの記憶は動物の逃避行動(flight)で現れることが示された。このとき個体レベルで、逃避行動の発現頻度とTGL新生ニューロン数との間に有意な負の相関関係が示された。

 3. DiIを用いてLA後方の求心・遠心性神経回路網のin vitroでの可視化を試みた実験において、TGLニューロン新生が大脳新皮質聴覚連合野(Te3)と扁桃体外側核(lateral nucleus of the amygdala: LA)をつなぐ聴神経回路網の一部で持続していることが示された。

 4. ガンマナイフ(gamma knife: GK)を用いてTGL領域特異的に細胞分裂を抑制した動物(GKラット)および、げっ歯類に生得的な恐怖を与える超音波刺激を用いた実験において、TGL細胞新生が個体の注意・覚醒度を抑制している可能性が示された。さらにその恐怖記憶が亢進しており、それが逃避行動の増大として現われることが示された。このとき個体レベルでの逃避行動の発現頻度とTGL新生ニューロン数との間に負の相関傾向があることが示された。

 5. 電気生理学的な手法を用いて、TGL細胞新生の抑制が外包-LA神経回路網の入出力特性に変化を与えるかを検討した。片側脳半球のみTGL細胞新生を抑制したGKラットにおいて、TGL細胞新生が、外包を介するLAへの興奮性入力に対して抑制性のゲーティング機能を果たしている可能性が示された。

 以上、本論文は外包-LA聴覚神経回路を介する強い興奮性入力がTGLニューロン新生領域を通過することで減衰してLAニューロンへと伝播し、このLAニューロン応答の相対的低下が動物の注意・覚醒度の低減に働くことで恐怖記憶の固定化が抑制される可能性を示した。本研究は成体脳白質でのニューロン新生の生理機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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