No | 122552 | |
著者(漢字) | ポンパンプーパックディー サクナン | |
著者(英字) | Bongsebandha-phubhakdi Saknan | |
著者(カナ) | ポンパンプーパックディー サクナン | |
標題(和) | 海馬CA1領域でのシナプス伝達及び可塑性におけるノシセプチンの役割 | |
標題(洋) | Roles for nociceptin in synaptic transmission and plasticity in the CA1 region of the hippocampus | |
報告番号 | 122552 | |
報告番号 | 甲22552 | |
学位授与日 | 2007.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第2848号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 脳神経医学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 中枢神経系の海馬は、記憶と学習において中心的な役割を果たしている。海馬における興奮性シナプス伝達の長期増強(LTP)はシナプス可塑性の一つであり、細胞レベルでの記憶形成モデルであると考えられている。記憶の形成機構を理解するためには、LTPに伴って海馬内の神経活動がどのように変化するか、また、どのような機構によりその変化がもたらされるかを明らかにすることが重要である。 所属研究室では、神経ペプチドであるノシセプチンが海馬に豊富に存在し、海馬CA1領域のLTPと個体レベルの学習能力に対して抑制的な作用があることをノシセプチン受容体遺伝子欠損マウスの解析によって明らかにした。ノシセプチン受容体はオピオイド受容体の塩基配列をベースに新規オピオイド様オーファン受容体としてクローニングされたが、典型的なオピオイド・リガンドに対する親和性が極めて低かった。その後、この受容体の内在性リガンドはノシセプチンという神経ペプチドであり、これまでのオピオイド受容体に全く効果を示さず逆に痛覚のシグナルを増幅することが明らかになっている。ノシセプチンは17残基のペプチドから成り、他のオピオイド・リガンドの特徴的な構造であるN末のチロシン残基が欠落している。ノシセプチンとその前駆体は海馬を含む中枢神経系に広く発現しており、ノシセプチン受容体も海馬の錐体細胞や介在ニューロンに多く発現している。これにより内在性ノシセプチンは海馬内の興奮性シナプス伝達及び可塑性を制御する可能性が示され、その機構の解明が望まれていた。 以前の研究で、ノシセプチンは海馬培養ニューロンにおいてCa(2+)電流を抑制し、Gタンパク活性型内向き整流性K+チャンネル(GIRK)を介して過分極電流を引き起こすことが報告された。また、「ノシセプチンは海馬Schaffer側枝―CA1の回路においてシナプス伝達と可塑性を抑制する」と結論付けた報告がある。ただ、当時ノシセプチン受容体に対して特異性の高いアンタゴニストが無かったため、その抑制効果がノシセプチン受容体を介したものかどうかは不明である。 上述のように、所属研究室ではノシセプチン受容体遺伝子欠損マウスと野生型マウスの比較実験を行い、海馬CA1錐体細胞におけるLTPの増大と個体レベルにおける学習能力の向上を示した。ところが、ノシセプチン受容体遺伝子欠損マウスと野生型マウスでは基本的なシナプス伝達、シナプス前終末からの神経伝達物質の放出、シナプス後細胞の神経伝達物質に対する感受性のいずれにおいても有意差が認められなかった。ノシセプチン受容体は基本的なシナプスの性質に影響を及ぼすことなくLTP形成において抑制的な役割を果たしていることが明らかになった。そこで、ノシセプチンによる制御機構の詳細を明らかにするという課題が残った。 以上の研究背景と課題を踏まえ、本研究ではノシセプチンによる海馬シナプス伝達の制御機構と記憶形成におけるノシセプチンの役割を解明することを目指した。以前、ノシセプチンの投与により海馬の錐体細胞がGIRKを介して過分極電流を引き起こすことが報告された。したがって、海馬CA1領域ではシナプス前終末から内在性のノシセプチンの放出が起こり、CA1錐体細胞に作用してシナプス可塑性に影響を与える可能性がある。本研究では、ノシセプチン受容体のアンタゴニストを適切に使用しながら、主に電気生理学的な手法によりこの可能性を検討し、シナプス伝達と可塑性における内在性ノシセプチンの役割を明らかにすることができた。 まず、シナプス伝達と可塑性に対するノシセプチンの役割を検討するために、成熟マウスより海馬スライスを作製し、細胞外電位記録法によりCA1領域の放線状層において興奮性シナプス後電位(EPSP)を記録した。0.1 Hzでシャッファー側枝を電気刺激して誘発されるEPSPがノシセプチンやノシセプチン受容体のアンタゴニスト(UFP-101)の投与により変化するかどうかを観察した。その結果、ノシセプチンとUFP-101投与では、EPSPに影響がないことを見出した。また、ノシセプチンやUFP-101存在下に高頻度刺激(100Hz、1秒)を与え、LTPに対する効果を観察した。その結果、ノシセプチン存在下でLTPは変化しなかったが、UFP-101存在下ではLTPが亢進することが明らかとなった。 次に、CA1錐体細胞の興奮性に対するノシセプチンの役割を検討するため、細胞外電位記録法によりCA1領域の細胞体層において集合電位を記録した。ノシセプチン投与によりCA1錐体細胞の集合電位が抑制された。この抑制はUFP-101存在下で消失するため、ノシセプチン受容体を介した効果である。これらの結果により、内在性ノシセプチンはCA1錐体細胞の興奮性を抑制し、シナプス可塑性に影響を与えることが明らかになった。 さらに、ノシセプチンの作用機構を検討した。免疫組織化学を用いた研究により、ノシセプチンはCA1領域の放線状層の介在ニューロンに多く存在することが知られている。介在ニューロンが活動電位を発生すると、シナプス前終末からGABAを放出する。ここでは、AMPA受容体及びNMDA受容体のアンタゴニスト存在下に放線状層に刺激電極を置き、錐体細胞にGABA性シナプス結合をする介在ニューロンを電気刺激した。そして、ホールセル・ボルテージクランプ記録法により錐体細胞で誘発されるGABAA性とGABAB性の抑制性シナプス電流に対するノシセプチンやUFP-101投与の効果を記録した。その結果、GABAA性のシナプス電流は抑制を受けなかったが、GABAB性のシナプス電流はノシセプチン投与により抑制されることを見出した。この抑制はUFP-101存在下で消失するため、ノシセプチン受容体を介した効果であることを確認した。これらの結果は、ノシセプチンがGABAB受容体と同じGIRKチャンネルに作用することを示唆する。 さらに、CA1領域における内在性ノシセプチンの放出の可能性を検討した。ここでは、ホールセル・ボルテージクランプ記録法によりCA1錐体細胞から膜電流記録した。CA1錐体細胞を-70 mVに電位固定し、グルタミン酸受容体及びGABA受容体アンタゴニスト存在下に高頻度刺激を与えると、膜電流の変化を観察することができた。この膜電流の変化はUFP-101により抑制されたので、ノシセプチン受容体活性化によるものであることが確認できた。また、この膜電流の変化はエンケファリン(μ,δ-オピオイド受容体アンタゴニストで、介在ニューロンの働きを抑制することが知られている試薬)によっても抑制を示した。これらの結果は、CA1領域における内在性ノシセプチンは介在ニューロンより放出される可能性を示すものである。 本研究の結果により、(1)内在性ノシセプチンによって活性化したノシセプチン受容体はシナプス後細胞のGIRKチャンネルを活性化させる。(2)これにより、内在性ノシセプチンはLTPを抑制的に調節することが明らかとなった。さらに、(3)高頻度刺激で活性化したCA1領域の介在ニューロンから内在性ノシセプチンが放出される可能性を示すことができた。 | |
審査要旨 | 本研究はノシセプチンによる海馬シナプス伝達の制御機構と記憶形成におけるノシセプチンの役割を明らかにするため、ノシセプチン受容体のアンタゴニストを適切に使用しながら、主に電気生理学的な手法を用いてシナプス伝達と可塑性における内在性ノシセプチンの役割を追究するものである。本研究において、下記の結果を得ている。 1.シナプス伝達に対するノシセプチンの役割を検討するために、成熟マウスより海馬スライスを作製し、細胞外電位記録法によりCA1領域の放線状層において興奮性シナプス後電位(EPSP)を記録した。0.1 Hzでシャッファー側枝を電気刺激して誘発されるEPSPがノシセプチンやノシセプチン受容体のアンタゴニスト(UFP-101)の投与により変化するかどうかを観察した。その結果、ノシセプチンとUFP-101投与では、EPSPには影響がないことが示された。 2.シナプス可塑性に対するノシセプチンの役割を検討するために、ノシセプチンやUFP-101存在下に高頻度刺激(100Hz、1秒)を与え、LTPに対する効果を観察した。その結果、ノシセプチン存在下でLTPの変化が無かったが、UFP-101存在下ではLTPの亢進が示された。 3.CA1錐体細胞の興奮性に対するノシセプチンの役割を検討するため、細胞外電位記録法によりCA1領域の細胞体層において集合電位を記録した。ノシセプチン投与によりCA1錐体細胞の集合電位が抑制された。この抑制はUFP-101存在下で消失するため、ノシセプチン受容体を介した効果である。これらの結果により、内在性ノシセプチンはCA1錐体細胞の興奮性を抑制し、シナプス可塑性に影響を与えることが示された。 4.CA1錐体細胞の抑制性シナプス伝達に対するノシセプチンの役割を検討するため、ホールセル・ボルテージクランプ記録法により錐体細胞で誘発されるGABAA性とGABAB性の抑制性シナプス電流に対するノシセプチンやUFP-101投与の効果を記録した。その結果、GABAA性のシナプス電流は抑制を受けなかったが、GABAB性のシナプス電流はノシセプチン投与により抑制された。この抑制はUFP-101存在下で消失するため、ノシセプチン受容体を介した効果であることを確認した。これらの結果により、ノシセプチンがGABAB受容体と同じGIRKチャンネルに作用することが示された。 5.CA1領域における内在性ノシセプチンの放出の可能性を検討した。ここでは、ホールセル・ボルテージクランプ記録法によりCA1錐体細胞の膜電流を記録した。CA1錐体細胞を-70 mVに電位固定し、グルタミン酸受容体及びGABA受容体アンタゴニスト存在下に高頻度刺激を与えると、膜電流の変化を観察することができた。この膜電流の変化はUFP-101により抑制されたので、ノシセプチン受容体活性化によるものであることが確認できた。また、この膜電流の変化はエンケファリン(μ,δ-オピオイド受容体アンタゴニストで、介在ニューロンの働きを抑制することが知られている試薬)によっても抑制を示した。したがって、CA1領域における内在性ノシセプチンは介在ニューロンより放出される可能性が示された。 以上、本論文は内在性ノシセプチンによって活性化したノシセプチン受容体がシナプス後細胞のGIRKチャンネルを活性化させ、LTPを抑制的に調節することを明らかにした。さらに、高頻度刺激で活性化したCA1領域の介在ニューロンから内在性ノシセプチンが放出される可能性を示した。本研究はこれまで未知に等しかった海馬におけるノシセプチンの作用機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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