学位論文要旨



No 122556
著者(漢字) 遠田,悦子
著者(英字)
著者(カナ) トオダ,エツコ
標題(和) ケモカイン受容体会合分子フロントのCCR5機能制御解析
標題(洋)
報告番号 122556
報告番号 甲22556
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2852号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 遠山,千春
 東京大学 講師 上村,公一
内容要旨 要旨を表示する

【背景と研究の目的】

 本研究で着目する分子「フロント(FROUNT,FNT)」は,ケモカイン受容体CCR2に会合し,単球・マクロファージの遊走シグナルを正に制御する分子として2005年に報告された新規分子である.白血球はケモカインとケモカイン受容体の発現に応じて特異的に炎症局所に遊走し,これが様々な炎症性疾患の発症に重要な役割を担っている.ケモカイン受容体の機能を制御することによって病態の原因となる白血球の動態を制御できれば,発症および病態の進行を抑制することができると期待される.しかしながらケモカインの働きは細胞遊走にとどまらず,多様な働きを担っていることが明らかとなり,その詳細な細胞内シグナルの解明が求められている.そうしたなか,特定のケモカイン受容体CCR2に結合し,遊走シグナルを制御する分子であるフロントは,ケモカイン受容体シグナル制御機構における新たな役者として注目される.単球・マクロファージにはCCR2の他にCCR1,CCR3,CCR5,CXCR4などが発現している.これらの他のケモカイン受容体におけるフロントの機能は明らかになっておらず,フロントのような特定のケモカイン受容体選択的な制御因子の存在が,ケモカインシグナルにおける普遍的な存在なのかどうかも明らかになっていなかった.本研究では,酵母ツーハイブリッドシステムを用いて,フロントの他の受容体に対する結合活性を解析し,フロントがCCR5に対しても結合活性を有することを新たに見出した(図1).CCR5は単球・マクロファージやTh1細胞などの白血球の細胞遊走,ならびにHIV-1のマクロファージ指向性株でR5ウイルス感染のコレセプターとして機能する.本研究ではCCR5依存的細胞遊走およびHIV-1 R5ウイルス感染におけるフロントの役割を明らかにすることを目的として研究を行なった.

【材料と方法】

 レトロウイルスベクターを用いて,フロント強制発現細胞(FNT),抑制細胞としてドミナントネガティブフロントを発現させた細胞(DN-FNT),FNT-siRNAを導入した細胞(FNT-siRNA),アンチセンスフロントを導入した細胞(AS-FNT)を樹立した.細胞遊走実験にはCCR5を導入したL1.2細胞を用い,測定には水平方向の細胞の動態を詳細に観察,解析することのできるTAXIScanシステムを使用した.HIV-1感染実験にはHOS.CD4.CCR5細胞をもとに樹立した細胞株にR5ウイルスJR-CSF株を感染させ,培養上清中のHIV-1(gag)p24量を化学発光酵素免疫測定法にて測定した.またHOS.CD4.CCR5細胞をガラスベースディッシュに培養し,リガンド刺激によるフロント,CCR5,重合アクチンの局在変化を共焦点顕微鏡を用いて観察した.

【結果】

1.フロントはCCR5に結合する

 酵母ツーハイブリッドシステムを用いてフロントとCCR1,CCR2,CCR3,CCR5,CXCR4との結合活性を解析した結果,フロントはCCR2に加えてCCR5にも結合することが判明した.定量的な結合解析の結果では,CCR2への結合に対してCCR5との結合活性は半分程度であった(図2).また免疫共沈降実験によるヒト細胞を用いた生化学的アッセイにおいても,フロントとCCR5の結合が示された.

2.フロント強制発現細胞ではCCR5依存的な細胞遊走活性が亢進する

 CCR5に結合することが判明したフロントのCCR5依存的細胞遊走の制御への関与を検討した.フロント強制発現/抑制細胞のCCR5リガンドであるMIP-1βに対する細胞遊走活性を測定し,遊走細胞の軌跡解析を行なった結果,フロント強制発現細胞ではCCR5依存的細胞遊走の速度,方向性認識能が増しており,フロント抑制細胞(FNT-siRNA,DN-FNT)では遊走活性が顕著に低下していた(図3).フロントはCCR2の場合と同様に,CCR5を介した細胞遊走シグナルにおいても促進的に働いていることが明らかとなった.

3.フロント抑制細胞ではHIV-1 R5ウイルス感染に対する感受性が上昇する

 CCR5のHIV-1コレセプター機能におけるフロントの役割を明らかにするために,フロント強制発現/抑制株のHIV-1 R5ウイルスに対する感染効率を比較した.フロント抑制細胞では培養上清中のHIV-1(gag)p24量が上昇し,感染効率が増加していることが判明した.フロントはHIV-1 R5ウイルスの感染に抑制的に働くことが明らかとなった(図4).

4.フロントは刺激依存的に細胞の仮足形成部位に集積し,CCR5および重合アクチンと共局在する

 フロントのCCR5依存的細胞遊走,およびCCR5のコレセプター機能に関与する作用機序を明らかにするために,フロントのリガンド刺激に対する細胞内動態を解析した.無刺激の状態ではフロントは核および細胞質に均一に存在するが,刺激依存的に仮足形成部位に強い局在を示し,一過性にCCR5との共局在を示し(図5),仮足の基部では重合アクチンとの共局在が認められた(図6).

6.フロントはCCR5クラスターの形成および細胞内への取り込みを促進する

 リガンド刺激時のCCR5の細胞内動態へのフロント発現の影響を明らかにするために,CCR5抗体架橋によるクラスター形成実験を行なった.フロント強制発現細胞ではCCR5のクラスター形成および細胞内のクラスターが増加していた(図8).フロントはCCR5のクラスター形成,インターナリゼーションを促進し,CCR5の細胞内動態を制御している可能性が示唆された.

【考察】

 本研究では, CCR2会合分子フロントがCCR5に対して結合活性を有し,そのシグナル伝達に重要な役割を担っていることをはじめて明らかにした.CCR5依存的細胞遊走においてフロント強制発現細胞では遊走の亢進,フロント抑制細胞では遊走の低下が認められ,細胞遊走を可視化する本実験システムによって,CCR5に関してもフロントが細胞遊走の方向性決定に促進的に働いていることが明らかとなった.フロントがCCR5を介した遊走シグナルにおいて促進的に機能していることが示唆される.この作用はCCR2に対するフロントの作用と一致するものである.本研究ではさらにフロントの刺激依存的な細胞内局在を観察することにより,フロントが刺激依存的に仮足形成部位に集積し,ここでCCR5と一過性に共局在するとともに重合アクチンとも強く共局在していることを明らかにした.細胞均一刺激条件下における仮足形成が,フロント強制発現株で一方向性を増すという結果も,細胞遊走における方向性の決定にフロントが関与していることを示している.本研究によりフロントがCCR5の細胞遊走を制御することが示され,細胞遊走を誘導する特定のケモカイン受容体に特異的な会合分子が細胞遊走を制御するという現象が,フロント―CCR2に限定された現象ではないことが示された.

 CCR2とCCR5は構造上,高い相同性を有している.ケモカイン・ケモカイン受容体の対応関係には重複性があり,同じケモカインが異なる複数の受容体に結合するという例が多く存在するが,CCR2とCCR5のケモカイン結合パターンは非常に異なっている.両者の構造上の相同性は細胞外のケモカイン結合様式には反映されていないが,フロントがこの両者の7回膜貫通後細胞内領域に結合するということから,細胞内シグナルに両者の相同性が反映されているといえる.これまでケモカインの受容体細胞内シグナル伝達機構において,ある受容体のシグナルを特異的に制御する分子の存在は知られておらず,このようなケモカイン受容体の構造上の相同性と細胞内シグナルを結びつけるという概念は存在していなかった.本研究で得られた知見は,ケモカインの働きを理解する上で,個々の受容体特異的な会合分子を含めたシグナル制御機構を明らかにする必要性を示している.

 HIV-1 R5ウイルスを用いた感染実験では,フロントは感染に対して抑制的に機能しており,フロントがケモカイン受容体の細胞遊走に関わる機能だけでなく,コレセプターとしての機能にも関与しているという可能性が本研究で新たに示された.遊走シグナルにおいては促進的にはたらくフロントがHIV-1感染には抑制的に機能することは予想外のものであったが,フロントがCCR5のリガンド(ケモカイン)刺激によるクラスター形成および細胞内への取り込みを促進するという結果から考えると,フロントはHIV-1感染においてはHIV-1エンベロープタンパク質との結合によって誘導される受容体のダウンレギュレーションを促進し,反復感染を阻止することによってHIV-1感染に抑制的に働いているという仮説が考えられる.

 フロントがCCR5に会合し,CCR5依存的細胞遊走,HIV-1感染に関与するという本研究で得られた知見から,CCR5関連疾患治療の新たなターゲットとしてのフロントの可能性を示したといえる.

図1 フロントはCCR5にも結合する

図2 フロントとケモカイン受容体間の定量的結合解析

図3 フロント強制発現細胞・抑制細胞のCCR5依存的細胞遊走

図4 フロント強制発現細胞・抑制細胞の

HIV-1 R5ウイルスに対する感染量の比較

図5 CCR5リガンド刺激後のフロントとCCR5の局在

図6 CCR5リガンド刺激後のフロントと重合アクチンの局在

5.フロントは1方向への仮足形成を促進する

リガンド刺激(均一刺激)後の細胞の仮足の形成方向を重合アクチン染色により観察したところ,フロント強制発現細胞では1方向のみに仮足を形成する細胞の割合が増加し,フロント抑制細胞では多方向に仮足を形成する細胞が増加することが判明した (図7),フロントが1方向への細胞極性の形成を促進していることが示唆された.

図7 CCR5リガンド刺激後のフロント強制発現細胞,抑制細胞の仮足形成

図8 CCR5クラスター形成実験

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はケモカイン受容体CCR2の会合分子として同定された新規分子「フロント」の単球・マクロファージに発現する他のケモカイン受容体に対する結合活性を解析し,フロントがCCR5に対しても結合活性を有することを明らかにし,細胞生物学的手法およびHIV-1感染実験によってフロントのCCR5機能における役割を明らかにすることを試みたものであり,下記の結果を得ている.

1.フロントはCCR5に結合する

 酵母ツーハイブリッドシステムを用いてフロントとCCR1,CCR2,CCR3,CCR5,CXCR4との結合活性を解析した結果,フロントはCCR2に加えてCCR5にも結合することが示された.また免疫共沈降実験によってヒト細胞においてもフロントがCCR5と結合し,結合量は刺激依存的に増加することが示された.

2.フロント強制発現細胞ではCCR5依存的な細胞遊走活性が亢進する

 CCR5に結合することが判明したフロントのCCR5依存的細胞遊走の制御への関与を検討した.フロント強制発現/抑制細胞のCCR5リガンドであるMIP-1βに対する細胞遊走を測定し,遊走細胞の軌跡解析を行なった結果,フロント強制発現細胞ではCCR5依存的細胞遊走の速度および方向性認識能が亢進しており,フロント抑制細胞では遊走活性が顕著に低下していた.フロントはCCR2の場合と同様に,CCR5を介した細胞遊走シグナルにおいても促進的に働くことが示された.

3.フロント抑制細胞ではHIV-1 R5ウイルス感染に対する感受性が上昇する

 CCR5のHIV-1コレセプター機能におけるフロントの役割を明らかにするために,フロント強制発現/抑制株のHIV-1 R5ウイルスに対する感染効率を比較した.フロント抑制細胞では培養上清中のHIV-1(gag)p24量が上昇し,R5ウイルスの感染量が増加していることが示された.フロントはHIV-1 R5ウイルスの感染に抑制的に働くことが示された.

4.フロントは刺激依存的に細胞の仮足形成部位に集積し,CCR5および重合アクチンと共局在する

 フロントのCCR5依存的細胞遊走,およびCCR5のコレセプター機能に関与する作用機序を明らかにするために,フロントのCCR5リガンド刺激に対する細胞内動態を解析した.無刺激の状態ではフロントは細胞質に均一に存在するが,刺激依存的に仮足形成部位に強い局在を示し,一過性にCCR5との共局在を示し,仮足の基部では重合アクチンとの共局在が認められた.フロントはCCR5刺激依存的に細胞内で動的に局在変化し,仮足部位でCCR5および重合アクチンと相互作用することが示された.

5.フロントは一定方向への仮足形成を促進する

 リガンド刺激後の細胞の仮足の形成方向を重合アクチン染色により観察したところ,フロント強制発現細胞では一方向のみに仮足を形成する細胞の割合が増加し,フロント抑制細胞では多方向に仮足を形成する細胞が増加することが判明した.フロントが一方向への細胞極性の形成を促進していることが示唆された.

6.フロントはCCR5クラスターの形成および細胞内への取り込みを促進する

 リガンド刺激時のCCR5の細胞内動態へのフロント発現の影響を明らかにするために,CCR5抗体架橋によるクラスター形成実験を行なった.フロント強制発現細胞ではCCR5のクラスター形成および細胞内のクラスターが増加していた.フロントはCCR5のクラスター形成および細胞内への取り込みを促進し,CCR5の細胞内動態を制御している可能性が示唆された.

 以上,本論文では,CCR2会合分子フロントがCCR5に対しても結合活性を有することを初めて明らかにし,CCR5の機能としてCCR5依存的細胞遊走およびHIV-1 R5ウイルス感染における機能を解析した結果,フロントはCCR5依存的細胞遊走においては促進的にHIV-1 R5ウイルス感染においては抑制的に機能することを示した.本研究はCCR5に選択的に会合する分子フロントによるCCR5機能制御という全く新しい現象を見出し,未解明な部分が多いケモカイン受容体のシグナル制御機構の解明に寄与し,CCR5関連疾患の治療につながる重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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