学位論文要旨



No 122561
著者(漢字) 濱野,栄美
著者(英字)
著者(カナ) ハマノ,エミ
標題(和) 重症急性呼吸器症候群と抗ウイルス蛋白オリゴアデニル酸合成酵素1遺伝子多型の関連解析及び気道上皮細胞における発現様式の研究
標題(洋)
報告番号 122561
報告番号 甲22561
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2857号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 講師 神田,喜伸
 東京大学 講師 森屋,恭爾
内容要旨 要旨を表示する

 肺の自然免疫は、呼吸によって気道に吸着する病原体に対する第一線の生体防御機構として重要な役割を担っている。呼吸器感染症は、このような病原体と宿主の相互作用で生じ、ウイルスや細菌などの病原体は宿主内で増殖しようとし、宿主はそれを様々な生体防御機構で排除しようとする。ある病原体に曝露された時、感染の成立や発症、重症化の有無などの感染症の辿る道筋の違いには、病原体側の要因と宿主側の要因が複雑に関係している。

 重症急性呼吸器症候群(SARS)は2002年秋から2003年春にかけてアジアを中心に世界的に流行が認められた新興感染症で、病原体としてSARSコロナウイルス(SARS-CoV)感染が新規に同定され、約10%の高い致死率を示した。我々は、SARS-CoVに対する感受性に関連する宿主の遺伝的要因として、自然免疫系の一部を担うI型インターフェロン(IFN)により誘導される抗ウイルス蛋白の遺伝的多型に注目した。I型IFNはウイルス感染が起きた細胞から産生され、ウイルス感染に対する宿主の初期防衛反応において重要な役割を果たす。I型IFNに誘導される抗ウイルス蛋白として、2'-5'オリゴアデニル酸合成酵素(OAS)、二本鎖RNA依存性性蛋白リン酸化酵素(PKR)、Myxovirus resistance-A(MxA)蛋白がよく知られている。SARS-CoVはRNAウイルスであり、複製中間体として二本鎖RNAを生じるため、SARS-CoV感染はI型IFNの産生を誘導すると考えられる。本研究では、SARS-CoV感染症においてもI型IFNで誘導される細胞内抗ウイルス蛋白が宿主の自然免疫として感染防御に働くという仮説を立てた。他のウイルス感染症との関連が既に報告されている遺伝的多型を有する遺伝子を候補遺伝子として、抗ウイルス蛋白遺伝子のSNPがSARS-CoV感染において疾患感受性に寄与するという作業仮説を立て、症例-対照関連解析によりSARS-CoV感染との関連を検討した。

 本研究はベトナムとの国際共同研究として行われた。ベトナム人SARS患者44例、患者収容病院の職員でSARS患者との接触歴があるがSARSを発症しなかった接触対照者103例を対象に抗ウイルス蛋白遺伝子の一塩基多型(SNP)解析を行った。解析したSNPはOAS1 exon3 A/G(rs3741981),intron5 A/G(rs10774671),exon6 A/G (rs2660),MxA promoter -88 G/T(rs2071430),PKR promoter -168 C/T(rs12992188)であった。接触対照者103例のうち血漿中抗SARS-CoV抗体価陽性を示した16例をSARS-CoV不顕性感染者とみなし、SARS患者44例と併せた60例をSARS-CoV感染者と考え、残りの抗SARS-CoV抗体価陰性87例を接触非感染者とした。SARS-CoV感染者群と非感染者群の比較では、OAS1 exon3 A/G,intron5 A/G,exon6 A/GともにSARS-CoV感染者群でAA genotypeが少なく(p=0.0163,p=0.0215,p=0.0215)、Aアリルの頻度が有意に低かった(p=0.0156,p=0.0176,p=0.0176)。OAS1 exon3 A/G-intron5 A/G-exon6 A/Gの3つのSNPsは強い連鎖不平衡にあり、intron5 A/Gとexon6 A/Gは完全に一致(連鎖不平衡係数|D'|=1, r^2=1)、exon3 A/Gとintron5 A/G,exon6 A/Gの連鎖不平衡係数|D'|=0.931,r^2=0.530であった。OAS1 exon3-intron5-exon6のハプロタイプとして、A-A-A,G-A-A,G-G-Gの3つが推定された。SARS-CoV感染者群と非感染者群でのハプロタイプ頻度からA-A-Aが感染抵抗性、G-G-Gが疾患感受性と考えられた。

 OASはウイルス複製により生じる二本鎖RNA (dsRNA)の存在により活性化され、アデノシン三リン酸から2'-5'結合オリゴアデニル酸(オリゴA)を合成する。このオリゴAが非活性型RNase Lに結合し、これを活性化させ、ウイルスおよび局所のRNAを分解することで、抗ウイルス作用を発揮する。OASにはOAS1,OAS2,OAS3の3つのアイソザイムがあるがいずれもオリゴA合成活性を有し、ゲノム上にクラスターを形成している。関連解析で検討したOAS1の3つのSNPが近傍のOAS遺伝子の発現にも影響を与えている可能性を検討するため、tagged-SNPを用いてベトナム人集団でのOAS1遺伝子周囲の連鎖不平衡の解析を行った。OAS1の3つのSNPsは強い連鎖不平衡にあるが、前方はRPH3Aとの間、後方はOAS3 exon6以降で連鎖不平衡のとぎれが認められた。続いてこの3つのSNP以外に疾患感受性に関連するSNPがOAS1遺伝子上にあるかを検討した。プロモーター領域を含むOAS1遺伝子領域の多型スクリーニングにより見出された2箇所SNPs(intron1 A/Cとintron3 A/G)についてに対し疾患関連解析を行ったが、SARS発症・SARS-CoV感染ともに有意差は認められなかった。これらの結果から、OAS1 exon3・intron5・exon6のSNPsがSARS-CoV感染に関連する遺伝子多型であり、他に存在する機能的に重要な遺伝子多型との連鎖不平衡による二次的な結果では無いと考えられた。

 OAS1遺伝子は6つのexonからなるが、そのmRNAには大きさの異なる3つの転写産物E16・E18・9-2が報告されており、それぞれ後方2つのexonでのalternative splicingにより区別される。E16はexon5までを含む転写産物でp40蛋白に翻訳され、E18はexon6を含みp46蛋白に翻訳される。9-2はexon6のsplice-acceptor siteがE18と異なっており、exon6の塩基配列の読み枠がE18と異なるより大きいp48蛋白をコードする。これら3種のOAS1蛋白はいずれもオリゴアデニル酸合成酵素活性を有しているが、p48蛋白だけはそのC末端側にBcl-2 homology domain 3(BH3)を有し、Bcl-2ファミリーの抗アポトーシス蛋白と結合することによって、細胞をアポトーシスに誘導すると報告された。最近、OAS1遺伝子intron5/exon6のsplice-acceptor siteにA/G SNPが存在し、このSNPによってalternative splicingが制御されることが報告された。このA/G SNPがA alleleであるとき本来splice-acceptorとして最適なAG配列がAAに置き換わるためexon6のsplice-acceptor siteが後方へ移動し、9-2 transcriptが産生されることが示された。

 そこでSARS-CoVの複製の場のひとつである気管支上皮細胞の培養刺激実験を行い、OAS1ハプロタイプによるOAS1 transcriptの種類と量の違い、さらにアポトーシス誘導能の違いの有無を検討した。まずヒト気管支上皮細胞でもintron5 Aアリルの時すなわちexon3-intron5-exon6がA-A-AまたはG-A-Aときのみ9-2 transcriptが産生されることをRT/PCRで確認した。更に各transcriptに特異的なプライマーを設計し、気道上皮細胞に対しIFN刺激を与え、各transcriptの発現を個別に検出したところ、G-G-Gの細胞ではE18だけが強く認められ、それとは逆にA-A-A, G-A-Aの細胞ではE18以外のtranscriptsの発現が確認された。OAS1 mRNAの定量的評価の目的でreal-time PCRを行ったところ、I型IFNにより誘導されるOAS1全体量、OAS2、OAS3はハプロタイプ間で差は認められなかった。9-2 transcript量はG-G-Gでは非常に低値であり、一方A-A-A, G-A-Aでは著明に誘導された。気道上皮細胞に対するI型IFN刺激およびNE刺激アポトーシス誘導実験では、ハプロタイプA-A-Aで最も強くアポトーシスが誘導され、G-G-Gで最も弱かった。関連解析の結果、A-A-Aが感染抵抗性、G-G-Gが感染感受性、G-A-Aが中間的であったことと、それぞれのハプロタイプを有する細胞の9-2産生量・アポトーシス誘導能とは非常によく一致していた。9-2 transcriptからは、アポトーシス誘導能をもつp48蛋白が翻訳されるため、アポトーシス誘導能もsplice-acceptor siteのSNPにより制御を受けるのではないかと推測された。オリゴアデニル酸合成酵素活性はこのSNPがGアリルの方が高く、Aアリルの方が低いと報告されているが、関連解析結果でAアリルの方が感染抵抗性であることを説明するには、Aアリルのみが有する9-2 transcriptの産生を介したアポトーシス誘導能がウイルス感染抵抗性に寄与するのではないかと考えられた。ハプロタイプA-A-AとG-A-Aが、splice-acceptor siteのSNPが共にAであるのに9-2 transcriptの発現量とアポトーシス誘導能に違いがあるように見える原因に関しては例数を増やし、今後の検討が必要であると考えた。

 本研究の遺伝子解析と発現解析の結果より、ヒト気管支上皮細胞でのI型IFNによるOAS1 9-2transcript、p48の発現を介したアポトーシスの誘導が、曝露直後のSARS-CoV感染細胞を破壊し、ウイルス感染が全身的に広がることを阻止してSARS-CoV感染・SARS発症に影響を与える可能性が考えられた。外因性IFNはSARS-CoVの増殖を抑えることが細胞株および実験動物での感染実験で報告されており、I型IFNはSARSに対する有望な治療薬と考えられている。OAS1遺伝子多型は、IFN治療効果やウイルス曝露後の発症予防に対し指標になりうると考えられた。またOASはウイルス感染に対し広く誘導されるため、OAS1遺伝子多型の研究は他のウイルス感染症の予後や重症化機構の解明にも発展させることが出来ると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 重症急性呼吸器症候群(SARS)は、SARSコロナウイルス(SARS-CoV)による新興感染症であり、高い致死率が報告されている。本研究はSARS-CoV感染における宿主側要因の遺伝子多型がSARS-CoV感染・SARS発症に与える影響を明らかにすることを目的とし、自然免疫に重要な役割を担っているインターフェロン(IFN)誘導性細胞内抗ウイルス蛋白の遺伝子多型とSARS-CoV感染との関連解析を行った。症例対照研究によりオリゴアデニル酸合成酵素(OAS)1遺伝子の一塩基多型(SNP)とSARS-CoV感染に関連が見出された。このためこれらのSNPsがSARS-CoV感染において疾患感受性に寄与する機序を明らかにするため、ヒト気管支上皮細胞におけるOAS1 mRNAの発現解析を行い、以下の結果を得ている。

1.ベトナム人のSARS患者を対象に行った疾患関連解析で、OAS1遺伝子のexon3 A/G,intron5 A/G,exon6 A/G SNPにおいてGアリルがSARS-CoV感染者に多く、Aアリルが非感染者に多く認められた。この3つのSNPsからはA-A-A,G-A-A,G-G-Gの3つのハプロタイプが推定され、A-A-AがSARS-CoV感染抵抗性、G-G-GがSARS-CoV感染感受性と考えられた。

2.OAS1遺伝子全長のSNP解析およびOAS2,OAS3遺伝子を含むOAS1近傍の遺伝子上のSNP連鎖解析から、exon3 A/G,intron5 A/G,exon6 A/G以外にSARS-CoV感染により強く関連する多型は認められなかった。

3.疾患関連解析の結果をOAS1の機能の面から検討するため、気道上皮細胞において、OAS1多型と発現・機能解析を行った。ヒト気管支上皮細胞においてOAS1ハプロタイプと産生されるOAS1 transcriptの種類と量をRT-PCR法で検討したところ、細胞をアポトーシスに誘導するp48蛋白に翻訳される9-2 transcriptはinron5 Aアリルのとき、すなわちOAS1ハプロタイプA-A-A,G-A-Aの細胞のみで発現が認められ、G-G-Gの同型接合体細胞では発現が認められなかった。IFN刺激を加えた後もG-G-Gの細胞では9-2 transcriptの発現はほとんど誘導されなかった。

4.エラスターゼ刺激による気管支上皮細胞のアポトーシス誘導実験において、DNA fragmentationはA-A-Aで最も強く誘導され、G-G-Gで最も誘導が弱かった。SARS-CoV感染時には内因性IFN産生を通じてOASの発現が誘導されるが、ハプロタイプにより9-2 transcriptの発現が異なり、A-A-Aでは9-2 transcriptとp48蛋白を介したアポトーシス誘導によりSARS-CoVに対する感染抵抗性がもたらされるのではないかと考えられた。

 以上、本論文は抗ウイルス蛋白の遺伝子多型とSARS-CoV感染の疾患関連解析からOAS1遺伝子多型がSARS疾患感受性と関連があることを示し、発現機能解析からOAS1多型による9-2 transcriptの発現と気管支上皮細胞におけるアポトーシス誘導能の違いを示すことにより、宿主側要因の遺伝子多型がSARS-CoV感染感受性に寄与する機序の一端を解明した。これらの結果は今後のSARS研究および呼吸器感染症の感受性研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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