学位論文要旨



No 122565
著者(漢字) 粟澤,元晴
著者(英字)
著者(カナ) アワザワ,モトハル
標題(和) アディポネクチンによる肝臓での脂肪酸合成系の調節機構
標題(洋)
報告番号 122565
報告番号 甲22565
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2861号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 助教授 大西,真
 東京大学 講師 本田,善一郎
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

 脂肪細胞はアディポカインと呼ばれる種々の液性因子を分泌し,全身のエネルギー代謝に積極的な役割を果たしている.肥満に伴って生じる脂肪細胞の肥大化や脂肪組織への炎症細胞浸潤はアディポカインの分泌パターンを変化させ,インスリン抵抗性やメタボリック症候群を惹起する一因になっていると考えられている.

 アディポネクチン(Ad)は肥満やインスリン抵抗性に伴って減少し,抗肥満,抗動脈硬化作用を持つと考えられるユニークなアディポカインである.Adの作用として,これまで5'-adenosine monophosphate activated protein kinase(AMPK)の活性化とperoxidase proliferator activator receptor(PPAR)αの活性化が知られており,これらを介した糖新生の低下,骨格筋における糖取り込みの促進,肝臓および骨格筋における脂肪酸燃焼の亢進の結果,血中インスリンの低下,脂肪肝の抑制などを介した二次的な作用と併せて全身性のインスリン感受性が維持されることが報告されている.

 脂肪肝はインスリン抵抗性,メタボリック症候群の病態において重要な要素の一つであるが,fatty acid synthase(FAS)や acetylCoA carboxylase(ACC)-1等の肝臓における脂肪酸合成系遺伝子の多くは,転写因子sterol regulatory element binding protein(SREBP)1cにより制御されている.SREBP1cは脂肪肝及びメタボリック症候群の病態形成において大きな位置を占めるものと考えられるが,AdがSREBP1c及び肝臓での脂肪酸合成系に与える影響については明らかではない.そこで本研究では,Adによる脂質代謝関連遺伝子の制御及びそのメカニズムを,培養細胞系及びdb/dbマウスを用いて検討した.

【方法】

 クローニングした全長型マウスAdを発現ベクターに導入,大腸菌からAdを精製した.7-8週齡,雌のdb/dbマウスの腹腔内に3μg/gBW のAdを投与し,4時間及び8時間後マウスの肝臓におけるmRNA発現の変化を検討した.また,db/dbマウスに対して,3μg/gBWのAdを2週間連日腹腔内注射し,肝中性脂肪含量,各種遺伝子発現及び組織学的な検討を行った.

 ラット肝細胞系の培養細胞であるFao細胞を終濃度25μg/mlのマウス全長型Adで刺激し,2時間及び8時間後の遺伝子発現の変化を検討した.またマウスSREBP1c遺伝子の5'端非翻訳領域-2.6Kbpを挿入したpGL2ルシフェラーゼレポーターベクターをFao細胞に導入し,終濃度25μg/mlのAdで刺激してデュアル-ルシフェラーゼ定量システムによりプロモーターアッセイを行った.

 Ad受容体AdipoR1及びAdipoR2のsiRNAをアデノウイルスに導入した.7週齡雌のdb/dbマウスの尾静脈より4×109 pfu/gBWのウイルス液を注射し,7日目に肝臓における遺伝子発現の変化を観察した.また,マウスの初代培養肝細胞を採取し,翌日100 MOIのアデノウイルス液(MOI: multiplicity of infection = pfu/細胞数)にて遺伝子導入を行った.刺激実験においては終濃度25μg/mlのAdで刺激し,8時間後の遺伝子発現を検討した.

 AMPKの優性阻害型変異体(DN AMPK)をアデノウイルスにより導入した.8週齡雌のdb/dbマウスの尾静脈より4×109 pfu/gBWのウイルス液を注射し,7日目,空腹状態における肝臓のAMPK及びそのリン酸化フォームの発現を観察した.

【結果】

 3μg/gBWのAdをdb/dbマウスの腹腔内に投与後,血中濃度は1時間で速やかに上昇し,24時間に渡って対照マウスの約2倍の値を持続した(n=7-8,p<0.001).この時,肝臓SREBP1cのmRNAは投与後4時間で有意に低下した(1±0.180 vs 0.476±0.076,arbitrary unit,n=9,p<0.05).この時血糖値及び血中インスリン値に差を認めず,SREBP1cの発現の変化がAdの直接作用であることが示唆された.更にその下流であるstearoylCoA desaturase (SCD)-1の遺伝子発現は8時間で有意に低下(1±0.129 vs 0.555±0.071,arbitrary unit,n=9,p<0.05),ACC-1の遺伝子発現も低下傾向を示した(1±0.053 vs 0.817±0.059,arbitrary unit,n=9,p=0.052).

 Fao細胞においても,Adによる刺激後8時間でSREBP1cの発現は有意に低下した(1.098±0.059 vs 0.611±0.036,arbitrary unit,n=3,p<0.05).更にSREBP1cの下流であるFAS,ACC-1の発現も8時間後に有意に低下した(それぞれ1.176±0.029 vs 0.747±0.004,1.121±0.034 vs 0.848±0.025,arbitrary unit,n=3,p<0.05).次に,SREBP1c遺伝子の5'側非翻訳領域-2600の配列を有するルシフェラーゼベクターをFao細胞に導入し,Adにより4時間刺激すると,SREBP1cのプロモーター活性は有意に抑制された(1.967±0.084 vs 1.177±0.100,ルシフェラーゼ活性比,n=3,p<0.005).以上からAdはSREBP1cのプロモーター活性を低下させることにより,転写レベルでSREBP1cの発現を直接抑制するものと考えられた.

 Adの受容体にはAdipoR1およびAdipoR2の二つが存在する.私はAdipoR1,AdipoR2のsiRNAをアデノウイルスによりdb/dbマウスに導入することで肝臓での発現を抑制し,各遺伝子の発現の変化を検討した.AdipoR1の発現抑制により肝臓のSREBP1cの発現は有意に増加し(1±0.073 vs 1.424±0.096,arbitrary unit,n=12〜13,p<0.005),その下流であるSCD-1の発現も増加傾向を示していた(1±0.127 vs 1.251±0.166,arbitrary unit,n=12〜13,p=0.26).一方AdipoR2の発現抑制はSREBP1c及びSCD-1の発現を変化させなかった.

 更に,マウスの初代培養肝細胞に対してアデノウイルスによるAdipoR1,AdipoR2及び両者の発現抑制を行うと,AdipoR1の発現抑制によりSREBP1cの発現は上昇傾向を示した(0.732±0.109 vs 1.013±0.052,arbitrary unit,n=3〜4,p=0.051)のに対し,AdipoR2の発現抑制ではSREBP1cの発現は変化しなかった.一方AdipoR1及びAdipoR2両者の発現抑制を同時に行うと,AdipoR1の発現抑制単独の場合と比較してより強いSREBP1cの発現上昇が見られた(0.732±0.109 vs 1.319±0.09,arbitrary unit,n=3〜4,p<0.01).更に,AdipoR1の発現抑制下でマウス初代培養肝細胞にAdを添加すると,対照においては有意なSREBP1cのmRNAの低下が認められたが(1.122±0.051 vs 0.772±0.078,arbitrary unit,n=3, p<0.05),siAdipoR1発現群においてその抑制は認められなかった.以上の結果から,AdによるSREBP1cの抑制作用は,AdipoR1を介したものであることが示唆された.

 AdによるSREBP1cの抑制作用が,実際にdb/dbマウスの肝臓において中性脂肪含量の低下に寄与するか否かを検証する目的で,Adの連日投与を行った.2週間のAd投与後,空腹時の肝中性脂肪含量は,Ad投与群において低下傾向を示した(49.9±2.67 vs 39.7±3.98 mg/g,n=8,p=0.059).この時肝臓におけるSREBP1c及びSCD-1のmRNA発現はAd投与群において有意に低下しており(それぞれ1.143±0.136 vs 0.801±0.132,1.634±0.297 vs 0.639±0.331,n=7〜8,p<0.05),これまでの結果と合致することが示された.

 AdによるSREBP1c抑制作用の機序を明らかとする目的で,DN AMPKをアデノウイルスにより肝臓で発現させた.AMPKのリン酸化は有意に低下し(1±0.056 vs 0.253±0.022,arbitrary unit,n=4,p<0.0001),AdによるSREBP1cの抑制の検討に相応しい実験系であると考えられた.

【結論】

 私は今回db/dbマウスの肝臓において,AdがSREBP1cのmRNA発現を抑制することを見出し,この作用がAdによる直接のプロモーター活性の抑制によることを培養細胞の系で確認した.アデノウイルスを用いた検討ではAdによるSREBP1cの抑制がAdipoR1を介することが示唆された.またAdの連日投与により,SREBP1cの抑制が脂肪肝の改善をもたらしうることを示した.その作用機序としてはAMPKの活性化の関与が想定されたが,今後更なる検討が必要である.以上よりAdは肝臓において,脂肪酸燃焼のみならず,AdipoR1を介して脂肪酸合成系も制御していることが示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,アディポネクチンの抗糖尿病,抗動脈硬化作用の新たなメカニズムとして,脂肪酸合成系に対する作用を明らかとする目的で,遺伝子改変マウス,及び培養細胞の系を用いて,アディポネクチンによるSREBP1c制御,及びそのメカニズムを検討したものであり,以下の結果を得ている.

1.アディポネクチンの腹腔内投与により血中アディポネクチンを補充すると,db/dbマウス肝臓のSREBP1cの発現が抑制され,その下流で制御されるSCD-1,ACC-1などの脂肪酸合成系酵素の遺伝子発現も低下した.肝細胞系の培養細胞であるFao細胞においても,アディポネクチンはSREBP1c及びその下流であるFAS,ACC-1のmRNA発現を有意に低下させた.更にブロモーターアッセイによって,アディポネクチンがSREBP1c遺伝子のプロモーター活性を有意に抑制することが示され,アディポネクチンがSREBP1cの転写活性を介してSREBP1cの発現を直接抑制することが示された.

2.siRNAを用いた実験で,アディポネクチン受容体AdipoR1の発現抑制は肝臓のSREBP1cの発現を増加させ,AdipoR2の発現抑制はSREBP1cの変化させなかった.マウスの初代培養肝細胞においてもAdipoR1及びAdipoR1,R2両者の発現抑制によりSREBP1cの発現は上昇したが,AdipoR2単独の発現抑制ではSREBP1cの発現に変化は認められなかった.更に,AdipoR1の発現抑制下ではアディポネクチンによるSREBP1c発現抑制作用が減弱した.以上から,アディポネクチンによるSREBP1cの抑制作用は,AdipoR1を介したものであることが示された.

3.db/dbマウスにアディポネクチンの連日投与を行うと,わずか2週間の投与で肝中性脂肪含量は緩やかな低下傾向を示した.この時肝臓のSREBP1c及びSCD-1の発現は低下しており,アディポネクチンの投与が脂肪酸合成の低下を介して脂肪肝を改善しうることが示された.

4.AMPKの優性阻害変異体を肝臓で発現させると,AMPKのリン酸化フォームは有意に減少し,実験系として相応しいものと考えられた.アディポネクチンによるSREBP1cの抑制におけるAMPKの関与の検討を今後行っていく必要がある.

 以上,本論文はアディポネクチンの持つ抗糖尿病作用,抗動脈硬化作用の新たなメカニズムとして,アディポネクチンが脂肪酸合成を抑制することを初めて示し,糖尿病,メタボリック症候群のメカニズムの解明及び治療戦略の開発において重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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