学位論文要旨



No 122570
著者(漢字) 加藤,昌之
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マサユキ
標題(和) 日本人中年一般住民を対象とした2型糖尿病発症の危険因子の研究 : 「厚生労働省研究班による多目的コホート」における前向き研究
標題(洋)
報告番号 122570
報告番号 甲22570
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2866号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 助教授 荒川,義弘
 東京大学 客員助教授 林,同文
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 小林,廉毅
内容要旨 要旨を表示する

背景

2型糖尿病はこの数十年の間に全世界で急激に増加している。生活習慣の西欧化に伴い我が国においても糖尿病の有病率の急激な増加が認められており、これからの糖尿病対策には予防が今後ますます重要な課題となってくると考えられる。糖尿病の発症には生活習慣が深く関わっていると考えられており、有効な予防のためには糖尿病の発症に関わるリスク因子の評価が必要である。これまでにもいくつかのリスク因子が同定されてきたが欧米からの報告が中心であり、我が国のみならずアジア諸国における糖尿病の疫学データは欧米に比べて乏しく、特に生活習慣が糖尿病の発症に与える影響に関して検討されたものは僅かに存在するのみである。

今回、一般地域住民の中年男女を対象に十分な追跡期間を設けて前向きコホート研究を行い、糖尿病発症の実態について調査するとともに糖尿病発症に関連すると考えられている生活習慣上の危険因子について検討した。すでに、本コホート研究において、年齢、BMI、糖尿病の家族歴等が糖尿病発症と関連あり、との報告があるため、本研究では主としてコーヒー摂取および精神的ストレスと糖尿病発症との関連について検討した。

方法

本研究での対象地域は、厚生労働省がん研究助成金「多目的コホートによるがん・循環器疾患の疫学研究」班が全国11の地域において実施した前向きコホートIとコホートIIのうちコホートIの、秋田県横手保健所管内、岩手県二戸保健所管内、長野県佐久保健所管内、および沖縄県石川保健所管内である。対象地域では、平成元年12月31日現在で40歳以上60歳未満の住民を自治体の住民登録に基づいてコホート名簿に登録し、対象者に対して生活習慣などに関連する詳細な調査をベースライン(1990年)、5年後(1995年)、10年後(2000年)の3回にわたって行なっている。

ベースライン調査に回答した43149名のうち、追跡対象として不適当と考えられるものを除外し、最終的にベースラインでの追跡対象者は35902名となった。この集団の、5年後および10年後の調査の結果を利用し、回答のなかった8889人は解析対象者からは除外した。最終的な解析対象者は27013名(ベースラインでの追跡対象者の75.2%)となった。

各々の調査では、それぞれの対象者から身長、体重、運動習慣、喫煙状況、飲酒歴、糖尿病および高血圧を含む既往歴、糖尿病を含む家族歴、服薬状況およびその他の生活習慣に関する詳細な自記式アンケートの回答を得た。ストレスについては「日常、あなたの受けるストレスは多いと思われますか?」という質問に対する回答で「弱い」、「普通」、「強い」の3群に分類した。コーヒーの摂取は頻度および量に関する質問が含まれていた。主な解析は「1日1杯未満」(コーヒー常飲(-))と「1日1杯以上」(コーヒー常飲(+))の2カテゴリーの分類で行なった。病歴に関する「これまでにお医者さんから次の病気があるといわれたことがありますか」という質問に対して「糖尿病」を選択した者、および「糖尿病の薬を使用していますか」に「はい」と回答した者を「糖尿病あり」と定義し、それ以外を「糖尿病なし」と定義した。ベースライン調査で糖尿病の既往がないと判断された者の中で、5年後調査および10年後調査で「糖尿病あり」に分類された者を10年間で糖尿病を発症した者と定義した。

本研究では糖尿病の定義が自己申告であるため、5年後調査で糖尿病を自己申告した者に対してカルテ調査を実施し、質問の病歴に関する回答の信頼性を検討した。カルテで診断の妥当性を確認できた81名中76名(94%)についてカルテで糖尿病が確認された(陽性的中率)。またベースラインでの血糖値が入手できたものを対象に横断調査を行なったところ、全体で6118名のうち248名が糖尿病を申告していた。糖尿病を申告しなかった5870名のうち当時の診断基準で糖尿病と診断されたものは49名(0.83%)であった。上記の94%の陽性的中率を考慮すると、糖尿病の自己申告の感度は82.6%、特異度は99.7%となった。

解析対象者のうち、ベースラインから10年後調査の間に糖尿病を発症したものをベースラインの人数で割ったものを糖尿病の累積発症率とした。糖尿病発症に関与する危険因子の検討にはロジスティック回帰分析を用いた。

結果

10年間の追跡期間中、男性707名(5.82%)、女性484名(3.26%)が糖尿病を発症した。

BMIの高い者、高齢の者で発症率が高い傾向が認められた。また女性に比べて男性の発症率が高かった。

各ストレスレベル別での糖尿病の10年間累積発症率は、ストレスの弱い、普通、強い群でそれぞれ男性4.94%、5.46%、7.08%、女性2.79%、3.26%、3.54%であった。

コーヒーの摂取別での糖尿病の10年間累積発症率は、コーヒー常飲(+)、常飲(-)でそれぞれ男性5.06%、6.21%、女性2.52%、3.66%であった。他の危険因子を調整しても、男女ともコーヒー常飲(+)ではリスクが低く、ストレスの強い者ではリスクが高かった。

またコーヒー摂取を6群に分類して解析した結果ではコーヒーの摂取と糖尿病発症のリスクとの間に用量反応関係が認められた。

ストレス、コーヒーの各群では、コーヒー非常飲者ではストレスが増加するに従って糖尿病発症率が増加しているのに対して、コーヒー常飲者ではストレスが増加しても発症率はほとんど変化しておらず、ストレスとコーヒーの間の交互作用が予想された。ストレスの影響をコーヒー常飲(+)と常飲(-)の層別に他のリスク因子を調整して解析したところ、コーヒー常飲(-)では糖尿病発症のオッズ比はストレスが強くなると増加し用量反応関係が認められるのに対して、コーヒー常飲(+)ではオッズ比はほとんど一定であり用量反応関係は認められなかった。

糖尿病発症への関与が想定されている個々の因子の影響についても検討したところ、年齢、BMI、多量の喫煙や飲酒、糖尿病の家族歴、高血圧の既往などが有意となった。一方、身体活動については糖尿病の発症とほとんど関連がない、という結果となった。

緑茶の効果についても検討した。上述のリスク因子について調整すると、男性では緑茶をほとんど飲まない群に比べて、緑茶を飲む群で糖尿病発症のリスクが低下していた。しかし、この効果は統計的にはかろうじて有意であり用量反応関係も認められなかった。女性については緑茶と糖尿病発症との間に関係は認められなかった。

考察

本研究ではストレスと糖尿病発症との間に正の関連が認められた。ストレスが糖尿病発症に関与しているという考えは昔からあったが、これまでの研究では、はっきりとした結果は得られていない。ストレスが糖尿病を引き起こす機序については現在のところ不明であるが、視床下部-下垂体-副腎系や交感神経系の関与やIL-6レベルの上昇との関連が報告されている。

本研究ではコーヒー摂取が糖尿病発症のリスクを低下させることも明らかになった。コーヒー摂取が糖尿病発症のリスクを低下させることは世界各地から報告されている。コーヒーと糖尿病との間の生物学的な関連についても現在のところ不明である。カフェイン以外にクロロゲン酸などの関与も想定されている。しかし、ノンカフェインコーヒーでも糖尿病発症リスクの低下が認められるがその効果はカフェインありのコーヒーに比べて弱く、コーヒーの糖尿病発症抑制にはカフェインも関与していると考えるほうが自然である。マウスではカフェインがUCP系タンパクを増加させるという報告があり、UCPがカフェインの長期摂取による糖尿病発症抑制作用に関与している可能性はある。

また本研究ではストレスとコーヒー摂取との間の交互作用の可能性も明らかになった。コーヒー常飲(-)ではストレスレベルが上昇するにつれて糖尿病発症のリスクも高まるが、コーヒー常飲(+)では糖尿病発症のリスクはストレスレベルによらずほぼ一定であった。これはコーヒー摂取がストレスの悪影響を緩和することによる両者の交互作用の可能性を示している。血圧については、コーヒーの常飲者ではコーヒーがストレスによる血圧上昇を抑制したが、カフェインだけではこの効果は見られなかった、という報告もあり、この血圧に関してのストレスとコーヒーの交互作用と同様の機序が糖尿病に関しても起きている可能性がある。

BMI、年齢、糖尿病の家族歴等の糖尿病発症への関与が想定されている個々の因子についてはこれまでの研究と同様の結果が得られた。運動習慣には糖尿病予防効果があることが明らかにされているが本研究では関連なしという結果であった。この原因は本研究でのアンケートでは運動量についての正確な情報が得られていないためと考えられる。

緑茶についての解析では、男性では緑茶をほとんど飲まない群に比べると飲む群で糖尿病発症のリスクが低下していた。しかしはっきりした用量反応関係は認められず、また女性ではこの効果が認められなかったことから、緑茶の糖尿病発症抑制効果は確認できなかった。

本研究は、一般住民を対象とした大規模コホート研究で糖尿病発症の実態および糖尿病発症に関連する生活習慣上の危険因子について検討したものであり、ストレスと糖尿病との関連を大規模コホート研究においてはじめて示した。またストレスとコーヒーとの間の交互作用の可能性も示した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、一般地域住民の中年男女を対象に十分な追跡期間を設けて前向きコホート研究を行い、糖尿病発症の実態について調査するとともに糖尿病発症に関連すると考えられている生活習慣上の危険因子について検討したものであり、下記の結果を得ている。

1. 10年間の追跡期間中、男性707名(5.82%)、女性484名(3.26%)が糖尿病を発症した。BMIの高い者、高齢の者で発症率が高い傾向が認められた。また女性に比べて男性の発症率が高かった。

2. 各ストレスレベル別での糖尿病の10年間累積発症率は、ストレスの弱い、普通、強い群でそれぞれ男性4.94%、5.46%、7.08%、女性2.79%、3.26%、3.54%であった。他の危険因子を調整しても、男女ともストレスの強い者では糖尿病発症のリスクが高かった。

3. コーヒーの摂取別での糖尿病の10年間累積発症率は、コーヒー常飲(+)群(1日1杯以上)、常飲(-)群(1日1杯未満)でそれぞれ男性5.06%、6.21%、女性2.52%、3.66%であった。他の危険因子を調整しても、男女ともコーヒー常飲(+)群では糖尿病発症のリスクが低かった。またコーヒーを「ほとんど飲まない」「週1,2日」「週3,4日」「1日1,2杯」「1日3,4杯」「1日5杯以上」の6群で解析した結果ではコーヒーの摂取について用量反応関係が認められた。

4. ストレス、コーヒーの各群での10年間累積糖尿病発症率では、コーヒー常飲(-)ではストレスが増加するに従って糖尿病発症が増加しているのに対して、コーヒー常飲(+)ではストレスが増加しても発症率はほとんど変化しておらず、ストレスとコーヒーの間の交互作用が予想された。ストレスの影響をコーヒー常飲(+)と常飲(-)の層別に他のリスク因子を調整して解析したところ、コーヒー常飲(-)では糖尿病発症のオッズ比はストレスが強くなると増加し、用量反応関係が認められるのに対して、コーヒー常飲(+)ではオッズ比はほとんど一定であり用量反応関係は認められなかった。

5. 糖尿病発症への関与が想定されている個々の因子の影響についても検討したところ、年齢、BMI、多量の喫煙や飲酒、糖尿病の家族歴、高血圧の既往などが有意となった。一方、身体活動については糖尿病の発症とほとんど関連がない、という結果となった。

6. 日本でのカフェインを含む一般的な飲料として緑茶の効果についても検討した。上述のリスク因子について調整すると、男性では緑茶をほとんど飲まない群に比べて、緑茶を飲む群で糖尿病発症抑制効果が認められた。しかし、この効果は統計的にはかろうじて有意であり、用量反応関係も認められなかった。女性については緑茶と糖尿病発症との間に関係は認められなかった。

 以上、本論文は一般地域住民の中年男女を対象に十分な追跡期間を設けて前向きコホート研究を行い、糖尿病発症の実態および糖尿病発症に関連する生活習慣上の危険因子を明らかにした。特に精神的ストレスと糖尿病との関連を大規模コホート研究においてはじめて示し、またストレスとコーヒーとの交互作用の存在も可能性も示したものであり、今後の糖尿病研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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