学位論文要旨



No 122572
著者(漢字) 菊地,和彦
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,カズヒコ
標題(和) CRPはヒト肺線維芽細胞の遊走を調節する
標題(洋)
報告番号 122572
報告番号 甲22572
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2868号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 助教授 秋下,雅弘
 東京大学 助教授 池田,均
 東京大学 講師 土肥,眞
 東京大学 講師 飯島,勝矢
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

特発性肺線維症は、炎症が主に肺胞隔壁にびまん性に起こり、結合組織成分の増加により肺胞壁及び肺胞腔が肥厚して肺全体の構造が硬化縮小する。発症のメカニズムは、肺線維芽細胞の遊走能の亢進の報告がある。線維芽細胞のchemoattractantとなる物質は正常な組織にも存在するが、線維芽細胞は遊走しない。正常な修復の過程では修復終了時に線維芽細胞の遊走、集積は停止すると考えられ、chemoattractantによる線維芽細胞の遊走を制御している物質の存在が示唆される。特発性肺線維症でCRPの血清濃度が臨床症状の出現前から増加している症例もあることが報告されており、肺間質の炎症が局所に滞っている時期からCRPが反応していることがわかる。CRPのmRNAのヒト気道上皮細胞、肺胞マクロファージでの発現報告もあり、CRPの肺線維芽細胞への効果を知ることは病態解明、治療法開発の糸口になる。線維化形成に関与する肺線維芽細胞の遊走に対するCRPの効果を検討した。

研究方法

材料

Recombinant CRP、SB202190、SB203580は、CALBIOCHEM(La Jolla、CA)から購入した。HFnは、Sigma(St Louis、MO)から購入した。細胞培養液のsupplementとmediaは、GIBCOから(Life Technologies; Grand Island、NY)、牛の胎児血清(FCS)は、Biofluid(Rockville,MD)から購入した。

細胞培養

ヒト肺線維芽細胞(Human fetal lung fibroblast,HFL-1)は、the American Type Culture Collection(Rockville,MD)から、ヒト肺線維芽細胞(WI-38)は、Health Science Research Resources Bank(Osaka, Japan)から購入した。細胞に10%牛胎児血清を添加し(FCS; Biofluid)、50U/mlペニシリンと50μg/mlストレプトマイシンを加えたものを使用した。37℃、5%のCO2インキュベーター、100mmの組織培養皿(IWAKI;Japan)で培養した。培養液はF12溶媒(F12;Sigma)。細胞は培養皿でSub-confluentとなったところでtrypsinizeし(0.05%のトリプシンEDTA溶液;GIBCO)4、5日ごとに継代した。実験は、第9継代から20継代の細胞で行った。

遊走実験

HFL-1、WI-38の遊走能の評価はBoyden chamber(Nucleopore Cabin John, MD)を使ったBlind well techniqueで評価した。無血清F12でHFL-1を(1.0 x 106/ml)細胞濃度に調整しCRPまたは他の試薬と共に、上側のwellに添加した。Chemoattractant(Human fibronectin HFn 20μg/ml)は、下のwellに入れた。上下2つのwellは、0.1%ゼラチン(Bio Rad, Hercules、CA)でコートした、8μm孔のmigration assay用membrane (Nucleopore, Pleasanton, CA)で仕切った。Chamberは、37℃、5%のCO2内でincubateした。Time courseの実験を除いて、Chamberは6時間incubateした。細胞はchemoattractantに誘導され、上のwellからmembraneの孔をくぐり下のwellへと動き、membraneの裏面に接着する。その細胞を遊走した細胞とした。Membraneはメタノールで固定した後、Diff Quik法(International reagents CORP. Kobe, Japan)で染色した。裏面に遊走した細胞は、光学顕微鏡のHPFでランダムに5個視野選択し、その和を遊走細胞数とした。

ウエスタンブロット分析

sub-confluentに達したHFL-1細胞を、PBSで2回洗浄した。Preliminaryな実験でP38 MAPKはHFnと10分間incubateすることでactivateされたので、反応時間は10分間とした。細胞は、HFn 20μg/mlに加えCRP0〜100μg/mlでincubateした。細胞は2X SDS-PAGEサンプルバッファ-(125mM Tris-HCL(pH 6.8)、4.6% SDS、20% Glycerol、10% 2ME(Mercaptoethanol)、BPB(Bromophenolblue))250μlで溶解した。サンプルはタンパク質の特性を失活のために5分間沸騰した。不純物除去のために、12000×gで10分間遠心し10%ポリアクリルアミドゲルで電気泳動分離し、Transfer Membranes(Millipore Corp., Bedford, MA)にtransferした。抗体の非特異的な結合を排除するためTransfer Membranesは、3%のウシ血清アルブミン(Sigma St. Louis, MO)と0.1% Tween20(Sigma St. Louis, MO)を含むトリスバッファ食塩水で一時間ブロックした。Transfer Membranesはp38 MAPK、リン酸化p38 MAPKに対して特異的なウサギ抗体(Cell Signaling Technology, Inc 3Trask Lane Danvers, MA)で反応させた。2次抗体の抗ウサギ抗体(Cell Signaling Technology)でインキュベーションしECL(Amersham Biosciences, Piscataway, NJ)で化学蛍光発色させた。

統計分析 個々の実験は少なくとも独立して3回以上行い、データは、平均値+標準誤差で示した。多群間比較はサンプルを、ANOVAで分析し、群間に差が確認されたグループ間においてFisher's直接確率計算法を適用した。p<0.05を有意とした。Time courseでは、同じTime pointでの2者の比較はt検定によって検定し、p<0.05を有意とした。

結果 アジ化ナトリウムは、p38MAPK活性に影響を及ぼさなかった。(0.005%アジ化ナトリウム:25.7±16.1%抑制(p>0.05))。HFnは、濃度依存的にHFL-1の遊走を誘導した。

1. HFL-1遊走に対するCRPの効果:濃度依存性効果

HFnによるHFL-1の遊走に対するCRPの効果を検討のためにchemotaxis chamberの上部wellに細胞を同時に添加し、下部wellにchemoattractantとしてHFn20μg/mlを添加した。CRPは1-100μg/mlで濃度依存的に細胞の遊走を抑制した。CRPが10μg/mlの時66.7±14.5%の%抑制率を認めた(control=0%)(p<0.05)

2. WI-38遊走に対するCRPの効果:濃度依存性効果

HFL-1と同様に行なった。CRPは1-100μg/mlの濃度で濃度依存的に細胞の遊走を抑制した。CRPが10μg/mlの時72.1±5.3%の%抑制率を認めた(control=0%)(p<0.05)

3. HFL-1遊走に対するCRPの効果:Time courses

HFnに対するHFL-1の遊走総数は時間とともに増加し8時間で最大の遊走が観察された。CRPは1μg/mlで6時間で遊走を有意に抑制した。

4. HFL-1遊走に対するMAPK阻害剤(SB203580)、(SB202190)の効果

fMLPによって遊走される好中球の遊走がCRPによってp38MAPK経路で抑制されることから、HFnによって誘導されるHFL-1の遊走にp38MAPK経路が関与するか検討した。MAPK阻害剤(25μM)で30分前処置した。細胞を回収して遊走能を検討した。SB203580、SB202190はHFL-1の遊走を阻害した。

5. リン酸化p38 MAPKに対するCRPの効果:ウエスタンブロット法

CRP、MAPK阻害剤SB203580はHFnの存在下で、p38MAPKのリン酸化を抑制した。p38MAPKのリン酸化抑制度を検定するためdensitometryでそのdensityを計測し検定した。CRP10μg/ml、100μg/ml、SB203580は有意にp38MAPKを抑制した。

考察

p38MAPKが不足しているマウス由来の線維芽細胞はchemoattractantへの遊走が著しく減少している報告があり細胞移動にp38MAPKが重要であることがわかる。我々はHFnによって誘導される遊走をCRPがp38MAPKをおさえることで抑制する可能性を示した。MAPK阻害剤SB202190とSB203580による薬理学的なp38MAPKの抑制により細胞遊走を抑制したことでp38MAPK活性化がHFnによる細胞遊走にも重要であることも示した。特発性肺線維症では肺線維芽細胞の遊走を誘発させる物質の存在や遊走を制御している物質の減少、欠如が考えられる。線維芽細胞の過剰な遊走を制御している物質の欠如を補う可能性のある内在性のメディエーターとしてCRPに着目し、HFnよって誘導された線維芽細胞の遊走をCRPが制御することを証明した。HFnが誘導する肺線維芽細胞の遊走をp38MAPKの活性化を妨げることによりCRPが抑制する可能性を示した。CRPの濃度(1-100μg/ml)は生体の濃度の0.1-10mg/dlと一致し、ヒト肺線維芽細胞の遊走抑制効果、p38MAPK活性化の抑制効果は、肺線維症の内在性モジュレーター、治療薬の可能性も期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、CRPのヒト肺線維維芽細胞に対する作用を報告した初めての研究である。心臓血管病の領域では、CRPは疾患を増悪させる危険因子として認識されている。特発性肺線維症などの肺疾患において、肺の線維化形成に関与する肺線維芽細胞の遊走に対するCRPの効果について検討し以下の結果を得た。

(1)Human fetal lung fibroblastsであるHFL-1、WI-38の2系統の細胞で行った。HFL-1、WI-38を10%血清加F12培養液で、Sub-confluent となったところで trypsinizeして実験に使用した。Boyden's blind-well chamber techniqueでHFL-1,WI-38の遊走を検討した。Chemoattractantとしては細胞外マトリックスのひとつであるfibronectinを選択した。細胞外マトリックスは、細胞間の不溶性成分の総称である。fibronectin、laminin、collagen、elastin等が知られている。炎症の治癒過程で動員されるが、細胞の増殖、分化、遊走に及ぼす作用も知られている。細胞外マトリックスのなかでfibronectinが特に注目されるのは、血清と損傷部位の双方で認められ、線維芽細胞の強力なchemoattractantであるからである。Chemoattractantとして選択したfibronectinに対し遊走する肺線維芽細胞へのCRPの効果を濃度依存性に認めた。CRPは肺線維芽細胞の遊走に対し、抑制的に作用することを明らかにした。

(2)fibronectinに対し遊走する肺線維芽細胞にp38MAP阻害剤であるSB203580、SB202190とも遊走の抑制効果をみとめた。SB202190はp38MAPKの核内転写因子であるActivating Transcription Factor 2(ATF-2)の燐酸化を阻害する。SB203580はp38MAPKの下流のシグナルであるMAPKAPK2の活性化を抑制し、Heat Shock Protein 27(HSP27)の燐酸化を妨げる。ウエスタンブロット法によるリン酸化p38MAPKに対するCRPの効果解析の結果、CRP,p38MAP阻害剤とも肺線維芽細胞のp38MAPKの抑制効果を認めた。CRPの肺線維芽細胞の遊走抑制の細胞内機序としてp38MAPKの関与が示唆された。

(3)この研究では肺線維芽細胞の遊走をCRPが抑制することを示した。使用されたCRPの濃度(1-100μ/ml)は生体の濃度の0.1-10mg/dlと一致する。この濃度で生物学的活性を示した。創傷治癒過程において組織機能を維持するために働く間質細胞の制御バランスにおいてCRPが重要な役割を占めていることを示し、線維化抑制の治療手段として重要であることを明らかにした。

CRPのヒト肺線維芽細胞の遊走抑制効果とp38MAPK活性化の抑制効果は、CRPが肺線維症の内在性モジュレーターである可能性を示唆した。また同時に治療薬としての可能性も期待できる。さらなる研究が進み単なる炎症の指標であったCRPが臨床の場で治療薬として利用される日が来ることが期待される。

以上より本研究では、心臓血管病の領域では、疾患を増悪させる危険因子として認識されているCRPが特発性肺線維症などの肺疾患においては疾患を軽快させる可能性を示した。特発性肺線維症には有効な治療法が無く、新たな治療法の可能性を示したため、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク