学位論文要旨



No 122582
著者(漢字) 瀬戸,元子
著者(英字)
著者(カナ) セト,モトコ
標題(和) 消化器癌におけるmitogen-activated protein kinaseカスケードを介したhedgehogシグナルの活性調節機構についての検討
標題(洋)
報告番号 122582
報告番号 甲22582
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2878号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 助教授 池田,均
 東京大学 助教授 川邊,隆夫
 東京大学 講師 椎名,秀一朗
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景と目的】

 Hedgehog(HH)シグナルは、胚発生における形態形成において重要な役割を果たしている。このシグナル経路の制御の異常が様々な先天奇形や腫瘍化を引き起こす要因となり、消化器癌を含む様々な癌において、腫瘍の発生あるいは維持にHHシグナルの活性化が重要な役割を果たすという報告が近年相次いでいる。しかしながら、消化器領域でのHHシグナル構成分子そのものの遺伝子異常については報告が少なく、その恒常的なシグナル活性上昇のメカニズムは不明である。

 これまで消化器癌において、RAS/mitogen-activated protein kinase(MAPK)シグナルやphosphatidylinositol 3-kinase(PI3K)/AKTシグナルといった、増殖・分化・生存に重要な役割を果たしているシグナル群の異常が報告されてきた。これらのシグナル経路はepidermal growth factor(EGF)をはじめとした増殖因子によって活性化される。近年、HHシグナルが、EGFなどの増殖因子によって引き起こされる他の細胞内シグナル伝達系の活性化によって影響を受けることが報告されている。また、最近PI3K/AKTやPKCδ/MEK1の活性化がHHシグナルの活性化に必要であるという報告もあるが、それらのシグナル伝達経路によるHHシグナルの調節機構の詳細については依然はっきりしておらず、また癌における検討はなされていない。消化器領域の腫瘍においてみられるHHシグナルの恒常活性のメカニズムを解明するため、本研究ではこういった消化器領域での基本的な増殖シグナルの刺激がHHシグナルに与える影響について検討した。

【方法】

 細胞は、ヒト胃癌細胞株5種(AGS, MKN1, MKN45, MKN74, SH101-P4)、ヒト胎児腎細胞株HEK 293Tを用いた。ヒト胃組織検体は、胃切除手術を施行された17人の胃癌患者より得られた組織検体を使用した。ヒト上皮細胞成長因子EGFリコンビナント、MEK1/2特異的阻害剤U0126を使用した。ヒトGLI1、SUFU、恒常活性型p110α、KRAS、BRAF、MEK1の発現プラスミドを使用した。プロモーター領域にGLI binding siteを組み込んだGLIレポータープラスミド、Renillaルシフェラーゼレポーターを使用した。抗体は、抗ERK1/2抗体、抗リン酸化ERK1/2抗体、抗AKT抗体、抗リン酸化AKT抗体、抗PTCH抗体および抗Flag抗体を使用した。

 mRNA発現量は定量的RT-PCRを用いて定量した。GLI転写活性はレポーターアッセイで評価した。タンパク発現は、ウェスタンブロット、免疫組織化学で評価した。

【結果】

 最初にEGFがHHシグナルの活性に与える影響について検討した。AGS細胞にEGFを添加し、GLIのレポータープラスミドを用いてルシフェラーゼアッセイを行った。EGF刺激によりGLIのレポーター活性は有意に上昇した。次に、EGF刺激がHHシグナルの標的遺伝子の発現に与える影響について検討するため、AGS細胞にEGFを添加し、GLI1、PTCHおよびBCL2の発現量を定量的RT-PCRで測定した。EGF刺激により、GLI1、PTCH、BCL2のmRNA発現増加を認めた。これらの結果から胃癌細胞株AGSへのEGF刺激により、GLI転写活性が増強すると推察した。

 EGFシグナルの下流であるMAPKシグナルとPI3K-AKTシグナルのGLI活性調節への関与について検討を重ねた。恒常活性型KRAS、p110αの発現プラスミドをAGS細胞にトランスフェクションし、GLIレポーター活性を測定した。KRASによる刺激ではGLIのレポーター活性は上昇したが、一方でp110α刺激においては上昇しなかった。さらに、KRAS刺激と同様にBRAFおよびMEK1による刺激でもGLIレポーター活性は上昇し、その活性上昇はMEK1/2阻害剤の投与により完全に解除された。このKRAS-MEK1によるGLI活性調節は検討した5種全ての胃癌細胞株で観察された。これらの結果より、EGF刺激によるHHシグナルの活性化は、KRAS-MAPKカスケードを介しており、一方でPI3K-AKTシグナルはGLIの活性調節に影響を及ぼしていないと考えられた。

 次に、組織検体においてMAPKカスケードとHHシグナルの活性について、胃癌にて手術を施行された17症例より得られた手術検体を用いて、リン酸化ERKおよびHHシグナルの特異的な標的分子であるPTCHの免疫組織化学を行い検討した。リン酸化ERKの発現は17例中3例、PTCHの発現は17例中10例で観察された。PTCH高発現の5例のうち3例ではERKのリン酸化が確認された。一方で、PTCH高発現のみられない12例においてはERKのリン酸化は確認できなかった。

 EGF-MAPKカスケードによるHHシグナルの活性調節の機序について、GLI1の関与について検討するため、GLI1強制発現系で実験を行った。強制発現させたGLI1においても、GLIレポーター活性は、MEK1/2阻害剤によって抑制され、また恒常活性型MEK1とのコトランスフェクションでGLI1単独でのトランスフェクションに比べ、さらに上昇した。GLI1タンパク発現量への影響の有無をウェスタンブロットで検討したところ、GLI1単独とMEK1とのコトランスフェクションでGLI1の発現量の違いはみられなかった。これらの結果から、MEK1は導入されたGLI1に対してもその活性増強に寄与するが、この現象はGLI1タンパク量の調節によるものではないと推察された。

 MEK1によるGLI転写活性の調節が、GLI1のどの領域を介しているのかについて検討を進めた。GLI1のN末端のdeletionコンストラクトを作成し、MEK1刺激に対するGLIレポーター活性について検討した。MEK1刺激なしでは、GLIのレポーター活性はGLI1の野生株とdeletionコンストラクトで違いはみられなかったが、MEK1刺激によって、deletionコンストラクトでは野生株のGLI1に比べ活性上昇は軽微であった。このことから、GLI1のN末端領域がMEK1によるGLIの転写活性調節に重要であると考えられた。

 GLI1のN末端領域には、このシグナルを負に制御する因子であるSUFUの結合領域が最もよく知られている。MAPKカスケードがSUFUの機能を抑制することによって、GLIの転写活性を増強している可能性について検討した。KRASやMEK1を強制発現させた状態で、SUFUがGLIレポーター活性へ与える影響について解析した。KRASとMEK1によるGLI転写活性の上昇はSUFUによって抑制され、MAPKカスケードによるHHシグナルの活性増強は、少なくともSUFUによるGLI1の抑制機能を阻害することによるものではないことが推察された。そこで、GLI1のN末端領域についてERKが直接インタラクトする可能性について検討した。インターネットサイトを利用して、GLI1のN末端においてERKによる結合あるいはリン酸化を受ける可能性のある配列を予測し、それらの部位に変異を導入したコンストラクトを作成した。これらのコンストラクトを用い、MEK1刺激を加えGLIレポーター活性を測定した。GLI1の野生株と変異体のいずれにおいても、MEK1刺激によるGLIのレポーター活性の上昇に違いはみられなかった。このことから、GLI1のN末端領域がMAPKカスケードによる活性調節に重要であるが、GLI1にERKが直接結合あるいはリン酸化する可能性については示せなかった。

【結論】

 胃癌細胞においてEGF刺激によってHHシグナルの活性が上昇した。このEGF刺激によるHHシグナルの活性上昇はRAS-RAF-MEKを介していることが明らかとなった。MAPKカスケードによるHHシグナルの活性調節にはGLI1のN末端領域が重要であり、SUFUによるGLI活性抑制機構を介さない機序で作用していると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 Hedgehog(HH)シグナルは、様々な癌において重要な役割を果たしていると報告されているが、消化器癌における恒常的なシグナル活性上昇のメカニズムは不明である。一方で、消化器癌において、RAS/mitogen-activated protein kinase(MAPK)シグナルやphosphatidylinositol 3-kinase(PI3K)/AKTシグナルといった、増殖因子によって活性化されるシグナル群の異常が報告されてきた。近年、HHシグナルが、epidermal growth factor(EGF)などの増殖因子によって引き起こされる他の細胞内シグナル伝達系の活性化によって影響を受けることが報告されているが、それらのシグナル伝達経路によるHHシグナルの調節機構の詳細については依然はっきりしておらず、また癌における検討はなされていない。本研究は消化器領域の腫瘍においてみられるHHシグナルの恒常活性のメカニズムを解明するため、こういった消化器領域での基本的な増殖シグナルの刺激がHHシグナルに与える影響について解析しており、下記の結果を得ている。

1. 胃癌細胞株AGSでのGLIレポータープラスミドを用いたルシフェラーゼアッセイにおける検討により、EGF刺激によりGLIレポーター活性が上昇することが示された。また、定量的RT-PCRにおける検討でEGF刺激によりHHシグナルの標的遺伝子の発現量が増加することが示された。従って、胃癌細胞へのEGF刺激により、GLI転写活性が増強することが示された。

2. 恒常活性型KRAS、BRAF、MEK1、p110αの発現プラスミドとMEK1/2阻害剤を用いたルシフェラーゼアッセイにおける検討より、EGF刺激によるHHシグナルの活性化は、KRAS-MAPKカスケードを介しており、一方でPI3K-AKTシグナルはGLIの活性調節に影響を及ぼさないことが示された。

3. 胃癌組織検体の免疫組織化学における検討により、ERKの活性化を示す症例はPTCHの高発現を伴っていることが示された。

4. GLI1を強制発現させたルシフェラーゼアッセイにおける検討により、MAPKカスケードはGLI1のタンパク量を変化させることなく、その転写活性を増強させることが示された。

5. GLI1のN末端のdeletionコンストラクトを用いたルシフェラーゼアッセイにおける検討より、GLI1のN末端領域がMEK1によるGLIの転写活性調節に関与していることが示された。

6. 恒常活性型KRAS、MEK1発現プラスミドとSUFU発現プラスミドを用いたルシフェラーゼアッセイにおける検討より、MAPKカスケードはSUFUによるGLI1の活性抑制機能に影響しないことが示された。

 以上、本論文はMAPKカスケードによるHHシグナルの活性に対する影響を解析することにより、胃癌においてHHシグナルと、増殖因子によって活性化されたMAPKカスケードの間のクロストークについて検討した初めての報告であり、学位の授与に値するものと考えられる。

尚、審査会時点から、論文の内容について以下の点が改訂された。

1. HHシグナルと、MAPKシグナルやPI3Kシグナルの関係を調べるために、その上流であるEGFに着目したということを記述し、HHシグナルとMAPKシグナルのinteractionについて最近報告されている事柄を引用し、今回の実験の目的に至る背景を論理的になるように訂正した。

2. 「結果」の各段落で、目的・方法・結果の順に文章を記述し、各実験の目的・方法についても模式図を図に追加した。また、小括を挿入した。

3. 臨床検体を用いた免疫組織化学の評価方法について、判定方法を記述し、引用文献を追記した。

4. 強制発現系での実験による問題点について指摘し、コメントした。

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