学位論文要旨



No 122591
著者(漢字) 纐纈,優子
著者(英字)
著者(カナ) コウケツ,ユウコ
標題(和) 糖尿病モデルマウスにおけるmTORシグナルのインスリン感受性への影響
標題(洋)
報告番号 122591
報告番号 甲22591
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2887号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 助教授 秋下,雅弘
 東京大学 客員助教授 安東,克之
 東京大学 客員助教授 後藤田,貴也
 東京大学 講師 飯島,勝矢
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

 Mammalian target of rapamycin(mTOR)は、phosphatidylinositol (PI) kinase関連protein kinase familyに属するセリン/スレオニンkinaseであり、細胞増殖や代謝機構を調節する。mTORシグナルネットワークは2つの主要な系列からなり、それぞれが特異的なmTOR複合体(mTORC)によってシグナルが下流に伝達される。Rapamycin-sensitiveなmTORC1はmTOR、Raptor、mLST8からなり、S6K1や4E-BP1のようなeffectorを通して細胞増殖を調節する。Rapamycin-insensitiveなmTORC2はmTOR、Rictor、mLST8からなり、Aktを通した細胞増殖、プロテインキナーゼCαやsmall GTPaseであるRho、Racを通した細胞骨格構築を調節する。

Raptorは種で保存されたN端、幾つかのHEATリピート、C端の7つのWD40リピートから成る、150kDaの巨大な蛋白である。多くのグループがRaptorはp70S6Kや4E-BP1をmTORに動員するアダプターの役割を果たしていると報告している。最近の研究では、栄養感受性のTSC-mTOR-S6K1経路から、上流のインスリン応答性のIRS-PI3K-PDK1-Akt経路への負のフィードバック回路が存在することが示されている。S6K1ノックアウトマウスはβ細胞塊が縮小することにより低インスリン血症となり、更にはS6K1からIRS1への負のフィードバック回路が無くなることでインスリン感受性が増大し、加齢や食餌による肥満を防ぐことが報告されている。一方、K/KAyやob/obマウスのような遺伝的肥満モデルにおいて、IRS-1のSer307やSer636/639のリン酸化は亢進し、インスリンシグナルは抑制されている。こうしたマウスではIRS-1のセリン残基をリン酸化するJNKやERK、mTOR/S6K1の活性は亢進しているといわれている。

 今回の研究では、mTORC1の寄与を明らかにする為に、ドミナントネガティブRaptor(C端を欠損させたRaptor(Raptor-ΔCT))をアデノウイルス遺伝子導入を使ってK/KAyマウスの肝臓へ過剰発現させた。Raptor-ΔCTはS6Kに結合するがmTORには結合しないため、Raptor-ΔCTの過剰発現によってmTOR/S6Kシグナルは阻害される。こうした条件のもとで、私はシグナル伝達だけでなく耐糖能におけるmTORC1経路の寄与を評価することを目的に、以下の実験を行った。

【方法】

 Dominant-negative RaptorであるRaptor-ΔCT(アミノ酸1-905)は、RaptorのC端を欠損した構成であり、コンストラクトはN端にMycタグとFlagタグを含むよう設計した。ベータガラクトシダーゼ(LacZ)やC端を欠損させたRaptor(Raptor-ΔCT)を発現させた組換えアデノウイルスを作製し、塩化セシウム超遠心法を使って精製、濃縮した。LacZをコードするアデノウイルスをコントロールとして使った。9週齡のオスK/KAyマウス尾静脈よりアデノウイルスを静注し、4日後に以下の実験を行った。マウスを14時間絶食とした後糖の腹腔内投与(2g/kgBW)を行った。糖負荷前後各時間ごとに尾静脈より採血、血糖を測定し、Raptor-ΔCTマウスとコントロールマウスを比較した。また、アデノウイルス静注4日後に、心臓よりインスリン注入を行い、肝臓でのインスリンシグナル伝達分子のタンパク量と、インスリン刺激によるリン酸化状態を免疫沈降ウエスタンブロット法で解析し、またPI3K、S6Kのキナーゼ活性を測定した。また、体重、各種臓器の重量、血清インスリン、血清脂質も測定し両群で比較した。

【結果】

 肝臓でのRaptorとRaptor-ΔCTの内因性発現レベルを調べるために、抗flagタグ抗体と抗Raptor抗体を使ってウエスタンブロットを行った。

Raptor-ΔCT発現は、抗flagタグ抗体を使ったウエスタンブロットではRaptor-ΔCT過剰発現マウスにおいてのみ同定され、コントロールマウスでは認められなかった。抗Raptor抗体を用いたウエスタンブロットでは内因性Raptorと過剰発現したRaptor-ΔCTの両方が同定され、Raptor-ΔCTの発現レベルは内因性Raptorより約2-5倍であった。次にRaptor-ΔCT過剰発現のS6K活性に対する影響を調べた。インスリン刺激によるS6Kの活性がRaptor-ΔCT過剰発現マウスの肝臓では有意に抑制されることがわかった。両群マウスの体重や主要な臓器の重量、血清インスリン、脂質を示した。体重、臓器の重量、血清インスリン、脂質において、アデノウイルスの投与前と投与4日後ともに両群間で有意な違いは認められなかった。糖負荷試験では、糖負荷後30分、60分でRaptor-ΔCTマウスの血糖値がコントロールに比べ有意に低値であり、空腹時、90分、120分の血糖値もRaptor-ΔCTマウスにおいて低値であった。また、肝臓でのIRS-1タンパクの発現量は両群間で違いはなかった。インスリン刺激によってIRS-1チロシンリン酸化がRaptor-ΔCTマウスにおいて有意に亢進し、一方IRS-1セリン636/639リン酸化は有意に抑制された。インスリン刺激によるチロシンリン酸化関連PI3K活性とIRS-1関連PI3K活性がともにコントロールマウスの約2倍亢進していた。インスリン刺激によるAktリン酸化もRaptor-ΔCTマウスにおいて有意に亢進していた。

【考察】

 インスリン抵抗性は、肥満や高脂肪食、不十分な運動、高血圧、他様々なホルモンを含む多くの要因によって引き起こされる。こうした要因の中で、過剰栄養摂取によって起こる肥満は、糖尿病の発症にもつながり、最も頻度も高く重要なものと考えられている。筋肉や肝臓でのインスリン感受性に影響を与えるアディポサイトカインの発現の変化が、肥満によって起こるインスリン抵抗性の基礎にある分子メカニズムと関係していることが報告されている。一方、栄養状態が、脂肪細胞から分泌される蛋白と関係なく、AMPK/mTOR経路を直接調節するということも報告されている。

 肥満動物では、IRS蛋白との結合によるPI3-kinase活性は抑制され、その抑制は、IRS-1のセリンリン酸化の亢進によって引き起こされることが報告されている。実際、肥満モデル動物の一つであるK/KAyマウスでは、IRS-1 Ser307とSer636/639リン酸化が亢進している。IRS-1のセリン残基のリン酸化は、IRS-1分解においても報告があり、IRS-1蛋白の減少によりインスリン抵抗性が進展する。これまで、いくつかのセリン/スレオニンキナーゼがIRS-1のセリン残基をリン酸化し、インスリン抵抗性を惹起することが報告されている。脂肪細胞に由来するTNFαや、レジスチン、遊離脂肪酸は、JNKを活性化しIRS-1のセリンリン酸化を亢進させる。一方、過栄養はmTORやS6Kを活性化することで、IRS-1もリン酸化する。今回の研究で、遺伝的肥満によるインスリン抵抗性を示すK/KAyマウスのインスリンシグナル抑制や耐糖能障害において、mTORの寄与が実際に重要であるかどうかを調べた。

 Raptorは、S6Kや4E-BP1をmTORへ動員するアダプターとしての役割を果たす。RaptorとmTORは多数の結合部位をもつと考えられているが、S6KはRaptorと、RaptorのN端部位で選択的に結合することが報告されている。このため、C端を欠損したRaptor(Raptor-ΔCT)は、S6Kと結合することは出来るがmTORとは結合できず、mTOR/S6Kシグナリングにとってdominant-negative蛋白として働く。本研究では、Raptor-ΔCTの肝臓での過剰発現によってインスリン刺激によるS6K活性が顕著に抑制され、耐糖能が改善された。重要なこととして、Aktリン酸化がインスリン刺激時だけでなく、インスリン刺激前の状態でも有意に亢進したことが挙げられる。IRS-1のSer636/639リン酸化が抑制されたことや、その結果IRS-1のチロシンリン酸化が亢進したこと、それに続いておこるPI3キナーゼ活性亢進がインスリン刺激時のAktリン酸化の亢進に貢献することが考えられる。しかし、このメカニズムはインスリン刺激前の基礎のAktリン酸化を有意に亢進させることを説明するには十分ではないと考えられる。他のメカニズム、例えば、PDKやRictorの活性の亢進、あるいはAktの脱リン酸化の抑制といったことが、基礎のAktリン酸化の亢進に関与している可能性がある。実際、Raptor/mTOR複合体とRictor/mTOR複合体は逆方向にAktリン酸化を調節しており、mTORC1はAktリン酸化を抑制することが報告されている。これらの報告を考慮し、私は現在TORC1からAkt活性への別の経路が存在するのではないかと考え研究を続けている。

 以上の結果より、私は糖尿病モデルマウスにおいて肝臓でのS6K活性を抑制させると、インスリン刺激前と後の両方でのAktリン酸化が亢進することにより、耐糖能が改善することを示すことができた。インスリン刺激前の基礎のAktリン酸化を亢進させる分子メカニズムを明らかにするには更なる研究が必要と考えられるが、mTORC1の抑制が肥満関連の糖尿病の治療に有効である可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 インスリン抵抗性は肥満や高脂肪食、不十分な運動、高血圧など様々な要因によって引き起こされ、その根底に多くの分子メカニズムが存在する。こうした要因の中で、肥満は糖尿病の発症にも繋がる最も頻度が高く重要なものと考えられている。本研究では、遺伝的肥満によるインスリン抵抗性を示す糖尿病モデル動物のインスリンシグナル抑制や耐糖能障害において、mTORの寄与が実際に重要であるかを調べる為に、mTOR/S6Kシグナルを抑制する、dominant-negative Raptor(Raptor-ΔCT)を過剰発現したK/KAyマウスの解析を行い、下記の結果を得ている。

1. Raptor-ΔCT過剰発現マウスでは、Raptor-ΔCTの発現レベルが内因性のRaptorの2-5倍であることを確認した。Raptor-ΔCT過剰発現のS6Kに対する影響を調べる為に、S6キナーゼアッセイを行ったところ、Raptor-ΔCT過剰発現マウスの肝臓では、S6キナーゼの活性が有意に抑制されていることがわかった。

2. 糖負荷テストによって、肝臓でのRaptor-ΔCT過剰発現がK/KAyマウスの耐糖能に与える影響を調べたところ、Raptor-ΔCT過剰発現マウスにおいて著明な耐糖能の改善を認めた。

3. 肝臓でのRaptor-ΔCT過剰発現が、インスリンシグナルに与える影響を調べる為に、インスリン刺激後のシグナル解析を行った。インスリン刺激後のIRS-1チロシンリン酸化はRaptor-ΔCT過剰発現マウスで有意に亢進し、IRS-1 Ser636/639リン酸化は有意に抑制された。更に、PI3キナーゼアッセイでは、チロシンリン酸化関連PI3キナーゼ活性とIRS-1関連PI3キナーゼ活性は、共にRaptor-ΔCT過剰発現マウスで有意に亢進していた。また、インスリン刺激によるAktリン酸化だけでなく、インスリン刺激前の基礎のAktリン酸化もRaptor-ΔCT過剰発現マウスで有意に亢進していた。

以上、本論文は、糖尿病モデル動物においてmTOR/S6Kシグナルを抑制させると、Aktリン酸化が亢進することにより耐糖能が改善すること示し、肥満による糖尿病のインスリンシグナル抑制や耐糖能障害において、mTORの寄与が実際に重要であることを明らかにした。これらの結果は新規であり、今後肥満関連の糖尿病の治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク