学位論文要旨



No 122592
著者(漢字) 宮崎,恵梨子
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,エリコ
標題(和) HIV-1特異的CD8陽性T細胞(CTL)のT細胞受容体レパートリーの解析
標題(洋)
報告番号 122592
報告番号 甲22592
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2888号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 教授 三宅,健介
 東京大学 助教授 小柳津,直樹
 東京大学 講師 三崎,義堅
 東京大学 教授 徳永,勝士
内容要旨 要旨を表示する

 ヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)はヒトに後天性免疫不全症候群(AIDS)を引き起こす原因ウイルスである。このウイルスの増殖を抑制する宿主の免疫応答において、細胞障害性T細胞(Cytotoxic T lymphocyte;CTL)が非常に重要な役割を果たしていることが報告されている。CTLは細胞表面に提示されたHIV-1タンパク由来の抗原ペプチドとHLA classI分子との複合体(HLA-classI/抗原ペプチド複合体)を認識すると、種々のサイトトキシンを分泌し細胞を傷害する。急性感染期では、このHIV-1特異的CTLの働きによりHIV-1感染細胞は破壊されて血中のウイルス量は急速に減少するが、完全に排除するまでには至らない。

 CTLはT細胞受容体(T cell receptor;TCR)を介してHLA-classI/抗原ペプチド複合体を認識して標的細胞を排除する。このTCRによる抗原ペプチドの認識は厳密であり、提示されるペプチド内に一つのアミノ酸置換が起きてもHLA-classI分子との結合能、あるいはTCRによる抗原認識能が低下し、CTLの細胞傷害活性が低下する場合があることが知られている。

 TCRはα鎖とβ鎖によって構成されており、免疫グロブリンと同様に可変部領域と定常領域を持ったヘテロ2量体構造をしている。このα鎖およびβ鎖遺伝子は、T細胞の分化過程で体細胞遺伝子組み換えによって結合されるV、(D)、J遺伝子断片から構成されている。遺伝子再構成の際にそれぞれの鎖の結合部において塩基が不規則に添加あるいは削除されることでTCRのα、β2量体としては理論上10(15)以上もの多様性が獲得できると考えられている。可変部領域の各遺伝子断片と定常領域の結合部は抗原特異性を決定しており、相補性決定領域(complementarity-determining region;CDR)と呼ばれ、ループ構造を形成している。CDRにはCDR1、CDR2、およびCDR3があり、CDR3はTCRと抗原ペプチドを提示したHLA-classI分子との接触面の中央に位置し、抗原ペプチドを直接認識しているためCD8陽性T細胞による抗原認識に非常に重要であることが明らかになっている。CDRはα鎖、β鎖のどちらにも存在するが、HLA-classI/抗原ペプチド複合体とより緊密に接触するβ鎖のCDR3のほうが抗原認識に重要で、その長さおよび配列が影響していると考えられている。

 一方、HIV-1は変異を起こしやすいウイルスであり、感染患者個体内では多様な変異型が存在する不均一な集団(準種)を形成していると考えられている。HIV-1では変異した多様なウイルスの中から、その宿主内での環境に適したウイルスが増殖してくることが報告されている。

 この変異型の中にはCTLの認識から逃れることができるもの(エスケープ変異)が生じてくる。我々日本人では約60%が陽性であるHLA、HLA-A24に提示される抗原ペプチド(エピトープ)に着目した。現在までにHLA-A24拘束性のエピトープは現在までに16種類報告されており、その中でもNef遺伝子由来のエピトープ、RYLPTGWCF (Nef138)はHIV-1感染患者において高頻度(90%以上)に特異的なCTLが存在する、免疫学的に優位なエピトープであることが明らかになっている。当研究室の以前の研究で、HLA-A24陽性の日本人HIV-1感染患者ではこのエピトープの野生型(wt)の配列は一例も認められず、2番目のチロシン(Y)がフェニルアラニン(F)に置換された変異型(2F)が9割以上の患者から検出されることを報告しており、2F変異型は、CTLによる認識を逃れることのできるエスケープ変異であることを示唆している。そこで私はエスケープ変異が生じることが知られているこのNef138エピトープに注目し、その野生型ならびに変異型エピトープに特異的なCD8陽性T細胞のTCRの解析を行い、エピトープ内のアミノ酸変化がTCRによる認識に与える影響についての検討を試みた。

 CTLによる認識において、異なるTCRでは認識するHLA-classI/抗原ペプチド複合体が違うということが報告されている。しかし、HIV-1抗原認識におけるTCRレパートリーならびにCDR3の影響に関してはまだ報告数も少なく、完全には明らかにされていない。また、そのほとんどがクローンを用いた系での研究であり実際の体内での状況を反映しているとは言いがたく、さらに野生型と変異型のエピトープをそれぞれ認識するCTLについての研究はヒトでは報告されていない。本研究では、HLA-A24陽性の日本人HIV-1感染患者7名について、末梢血中に存在するNef138エピトープの野生型(wt)ならびにその変異型(2F)にそれぞれ特異的なCD8陽性T細胞のTCRレパートリーを、抗原認識により重要なβ鎖に特に注目して解析を行った。

 抗原特異的なCD8陽性T細胞の検出にはHLA-classIテトラマーを用いた。これは、ビオチンを付加したHLA-classI/ペプチド複合体を蛍光標識したストレプトアビジンにて4量体化し、フローサイトメトリーにて抗原特異的なCD8陽性T細胞を高感度に検出できる手法である。本研究では、A24/Nef138(wt)-APCテトラマーおよびA24/Nef138-PEテトラマーを作製し、それぞれの抗原ペプチドに結合するCD8陽性T細胞を特異的に分取した。

TCR遺伝子の増幅には5'RACE法の応用であるSMART(Switching Mechanism At the 5'end of the RNA Transcript)法を利用した。SMART法は、cDNAの5'末端と3'末端に同一の配列を付加して完全長cDNAの合成を行なう方法で、5'末端配列の不明な遺伝子の増幅に有用である。本研究では、TCRのα鎖またはβ鎖の可変部領域全長ならびに定常領域の一部を特異的に増幅することを試みた。さらに増幅した遺伝子、ならびにアミノ酸の塩基配列を決定し、詳細な解析を行った。

 本研究で得られた結果は以下の通りである。

 慢性期のHLA-A24陽性HIV-1感染患者の体内では、Nef138特異的なCTLには野生型(wt)ペプチドのみを認識するCD8陽性T細胞;(wt+)、野生型(wt)と変異型(2F)の両方のペプチドを認識するCD8陽性T細胞の集団;(dual+)、および変異型(2F)のみを認識するCD8陽性T細胞;(2F+)の3種類が存在することを明らかにした。

 (wt+)および(dual+)のTCRβ鎖遺伝子のレパートリーについて解析を行ったところ、(wt+)はTCRβ鎖遺伝子は各個体内で3-10種類検出され、平均でも6.7種類と複数のTCRを使用していることが分かった。また、そのCDR3にも個体内および患者間では共通点は見られなかった。一方、(dual+)は平均2.8種類とTCRβ鎖の多様性は(wt+)と比べると著しく少なく(P<0.0001)、特定の遺伝子、TRBV4-1を使用しているものが全体の89%と非常に多かった。さらに、TRBJに着目すると、(dual+)ではTRBJ2-7という遺伝子を使っているものが95%と非常に高頻度であった。

 in vitroにおける拡大培養の結果、特定のTCRを持つCD8陽性T細胞だけが選択的に増殖してこのような偏りが生じたことも考えられるので、ex vivoにおけるPBMCを2種類のテトラマーと抗TRBV4k抗体を用いて多重染色してみたところ、患者体内においても(dual+)は95%以上がTRBV4を発現していることがわかった。よって、(dual+)が使用しているTCRβ鎖遺伝子は感染患者の個体内ですでに偏っていたことが確認できた。この理由として以下のことを考えた。Nef138(2F)はプロセッシングに影響を及ぼすエスケープ変異型であることが示唆されており、体内においては提示される抗原量が少ないこと予想される。そのため、それを認識できるTCRは、ある程度結合能が高いTCRに限られてしまうと考えられる。TRBV4-1、TRBJ2-7という遺伝子を持つTCRはHLA-A24/Nef138(2F)複合体との結合力が高く、これが選択的に誘導されてきたと推察される。

 さらに、TRBV4-1、TRBJ2-7を使用しているTCR遺伝子のCDR3領域に着目すると、アミノ酸残基数、配列ともに非常によく似ていたことが明らかになり、一定のモチーフを持っていることが分かった。CDR3のアミノ酸配列のTCRの認識への影響を解析した報告は少なく、タンパクの立体構造を決定して、さらに詳細な解析を試みる必要がある。

 一方、それぞれのHIV-1感染患者のCD4陽性T細胞数、CD8陽性T細胞数、およびウイルス量とTCRレパートリーとの関係に着目したところ、CD8陽性細胞数、および血漿中のウイルス量との関連性は見いだせなかったが、CD4陽性細胞数が400copies/mL以上の患者のPBMCにおいては、(wt+)が存在することが確認された。CD4陽性T細胞数がある程度高い患者では免疫機能が保持されており、感染時に存在していた野生型により誘導されたメモリー細胞が維持されていて、これがin vitroの刺激により増殖して(wt+)が検出できたたのではないかと考えた。一方、CD4陽性T細胞数が低い患者では免疫機構は破綻しており、メモリー細胞の維持ができなかったため(wt+)を誘導できなかったと考えた。しかし、ウイルス量との関係は見られなかったことから、認識できるTCRレパートリーが多いことがウイルスの増殖抑制に直接関係しているのではないことが示唆された。

 TCRレパートリーの経時的な変化を検討するために、1名の患者について2年おきに3時点(99年、01年、03年)で採血したPBMC中のCD8陽性T細胞のTCRβ鎖ついて解析を行った。Nef138(2F)ペプチドを認識するCD8陽性T細胞のTCRレパートリーを経時的に観察したところ、そのレパートリーは入れ替わっており、さらに経過と共に収束していた。このことより、慢性期においても新たなプライミングが継続して行われていることが明らかになった。

 本研究では日本人向けのワクチン開発の一助とするべく、日本人の約6割が持つHLA、HLA-A24に拘束性の抗原ペプチドの中でももっとも免疫学的に優位なペプチド;Nef138を認識するCTLに着目してそのワクチン候補としての可能性を考えた。Nef138は、変異によるTCRレパートリーの限定によりCTLエスケープ型として蔓延したと考えられるため、ターゲットとするペプチドはイムノドミナントであるだけでなく、それを認識できるCTLのTCRレパートリーが多いものが適切なのではないかと予想される。今後は、日本人向けの治療ワクチンの開発を目指し、HLA-A24拘束性の抗原ペプチドの中で、認識できるCTLの数だけでなくそのTCRレパートリーの多少にも注目して細胞傷害活性の高いCTLを誘導できるようなペプチドを検討したい。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、HIV-1感染時において宿主免疫の中心であるCD8陽性T細胞(CTL)のTCRを介した抗原認識に及ぼすエピトープ内のアミノ酸変化の影響を明らかにするために、日本人の約6割が持つHLA-A24陽性のHIV-1感染患者で高頻度に変異が検出されるHLA-A24拘束性エピトープ;Nef138に着目し、その野生型(wt)ならびに変異型(2F)ペプチドに特異的なCD8陽性T細胞のTCRレパートリーを解析し、以下の結果を得ている。

1.慢性期のHLA-A24陽性HIV-1感染患者の体内では、Nef138特異的なCTLには、野生型(wt)ペプチドのみを認識するCD8陽性T細胞;(wt+)、野生型(wt)と変異型(2F)の両方のペプチドを認識するCD8陽性T細胞の集団;(dual+)、変異型(2F)のみを認識するCD8陽性T細胞;(2F+)の3種類が存在することを明らかにした。

2.(wt+)はその認識に多種類のTCR遺伝子断片を使用しているが、(dual+)は個体内でも個体間でも特定のTRBVおよびTRBJ遺伝子断片(TRBV4-1、TRBJ2-7)を高頻度に使用していることを明らかにした。またTRBV4-1、TRBJ2-7を使用するTCRβ鎖のCDR3のアミノ酸の長さおよび配列には共通のモチーフが存在していることを明らかにした。

3.未刺激のPBMCを用いた実験により(dual+)での高頻度なTRBV4の使用はin vitro培養によって増殖したクローンの偏りが生じたわけではなく、体内ですでに起こっていること明らかにした。また、(dual+)はβ鎖と同様にα鎖も特定の遺伝子断片を使用していた。

 本研究では、Nef138の野生型(wt)と変異型(2F)の両方を認識するCTLは 野生型(wt)のみを認識するCTLとは異なっており、限られたTCRβ鎖遺伝子断片(TRBV4-1、TRBJ2-7)を使用していることを明らかにした。これによりペプチドを用いた治療ワクチンの開発を考える場合、候補となるペプチドはイムノドミナントであるだけでなく認識できるCTLのTCRレパートリーの多様性も考慮する必要があることが示唆された。この結果は日本人のHIV-1感染患者向けの治療ワクチンの開発に貢献すると考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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