学位論文要旨



No 122602
著者(漢字) 佐藤,香央里
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,カオリ
標題(和) ヒトパピローマウイルス16型(HPV16)後期プロモーター制御因子の解析
標題(洋)
報告番号 122602
報告番号 甲22602
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2898号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩中,督
 東京大学 助教授 中川,恵一
 東京大学 講師 滝田,順子
 東京大学 講師 百枝,幹雄
 東京大学 講師 榎本,裕
内容要旨 要旨を表示する

 子宮頸癌は年間約15000人が発症し、約2500人が死亡している。子宮頸癌の最大リスク因子は高リスク型といわれるHPVの感染で、なかでも16型は子宮頸癌の半数以上に検出される。HPVは8000塩基対の環状2本鎖DNAをゲノムとする小型のウイルスで、エンヴェロープは持たない。性行為等で生じた表皮の微少な傷から侵入し、表皮の幹細胞である基底細胞に感染する。そこで一過性のゲノムの複製が起こり、50-200コピー程度のゲノムが核内エピゾームとなる。ウイルス増殖は無く、潜伏持続感染が樹立される。感染細胞が分裂する際は、染色体の複製に同調してHPVゲノムも複製し、娘細胞に分配される。感染細胞が表皮形成の分化過程に入ると、HPV非構造遺伝子の発現と大規模なゲノムの複製、キャプシド遺伝子の発現が順次起こり、顆粒層でウイルス粒子が形成される。ウイルスの増殖量は少ないが、ウイルス粒子は物理化学的に安定で長く生殖器粘膜上に留まり、表皮に傷があれば侵入して新たな持続感染細胞を作ったり、別の個体に感染する。このようなHPV生活環は、ウイルス蛋白質のなかで最も多量で免疫系に認識されやすいキャプシド蛋白質を表皮分化の最終過程でのみ発現させることになり、免疫系から逃れるには都合がよい。

 HPVは分化の最終過程にある細胞で増殖するため、停止している細胞のDNA合成系を再活性化する機能を持っている。HPVのE7蛋白質はpRbに結合してE2Fを遊離させ、DNA合成に必要な遺伝子群の発現を誘導する。E6蛋白質はp53を分解して異常なDNA合成に反応してアポトーシスが生じるのを防ぎ、ウイルス増殖に必要な時間を稼ぐ。HPV感染細胞で、稀にE6、E7遺伝子が染色体に組み込まれ、継続発現するようになるとpRbとp53の機能を失った不死化状態となり、さらに変異が蓄積して、十数年後に発癌する。

 HPVには2つのプロモーター(P97及びP670)があり、E6、E7遺伝子はP97から、キャプシド遺伝子(L1、L2遺伝子)はP670から転写される。P670の転写活性は厳格に制御されており、通常の培養細胞のような未分化な細胞では活性が強く抑制されている。表皮の分化を誘導する促進性の転写因子であるhSkn-1aとC/EBP-βがP670の上流に直接結合し、転写活性を昂進することが報告されている。しかしhSkn-1aとC/EBP-βを高発現させた培養細胞でのP670の転写活性は、ウイルスキャプシドの合成を支えるには充分でなく、未知の機構が想定されている。本研究では、P670の周辺に塩基置換変異を導入し、未分化細胞ないし分化がある程度進んで分化マーカーが発現している細胞(軽度に分化した細胞)での転写活性を調べた。結果から、P670の転写活性に重要な配列を特定し、データベースに基づく結合因子の予測とゲルシフトアッセイによる確認を行い、P670の発現制御に関わるシス因子の解析を行った。

 P670からの転写活性をモニターするため、P670レポータープラスミド(p670/Δp97-luc)を作製した。このプラスミドは、LCR内のP97からの転写の影響を除くため、nt103から上流の領域を除き、nt104からnt865までの領域の下流にルシフェラーゼ遺伝子をつなぎ、作製した。また、このプラスミドを基礎に106塩基から865塩基まで、20塩基ずつ配列を置換した38個の変異体(p670/Δp97-luc変異型)を作製し、変異によるP670からの転写活性の変化を解析した。導入する置換変異配列には、MATCH(TM)public version1.0(BIOBASE GmbH,Wolfenbuettel,Germany)を用いて既知の転写因子の結合配列を含まないことを確認した。これらプラスミドを細胞にトランスフェクションし、ルシフェラーゼ活性を測定して、P670の転写活性をモニターした。トランスフェクションした細胞はHeLa/Tet-on/hSkn-1a及びHaCaTの2種を用いた。HeLa/Tet-on/hSkn-1aは、ドキシサイクリンが転写を誘導するプロモーターの下流にhSkn-1a遺伝子をつないだ発現カセットを組み込んだHeLaであり、ドキシサイクリン添加によりhSkn-1aの発現が誘導される。そして、hSkn-1aの発現誘導によりケラチン10やインボルクリン等の分化マーカーが発現する。HaCaTは自然に不死化したヒト角化細胞由来の細胞株であり、低カルシウム存在下で培養してコンフルエントになった後、高カルシウム存在下で維持するとhSkn-1aが発現し、ケラチン10やインボルクリンが誘導される軽度分化状態となる。トランスフェクション後ドキシサイクリン無添加で培養し、hSkn-1aの誘導していない未分化なHeLa/Tet-on/hSkn-1aと、ドキシサイクリン添加によりhSkn-1aの発現を誘導し、軽度に分化したHeLa/Tet-on/hSkn-1aを用いた。また、HaCaTはトランスフェクション後低カルシウム存在下で培養した未分化なHaCaTと、トランスフェクション後コンフルエント及び高カルシウム刺激により軽度に分化したHaCaTを用いた。

 野生型P670からの転写は、HeLa及びHaCaT共に、未分化細胞に比べ軽度に分化した細胞で2倍程度高く、hSkn-1aによる転写の昂進作用が確認できた。塩基546-565及び666-685の置換体からの転写は、未分化細胞で大きく昂進し、軽度分化した状態で更に昂進した。これは、塩基546-565及び666-685の領域がP670の活性を強く抑制する機能を担っており、この抑制が変異によって解除されたことを示している。そして、軽度分化した状態で更に昂進することは、hSkn-1aの発現による転写活性の昂進作用は保たれていることが予測された。hSkn-1aの結合配列は、塩基546-565の内部に含まれていたため、大腸菌で発現させたGST融合hSkn-1aとこれらの領域の結合をゲルシフトアッセイで調べた。プローブは、結合モチーフを中心にすえるため、塩基551-580及び塩基661-690の配列を用いた。hSkn-1aは、塩基551-580の配列に結合したが、塩基551-580の変異によって、この結合は減弱しなかった。よって、hSkn-1aの発現による転写活性の昂進作用は保たれ、この二つの領域において置換変異による影響を受けていないことが確認された。

 塩基546-565及び666-685の領域に抑制的な細胞因子が結合すると考え、結合蛋白質の候補を探した。上記領域に結合する抑制性の転写因子として、塩基546-565内部にYY1の結合配列が含まれることが既に報告されていた。しかし、大腸菌で発現させたGST融合YY1とこれらの領域の結合をゲルシフトアッセイで調べると、YY1は塩基551-580の配列に結合したが、塩基551-580の変異によって、この結合は減弱しなかった。そこで、MATCH(TM)public version1.0を用いて新たな候補を検索したところ、この2つの領域はCCAAT displacement protein(CDP)の結合配列を含んでいた。

 CDPは1505アミノ酸からなる180kDaの蛋白質で、そのホモログを含め、未分化な多種の細胞に発現している。抑制性転写因子として、分化で発現が変化する遺伝子群の発現調節に関わることが報告されている。分化した細胞での発現量の減少、あるいはDNAへの結合能が低下して発現抑制が解除される機構が示されている。大腸菌で発現させたGST融合CDPとこれらの領域の結合をゲルシフトアッセイで調べると、CDPは塩基551-580及び661-690の配列に結合した。そして、塩基551-580の変異によって、この結合は大きく低下し、塩基661-690の変異では結合能が失われた。このことより、塩基546-565、666-685の置換変異による転写活性の昂進はCDPの抑制解除に起因することが強く示唆された。実験に用いた細胞から抽出物を調整しウエスタンブロットでCDPの発現及び分化マーカーの発現を調べると、軽度分化誘導によりケラチン10などの分化マーカーが誘導されるが、未分化な状態でも、軽度に分化した状態でも、CDPの存在が確認され、発現量に変化はなかった。感染細胞の分化の進行によって、CDPによる転写抑制が解除されると想定されるが、本研究で用いたHaCaT及びHeLaでは分化によってCDPを介した転写抑制の解除は観察できなかった。実際に抑制が解除される細胞は、さらに分化が進んだ細胞だと思われる。

 本研究より、感染細胞が未分化な状態では塩基546-565及び666-685の領域にCDPが結合しP670からの転写は抑制されていることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒトパピローマウイルス16型(HPV16)増殖過程において重要な役割を演じていると考えられるHPV16後期プロモーター(P670)の発現制御に関わるシス因子の解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.P670プロモーターからの転写は感染細胞が未分化な状態では強く転写活性は抑制され、感染細胞の分化に伴い転写活性は上昇する。本研究では、P670レポータープラスミド及び20塩基ずつ配列を置換した38個の変異体を作製し、未分化細胞ないし分化がある程度進んで分化マーカーが発現している細胞(軽度に分化した細胞)での転写活性を調べた。細胞はHeLa/Tet-on/hSkn-1a及びHaCaTの2種を用いた。分化を誘導した細胞では、P670プロモーターからの転写は、2倍程度上昇した(結果、塩基546-565及び666-685の置換体からの転写は、未分化細胞で大きく昂進し、軽度分化した状態で更に昂進し、上記領域に抑制的な細胞因子が結合することが予測された。

2.塩基546-565及び666-685の領域に結合する抑制性の転写因子として、YY1及び CCAAT displacement protein(CDP)の結合配列が含まれていた。ゲルシフトアッセイの結果では、YY1は変異による結合の変化は認めなかった。それに対し、CDPは塩基551-580及び661-690の配列に結合し、変異によって、結合力は大きく低下した。このことより、塩基546-565、666-685の置換変異による転写活性の昂進はCDPの抑制解除に起因することが強く示唆された。

3.HeLa/Tet-on/hSkn-1a及びHaCaTでのCDPの発現をウエスタンブロッティングによって調べた。これらの細胞で、CDPの発現量は軽度分化誘導に関わらずほぼ一定していた。感染細胞の分化の進行によって、CDPによる転写抑制が解除されると想定されるが、本研究で用いたHaCaT及びHeLaを表皮分化マーカーの発現が生じる程度まで分化させても、分化によってCDPを介した転写抑制の解除は観察できなかった。よって、未分化な細胞では、P670プロモーターの転写開始点及びその上流の2カ所にCDPが結合し、転写を抑制することが強く示唆された。

 以上、本論文は、HPV感染細胞が未分化な状態では塩基546-565及び666-685の領域にCDPが結合しP670からの転写は抑制されていることが示され、P670の発現制御の解析に貢献した。よって、学位の授与に値するものと考えられる。

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