学位論文要旨



No 122603
著者(漢字) 原田,美由紀
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,ミユキ
標題(和) 子宮収縮による子宮内膜機能の調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 122603
報告番号 甲22603
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2899号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 助教授 水口,雅
 東京大学 講師 小宮根,真弓
 東京大学 講師 百枝,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

要旨:

【背景】分娩時の陣痛に代表されるように、妊娠時に子宮が収縮運動をすることは以前より知られているが、近年の超音波等の装置の発達により、非妊時においても子宮は収縮運動を示すことが知られるようになってきた。その収縮は月経周期に応じて変化し、月経期に最も高頻度で振幅も最大であるが、全周期を通じて観察される。また、種々の病的状態において、子宮運動異常が観察されている。例えば、子宮内膜症患者では月経期の子宮収縮が増強しており、さらに蠕動運動の方向が正常の子宮体部→頚部方向ではなく、頚部→体部方向へと逆転していることが報告されている。また、不妊症と密接に関係する粘膜下筋腫を有する患者においては、筋腫の近傍のみならず子宮全体において、健常女性で認められる規則的な蠕動運動が消失していることが報告されている。さらに体外受精を施行した患者において、胚移植時の子宮収縮が頻回であるほど、着床率、妊娠率が低下するという報告もある。

 一方、近年、臓器の運動という機械的な刺激が単に物理的作用をもたらすのみでなく、その臓器の構成細胞において生化学的なシグナルに変換され、種々の生理、病理的状態に関与していることが明らかになってきた。例えば、肺の呼吸運動は、肺胞上皮細胞に伸展刺激をもたらし、炎症性サイトカインの一つであるinterleukin-8(IL-8)の産生を促進するため、人工換気時の肺傷害の病因に関わる。他にも、心筋細胞、血管平滑筋細胞をはじめ種々の細胞においてこのような現象は観察されており、また及ぼす作用も向炎症作用のみでなく、増殖、分化など多岐にわたっている。

 そこで私は、非妊娠子宮の運動が月経血の排出、精子や胚の輸送等の物理的作用のみではなく、その運動によりもたらされる子宮内膜への機械的刺激が生化学的シグナルに変換されることにより、子宮内膜における生理、病理的現象に関わる、という生化学的作用を持つのではないかと考えた。そして、子宮内膜における現象として、1.炎症、2.分化の2つに特に注目した。炎症は、正常子宮内膜の周期的剥脱である月経の本態であると考えられており、また疾患との関連においては、子宮内膜症の病態に深く関わっていることが知られている。分化は、子宮内膜の構成成分である子宮内膜間質細胞が脱落膜化することが胚の着床に不可欠であることが知られている。私は、in vitroの系において、子宮内膜間質細胞を用いて、1.月経、子宮内膜症など子宮内膜における炎症を本態とする現象において重要な役割を果たす炎症性サイトカインであるIL-8の産生、2.子宮内膜間質細胞の分化(分化マーカーとしてinsulin-like growth factor-binding protein-1(IGFBP-1)を用いた)に対して、機械的刺激の与える影響を検討した。

【実験方法】患者の同意のもと手術時に得られた子宮内膜より子宮内膜間質細胞(ESC)を分離培養し、用いた。周期的伸展刺激の添加には、Flexercell tension system FX-4000Tを用いた。これは、可動性のある培養プレート底部を吸引力を用いて牽引、伸展させる装置で、その強さ、周期はコンピューターにより制御されている。

1.(1)伸展刺激を加え、ESCにおけるIL-8 mRNA発現、IL-8蛋白分泌の経時的変化を各々定量的RT-PCR法、ELISA法を用いて検討した。(2)Western blot法を用いて、伸展刺激によるESCでのextracellular signal-regulated kinase 1/2(ERK1/2)のリン酸化の変化を検討し、またERK1/2経路の阻害実験により、伸展刺激によるIL-8産生に与える影響をELISA法を用いて検討した。(3)自己分泌/傍分泌機構の関与を検討するために、伸展刺激を24時間添加したESCの培養上清を静置したESCに添加し、静置ESCでのIL-8 mRNA、IL-8蛋白分泌に与える影響を各々定量的RT-PCR法、ELISA法を用いて検討した。(4)卵巣ホルモンの、伸展刺激によるIL-8産生に与える影響をエストラジオール(E)、プロゲステロン(P)、またはその両方を伸展刺激開始1時間前に添加し、24時間伸展刺激後培養上清中のIL-8濃度をELISA法を用いて検討した。2.ESCをE+Pにて12日間処理し、脱落膜化間質細胞(DSC)に分化させ、以下の実験に用いた。(1)伸展刺激を加え、DSCにおけるIGFBP-1蛋白分泌の経時的変化をELISA法を用いて検討した。(2)自己分泌/傍分泌機構の関与を検討するために、伸展刺激を24時間添加したDSCの培養上清を静置したDSCに添加し、静置DSCでのIGFBP-1蛋白分泌に与える影響をELISA法を用いて検討した。(3)自己分泌/傍分泌因子としてprostaglandin E2(PGE2)を想定し以下の実験を行った。Cyclooxygenase阻害剤indomethacinを伸展刺激開始1時間前に添加し、24時間伸展刺激後培養上清中のPGE2、IGFBP-1濃度を各々EIA法、ELISA法を用いて検討した。(4)伸展刺激によるDSCにおけるIGFBP-1 mRNA発現の経時的変化を定量的RT-PCR法を用いて検討した。また、転写阻害剤actinomycin Dを伸展刺激開始1時間前に添加し、伸展刺激のIGFBP-1分泌促進作用に及ぼす影響をELISA法を用いて検討した。(5)ERK1/2経路の阻害剤PD98059、protein kinase A(PKA)阻害剤H89の前処理による伸展刺激のIGFBP-1分泌促進作用に及ぼす影響をELISA法を用いて検討した。

【結果】1.(1)伸展刺激はESCにおけるIL-8 mRNA発現を増加させ、その効果は4時間で最大であり、対照群と比較し12.5倍であった。伸展刺激によりESCからのIL-8分泌は8時間から有意に増加し、24時間まで経時的に増加した。24時間後の上清中IL-8濃度は対照群の4.4倍であった。(2)伸展刺激によりESCにおけるERK1/2のリン酸化が増加し、その効果は5分で最大であった。PD98059前処置により、伸展刺激によるIL-8分泌促進作用は抑制された。(3)伸展刺激を24時間添加したESCの培養上清は、伸展刺激を添加しなかったESCの培養上清に比し、静置ESCにおけるIL-8mRNA発現、IL-8分泌を有意に促進した。(4)PはEの有無に関わらず、伸展刺激によるIL-8分泌促進を有意に抑制した。2.(1)伸展刺激によりDSCからのIGFBP-1分泌は8時間から有意に増加し、24時間まで経時的に増加した。24時間後の上清中IGFBP-1濃度は対照群の25倍であった。ESCではこの効果は見られなかった。(2)伸展刺激を24時間添加したDSCの培養上清は、伸展刺激を添加しなかったDSCの培養上清に比し、静置DSCにおけるIGFBP-1分泌を有意に促進した。(3)EP存在下でDSCからのIGFBP-1分泌を促進し、非存在下では促進しないという点において、伸展刺激とPGE2は共通しているため、伸展刺激によりDSCから分泌され、自己分泌/傍分泌機構を介してDSCからのIGFBP-1分泌を促進する液性因子はPGE2ではないかと考えた。伸展刺激はDSCからのPGE2分泌を促進し、indomethacinはこれを抑制したが、IGFBP-1分泌に変化はなかった。(4)伸展刺激によりIGFBP-1 mRNA発現は6時間より有意に増加し、その後経時的に24時間まで増加した。Actinomycin D前処理により伸展刺激によるIGFBP-1分泌促進効果はほぼ完全に抑制された。(5)PD98059、H89は伸展刺激によるIGFBP-1分泌促進作用に影響を与えなかった。

【考察】1.子宮内膜への機械的刺激と炎症についての検討により、伸展刺激によりESCにおけるIL-8蛋白分泌、IL-8 mRNA発現が促進されることが示された。この過程には、MAPKカスケードの一つであるERK1/2の関与とESC自身の自己分泌/傍分泌機構の関与が示された。またこの促進効果はプロゲステロンの存在下で抑制された。正常有経女性において月経期は子宮運動が最も亢進している時期であり、また子宮内膜において炎症性サイトカインIL-8発現が最も亢進している時期でもある。本研究の結果を踏まえると、月経期に子宮筋運動が単に月経血の排出という物理的作用のみならず、子宮内膜におけるIL-8発現調節を介して、月経の調節因子として働くことが示唆される。また、子宮内膜症患者では、子宮内膜においてIL-8発現が亢進していることが報告されているが、子宮内膜症患者で観察される異常子宮収縮は逆流血を増加させるのみではなく、子宮内膜のIL-8発現の調節を介して子宮内膜症の病態に関与すると考えられる。2.子宮内膜への機械的刺激と分化についての検討により、伸展刺激によりDSCからのIGFBP-1蛋白分泌が促進されることが示された。この過程には、DSC自身の自己分泌/傍分泌機構と転写調節の関与が示された。これまで子宮蠕動運動は精子、胚の移動を補助し、また運動の減少により着床、妊娠の成立に関わることが想定されてきた。本研究により、子宮蠕動は子宮内膜の脱落膜化の制御を介して着床現象に関わっている可能性が示唆された。

 本研究により、非妊時の子宮運動により子宮内膜にもたらされる機械的刺激は、物理的作用のみでなく、子宮内膜において生化学的シグナルに変換され、子宮内膜における炎症、分化に関わるという生化学的作用を持つ可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、非妊娠子宮の運動がこれまで考えられてきたように、月経血の排出、精子や胚の輸送等の物理的作用のみではなく、その運動によりもたらされる子宮内膜への機械的刺激が生化学的シグナルに変換されることにより、子宮内膜における生理、病理的現象に関わる、という生化学的作用を持つ可能性について明らかにするため、

1.子宮内膜への機械的刺激と炎症に関する検討

2.子宮内膜への機械的刺激と分化に関する検討

を行い、下記の結果を得ている。

1.インフォームドコンセントのうえ、手術時に採取したヒト子宮内膜より子宮内膜間質細胞を分離し、これに伸展刺激を加えた。伸展刺激により、子宮内膜間質細胞においてinterleukin-8(IL-8)mRNA発現、IL-8蛋白分泌が促進された。この過程には、MAPKカスケードの一つであるextracellular signal-regulated kinase 1/2(ERK 1/2)の関与と子宮内膜間質細胞自身の自己分泌/傍分泌機構の関与が示唆された。またこの作用はプロゲステロンの存在下で抑制された。以上より、子宮筋運動により子宮内膜にもたらされた機械的刺激は、IL-8産生という生化学的なシグナルに変換されうることが示唆された。月経周期中、子宮筋運動が最も亢進している月経期において、この機械的刺激が子宮内膜におけるIL-8発現を促進し、月経期子宮内膜における炎症反応に寄与していると考えられた。また、子宮内膜症患者で観察される異常子宮収縮は子宮内膜におけるIL-8発現を促進し、病態の一つである炎症反応の促進に働いていることが考えられた。

2.インフォームドコンセントのうえ、手術時に採取したヒト子宮内膜より子宮内膜間質細胞を分離し、in vitro decidualization法にて脱落膜化子宮内膜間質細胞に分化させ、これに伸展刺激を加えた。伸展刺激により、脱落膜化子宮内膜間質細胞においてinsulin-like growth factor-binding protein-1(IGFBP-1)蛋白分泌、IGFBP-1 mRNA発現が促進された。この過程に、脱落膜化子宮内膜間質細胞自身の自己分泌/傍分泌機構の関与と転写調節の関与が示唆された。子宮運動により子宮内膜にもたらされた機械的刺激は、子宮内膜間質細胞の分化を促進することが示された。子宮筋運動異常の認められる病態において、胚や精子の輸送障害という物理的作用のみならず、機械的刺激による子宮内膜脱落膜化調節作用の障害により、これらの患者における着床障害の病因の一つとなりうることが考えられた。

 以上、本論文は、非妊時の子宮運動により子宮内膜にもたらされる機械的刺激が、子宮内膜において生化学的シグナルに変換され、子宮内膜における炎症、分化に関わるという生化学的作用を持つ可能性を明らかにした。生殖臓器における機械的刺激の生化学的重要性の理解を深めることは、未だ不明な点の多い子宮内膜における多彩な生理・病理学的現象の解明につながり、さらに子宮内膜症、不妊症などの罹患率が高い疾患の新たな治療戦略の開発へ貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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