学位論文要旨



No 122605
著者(漢字) 藤代,準
著者(英字)
著者(カナ) フジシロ,ジュン
標題(和) 新規スフィンゴシン1リン酸受容体アゴニストによる拒絶反応の制御
標題(洋)
報告番号 122605
報告番号 甲22605
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2901号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 藤井,知行
 東京大学 助教授 秋下,雅弘
 東京大学 助教授 菅原,寧彦
内容要旨 要旨を表示する

 免疫抑制剤の進歩、特にカルシニュリン阻害剤であるシクロスポリンAとタクロリムスの臨床応用以降、移植医療は飛躍的な進歩・発展を遂げ、これらの免疫抑制剤は臓器移植の成績向上、特に急性拒絶反応の制御に大きく貢献している。その一方で、移植後血管病変と線維化を主な特徴とする慢性拒絶反応は、移植後遠隔期の移植臓器不全の主な原因であり、その制御・予防は現在も未解決の問題として残されている。しかも、カルシニュリン阻害剤の長期投与は腎毒性や高血圧・高脂血症といった副作用を有し、更には免疫抑制状態による易感染性・腫瘍の発生、カルシニュリン阻害剤自身が慢性拒絶反応・移植後血管病変を促進する危険性を有することなどからも、現在も新たな免疫抑制療剤・免疫抑制療法が模索されている。

 近年、スフィンゴシン1リン酸受容体アゴニスト(S1P受容体アゴニスト)という従来の免疫抑制剤とは異なる作用機序を有する薬剤が登場した。その1つで現在臨床試験が行われているFTY720は、カルシニュリン阻害剤に代表される従来の免疫抑制剤が移植臓器などの「非自己」に反応したリンパ球の増殖・活性化の過程を抑制するのとは異なり、リンパ球をリンパ臓器に留め末梢血中のリンパ球減少を生じ、標的臓器に到達しない状態にすることで免疫反応を制御すると考えられている。その一方でリンパ球の活性化・増殖などの機能には治療濃度で影響を与えず、従来の免疫抑制剤との併用投与により副作用を増悪せずに免疫抑制効果を強化できる可能性があり注目されている。FTY720は腎移植症例で臨床試験が行われその有効性が報告されているが、同時に導入期の高頻度での徐脈の発生などが副作用として報告されている。FTY720はスフィンゴシン1リン酸受容体のサブタイプ1,3,4,5に対するアゴニストで、受容体のサブタイプ1(S1P1)とサブタイプ3(S1P3)がそれぞれリンパ球のホーミング改変とFTY720による徐脈の発生に関与することが報告されている。

 共同研究者の小林らは、新規スフィンゴシン1リン酸受容体アゴニストKRP-203が、FTY720と同様に末梢血中のリンパ球減少を生じ、ラット心移植・皮膚移植モデルにおいて移植片生着延長効果を有することを報告した。著者は、このKRP-203がS1P1受容体に高い選択性を有しS1P3受容体には親和性が極めて低い選択的S1P受容体アゴニストであり、小動物での徐脈の誘発能がFTY720に比べ低いことに注目した。S1P受容体のサブタイプに対する親和性の違いから、KRP-203はFTY720と同様の免疫制御能を有しつつ徐脈等FTY720で観察される副作用を回避できる新規免疫抑制剤としての可能性を持ち、その臨床応用が免疫抑制療法の発展に寄与すると期待される。

 本研究では、この新規S1P受容体アゴニストの臓器移植への応用の可能性を検討するため、以下のような検討を行った。

 まず、低用量のシクロスポリンAとKRP-203の併用投与による免疫抑制効果・移植片保護効果を検討した。ラット皮膚移植では、KRP-203(0.03mg/kg/day)・シクロスポリンA(10mg/kg/day)の単剤投与群では皮膚移植片の生着期間延長効果が認められない。しかし、KRP-203(0.003,0.01,0.03mg/kg/day)とシクロスポリンA(10mg/kg/day)の併用投与は著明な移植片の生着期間延長効果を示した(p<0.01)。この皮膚移植の系では、KRP-203とシクロスポリンAの相乗効果はKRP-203の用量依存的で、FTY720との相乗効果と比べ有意に高かった(p<0.01)。

 更に、皮膚移植と異なり拒絶のモニタリングだけでなく移植臓器の機能がレシピエント個体の生命維持に必須であるラット腎移植モデルを用い、MHCが異なり拒絶反応が強く生じる組み合わせで移植を行いシクロスポリンとKRP-203の相乗効果を検討した。KRP-203(3mg/kg/day)・低用量のシクロスポリンA(1mg/kg/day)の単剤投与はレシピエントの生存期間を延長しないが、シクロスポリンAとKRP-203(0.3mg/kg/day)の併用投与は著明に生存期間を延長した(p<0.05)。中等量のシクロスポリンA(3mg/kg/day)の単剤投与、およびKRP-203(0.03,0.3,3mg/kg/day)との併用投与では顕著な生存期間延長効果を認めた(p<0.05)。シクロスポリンA単剤投与・KRP-203併用投与群ともに多数のレシピエントが観察期間終了まで生存し、生存期間には有意差を認めなかった。しかし、シクロスポリンAの単独投与と比較して、KRP-203とシクロスポリンAの併用投与では移植腎の腎機能は良好に維持され(p<0.05)、この移植腎機能の差を反映して全身状態の指標となるレシピエントの体重増加にも著明な違いが認められた(p<0.05)。移植100日後の病理組織所見では、シクロスポリンA単剤投与群では急性拒絶反応の像を呈したのに対し、KRP-203併用投与群では細胞浸潤・急性拒絶反応が抑制され(p<0.05)、間質の線維化と尿細管の萎縮も軽微であった。

 この結果は、シクロスポリンAと新規S1P受容体アゴニストKRP-203の併用療法の臓器移植時の免疫抑制療法としての有効性を示し、また、S1P受容体アゴニストの使用により臓器移植後の免疫抑制療法においてカルシニュリン阻害剤を減量しうることを示唆している。

 次に、移植後にカルシニュリン阻害剤がその腎毒性により中止・減量を余儀なくされた際の代替治療としてのS1P受容体アゴニストの可能性を検討した。現在、腎障害時のカルシニュリン阻害剤の代替療法としては、ミコフェノール酸のプロドラッグであるミコフェノール酸モフェチル主体の治療が多く報告されているが、その拒絶反応抑制効果については一定の見解が得られていない。そのため、シクロスポリン腎症下の代替治療としてのKRP-203とミコフェノール酸(MPA)の併用投与が移植片と腎障害にもたらす影響を、大動脈移植・移植後シクロスポリン腎症モデルにて検討した。

 MHCが異なり拒絶反応が強く現れる組み合わせ(DA to Lewis)の大動脈移植後、2週間高用量のシクロスポリンA(15mg/kg/day)を投与し腎障害を誘発し、全観察期間継続投与すると腎障害は更に悪化した。免疫抑制剤をシクロスポリンAからミコフェノール酸(10mg/kg/day)、KRP-203(1mg/kg/day)及びその併用投与へ変更すると、腎機能が正常化し、シクロスポリン腎症の組織学的特徴である輸入細動脈の硝子化や、腎組織でのTGF-β1の発現増強が抑制され、シクロスポリン腎症からの回復が認められた。

 大動脈移植片では、慢性拒絶反応の特徴的所見の1つである動脈の内膜肥厚をS1P受容体アゴニスト(FTY720,KRP-203)単剤投与が有意に抑制した(p<0.05)。シクロスポリンAからミコフェノール酸、KRP-203、及びその併用投与に変更した際の移植後血管病変に対する評価では、2週間のシクロスポリンA投与の後に薬剤投与を中止した群(CsA→Vehicle群)で高度の内膜肥厚を認め、薬剤投与を受けないコントロール群(Vehicle群)と同等であった。シクロスポリンAを全観察期間継続投与した群(CsA→CsA群)では内膜肥厚を認めなかった(p<0.05)。シクロスポリンAからミコフェノール酸、KRP-203単剤投与に変更した群(CsA→MPA群、CsA→KRP群)ではコントロール群・CsA→Vehicle群と比較して内膜肥厚は若干抑制された(p<0.05,CsA→KRP群 vs Vehicle群・CsA→Vehicle群)。ミコフェノール酸とKRP-203の併用投与に変更した群(CsA→MPA+KRP群)では内膜肥厚は著明に抑制され、その程度は高用量のシクロスポリンA継続投与群と同程度であった。

 コントロール群、並びにシクロスポリンAを2週間で投与終了した群では大動脈移植片に著明な細胞浸潤が観察された。この細胞浸潤はシクロスポリンAの継続投与により抑制された(p<0.05)。シクロスポリンAからミコフェノール酸へ変更した群(CsA→MPA群)では細胞浸潤はわずかに抑えられる傾向があり、KRP-203単剤投与に変更した群(CsA→KRP群)では細胞浸潤の抑制は有意ではあるが(p<0.05)軽度であった。ミコフェノール酸とKRP-203の併用投与に変更により細胞浸潤がより強く抑制された。免疫組織染色による検討では、KRP-203単剤投与・及びミコフェノール酸との併用投与で浸潤が抑制されたのは主にT細胞で、マクロファージの浸潤には明らかな違いは認めなかった。

 これらの結果は、臓器移植後のシクロスポリン腎症時における代替治療としてのミコフェノール酸とKRP-203の併用投与の腎障害改善・移植後血管病変予防に対する有効性を示しており、ミコフェノール酸モフェチル主体の治療にS1P受容体アゴニスト追加投与することで免疫抑制を強化できることを示唆している。

 以上本研究では、新規S1P受容体アゴニストKRP-203の移植領域での免疫抑制剤としての可能性を2つの実験で示した。本剤は現在臨床研究が進んでいるS1P受容体アゴニストのFTY720とはS1P受容体サブタイプに対する活性化能が異なることから、S1P受容体アゴニストの持つ免疫抑制効果を保ちつつ副作用を軽減できる可能性を有し、大動物における研究や、更には臨床での有効性が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では新規スフィンゴシン1リン酸(S1P)受容体アゴニストKRP-203がS1P受容体サブタイプ1に対して高い活性化能を有しサブタイプ3は活性化しないという特性に着目し、本薬剤の移植医療における免疫抑制剤としての有効性を明らかにするため実際に移植医療の場で使用される可能性の高い2つの状況を念頭に置いた実験で検討がなされている。

 実験1では低用量のシクロスポリンAとKRP-203の併用投与による免疫抑制効果・移植片保護効果が検討され、以下の結果が得られている。

1 ラット皮膚移植において、単剤では移植片の生着延長をもたらさない低用量のKRP-203とシクロスポリンAの併用投与は相乗的に著明に移植片の生着期間を延長し、その相乗効果はKRP-203の用量依存性を有し、更には代表的なS1P受容体アゴニストであるFTY720と比べ相乗効果が高いことが示された。

2 ラット腎移植モデルにおいて、シクロスポリンAとKRP-203の併用投与はレシピエント個体の生存期間を延長し、移植腎の腎機能を良好に維持し、レシピエント個体の全身状態を改善することが示された。また、この併用投与が移植腎組織における急性拒絶反応を有効に抑制し、その効果が長期間にわたり維持されることが示された。

 これらの結果は、カルシニュリン阻害剤と新規S1P受容体アゴニストKRP-203の併用療法の臓器移植時の免疫抑制療法としての有効性を示し、更にはS1P受容体アゴニストの使用により臓器移植後の免疫抑制療法においてカルシニュリン阻害剤を減量しうることを示唆する。

 実験2ではカルシニュリン阻害剤がその腎毒性により中止・減量を余儀なくされた際の代替治療におけるS1P受容体アゴニストと核酸合成阻害剤であるミコフェノール酸モフェチル(MMF)の併用投与の有効性が検討され、下記の結果が得られている。

1 ラット大動脈移植モデルを用いて、2週間高用量のシクロスポリンAを投与し腎障害を誘発した後にシクロスポリンAからミコフェノール酸、KRP-203及びその併用投与へ変更すると、腎機能が正常化し、シクロスポリン腎症の組織学的特徴である輸入細動脈の硝子化と腎組織でのTGF-β1の発現増強が抑制され、この薬剤変更がシクロスポリン腎症からの回復に有効であることが示された。

2 ラット大動脈移植・シクロスポリン腎症モデルにおいて、シクロスポリンAからミコフェノール酸とKRP-203の併用投与への薬剤変更は、相乗的に大動脈移植片の内膜肥厚と移植片への細胞浸潤を抑制することが示された。また、KRP-203投与は移植片へのT細胞の組織浸潤を抑制することが示された。

 これらの結果は移植症例におけるカルシニュリン阻害剤による腎障害の際に、MMFとKRP-203の併用療法が腎障害の改善と移植片の急性・慢性拒絶反応の抑制・予防に有効である可能性を示すものである。

 以上、本論文は新規S1P受容体アゴニストKRP-203の移植領域における有効性をin vivoのデータを中心にして示したものである。本研究は本薬剤の将来的な臨床応用につながるトランスレーショナルリサーチとして移植医療の発展対する貢献は大きく、学位の授与に値すると考えられる。

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