学位論文要旨



No 122607
著者(漢字) 山口,潔
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,キヨシ
標題(和) 糖尿病の発症機序における小胞体ストレス誘導性アポトーシスに関する研究
標題(洋)
報告番号 122607
報告番号 甲22607
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2903号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖発達加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 矢野,哲
 東京大学 客員助教授 後藤田,貴也
 東京大学 講師 渡辺,博
内容要旨 要旨を表示する

【目的】

 MAP3Kファミリーに属するApoptosis signal-regulating kinase 1(ASK1)は、酸化ストレスやサイトカインなどの細胞内外からの刺激を感知し、MAPKカスケードを活性化して、増殖、分化、アポトーシスなどのさまざまな生理応答を引き起こすことが知られる分子である。近年、ASK1は小胞体ストレスによるアポトーシスの誘導においても重要な役割を担っていることが明らかにされたが、その病態生理学的な役割については不明な点が多い。糖尿病モデルマウスとして知られるAkitaマウスは、Insulin2遺伝子のCys96の点変異をもち、膵β細胞のアポトーシスによる著しいβ細胞の減少が特徴である。変異型Insulin2タンパク質は細胞外へ分泌されずに小胞体内に蓄積していき、それが強い小胞体ストレスとなって膵β細胞のアポトーシスが誘導される。そこで、Akitaマウスの糖尿病発症におけるASK1の関与について検討した。

【方法と結果】

 Akitaマウス(Ins2(C96Y/WT))とASK1ノックアウトマウス(ASK1-/-)の交配実験を行い、Ins2(C96Y/WT)ASK1-/-マウスを作製した。雄のAkitaマウスでは、5週齢から血糖値が上昇し始め、7週齢には600mg/dl弱まで上昇する。Ins2(C96Y/WT)ASK1-/-マウスの血糖値は、対照とした同週齢のAkitaマウスと比較して上昇が抑えられ、糖尿病の発症が1週間程度遅くなることがわかった。つまり、Akitaマウスの糖尿病発症においてASK1は必要であることが示唆された。

 生後4週齢、6週齢において膵インスリン量を比較したところ、Akitaマウスで観察される膵インスリン量の減少が、Ins2(C96Y/WT)ASK1-/-マウスにおいて抑えられた。Akitaマウスの膵組織においては生後6週よりTUNEL陽性細胞を認めるが、Ins2(C96Y/WT)ASK1-/-マウスでは陽性細胞数の減少を認めた。以上より、ASK1をノックアウトすることで膵β細胞のアポトーシスが抑えられることが、糖尿病発症が遅れる原因の一つであることが示唆された。

 一方、マウスインスリン分泌細胞株MIN6に、Akitaマウスの糖尿病発症の原因遺伝子である変異型Insulin2遺伝子をアデノウイルス法により発現させたところ、ASK1、JNK、p38の活性化ならびにアポトーシスの亢進が認められた。アポトーシスは、ヒストン-DNA断片複合体量およびCaspase-3活性の測定において、p38阻害剤であるSB203580により部分的に抑制された。JNK阻害剤であるSP600125ではアポトーシスは全く抑えられないことから、膵β細胞において、p38の活性化がアポトーシスに必要であることが示唆された。

 そこでp38によるアポトーシスのメカニズムを検討するため、p38によりリン酸化を受けることが知られており、またアポトーシス促進因子として知られる転写因子CHOPの転写活性化能が、p38の活性化の阻害により変化するかどうかについて解析した。CHOPの転写活性化能の変化は、CHOPにより誘導されることが知られるCarbonic Anhydrase 6,stress inducible form(CA6)のmRNA量を定量的RT-PCR法で測定することにより検討した。変異型Insulin2をMIN6細胞に発現させるとCHOPの誘導とともにCA6の誘導が認められるが、p38阻害剤の投与によりCHOPの誘導には変化はなく、CA6の誘導のみが抑えられた。

 MIN6に小胞体ストレス誘導体として知られるThapsigarginまたはTunicamycinを投与したところ、p38、JNKの活性化およびCHOPの誘導が認められた。また、Tunicamycinの投与により誘導されるアポトーシスは、p38阻害剤の投与により抑えられた。MIN6にThapsigarginまたはTunicamycinを投与すると、変異型Insulin2を発現させた場合と同様にCHOPの誘導とともにCA6の誘導が認められるが、変異型Insulin2を発現させた際と同様に、CA6の誘導のみがp38阻害剤の投与により抑えられた。また、CHOPにより誘導されることが知られるtribbles-related protein 3(TRB3)のmRNA量を定量的RT-PCR法で測定すると、Tunicamycinを投与した場合に、CA6と同様に誘導が認められたが、その誘導はp38阻害剤を投与することにより抑えられた。また、ASK1KOマウス由来の線維芽細胞(MEF)にThapsigarginを投与したたころ、野生型マウス由来MEFと比較し、CA6の誘導は低下した。以上より、p38の活性化によりアポトーシスが誘導されるメカニズムにおいて、p38の活性化によるCHOPの転写活性化能の亢進が関与していることが示唆された。

【結論】

 今回私は、以下の点を明らかにした。1.ASK1を欠損させたAkitaマウスでは糖尿病の発症が遅れたことより、部分的ではあるが、ASK1はAkitaマウスの糖尿病発症に必要である。2.膵β細胞において、ASK1-p38経路は小胞体ストレス誘導性アポトーシスに必要である。3.p38の活性化は、小胞体ストレスにより発現が誘導されたCHOPをさらに活性化することで、アポトーシスの誘導に関与する可能性がある。

 以上より、ASK1の活性化の制御は、糖尿病の新しい治療ターゲットとなる可能性が示唆される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、膵β細胞における小胞体ストレス誘導性アポトーシスにおける、細胞内情報伝達経路の一つであるMAPキナーゼ経路、特にASK1(apoptosis signal-regulating kinase 1)を介した経路の関与を検討したものである。

 膵β細胞の小胞体ストレス誘導性アポトーシスが糖尿病の発症機序とされる糖尿病モデルマウスのAkitaマウス、ASK1ノックアウトマウスを用いたin vivoの実験、マウスインスリン分泌細胞株であるMIN6細胞、またAkitaマウスの糖尿病発症の原因遺伝子である変異型Insulin2遺伝子を挿入したアデノウイルスベクターを用いたin vitroの実験により、以下の結果を得た。

1.まず、Akita(Ins2(C96Y/WT))マウスとASK1ノックアウト(ASK1-/-)マウスの交配実験を行い、Ins2(C96Y/WT)ASK1-/-マウスを作製した。Ins2(C96Y/WT)ASK1-/- マウスの血糖値は、対照とした同週齢のAkitaマウスと比較して上昇が抑えられ、糖尿病の発症が1週間程度遅くなることがわかった。つまり、Akitaマウスの糖尿病発症においてASK1は必要であることが示唆された。

2.生後4週齢、6週齢において膵インスリン量を比較したところ、Akitaマウスで観察される膵インスリン量の減少が、Ins2(C96Y/WT)ASK1-/-マウスにおいて抑えられた。Akitaマウスの膵組織においては生後6週よりTUNEL陽性細胞を認めるが、Ins2(C96Y/WT)ASK1-/-マウスでは陽性細胞数の減少を認めた。以上より、ASK1をノックアウトすることで膵β細胞のアポトーシスが抑えられることが、糖尿病発症が遅れる原因の一つであることが示唆された。

3.次に、MIN6にアデノウイルス法により変異型Insulin2を発現させたところ、ASK1、JNK、p38の活性化ならびにアポトーシスの亢進が認められた。アポトーシスは、ヒストン‐DNA断片複合体量およびCaspase-3活性の測定において、p38阻害剤であるSB203580の投与により部分的に抑制された。

4.変異型Insulin2をMIN6細胞に発現させるとCHOPの誘導とともに、CHOPにより誘導されることが知られた分子であるCarbonic Anhydrase 6,stress inducible form(CA6)の誘導が認められる。p38阻害剤の投与によりCHOPの誘導には変化はなく、CA6の誘導のみが抑えられた。

5.MIN6細胞に小胞体ストレス誘導体として知られるThapsigarginまたはTunicamycinを投与したところ、p38の活性化、CHOPの誘導が認められた。そこにさらにp38阻害剤を投与したところ、アポトーシスの抑制を認めた。以上より膵β細胞の小胞体ストレス誘導性アポトーシスにおいてp38の活性化が必要であることが示唆された。

6.MIN6細胞に小胞体ストレス誘導体として知られるThapsigarginまたはTunicamycinを投与したところ、CHOPの誘導とともにCA6の誘導を認めるが、CA6の誘導はp38阻害薬の投与により抑えられた。また、Tunicamycinを投与したところ、CHOPにより誘導されることが知られるtribbles-related protein 3(TRB3)の誘導が認められたが、その誘導はp38阻害剤の投与により抑えられた。さらに、ASK1-/-マウス由来の線維芽細胞(MEF)にThapsigarginを投与したところ、野生型マウス由来MEFと比較し、CA6の誘導は低下した。以上より、p38の活性化によりアポトーシスが誘導されるメカニズムにおいて、p38の活性化によるCHOPの転写活性化能の亢進が関与していることが示唆された。

 以上、本論文は、MAPキナーゼシグナル伝達経路の一つであるASK1-p38経路が、膵β細胞における小胞体ストレス誘導性アポトーシスならびにその結果引き起こされる糖尿病の発症に関与することを明らかにした。さらに、小胞体ストレスによるASK1-p38経路の活性化は、転写因子CHOPの転写活性化能を亢進させることを明らかにした。

 本論文は、膵β細胞の小胞体ストレス誘導性アポトーシスにおける、これまで知られていなかった新たなシグナル伝達経路を解明し、今後の糖尿病治療における分子標治療の研究・開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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