学位論文要旨



No 122610
著者(漢字) 橋本,拓哉
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,タクヤ
標題(和) 肝切除における術中瀉血の肝離断中出血に対する有効性の検討 : 無作為化比較試験
標題(洋) Intraoperative blood salvage during liver resection : a randomized controlled trial
報告番号 122610
報告番号 甲22610
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2906号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 助教授 大西,真
 東京大学 助教授 小川,利久
 東京大学 講師 小野,稔
 東京大学 講師 別宮,好文
内容要旨 要旨を表示する

I.諸言

 肝臓は血流に富む臓器であり、肝切除中の出血を如何にコントロールするかが肝臓外科医の長年の命題であった。現在では、肝臓への流入血の遮断法が肝切除中の出血を抑えるのに最も有効な方法とされている。流入血遮断法を行った場合の主な出血源は、遮断されていない肝臓の流出血路である肝静脈およびその分枝となる。それゆえ、肝静脈圧に直接影響すると考えられる中心静脈圧(central venous pressure、以下CVPとする)を低く保つことが、肝離断中の出血量を減らすことにつながるとされている。これまでも、肝離断中のCVPを低く保つ様々な方法が施行されてきたが、安全に、かつ確実にCVPを下げ、肝離断中の出血を減らす方法は確立されていない。

 我々の施設でも、肝切除に際しては、常に術中の輸液を制限し、充分量の筋弛緩薬を投与し、一回換気量を減らすことで、少しでもCVPを下げる工夫を行っている。その状況下においても、時に肝静脈由来の出血の多い症例を経験することがある。このような場合に、循環血液量を減じてCVPを下げることを目的として一定量の瀉血を行うことがあるが、多くの場合、肝離断面からの出血は明らかに減少する。

 そこで我々は、肝離断開始前に一定量の瀉血を行うことにより肝離断中の出血を抑制することが出来るという仮説をたて、それを確かめる目的に無作為化比較試験を計画し、実行した。生体肝移植のドナーを対象とすることは、正常肝であること、術式が一定であることなどより、本試験の対象として最も適切であると考えられた。

II.対象と方法

 待機的に生体肝移植に対するグラフト採取術を予定されたドナーのうち、18歳以上のドナーを対象とした。高血圧の既往、貧血、凝固能異常を認めたドナーは除外した。対象患者からはあらかじめ文書によるinformed consentを得た。

 手術室おいて対象患者を最小化法によって瀉血群と対照群の2群にランダムに割り付けた。前層別因子は年齢(40歳以下または41歳以上)、術式(左肝グラフト採取術または右肝及び右外側区域グラフト採取術)、術前自己血貯血の有無(有りまたは無し)とした。割付結果は麻酔科医師にのみ伝達され、術野の外科医には伝えられなかった。瀉血群では、ドナーの体重の0.7%に相当する全血を肝離断開始までに自己血貯血用のバッグに採取し、グラフト採取後の閉腹時に返血した。

 肝離断は、間欠的流入血遮断下に電気メス付き超音波外科用吸引装置を用いて行われた。術中輸液量は4〜4.5ml/kg/hrに制限し、循環動態の変化が無ければCVPの値に関わらず、輸液の速度は一定とした。持続的観血的動脈圧、心拍数、CVP、酸素飽和度、直腸温などを測定した。術前に貯血していた自己血は、必要に応じて肝離断開始後より輸血を開始した。

 主要評価項目は肝離断中出血量(mL)とし、副次的評価項目は総出血量(mL)、単位面積当たりの肝離断中出血量(mL/cm2)、肝離断開始時のCVP(cmH2O)、術後肝機能、術後在院日数などとした。合併症に関しては、手術や穿刺などの処置を要したものをmajor complicationと定義し、それ以外で2週間を越える入院期間の理由となった合併症をminor complicationと定義した。

 2001年11月から2003年3月の間に当科において移植ドナーのグラフト採取術を施行した56例の肝離断中出血量は平均282mL、標準偏差155mLであった。我々は、術中に一定量の瀉血を行うことにより、出血量は100mL減少しうると仮定し、その減少量は臨床的に有意義であろうと考えた。5%のタイプIエラー、80%の検出率、両側検定によって、両群間の平均出血量100mLの差を見出すために必要なサンプル数は各群40例と計算された。

 全てのデータ収集および解析はintention-to-treatの原則に従って行った。カテゴリー変数はFisher's exact test、連続変数はWilcoxon's rank sum testにて両群のデータを比較した。肝離断中の出血量(200mL以上または未満)に対する術中の一定量の瀉血の影響を評価する目的でlogistic回帰解析を行った。臨床的に意味のあると考えられる6項目の潜在的交絡因子を選択し、それぞれの影響を調整した。結果はハザード比を95%信頼区間、P値と共に記載した。P値は0.05未満を有意とし、各解析はJMP5.1(SAS,Cary,North Carolina,USA)を用いて行った。

III.結果

 2003年12月から2006年3月までの期間に102人のドナーに対して待機的な生体肝移植に対するグラフト採取術が予定された。そのうち22人は以下の理由にて登録されなかった:参加への承諾が得られなかった(17例)、貧血(3例)、軽度の凝固能異常(1例)、年齢が18歳未満(1例)。合計80人を40人ずつ瀉血群と対照群に割り付けした。対照群に割り付けられた1例は、割り付け後に気管支喘息発作出現し、手術中止となったため、解析から除外した。患者の背景因子、手術関連因子に両群間に差はなかった。瀉血群にて術中に採取された血液量は中央値で420g(範囲:260-620g)であった。

 術中の循環動態に関する測定に関しては、収縮期動脈圧、心拍数、CVPをそれぞれ手術開始時、肝離断開始時で測定した。肝離断開始時のCVPは瀉血群5cmH2O(2-9cm H2O)、対照群6cmH2O(2-13cm H2O)であり、瀉血群の方が有意に低かった(P=0.005)。その他の計測値に関しては両群間で差はなかった。

 肝離断中の出血量は、瀉血群140mL(40-430mL)、対照群230mL(40-660mL)で瀉血群の方が有意に少なかった(P=0.034)。肝離断中の単位面積当たりの出血量は、瀉血群2.15mL/cm2(0.86-7.37mL/cm2)、対照群3.75mL/cm2(0.64-7.93 mL/cm2)で瀉血群の方が有意に少なかった(P=0.012)。手術中の総出血量、手術時間は両群間に差はなかった。

 術後経過及び合併症に関しては両群間で差がなかった。瀉血群では、術中の瀉血に起因する合併症を認めなかった。

 多変量解析(logistic回帰解析)では、術中の一定量の瀉血は肝離断中の出血量に有意な影響を及ぼした(ハザード比0.31、95%信頼区間[0.11-0.85]、P=0.025)。CVPは肝離断中の出血量に有意な関与を認めなかった(ハザード比0.41、95%信頼区間[0.14-1.1]、P=0.089)。

IV.まとめ

 一定量の瀉血を手術中に行うことが、生体肝移植ドナーのグラフト採取術の肝離断中出血量を減少させうる簡便で安全な方法であるという仮説を立てて、それを実証するための無作為化比較試験を実施した。一定量の瀉血は、CVPを軽度低下させ且つ肝離断中出血を減らすことが実証された。この方法は、自己血貯血を行うための血液バッグのみを必要とする簡便な方法である。この方法は生体肝移植ドナーの手術だけでなく、その他の肝腫瘍に対する肝臓手術の安全性の向上に寄与する可能性があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、生体肝移植ドナーのグラフト採取術に際して、肝離断中出血を安全に減少させる新しい方法を開発するために、肝離断開始前に一定量の瀉血を行うことにより肝離断中の出血を抑制することが出来るという仮説をたて、それを確かめる目的に無作為化比較試験を計画し実行したものであり、下記の結果を得ている。

1.本研究前に、東大病院肝胆膵外科・人工臓器移植外科において移植ドナーのグラフト採取術を施行した56例を集計した結果、肝離断中出血量は平均282mL、標準偏差155mLであった。術中に一定量の瀉血を行うことにより、出血量は100mL減少しうると仮定し、5%のタイプIエラー、80%の検出率、両側検定によって、両群間の平均出血量100mLの差を見出すために必要なサンプル数は各群40例と計算された。

2.2003年12月から2006年3月までの期間に102人のドナーに対して待機的な生体肝移植に対するグラフト採取術が予定され、同意の得られた80人を40人ずつ瀉血群と対照群に割り付けした。対照群に割り付けられた1例は、割り付け後に気管支喘息発作出現し手術中止となったため解析から除外した。

3.瀉血群にて術中に採取された血液量は中央値で420g(範囲:260-620g)であったが、瀉血に起因すると思われる合併症の発症はなく、一定量の瀉血(患者の体重の0.7%の重量の瀉血)は安全に施行可能であった。

4.主要評価項目である肝離断中の出血量は、瀉血群の方が有意に少なく、副次的評価項目である肝離断中の単位面積当たりの出血量も、瀉血群の方が有意に少なかった。手術中の総出血量、手術時間は両群間に差はなかった。

5.術中の循環動態に関する測定に関しては、収縮期動脈圧、心拍数、中心静脈圧をそれぞれ手術開始時、肝離断開始時で測定したが、肝離断開始時の中心静脈圧は瀉血群の方が有意に低かった。その他の計測値に関しては両群間で差はなかった。

6.肝離断中の出血量(200mL以上または未満)に対する術中の一定量の瀉血の影響を評価する目的でlogistic回帰解析を行った。術中の一定量の瀉血は肝離断中の出血量に有意な影響を及ぼしたが、中心静脈圧は肝離断中の出血量に有意な関与を認めなかった。

以上、本論文は一定量の瀉血を手術中に行うことが、生体肝移植ドナーのグラフト採取術の肝離断中出血量を減少させるという仮説を立て、それを実証するための無作為化比較試験を計画・実施し、一定量の瀉血は、安全に中心静脈圧を軽度低下させ且つ肝離断中出血を減らすことを実証した。本研究は、生体肝移植ドナーの手術だけでなく、その他の肝腫瘍に対する肝臓手術の安全性の向上に寄与する可能性があると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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