学位論文要旨



No 122614
著者(漢字) 遠藤,宗幹
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,ムネモト
標題(和) 大動脈手術における分節動脈の再建の指標としてのドプラエコーによる前根動脈の同定
標題(洋)
報告番号 122614
報告番号 甲22614
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2910号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 川原,信隆
 東京大学 講師 星地,亜都司
 東京大学 講師 師田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

【背景】近年、胸部下行および胸腹部大動脈疾患の手術成績は向上したが、術後合併症として重大な懸案事項の一つに、脳脊髄障害がある。脊髄障害とくに対麻痺の予防は未だ十分ではなく、胸部下行および胸腹部大動脈手術における発生頻度は2〜30%とも報告されている。対麻痺の原因は長時間の大動脈遮断、あるいは分節動脈(肋間・腰動脈)離断による、前脊髄動脈領域の脊髄虚血が主である。現在の脊髄保護として行なっている補助手段は、分節動脈再建・温存や分節動脈の潅流、脳脊髄液ドレナージ、低体温や薬物療法などである。しかしながら、脊髄虚血に直接関わる動脈(前脊髄動脈と交通するアダムキュービッツ動脈を含めた前根動脈)の確立された同定法がないことが、対麻痺を十分に予防出来ない重大な要因の一つである。術前もしくは術中にそれらの前根動脈(ARA)の同定ができれば、最小限の脊髄虚血時間でその分節動脈だけを再建する事が可能となり、かつ長時間に及ぶ手術時間を短縮する事にもなり、対麻痺の予防となる。臨床では、CTやMRAを用いたアダムキュービッツ動脈の同定が試用されているが、それらの機器で診断されたアダムキュービッツ動脈を再建しても対麻痺が起こった例もあり、更なる診断技術の向上が必要である。ドプラエコーによる血流速度測定では、それぞれ血管の部位によって特徴があり、特に内頚動脈と外頚動脈の血流速度の相違は、それぞれを区別するための診断にも用いられている。エコーは術中にも使用できる事から非常に有用な検査機器であるが、分節動脈について十分な検討はなされていない。

 動脈血二酸化炭素分圧(PaCO2)の変化は、血管抵抗を変える要素があり、脳循環では敏速に変化を起こすことが知られている。手術中にも、簡便にPaCO2の変化を起こす事が出来る。そこで、PaCO2変化は脊髄循環にも変化を来たし、その変化がARAを分枝する分節動脈と分枝しない分節動脈の差を、より大きくする可能性があると考えた。

 本研究は臨床応用を前提とし、脊髄保護の一つである分節動脈再建の質を向上させるため、エコーによるARAの同定を目的とした。(1)ARAの同定が可能であるか、(2)臨床応用の可能性は。この二点を、PaCO2を変化させながら、臨床に則した分節動脈レベルで、エコーを用いて検討した。

【方法】体重30Kg程度のブタ12頭を、用いた。全身麻酔下に、胸部下行から腹部大動脈の分節動脈を、第8肋間動脈から第5腰動脈の範囲で露出した。PaCO2をNormocapnia→Hypocapnia→Hypercapniaの順に変化させ、それぞれの条件下でダイレクトエコーを用いて分節動脈の血流速度{最大収縮期血流速度(S)、最大拡張期血流速度(Peak-D)、拡張終期血流速度(End-D)、平均血流速度(M)、最大収縮期/最大拡張期血流速度(S/D)、Pulsatility index(PI)、Resistive index(RI)を測定した。また、Systolic velocity area/Diastolic velocity area(Sa/Da)を算出した。ドプラエコーの測定点は、臨床に則してそれぞれの分節動脈の下行大動脈・腹部大動脈起始部とした。測定終了後に、ARAおよび前脊髄動脈を染色する目的で、メチレンブルーを下行大動脈に注入し、自己心拍下に脊髄を循環させた。犠牲死の後、直ちに第8胸髄から第5腰髄の範囲で脊髄を採取し、それぞれの分節動脈とARAの解剖学的位置関係を同定した。群分けはARAを分枝する分節動脈群(ARA群)とARAを分枝しない分節動脈群(NonARA群)の2群に分け、3つのPaCO2の条件下に比較検討した。

【結果】Th8〜L5(ブタはTh14まで存在)の12本の分節動脈を12頭のブタを用い、計139本の分節動脈をエコーで同定(96.5%)し、血流速度を測定した。うち、肋間動脈は84本で腰動脈は55本認めたが、Hypercapnia時にそれぞれ1本ずつ傷害してしまったため、その条件時の測定からは除外した。ARAは91本(肋間57本・腰34本)であった。Th8〜L5までの脊髄の解剖ではARAは102本認め、左右両側に認められたARAは6本あり、平均8.5±1.6本の分節動脈を認めた。

 分節動脈の血流速度測定中の血圧、心拍数や直腸温は、PaCO2の変化によるそれぞれの条件下で有意差はなかった。肋間動脈は、腰動脈に比し収縮期血流速度が速く(p<0.05)、S/D、PIやRIが高く(p<0.01)、腰動脈に比べて末梢血管抵抗が高いというドプラ波形を示した(Table1)。肋間・腰動脈は共に、HypercapniaよりもHypocapniaのほうが各血流速度(S、Peak-D、End-D、M)は速くかった(p<0.01)。Normocapniaを基準とした場合のPaCO2の変化に対する各血流速度及びS/D、PIとRIの変動は、ARA群とNonARA群間で肋間動脈および腰動脈に差はなかった。しかしSa/Daは、ARA群ではPaCO2の変化に対してnormocapniaとの変動がNonARA群よりも小さ傾向(p=0.06)にあった。

 肋間・腰動脈のARAの特徴は、PaCO2の変化に関わらずS/DやSa/DaがNonARAよりも有意に小さく(Figure 1と2)、拡張期成分に富んでおり末梢血管抵抗が低い事が示唆された。また、PaCO2の変化におけるARAの特徴は、Normocapniaの肋間動脈やHypercapniaの腰動脈では、S/Dの他にPIやRIで有意に低値(p<0.05)を認めた。

 S/DとSa/Daを指標とした、ARA同定のための臨床応用について検討した。臨床応用のための条件は、PaCO2の変化を最小限にし、かつ最終感度は80%以上で疑陽性率は50%未満と考える。S/DとSa/Daのそれぞれのカットオフ値をTable 2に示した。S/DとSa/Daのカットオフ値によるスクリーニング(Figure 3)をしてみると、S/Dの肋間動脈のカットオフ値は、Normocapnia下でS/D<3.5(感度96.5%、疑陽性率77.8%)となり、腰動脈ではS/D<2.8(感度91.2%、疑陽性率76.2%)となった。これらのS/Dカットオフ値でスクリーニング陽性となった分節動脈を、Sa/Daのカットオフ値<2.8(Hypocapniaの肋間動脈:感度85.5%・疑陽性率63.2%)と、Sa/Da<2.2(Hypocapniaの腰動脈:感度96.6%・疑陽性率56.3)を用いてスクリーニングした。すると、肋間動脈の最終的な感度は82.5%で疑陽性率は49.2%となり、腰動脈の最終的な感度は87.8%で疑陽性率は42.9%であった。

【結論】胸部下行及び胸腹部大動脈手術における分節動脈再建の質を向上させるため、分節動脈レベルにおける前根動脈の同定を目的とし、ドプラエコーの有用性について検討した。

 S/DやSa/Daを指標とすることで、前根動脈を同定できる可能性が示唆された。また、これらを指標としたスクリーニングを行なう事で、臨床応用できる可能性が示唆された。

 この研究は、胸腹部大動脈手術における対麻痺の発生率の低下に、貢献する事が出来ると思われる。

Table 1. Hypocapnia、Normocapnia、Hypercapniaの条件における肋間動脈と腰動脈の比較

*p<0.05:Intercostal arteries vs. Lumbar arteries **p<0.01:Intercostal arteries vs. Lumbarar arteries

S:最大収縮期血流速度、Peak-D:最大拡張期血流速度、End-D:拡張終期血流速度、M:平均血流速度、S/D:最大収縮期血流速度/最大拡張期血流速度、PI=Pulsatility index、RI:Resistive index

Figure 1. PaCO2の変化によるARAとNonARAのS/Dの変動

A)肋間動脈

*P<0.05

**P<0.01

B)腰動脈

Figure 2. PaCO2の変化によるARAとNonARAのSa/Daの変動

A)肋間動脈

*P<0.05

**P<0.01

B)腰動脈

Table 2.カットオフ値

A)肋間動脈のカットオフ値

1.S/D

2.Sa/Da

B)腰動脈

1.S/D

2.Sa/Da

Figure 3. ARA同定の一例

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、胸部下行および胸腹部大動脈疾患の術後対麻痺の発生頻度を減らすため、脊髄虚血に関わるARAを分枝する分節動脈だけを再建するために、ドプラエコーによる分節動脈再建の指標として前根動脈(ARA)の同定を試みたものである。その検討に対し、下記の結果を得ている。

1. ドプラエコーによるARA(NonARAと比較した場合)の特徴は、拡張期成分に富んでおり末梢血管抵抗が低いということが示された。それは、最大収縮期血流速度と最大拡張期血流速度の比(S/D)、systolic velocity area/diastolic velocity area(Sa/Da)、Pulsatility index(PI)やResistive index(RI)の指標から示された。

2. S/DやSa/Daを指標とすることで、前脊髄動脈と交通するARAを分岐する分節動脈を同定できる可能性が示唆され、それらの指標をスクリーニングとして用いる事で臨床応用の可能性も示唆された。

以上、本論文は分節動脈における臨床応用可能なドプラエコー測定によるARAの同定の可能性を明らかにした。本研究は、脊髄虚血に関わる分節動脈だけを再建する一つの指標として、胸部下行および胸腹部大動脈手術における脊髄保護に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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