学位論文要旨



No 122616
著者(漢字) 風間,義弘
著者(英字)
著者(カナ) カザマ,ヨシヒロ
標題(和) 大腸粘液癌における遺伝子異常の検討
標題(洋)
報告番号 122616
報告番号 甲22616
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2912号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 講師 吉田,晴彦
 東京大学 講師 野村,幸世
内容要旨 要旨を表示する

 大腸粘液癌は細胞外粘液が癌組織の50%以上を占める大腸癌と定義されており、全大腸癌の5〜15%を占めているといわれている。大腸癌は一般に、他の臓器の癌に比べ外科手術後の成績がよく、早期発見と適切な治療によって治癒が期待できる症例も多いと考えられているが、大腸粘液癌は浸潤傾向が強く、リンパ節転移をきたしやすく、他の大腸癌と比べて予後が悪いことが知られている。大腸粘液癌を解析し、悪性度に関与する因子を明らかにすれば、今後それらの因子を治療のターゲットにできる可能性があると考えられるが、これまで大腸粘液癌についての報告は少なく、報告されている検討においても、少ない症例数での臨床病理学的検討が主であり、遺伝子変化についての報告は少ない。

 大腸癌は多くの場合遺伝子異常を持ち、ゲノム不安定性(Genomic instability)を伴う。このGenomic instabilityには2通りの形態があることが知られている。Chromosomal instability(CIN)とMicrosatellite instability (MSI)である。

 Chromosomal instability(CIN)とはゲノムに起こる大きな変化であり、染色体間で転位や転座を起こしたり、一部が欠失したりするものから、染色体単位のlossやgain、すなわち染色体数の増減をきたすものまで存在する。そのため、CINにおいて特徴的にヘテロ接合性の消失(Loss of heterozygosity:LOH)が認められる。LOHとは、腫瘍組織で2本の相同染色体由来の遺伝子のうち一方が欠失状態をいうが、CINにおいてLOHの比率が上昇してくるといわれている。

 一方、Microsatellite instability (MSI)とは、ゲノム上に存在する1〜数塩基程度の短い繰り返し配列(マイクロサテライト)に欠失、増幅などの変化が起こることであり、原因としてミスマッチ修復遺伝子(hMLH1、hMSH2、hPMS1、hPMS2、hMSH6など)の異常がある。ミスマッチ遺伝子に異常が生じることにより、DNA複製時に誤って複製された塩基配列を、正しい塩基配列に修復することが出来ないことによる遺伝子異常の蓄積により癌が生じる。遺伝性非ポリポーシス大腸癌(HNPCC: hereditary nonpolyposis colorectal cancer)及び散発性大腸癌の15%がこの経路で癌化しているといわれている。

 大腸癌の発癌過程における遺伝子異常(genetic change)に関してはCIN及び MSIが報告されてきていたが、もうひとつの傍遺伝子異常(epigenetic change)も発癌において重要な役割を果たしていることが近年の研究で明らかになってきている。例えば、散発性大腸癌ではHNPCCとは異なりhMLH1、hMSH2などのミスマッチ修復遺伝子に変異はほとんど存在せず、そのMSIを来す機序としてhMLH1遺伝子のプロモーター領域のメチル化が示唆されている。プロモーター領域のメチル化とは、ヒトのゲノムに1%程度の割合で存在する、シトシン(C)とグアニン(G)の組み合わせ、CpGアイランドと呼ばれる300〜3000bpの配列があり、このシトシンがメチル化されることにより、MeCpなどのタンパクが誘導され、複合体を形成するためクロマチンの構造が変化し、転写因子が結合できなくなることによって、遺伝子の発現が低下することである。大腸癌では、hMLH1の他にp16、MGMT、APC、E-cadherinなど多数の遺伝子にプロモーター領域のメチル化が認められ、傍遺伝子異常である遺伝子メチル化が発癌過程に重要な役割を果たしていることが判明してきている。

 本研究では、大腸粘液癌の遺伝子異常を明らかにするために、CIN、MSI、さらにepigeneticな変化を検討した。東京大学医学部附属病院において1990年から2003年の間に手術を受けた大腸粘液癌39例を対象とした。

 まず、粘液癌がどれほどCIN、MSIの影響を受けているか調べるため、大腸高分化腺癌39例を対照とし、CIN、MSIの比率を比較した。CIN、MSIは腫瘍の壁深達度・部位と関連があるので、壁深達度・部位の完全に一致した大腸高分化腺癌を対照とした。CINの指標として大腸癌でしばしば認める4箇所のLOH(2p,5q,17p,18q)を検討した。MSIの指標として国際基準で定められている5マーカーを検討した。比較したところ、粘液癌の方が高分化腺癌よりも有意にMSI癌の比率が高く(p=0.0032)、有意にCIN癌の比率が低かった(p=0.0024)。また、粘液癌の部位において検討したところ、MSI癌は近位大腸において遠位大腸よりも有意に高頻度に認めた(p=0.042)。CIN癌は近位大腸において遠位大腸よりも頻度が低い傾向にあったが、有意差には到らなかった(p=0.11)。

 次にepigeneticな変化としてhMLH1遺伝子のプロモーター領域のメチル化を検討した。hMLH1遺伝子のプロモーター領域のメチル化は散発性一般大腸癌のMSIの原因として示唆されているが、大腸粘液癌についてはほとんど検討されてない。検討したところ、hMLH1遺伝子のプロモーター領域のメチル化は、有意にMSI癌において、CIN癌(p=0.0077)やその他の癌(p=0.0042)よりも高頻度に認めた。また、部位で比較したところ、有意に近位大腸の方が遠位大腸よりも高頻度に認めた(p=0.040)。

 さらに粘液癌に対するCIN、MSIの影響を調べるため、粘液癌におけるCIN・MSIと臨床病理学的因子及び予後との関係について検討した。粘液癌のCIN癌とMSI癌を比較したところ、臨床病理学的因子において有意差を認めたのは、年齢(p=0.018)、部位(p=0.0039)、リンパ節転移(p=0.027)、TNM病期(p=0.047)であった。有意差はないものの、CIN癌はMSI癌と比べてリンパ管侵襲・血管侵襲が高頻度である傾向にあった(p=0.16,p=0.083)。また、Kaplan-Meier法及びlog-rank testにより、有意差はないものの、CIN癌はMSI癌と比べて予後が悪い傾向を認めた(p=0.10)

 本研究の検討では、大腸粘液癌は、腫瘍部位・壁深達度の一致した大腸高分化腺癌と比べて、有意にMSI癌の頻度が高くCIN癌の頻度が低かった。これらより、大腸粘液癌の発癌過程は大腸高分化腺癌と比べるとMSIの関与が強く、CINの関与が弱いと考えられた。また、大腸粘液癌は有意に近位大腸においてMSI癌の頻度が高く、これより腫瘍部位によりGenomic instabilityの関与が異なる可能性があると考えられた。

 大腸粘液癌において、hMLH1遺伝子のプロモーター領域のメチル化はMSI癌にてCIN癌・その他の癌と比べて有意に高頻度に認められた。これより、hMLH1遺伝子のプロモーター領域のメチル化が、散発性一般大腸癌と同様に大腸粘液癌でもMSIの原因であると考えられた。

 粘液癌においてCIN癌とMSI癌を比較したところ、CIN癌はMSI癌よりも有意にリンパ節転移の頻度が高く、病期の進んだ癌が多かった。また、有意差には到らなかったが、CIN癌の方がMSI癌よりも予後が悪い傾向にあった。これらは、粘液癌においてCIN癌はMSI癌と比べて、悪性度が高く予後が悪い可能性を示していると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は全大腸癌の5〜15%を占めているといわれている大腸粘液癌の遺伝子異常を明らかにするため、ゲノム不安定性(Genomic instability)すなわちChromosomal instability(CIN)とMicrosatellite instability (MSI)、及びepigeneticな変化を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1. 大腸粘液癌は、腫瘍部位・壁深達度の一致した大腸高分化腺癌と比べて、有意にMSI癌の頻度が高くCIN癌の頻度が低かった。これらより、大腸粘液癌の発癌過程は大腸高分化腺癌と比べるとMSIの関与が強く、CINの関与が弱いと考えられた。また、大腸粘液癌は有意に近位大腸においてMSI癌の頻度が高く、これより腫瘍部位によりGenomic instabilityの関与が異なる可能性があると考えられた。

2. 大腸粘液癌において、hMLH1遺伝子のプロモーター領域のメチル化はMSI癌にてCIN癌・その他の癌と比べて有意に高頻度に認められた。これより、hMLH1遺伝子のプロモーター領域のメチル化が、散発性一般大腸癌と同様に大腸粘液癌でもMSIの原因であると考えられた。

3. 粘液癌においてCIN癌とMSI癌を比較したところ、CIN癌はMSI癌よりも有意にリンパ節転移の頻度が高く、病期の進んだ癌が多かった。また、有意差には到らなかったが、CIN癌の方がMSI癌よりも予後が悪い傾向にあった。これらは、粘液癌においてCIN癌はMSI癌と比べて、悪性度が高く予後が悪い可能性を示していると考えられた。

 以上、本論文はこれまで検討があまりなされていなかった大腸粘液癌の遺伝子異常を検討したものであり、臨床的に悪性度の高い大腸粘液癌の悪性度の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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