学位論文要旨



No 122625
著者(漢字) 縄田,寛
著者(英字)
著者(カナ) ナワタ,カン
標題(和) ブタ慢性心筋虚血モデルにおける、塩基性線維芽細胞増殖因子の冠状動脈内徐放投与による側副血行路増生についての検討
標題(洋)
報告番号 122625
報告番号 甲22625
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2921号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 平田,恭信
 東京大学 助教授 佐田,政隆
 東京大学 助教授 本村,昇
内容要旨 要旨を表示する

背景

 心臓外科・循環器内科領域に於いて虚血性心疾患は主要な治療対象の一つであり、外科的には冠動脈バイパス術が、内科的には経皮的冠動脈形成術が広く行われている。しかしながら、一部の患者では従来のアプローチでは虚血心筋への血行再建が困難な場合がある。そういった治療抵抗性の虚血性心疾患は拡張型心筋症様の虚血性心筋症へと推移し、心移植の適応にすらなりうる。しかし日本における移植医療の現状は特に心臓に関して非常に厳しい。この現状で、自らの虚血心筋への血流の回復、そしてその結果得られるであろう心機能改善をもたらしうるものとして、側副血行の発達を促す「血管再生治療」あるいは「治療的血管新生(therapeutic angiogenesis)」の概念が1990年代より活発化してきた。この「血管新生(angiogenesis)」は「血管が生えること」を広く意味するが、研究の発展から次の3つの用語がより厳密な表現として用いられる。すなわち、「vasculogenesis(脈管新生/血管発生/血管形成:血流中に血管の前駆細胞が存在し、その細胞が血管新生の場所に運ばれてその細胞が分化することで血管が新しく作られる過程)」、狭義の「angiogenesis(血管新生:血管が延びていく場所で、周囲の細胞が脱分化し、増殖して血管ができる過程)」、「arteriogenesis(動脈形成:内皮変化に加え、壁細胞の遊走とリモデリングを伴い、より成熟した血管が出来ること)」である。

 治療的血管新生に際しては、(1)投与する血管新生促成因子の種類、(2)それを投与する経路と期間の選定が大きな鍵を握る。投与する因子としてはarteriogenesisを促進し、かつangiogenesisを促進する能力を持つ塩基性線維芽細胞増殖因子(bFGF)が有力な候補としてあげられる。投与経路としては、「ドナー動脈」という概念が提唱されている。血管新生療法における虚血組織への豊富な血液供給を達成するためには、増生した側副血管は大きな容積と成熟した壁構造を持ち、血流と連絡がなくてはならないが、「ドナー動脈」とは、そうした十分な血流を有し、虚血組織の近傍に位置し、側副血行の発達をもたらす能力を有する血管を指し、投与の理想的なターゲットである。

 二宮らは、慢性虚血心筋に対する機能的な側副血行路増生のために、ブタ慢性心筋虚血モデルにおいてex vivo遺伝子導入を行って経冠動脈的にbFGFを投与し、側副血行発達効果を示した。すなわち、アデノウィルスにbFGF遺伝子を導入し、あらかじめ当該動物の皮下組織から採取し培養した自己線維芽細胞に同アデノウィルスを感染させた。これを経カテーテル的に冠動脈内投与し、4週間後の側副血行の発達を確認した。自己線維芽細胞が冠動脈内に捕捉され、bFGF遺伝子が発現してその生成物であるbFGFが冠動脈末梢に作用し、側副血行の発達を促したものと考えられた。しかしながらこの手法には、臨床応用にあたって(1)清潔操作による細胞培養の確実性、(2)アデノウィルスを感染させることの倫理的問題、(3)遺伝子発現の安定性、に関して問題を有していた。

 このため、本研究では近年の医用工学の発達から生み出されたドラッグデリバリーシステムの一手法として、酸性ゼラチンハイドロゲル(Acidic gelatin hydrogel:AGH)を用いた方法を採用することとした。このハイドロゲルを微粒子状にしたものが酸性ゼラチンハイドロゲルマイクロスフィア(Acidic gelatin hydrogel microsphere:AGHM)であり、このAGHMにbFGFを高濃度で染みこませ、これを標的部位に投与する方法をとった。組織内にとどまったり血管壁に捕捉されたりしたAGHMは、生体吸収性材料であるので、これが徐々に分解されるうちに、bFGFが緩徐に組織内に放出される。AGHMは清潔環境下での安定供給が可能で、生体吸収性であることから投与の際の倫理的問題はクリアされやすく、作成時の架橋を操作することで生体吸収速度を設定することが可能であるため徐放効果が安定している。

目的

 この研究は、慢性虚血心筋における機能的な側副血行路を発達させるための戦略として、AGHMを用いてピンポイントで持続的な薬物投与を行うこと、さらに経路として先述の「ドナー動脈」経由の投与方法の有効性を検証するものである。薬物としてbFGFを用いた蛋白治療の形を取り、ブタの慢性心筋虚血モデルを作成して行った。

方法

 平均29μmのAGHMを作成し、生体吸収期間を約14日に設定した。予め50μgのヒト遺伝子組換えbFGFを30μLのリン酸緩衝生理食塩水(PBS)に溶解して高濃度bFGF液を作成、これを1.5mgの乾燥AGHMに浸透させることにより、bFGF含浸AGHMを作成した。他方で、対照のAGHMとして、PBSのみを浸透させたものを作成した。これらのAGHMは生体内投与前にPBSを加え2.5mlの浮遊液とした。

プロトコルの初日(Day0)、体重27〜31kgのオスのLW×D家畜豚に対し、全身麻酔下に、左第3肋間より胸腔内に至り、心膜小切開、左冠動脈回旋枝根部に内径2.5mmの金属リングつきアメロイドコンストリクターを装着、留置する。またベースラインの心機能を評価するために心臓超音波検査を行った。22頭の豚に対してこの手技を施して左冠動脈回旋枝領域の慢性虚血モデルを作成し、14頭が耐術し、8頭がAGHMの投与前に死亡した。

28日後(Day28)、耐術した14頭の豚をランダムに7頭ずつに分け、一方の群をbFGF群、他方の群をControl群とした。カテーテルを右の総頚動脈から右冠動脈入口部へ挿入。

bFGF群の豚にはbFGF含浸AGHM浮遊液を、Control群の豚にはPBS含浸AGHM浮遊液を、右冠動脈内に緩徐注入した。血清CK-MBをAGHM注入直後と注入後24時間で測定し、一連の操作に起因する心筋傷害を評価した。

 AGHM投与前後の心機能、側副血行の発達、心筋血流量を評価するためにDay28およびDay56に心臓超音波、冠動脈造影、電気機械的マッピング(Electromechanical mapping:EMM、NOGA(TM)システム)を行った。Day56には染料マイクロスフィアを用いた左室心筋の組織血流量測定、および組織学的検討を行った。

 bFGF含浸AGHMの注入による影響の検証のため、3頭の健康な豚の左冠動脈前下行枝に緩徐にbFGF含浸AGHM2.5mlを注入した。心電図変化を検証し、1,3,5,7,10日後の血液サンプルから、ELISA法で血清bFGF濃度とCK-MBレベルを測定した。10日後に動物を安楽死させ、心筋組織を切除摘出した。パラフィンの横切標本をヘマトキシリン・エオジン染色し病理学的に検討した。P<0.05で統計学的有意差ありとした。

 全ての豚がAGHM浮遊液の注入後の28日間を生存し、2頭で一過性のST-T変化が観察されたものの重篤な合併症はみられなかった。

結果

 bFGF群とControl群とでアメロイドコンストリクター装着前の左室駆出率に有意差はなかった。Day28にあっても両群間の駆出率に有意差はなかった。これに対し、Day56ではbFGF群の駆出率はControl群の駆出率よりも有意に良好であった。

 bFGF群とControl群とでアメロイドコンストリクター装着前の左室後壁厚に有意差はなかった。Day28には両群ともDay0と比して有意に壁厚の減少を認めたが、群間の後壁厚に有意差はなかった。Day56ではbFGF群ではDay28に比して有意に壁厚が増加した。

冠動脈造影で左回旋枝の完全閉塞をAGHM投与前に確認した。Day56におけるRentrop scoreはbFGF群に於いてDay28のものよりも有意に高かった。しかし、Control群では、有意な上昇は見られなかった。

電気機械的マッピングデータ収集箇所の個数は66±16箇所であった。bFGF群では、部位ごとの検討で、Day28に比してDay56で心基部後壁のLLSが有意に高値であった。心基部側壁のLLSはDay56で高い傾向が見られた。左室壁全体での検討では、bFGF群において、Day28に比しDay56のLLSが有意に大きく、UpVに関しては有意差を認めなかった。一方、Control群においてLLSとUpVの両方で、Day28とDay56との間に有意差を認めなかった。

切除された左室心筋の重量はbFGF群とControl群とで有意差はなかった。虚血領域(左回旋枝領域)では、局所血流量はbFGF群ではControl群よりも有意に大きく、非虚血領域では、両群間に差はなかった。

 αSMAとvWFの二重染色によってarterioleはbFGF群で多い傾向にあり、venuleとcapillaryはbFGF群で有意に多かった。

 正常豚の左冠状動脈にbFGF含浸AGHMを投与したところ、経過を通じてCK-MBの血清レベルに有意な上昇は見られなかった。1日、10日後の心筋の組織では心筋に捕捉されたAGHMを認め、明らかな炎症細胞の浸潤や線維化はAGHMの周りには確認できない。

結論

 本研究ではbFGF含浸AGHMを豚の心筋虚血モデルのドナー動脈に注入することを通じ、bFGFの冠動脈内徐放投与の有効性を検証した。このAGHMは冠動脈内に注入して安全であったし、右冠動脈から左回旋枝領域への側副血行を有意に増加せしめ、虚血心筋の血液灌流と心機能回復をもたらした。この方法は臨床における難治性の虚血性心疾患に対する有望な方法論となりうると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、従来の外科的・内科的治療に抵抗性の重症虚血性心疾患に対する新たな選択として近年注目されてきている血管再生医療の一手法として、酸性ゼラチンハイドロゲルマイクロスフィアを用いた塩基性線維芽細胞増殖因子の徐放投与の効果を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.平均直径29μmの酸性ゼラチンハイドロゲルマイクロスフィアに塩基性線維芽細胞増殖因子を含浸させたものをブタ慢性心筋虚血モデル(左回旋枝領域に虚血誘導)の右冠状動脈に投与し、28日後に左室駆出率の増加、左室後壁厚の増大、NOGA(TM)を用いて測定した左室後壁心基部寄り部位の壁運動の増大を証明した。また、冠状動脈造影における側副血行スコアにおいても有意な増加を示した。

2.塩基性線維芽細胞増殖因子を含浸させて酸性ゼラチンハイドロゲルマイクロスフィアを投与した治療群では、リン酸緩衝生理食塩水のみを含浸させて同マイクロスフィアを投与した対照群よりも治療から28日後の左回旋枝領域の組織血流量が増加しており、また左回旋枝領域の微小血管密度も前者の方が高い傾向にあることを示した。

3.塩基性線維芽細胞増殖因子を含浸させた酸性ゼラチンハイドロゲルマイクロスフィアを健常ブタの左冠動脈に投与したところ、投与直後の心電図変化は軽微であり、ST-T変化を示した個体に於いても5分後にはベースラインに復帰した。また血清CK-MB濃度の有意な上昇は認められなかった。血中塩基性線維芽細胞増殖因子濃度は、マイクロスフィア注入後3日目に高値の傾向を示したが、その後5日目から10日目までは投与前の濃度と同等であった。組織学的評価によって、局所に捕捉されたマイクロスフィアの周囲の線維化や炎症細胞集簇の所見は認められなかった。従って、同マイクロスフィアの冠状動脈内投与による有害事象は軽微であると考えられた。

 以上、本論文はブタ慢性心筋虚血モデル(左回旋枝領域)に対する塩基性線維芽細胞増殖因子含浸酸性ゼラチンハイドロゲルマイクロスフィアの右冠状動脈内投与がもたらす左室壁運動・側副血行増生効果を明らかにした。本研究は従来の治療に抵抗性の重症虚血性心疾患に対する有効な側副血行路増生のための治療法の一つとして有用な選択肢を提供すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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