学位論文要旨



No 122630
著者(漢字) 山田,大介
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,ダイスケ
標題(和) 泌尿生殖器腫瘍並びに精子形成におけるがん抑制遺伝子4.1B及びTSLC1の分子学的機構の解明
標題(洋)
報告番号 122630
報告番号 甲22630
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2926号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 武内,功
 東京大学 講師 関,常司
 東京大学 講師 朝蔭,孝宏
内容要旨 要旨を表示する

 がん抑制遺伝子は構造異常や発現欠如等によって正常の働きが失われたときにがん化を起こす遺伝子である。がん抑制遺伝子TSLC1(Tumor Suppressor in Lung Cancer 1)は肺がん細胞A549のヌードマウス皮下での腫瘍原性抑制効果を指標に同定された。三つの免疫グロブリン様ループを細胞外領域にもつ1回膜貫通型蛋白質をコードする。細胞内領域には4.1結合モチーフとPDZ結合モチーフが存在し、アクチン結合性蛋白質4.1Bや、CASK、MPP3等と結合する。TSLC1は、これらの結合蛋白質を介してアクチン、スペクトリンに連結し細胞骨格、細胞運動、極性制御に関わると考えられる。

 TSLC1の細胞内領域に結合するがん抑制遺伝子4.1Bは正常肺と肺がんから抽出したRNAを比較し、正常肺で発現が認められるが、肺がんで発現が低下している遺伝子として同定された。肺がんや乳がんの細胞株に4.1Bの発現を回復させると、増殖が抑制されると報告されている。

 泌尿生殖器におけるがん抑制遺伝子4.1B及びTSLC1の分子学的機構を解明するために、泌尿生殖器の代表的ながん(腎がん、膀胱がん、前立腺がん、精巣腫瘍)における発現を解析した。手術以外に有効な治療法のない腎がんで発現欠如が多く認められる4.1Bに注目し、その発現欠如機構と腎がんの臨床病理学的特徴とを検討した(1)。さらに、TSLC1の分子学的機構を明らかにするために、マウスTslc1を欠如したノックアウトマウス(Tslc1(-/-)マウス)を作成した。12月齢以上のTslc1(-/-)マウス8匹に明らかな自然発生腫瘍による死亡は現在のところ観察されていないが、雄性不妊を示したのでTslc1欠損による雄性不妊発生機序を解析した(2)。

1.腎淡明細胞がんにおけるがん抑制遺伝子4.1Bプロモーター領域のメチル化の検討

 腎がんはがん全体の約2%を占め、自覚症状なく転移している症例が多い。転移した腎がんは化学療法、放射線療法を含めいかなる治療にも抵抗性であり腎淡明細胞がんの形成、進行に関わる分子機構の解明が、治療抵抗性を克服する重要な課題であると考えられる。

 腎淡明細胞がんにおける4.1Bの役割を明らかにするために、腎淡明細胞がん症例55例と腎がん細胞株19例を解析した。逆転写酵素PCR解析で、正常腎において4.1BのRNAが相当量発現しているのに対し、腎がん細胞株においては19例中10例(53%)、腎淡明細胞がん手術例では19例中12例(63%)で発現欠如または低下が認められ、4.1Bが腎臓がんにおける不活化の対象になっていると考えられた。

 4.1B発現欠如の原因となる分子機構を明らかにするために腎がん細胞株における4.1Bプロモーター領域のメチル化について検討した。腎がん細胞株19例中9例(47%)並びに、手術摘出腎淡明細胞がん55例中25例(45%)に高メチル化が認められ、腎淡明細胞がんにおける4.1Bの発現欠損はメチル化が主な原因と考えられた。また、腎がんにおける4.1Bプロモーター領域のメチル化は4.1Bの発現欠如とそれぞれ強く相関した(P=0.0004、P=0.0063)。

 正常腎の免疫組織染色において4.1B蛋白質は、腎淡明細胞がんの発生母地として考えられている近位尿細管に認められた。細胞内の局在は細胞膜の底側面で、4.1Bは膜裏打ち蛋白質として機能していると考えられた。4.1B蛋白質は腎淡明細胞がん手術検体20例中9例(45%)で細胞膜に発現し、その9例中8例(89%)の4.1Bプロモーター領域は非メチル化であった。一方、4.1B蛋白質の発現のない6例(30%)の4.1Bプロモーターは全て高メチル化を示した。4.1B蛋白質の発現も4.1Bプロモーター領域のメチル化と強く相関した(P=0.0040)。また、残りの5例(25%)は4.1B蛋白質の発現が認められるものの、細胞膜ではなく細胞質に弱い発現を示し、膜裏打ち蛋白質としての機能が損なわれていると考えられた。このような症例も含め、4.1B蛋白質は腎淡明細胞がん20例中11例(55%)に発現異常を示した。

 腎淡明細胞がんにおける4.1Bの高メチル化にどのような臨床病理学的特徴があるのか臨床病期分類、TNM分類、核異型度を用いて検討した。臨床病期分類間でも、T分類間でもメチル化の頻度に差は認められなかったが、核異型度が高い腫瘍ほどメチル化が多く認められた(P=0.0017)。また、4.1Bプロモーター領域に高メチル化のある腎淡明細胞がん症例は、非メチル化の症例に比べ有意に無再発生存期間が短かく(P=0.0036)、多変量解析にて4.1Bのメチル化は腎淡明細胞がん完全切除術後の再発に関し独立した予後因子であった (P=0.038、相対危険率10.5)。したがって、4.1Bのメチル化は手術後の再発の予後因子となり、術後追加療法の是非を決定する判断材料のひとつになりえると考えられた。この研究で、4.1Bプロモーター領域の高メチル化が腎淡明細胞がんの形成に関わっていることを初めて報告したと共に、腎淡明細胞がん完全切除後の再発転移に関する新しい独立した予後因子となりうることを報告した。

2.免疫グロブリン様接着分子TSLC1欠損マウスにおける精細胞接着障害と雄性不妊

 不妊症は成人男性の5%に認められるが、75%は特発性に区分され詳細な診断、治療のために分子機構の解明が急務であると考えられている。近年、遺伝子欠損マウスの解析により現在まで80以上の遺伝子が不妊にかかわると報告されており、このうちの70%の遺伝子が精細胞の異常に関わっている。

 免疫グロブリン様接着分子TSLC1は、細胞と細胞の接着に関わっている。マウスTslc1遺伝子はヒトTSLC1遺伝子とアミノ酸の配列で97%相同しており進化の過程でTSLC1遺伝子は重要な働きをしていると考えられている。本論文ではTslc1遺伝子欠損(Tslc1(-/-))マウスの解析結果を報告する。

 逆転写酵素PCRによりTslc1(-/-)マウスにTslc1転写産物がないことを確認し、ウエスタンブロッティングによりTslc1蛋白質がないことを確認した。Tslc1+/-マウス及びTslc1(-/-)マウスは正常に出生し外見上、正常に発育したように見えたが、Tslc1(-/-)マウスは雄性不妊を示した。Tslc1(-/-)マウスの精巣はTslc1(+/+)マウスに比べ、25週齢で29%重量が減少していたが、精巣上体、精嚢を含む他の主要臓器の外見、重量及び血清テストステロン値に有意な差は認められなかった。精巣上体及び精管から得られた精液において、16週齢のTslc1(+/+)マウス精液は精子で満たされているのに対し、Tslc1(-/-)マウス精液は変性した円形の細胞で満たされていた。免疫組織染色にて、Tslc1蛋白質はTslc1(+/+)マウス精巣の精細管に存在し、ライディヒ細胞を含む間質には認められなかった。Tslc1((+/+))マウス精巣における詳細なTslc1蛋白質局在を精細胞分化過程の観点からみると、精細管での発現は2相性に分かれ、1相目は精祖細胞中間タイプから早期パキテン期精母細胞まで、2相目はステップ7の精子細胞から、ステップ16の精子細胞の遺残体まで発現する。

 2週齢のTslc1(-/-)マウス精巣では異常は認められなかったが、5週齢では円形精子細胞が腔内に滑脱し、多核巨細胞が出現、8週齢になると精細管基底部に空胞が出現、11週齢では空胞が増加し、精巣重量もTslc1(+/+)マウスに比べ有意に減少した。電子顕微鏡観察では、Tslc1(-/-)マウスのステップ5精子細胞に異常は認められないが、ステップ7、8の精子細胞はセルトリ細胞から滑脱し、細胞質に空胞が多く認められた。さらに、Tslc1(-/-)マウスの精巣では有意にTUNEL陽性の精細管、細胞共に増加しており、精子細胞の滑脱にアポトーシスが関与していることが明らかになった。

 この研究でTSLC1が精子形成に必須であることが示された。上述した結果よりTslc1(-/-)雄マウスの精子形成障害は、精母細胞から精子細胞への成熟遅延、アポトーシスを伴うステップ7から9の精子細胞及び精母細胞の精細管上皮からの滑脱、ステップ10以降の精子細胞の成熟障害であり、この結果Tslc1(-/-)マウスの精液には正常精子がほとんど認められず不妊になると結論付けた。また、Tslc1(-/-)マウスでは多核巨細胞や複数の尾をもった精子が認められ、精子細胞間の細胞間橋の破壊が示唆された。これらの結果からTSLC1は精細胞-精細胞間、精細胞-セルトリ細胞間の接着に必須の働きをしていると考えられた。

 TSLC1は元来、肺のがん抑制遺伝子として同定された遺伝子であるが、現在まで12月齢以上のTslc1(-/-)マウス8匹には自然発生腫瘍による死亡は観察されていない。TSLC1のがん抑制遺伝子としての機能を調べるためには、発がん実験や他の高発がん性マウスとの交配実験など更なる研究が必要であると考えられた。Tslc1(-/-)マウスにおける精子形成障害の病態はヒト男性不妊症の原因のひとつであるmature arrestの病態とよく一致し、TSLC1の欠損はヒト不妊症の原因となっている可能性が十分に考えられる。ヒト不妊症の治療は倫理面や子孫伝達への恐れから敬遠され人工授精に頼りがちであるが、一つ一つの病態を把握し、その原因を治すことこそが治療の第一歩であり、肉体的、精神的苦痛を軽減する最善の治療方法であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は泌尿生殖器腫瘍並びに精子形成におけるがん抑制遺伝子4.1B及びTSLC1の分子学的機構を解明するために腎がん、膀胱がん、前立腺がん、精巣腫瘍における4.1B及びTSLC1の発現を解析し、手術以外に有効な治療法のない腎がんで発現欠如が多く認められた4.1Bに注目し、その発現欠如の機構と臨床病理学的特徴を解明した。さらにTSLC1の分子学的機構を明らかにするために、マウスTslc1欠損マウスを作成しその精子形成障害を解析することにより下記の結果を得ている。

1. 4.1Bプロモーター領域のメチル化は腎淡明細胞がん手術検体55例中25例(44.5%)に認められた。

2. 4.1Bの発現欠如はプロモーター領域のメチル化と強く相関した(p<0.0001)。

3. 4.1Bのメチル化はグレードの高い腎淡明細胞がんに多く認められた(P=0.0092)。

4. 4.1Bのメチル化のある腎淡明細胞がん症例は、メチル化のない症例に比べ有意に無再発生存期間が短かった(P=0.0036)。

5. 4.1Bのメチル化は腎癌の再発に関し、独立した予後因子であり(p=0.036)、相対危険率は10.5と高い値を示した。

6. 4.1Bのメチル化は術後追加療法の是非を決定する判断材料のひとつになりえると考えられた。

7. エクソン1を破壊した、Tslc1(-/-)マウスを作製した。

8. Tslc1(-/-)マウスは雄性不妊を示した。

9. Tslc1(-/-)マウスの精子数は野生型の10万分の1であった。

10. Tslc1(-/-)マウスの精巣重量は野生型の70%であった。

11. Tslc1(-/-)マウスの精巣ではステージVIIからIXにおいて精子細胞がセルトリ細胞に接着できず、精細管腔内に滑脱した。

12. Tslc1(-/-)マウスの精子細胞滑脱にはアポトーシスが関与していた。

13. Tslc1(-/-)マウスの精巣では精母細胞成熟遅延が認められた。

14. Tslc1(-/-)マウスのセルトリ細胞では多くの食胞が認められるがセルトリーセルトリ結合は保たれていた。

15. TSLC1は生殖細胞の接着と分化に必須であると考えられた。

16. Tslc1(-/-)マウスの精子形成障害はヒトにおけるmature arrestの病態と一致しTSLC1の発現回復がヒト不妊症の治療につながると考えられた。

 以上、本論文は腎淡明細胞がんに関わる新たな因子4.1Bを解明し、現在でも治療困難な腎がんの術後再発に対し貢献をなすと考えられる。さらに精巣においてはTSLC1の分子学的機構を解明し、今まで未知に等しかった雄性不妊の原因解明に重要な貢献をなし、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク