学位論文要旨



No 122635
著者(漢字) 河合,薫
著者(英字)
著者(カナ) カワイ,カオル
標題(和) Webによる心理的well-being向上プログラムの有効性に関する研究 : プロセス評価とアウトカム評価
標題(洋)
報告番号 122635
報告番号 甲22635
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2931号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 教授 菅田,勝也
 東京大学 助教授 佐々木,司
 東京大学 助教授 今村,知明
 東京大学 講師 宮本,有紀
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緒言

 労働者個人を対象にしたストレスマネジメントプログラムは、一般にストレスに対処するための能力向上を目的としたもので、最近ではWorld Wide Web(以下Webと略す)によるプログラムへの関心が高まっている。効果的にストレスマネジメントプログラムを実施するには、アウトカム評価だけでなく、その実施過程で存在するプロセス要素を確かめるためのプロセス評価を行い、実施上の失敗から起こる第3の過誤を防ぐことが重要である。特に重要視されているのがプログラムアウトカム変化をもたらす因果関連の最初のステップを示す媒介変数で、これは、プログラム効果のメカニズムを解明するうえで欠かせない要因である。加えて、基本属性や介入前のストレスレベルの違いがプログラム効果に影響するかどうか(調整変数)を検討することも重要である。また、アウトカム評価を行う際には無作為化フィールド実験法を用い、実践での提供方法を考慮してリクルーティングを行い、プロセス評価で明らかになった調整変数、つまりはプログラム効果が異なるサブグループによる介入の効果を検討することは有用である。そこで、本研究では河合らが開発した、Webを利用した心理的well-being向上プログラムの有効性を、一般の労働者を対象に、

 目的1.プログラムが計画どおりに実施されているかを明らかにする(fidelity)。

 目的2.基本属性、介入前のストレスレベル、およびプログラムの自己評価は心理的well-being(プライマリーアウトカム)と抑うつ(セカンダリーアウトカム)へどのように影響するのかを明らかにする(プログラムメカニズム)。

 目的3.プログラム効果をコントロール群との比較、介入プログラムの違い、基本属性の影響、およびリクルーティングの違いから検討する(アウトカムアセスメント)。

 以上3点を明らかにすることで、包括的に評価することを目的とした。尚、本論文は研究I(プロセス評価)と研究II(アウトカム評価)の2部で構成し、目的1と2は研究Iで、目的3は研究IIで検討した。

 方法

1) 介入プログラム

 本研究のプログラムはRyff(1989)により提唱された人間のポジティブな心理的機能としての心理的well-being(人格的成長、人生における目的、自律性、自己受容、環境制御、積極的な他者関係)の向上を目的とした。プログラムはステップ1-4の4部構成で、受講者がサーバーにアクセスし、割り当てられたID・パスワードを入力することで自由に受講が可能である。各ステップの所要時間は20分程度、受講者のペースで2週間以内にすべてのステップを受講してもらった。

2) 介入手順および対象

 pre-postデザインを用い、pre-テストは調査協力に承諾し登録した直後、post-テストはプログラム終了後(コントロール群は2週間の待機後)、フォローアップはプログラム終了一ヵ月後に実施した。介入群はステップ1-4まで受講する群(介入群A、A')とステップ1-3までを受講する群(介入群B、B')の2つを設けた。リクルーティングはビジネス雑誌Pの紙面・HP・メールマガジンで行う方法と、機縁法の2つをとった。研究への参加に同意した対象者は無作為割付にてPルートは介入群A 252名、介入群B 251名、コントロール群254名に、機縁ルートは介入群A' 143名、介入群B' 143名に振り分けた。研究IではPルートの介入群Aのうちpre-テストに最後まで回答した239名を、研究IIではpost-テストまで回答したPルートの介入群A 121名、介入群B 121名、コントロール群88名、および機縁ルートの介入群A'68名、介入群B'71名を分析対象とした。

3) 測定項目

 pre-、post-テストでは心理的well-being尺度邦訳版43項目(プライマリーアウトカム)とCES-D13項目版(セカンダリーアウトカム)を測定した。プログラムの自己評価には役立ち感、楽しんだ感、行動への意欲、自己効力感の4変数を用い、各ステップの最後に受講者に回答してもらった。

4) 分析方法

 研究Iではプログラムの自己評価とアウトカムの関連の検討に介入前の心理的well-beingで制御した偏相関分析と共分散分析を、因果関係の検討にはパス解析を用いた。研究IIでは心理的well-beingの変化量(介入後―介入前)を従属変数とした共分散分析と、心理的well-being変化量とCES-D変化量の関連をPearsonの積率相関係数を用いて検討した。エフェクトサイズ(ES)の検討には標準化平均差エフェクトサイズ統計を用いた。尚、研究I・II共に、独立した母集団の平均値の統計学的検定は、用いる変数が2値の場合にはχ2検定、連続変数にはMann-WhitneyのU検定にて行った。また、介入前後のアウトカムの比較は対応のあるt検定にて行った。

結果

1) 研究I

 Pre-テストのみ回答しプログラム受講に至らなかった71名のCES-D得点は、プログラムをスタートした168名より有意に高く、ステップ1のドロップアウト群も継続群より有意に高いことが示された。各ステップの自己評価はすべての項目で平均3.5点(range=1-5)以上で、肯定的に評価した者ほど心理的 well-beingが向上し、その関連性はステップを追うごとに緩やかになる傾向にあった。また、肯定群と非肯定群を要因変数とした共分散分析の結果、楽しんだ感 はステップ1で、自己効力感 はすべてのステップで有意に高かった。さらにパス解析の結果、介入前の心理的well-beingの高い者ほど、プログラムを肯定的に評価する傾向にあった。また、介入前の心理的 well-beingの低い者ほど心理的 well-beingが向上していた。プログラムの自己評価は心理的well-being変化量を直接的に予測し、抑うつは心理的well-beingを介して改善していた。

2) 研究II

 介入群A、B共に介入後の得点が有意に上昇し(t検定)、介入群Aのみコントロール群との間で統計的に有意な差が認められ(ANCOVA)、ESは心理的 well-being 0.34、人格的成長 0.41、人生における目的、自律性、自己受容、環境制御0.20-0.24、積極的な他者関係0.03だった。尚、一ヵ月後のフォローアップまでプログラム効果は維持されていた。CES-Dは介入群A、Bともに介入による有意な効果は認められなかったが、心理的well-beingが向上しているものほど抑うつが改善していた。心理的well-being低群のESは0.52、高群では0.16と両群とも介入による効果が認められた。機縁ルートの対象者の介入後の心理的 well-beingは、介入群A'、B'共に有意に上昇していた。

 考察

1) 研究I

 Webを利用したプログラムでは受講者の学習意欲を持続させる魅力的なプログラムであることが必要だが、肯定的に評価する対象者が6割以上に達し、ドロップアウト群とプログラムの自己評価に有意な差が認められなかったことから、本プログラムはその条件を満たしていると考えられた。pre-テストおよびステップ1でドロップアウトした対象者の抑うつが有意に高く、抑うつ状態にある者は受講意欲が低下しやすい可能性が示唆された。また、プログラムを肯定的に評価する者ほどプログラム効果が高く、最初のステップで楽しいと評価され、自己効力感を高められるプログラムであることの重要性が示唆された。加えて、プログラムの自己評価は心理的well-being変化量を予測し、アウトカムの媒介変数であることが確かめられた。心理的 well-being変化量からCES-D変化量 へのパスが有意であったことから、介入により抑うつが改善される可能性が示唆された。

2) 研究II

 介入群Aで介入による効果が確かめられ、'ノーマル'な一般労働者に本プログラムが有効であることが示された。人格的成長 で共分散分析・ESともに有意な結果が得られ、本プログラムが人格的成長 に効果の高いプログラムであることが明らかになった。介入群Bではコントロール群と有意な差が認められず、ESも0.17と小さいものだったことから、ステップ4をプログラムに取り入れることの有効性が示唆された。また、心理的well-being変化量とCES-D変化量の間に有意な関連が介入群のみで認められ、介入により抑うつが改善傾向に向かうことが確かめられた。さらに、本プログラムが心理的well-beingの低い者に、より効果的であることが明らかになったが、高群においても小さいながら効果が認められた。また、機縁ルートの対象者の心理的 well-beingが有意に上昇していたことは、本プログラムの効果の広がりを示唆する結果である。

3) 実践への示唆

 本研究の結果から、Webを利用したストレスマネジメントプログラムが従業員のメンタルヘルスケアの取り組みを促す第一歩となることが示唆された。本プログラムはひとつのステップが20分程度で構成され、すべてを受講しても1時間強で、多忙な労働者でも気軽に受講できる。さらに、プログラムの自己評価がアウトカムに影響する重要な要因で、受講者が楽しいと感じ、自分でもできると自己効力感を高められるプログラム開発が有用であることが示唆された。しかしながら、今回のサンプルはホワイトカラーの比較的小規模な集団で、ビジネス雑誌を講読している仕事への意欲が比較的高い集団である可能性があるため、今後は大規模な集団を対象にプログラム評価を行い、より一般化した知見につなげることが望ましい。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はWebによる心理的well-being向上プログラム(4つのステップで構成、所要時間各15〜20分程度)の有効性を評価するために、はじめに 1)計画どおりに実施されているか、2)基本属性、介入前のストレスレベル、およびプログラムの自己評価は心理的well-being(プライマリーアウトカム)と抑うつ(セカンダリーアウトカム)へどのように影響するのかの2点を検討することでプログラム実施のプロセスを明らかにし(プロセス評価)、続いて、プログラムの介入効果の検討を行った(アウトカム評価)。主たる結果は以下のとおりである。

1. Pre-テストのみ回答しプログラム受講に至らなかった71名のCES-D得点(13項目版:range=0-39)は13.2±9.7点で、プログラムをスタートした168名の10.3±8.3点より有意に高かった。同様に、ステップ1でドロップアウトした28名のCES-D得点13.1±8.9で、継続群の9.7±8.1点より有意に高く、抑うつにある対象者がドロップアウトしやすい傾向にあることが示された。

2. 指定された2週間以内でプログラムを最後まで受講したのは126名で、プログラム受講をスタートしたうちの25%がドロップアウトした。また、126名中83.3%が10日未満で受講を終了し、6-9日かけて受講した対象者が最も多く34.9%だった。尚、所要日数による介入効果の違いは認められなかった。

3. プログラムから理論的に期待される「役立った感、楽しんだ感、行動への意欲、自己効力感」の改善があったかを、受講者が各ステップ受講後自己評価を行った結果、すべての項目で平均3.5点(range=1-5)以上だった。また、肯定的なプログラムの自己評価と介入後の心理的 well-beingの変化量には正の相関が認められ、その関連性はステップを追うごとに緩やかになる傾向にあった。

4. プログラムの自己評価の肯定群と非肯定群を要因変数とした共分散分析の結果、楽しんだ感 はステップ1で、自己効力感 はすべてのステップで、肯定的に評価していたものほど、心理的well-beingが統計的に有意に向上していることが明らかになった。具体的には、プログラムの最初のステップで受講者が楽しいと感じ、プログラムがストレス対処能力を高めるのに役立つと評価し、受講するうちにストレスに対処する能力を高めたい、あるいは高めることができると自己効力感が高められるプログラムが有効であることが示唆された。

5. プログラム効果がもたらされるメカニズムを検討するためにパス解析を行った結果、プログラムの自己評価は介入による心理的well-beingの変化量を直接的に予測し、抑うつは心理的well-beingを介して改善していた。従って、プログラムの自己評価がプログラムアウトカムの媒介変数であることが確かめられた。さらに、介入前の心理的 well-beingの低い者ほど心理的 well-beingが向上しており、介入前の心理的well-beingがアウトカムの調整変数であることが示された。

6. アウトカム評価を行った結果、すべてのステップ(1-4)を受講した介入群A、および、ステップ1-3までを受講した介入群B共に介入後の得点が有意に上昇したが(t検定)、コントロール群との比較で有意な差が認められたのは介入群Aだけだった(ANCOVA)。従って、本プログラムがステップ1-4すべてを受講した場合に有意な効果がもたらされることが明らかになった。尚、プログラム効果は一ヵ月後のフォローアップまで維持されていた。

7. CES-Dは介入群A、Bともに介入による有意な変化は認められなかったが、心理的well-beingが向上しているものほど抑うつが改善しており、本プログラムの受講により抑うつが改善される傾向にあることが示された。

8. 介入前の心理的well-beingの高・低群別にアウトカム評価を行った結果、低群のESは0.52で、高群の0.16よりも高かった。また、機縁法にてリクルーティングをおこなった異なる対象者では介入後の心理的 well-beingが有意に上昇し、プログラム効果の広がりが示された。

 以上、本論文はプログラム実施のプロセス評価とプログラムのアウトカム評価から、Webによる心理的well-being向上プログラムの有効性を評価し、本プログラムが労働者のメンタルヘルスケアのツールとして有効である可能性が示唆された。本研究はこれまで介入例が少なかった一般の労働者を対象としたWebを用いたストレスマネジメントプログラムの有効性をプログラム実施のプロセスも含め評価しており、今後の発展と実用化のための重要なエビデンスを得た意義ある研究であったと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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