学位論文要旨



No 122642
著者(漢字) 有本,梓
著者(英字)
著者(カナ) アリモト,アズサ
標題(和) 複数の専門職・地域住民と協力して個別支援を行う行政保健師の専門技術の明確化 : 児童虐待予防の支援事例に焦点をあてて
標題(洋)
報告番号 122642
報告番号 甲22642
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2938号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 助教授 上別府,圭子
 東京大学 助教授 山崎,喜比古
内容要旨 要旨を表示する

I.緒言

 児童虐待(以下、虐待とする)は非常に多くの問題が複雑に絡まっているため、単一の機関だけで対応するには限界があり、機関連携が不可欠である。行政保健師は、母子保健事業を通じて児童虐待の早期発見・早期対応、再発防止等の虐待予防において、重要な役割を担うことが期待されている。しかも、虐待事例への個別支援は、所属や経験に関係なく多くの保健師にとって今後も力をつける必要があると考えられている支援技術である。関係機関との協力体制の確立も未だ課題として残っており、多機関の専門職や地域住民と協力する能力も同時に求められている。

 本研究は、保健師が児童虐待予防の観点で個別支援を行った事例に着目し、保健師がどのように複数の関係職種・地域住民と協力して、個別支援を行ったのかという実践を記述することにより、保健師の専門技術を明確化することを目的とした。

II.研究方法

1. 研究デザイン

 研究デザインはGrounded theory approachによる質的記述的研究とした。

2.研究対象および選定方法

 1) インタビュー対象者の条件と選定

 首都圏1都4県の市区町(政令指定都市、特別区を含む)または都県に勤務し、行政保健師経験を3年以上有しており、過去10年以内に、後述の条件を満たす母親を1人以上支援した経験があることを条件にインタビュー対象者を理論的サンプリングにより選定した。20市区町および2都県保健所から各自治体1-3名、計31名の保健師が研究協力者となった。

 2) 支援事例の条件と選定

 支援事例の選定条件は、(1) 行政で行う母子保健事業の主な対象年代である0-6才の子どもとその母親・家族、(2) 児童虐待予防の観点で様々な問題があり個別支援が必要だった、(3) 保健師と他の機関1ケ所以上の専門職または地域住民が協力により支援された、(4) 協力により、なんらかの状況改善や問題解決があった、とした。31名の保健師から計31事例が選定された。

3.データ収集

 データ収集方法は、保健師に対する研究者自身による半構造化面接とした。インタビューガイドを用い、保健師が支援した1事例について、支援のきっかけから支援が終了するまでの経過、本人や家族への支援内容、他機関の専門職や地域住民と協力した場面での保健師の判断と行動等をたずねた。補足的に、保健師及び支援対象者、協力した専門職や地域住民、自治体の情報を調査票により収集した。インタビュー内容は、保健師の同意を得て録音した。自治体の情報は統計資料等でも収集した。調査期間は2005年7月30日から2006年7月20日までであった。

4. 倫理的配慮

 本研究は、東京大学医学部・医学系研究科倫理審査委員会の承認を得て行った。自治体へは首長や保健師の上司等へ依頼状を送付し同意を得た。研究協力者へは、倫理的配慮について説明し、書面により同意を得た。プライバシー保護のため、データの匿名化と管理に留意した。調査者は支援事例に関する記録を閲覧しなかった。

5. 分析方法

 保健師による支援の文脈を理解することと実践で活用可能な理論を生み出すことを重視し、修正版(Modified)Grounded theory approach、M-GTAを用いて分析した。データの文脈を考慮しつつ継続的に比較を行い、概念を生成した。継続的にデータや概念の比較分析を繰り返しながら、複数の概念から成るカテゴリを生成した。カテゴリ間の関係性を検討し、カテゴリを収束し精緻化しながら、サブカテゴリ、カテゴリを決め、全体像を統合していった。

III.結果

1.  保健師および支援事例・協力した専門職・地域住民の概要

 保健師31名は全て女性であり、平均年齢38.9±7.6才(範囲25-62才)だった。平均保健師経験年数は14.4±7.3年(範囲3-36年)であった。

 保健師が支援した母親は20代・30代が23名(74.2%)であった。支援開始時の末子の年齢は3歳未満が29名と多く、16名(51.6%)は0才だった。虐待の種類は、ネグレクト21名(61.7%)、身体的虐待10名(32.3%)だった。平均支援期間は26.2±19.5ヶ月(範囲1-63ヶ月)だった。保健師は、児童福祉司、保育園の保育士、自治体児童福祉部署、精神科・産婦人科・小児科等の医師・看護師、医療ソーシャルワーカー等多分野の専門職と、民生委員・主任児童委員や近隣住民等と協力していた。

2.保健師が複数の関係者と協力して行う個別支援の全体構造

 '保健師が複数の関係者と協力して行う個別支援'を示すカテゴリとして、《家族の全体像を多面的に見極める》、《家族と地域のつながりをつくる》、《地域で子育てをわかちあう》、《地域のつながりを維持する》の4カテゴリ(8サブカテゴリ、24概念)が抽出された。子どもとその母親・父親、祖父母、おじ・おば等の同居・別居を問わない血縁関係のある人々(以下、家族とする)へ働きかける支援と、家族を支える関係職種・地域住民(以下、関係者とする)へ働きかける支援が並行して行われていた。以下では、カテゴリを《 》、サブカテゴリを〈 〉で示す。

 保健師は最初にかかわる時から漠然と危機感を感じていた。しかし、対処が必要な問題の背景はわからず、最初の対応方針を決めるために、《家族の全体像を多面的に見極める》ことを行っていた。保健師は自ら得た情報に基づいて〈家族の育児能力を見極める〉ことを行いながら、関係者とともに〈問題を整理し何の支援が必要かを見極める〉ことを行っていた。この時点では、家族の育児能力は低い状態にあり、家族のことを知っている関係者は少ない状態にあった。

 多面的な情報から問題がわかると、保健師の中で最初に感じた漠然とした危機感が確信を帯びてきた。そこで、保健師は、家族と育児の相談等を通じて〈家族と地域のつながりの基盤をつくる〉ことを行いながら、関係者には〈関係者に危機感を伝え協力を得る〉働きかけをし、《家族と地域のつながりをつくる》ことを行っていた。保健師は〈家族と地域のつながりの基盤をつくる〉ことと〈家族の育児能力を見極める〉ことを同時に繰り返し行っていた。

 家族と地域のつながりが作られたところで、保健師は《地域で子育てをわかちあう》ように活動を展開していた。保健師は、子育ては家族だけで行うものではなく、地域で支えるものと捉えていた。そこで、〈家族とともに育児を見直す〉ことをしながら〈関係者と家族の橋渡しをする〉ようにしていた。〈関係者と家族の橋渡しをする〉と〈関係者に危機感を伝え協力を得る〉は、ケース会議の場で同時に行われることもあり、相手や機会を変えて繰り返し行われていた。

 家族に関係者とのつながりができても、虐待がまたいつ起こるかわからない。そのため、家族と保健師、家族と関係者、保健師を含めた関係者全体での《地域のつながりを維持する》ことを意識し、家族に対する支援が続くよう〈関係者の協力体制を機能させる〉ことと並行し、保健師自身も〈保健師と家族とのつながりを維持する〉ことを行っていた。この時点では、家族を支える関係者が増え、家族の育児能力が高まっていた。

 一つの問題について、上記の一連の流れをたどり、状態が落ち着いたように見えても、子どもの成長や生活の変化等により、虐待発生の可能性が再び高くなることがあった。その時には、保健師は再び、関係者とともに《家族の全体像を多面的に見極める》から一連の流れをたどっていた。その一方で、家族の状態が落ち着いたり、つながりが維持できると、保健師はその家族を支援対象の中での優先順位を下げたり、支援を終了させたりしていた。

IV.考察

 本研究では、行政保健師が個別支援の中で異なる関係職種や地域住民と協力する過程と具体的な技術を明らかにした。これまで、「連携・協働」は重要な保健師の能力・技術と考えられてきた定義が曖昧であり、特に、虐待事例への保健師の協力についての記述は非常に少なかった。こうした協力体制をつくる技術を具体的に明らかにできたことは本研究の意義の一つである。

 保健師は、自身で判断した危機感を関係者に伝え協力を得て、地域に密着した様々な業務の中で関係者とのネットワークを構築していた。また、保健師は、特定の家族だけでなく、対象地域に存在する類似の問題を持つ人々のことを考えて支援体制を作っていた。保健師が地域全体を見据える視点を持って協力体制を作る技術は、保健師が既に身に付けている専門技術だと考えられる。

 先行研究と同様に、保健師は家族の生活全体を見極めながら、自分自身または関係者がかかわる必要性を予測し、家族と相談関係をつくる〈家族と地域のつながりの基盤をつくる〉ことを行い、家族が関係者の支援を受けいれるよう働きかけていた。

 保健師はかかわった当初から、継続性と誰かの目が入り関係が切れないことを重視し、切れ目がないように家族と地域のつながりをつくり維持することを意識していた。保健師は家庭訪問ができ、母親の抵抗感も少なく、身体計測等を通して子どもに直接触れられる。これは保健師の重要な強みであり、虐待予防の多職種チームの中で特に役割として担える部分と考える。

 保健師は家族が本来持つ力を引き出し維持しながら、自らも支援を行い、関係者からの支援を家族につないでいた。こうした支援は社会福祉の支援枠組みに類似していたが、医療の専門職として健康面をきっかけにかかわる点が、保健師が行う個別支援の特徴と考える。

 本研究により明確化された'保健師が複数の関係者と協力して行う個別支援'の専門技術は、虐待予防にかかわる保健師を含めた専門職・地域住民にとって必要な技術であり、今なお社会問題となっている児童虐待の発生予防、再発予防に寄与できると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は行政保健師が児童虐待予防の観点で個別支援を行った事例に着目し、保健師がどのように複数の専門職・地域住民と協力して個別支援を行ったのかを明らかにするために、質的記述的研究を行い専門技術の明確化および実践理論の構築を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 保健師が専門職・地域住民と協力する場面と行動に着目し、保健師が誰に対して何のために行動を行っているのかに主眼を置いて分析した結果、'保健師が複数の専門職・地域住民と協力して行う個別支援'として、《家族の全体像を多面的に見極める》、《家族と地域のつながりをつくる》、《地域で子育てをわかちあう》、《地域のつながりを維持する》の4カテゴリ、8サブカテゴリ、24概念が抽出された。

2. 保健師がかかわっている期間内では、支援が必要な状況が繰り返し起こり、その際に共通して繰り返される一連の実践が存在することが明らかになった。'この一連の実践を保健師が複数の専門職・地域住民と協力して行う個別支援'の全体構造として、家族の状態によって始まり進展する支援プロセスを示した。子どもとその母親・父親、祖父母、おじ・おば等の同居・別居を問わない血縁関係のある人々(以下、家族とする)へ働きかける支援と、家族を支える関係職種・地域住民(以下、関係者とする)へ働きかける支援が並行して行われていた。これは本研究で着目した個別支援の重要な特徴であった。

3. 家族を支援するために関係者と協力する一連の実践の始まりと終結を保健師が判断する際の根拠となっていた「家族の問題解決能力」と「協力する関係者の広がり」を二軸として支援プロセスを図示した。保健師が個別支援の過程で行う協力体制をつくる技術をプロセスとともに具体的に明らかにした。保健師は、最初の対応方針を決めるために、《家族の全体像を多面的に見極める》ことをしていた。保健師は自ら得た情報に基づいて〈家族の育児能力を見極める〉ことを行いながら、関係者とともに〈問題を整理し何の支援が必要かを見極める〉ことを行っていた。次に、保健師は、家族と育児の相談等を通じて〈家族と地域のつながりの基盤をつくる〉ことを行いながら、関係者には〈関係者に危機感を伝え協力を得る〉働きかけをし、《家族と地域のつながりをつくる》ことを行っていた。保健師は《家族と地域のつながりをつくる》中で家族との相談関係を徐々に築きながら、《家族の全体像を多面的に見極める》ことを同時に繰り返し行っていた。さらに、保健師は家族と地域のつながりが作られたところで、保健師は《地域で子育てをわかちあう》ように〈家族とともに育児を見直す〉ことをしながら、〈関係者と家族の橋渡しをする〉ことを行っていた。家族に関係者とのつながりができても、保健師は《地域のつながりを維持する》ことを意識し、家族に対する支援が続くよう〈関係者の協力体制を機能させる〉ことと並行し、保健師自身も〈保健師と家族とのつながりを維持する〉ことを行っていた。

4. 保健師の専門技術を表す24の概念について、各概念を示す代表的な保健師の語りを例示しながら具体的に記述した。虐待予防を目指した個別支援での保健師の姿勢および技術と、保健師が長い支援経過の中で駆使していた様々な技術が明らかとなった。特に、個人・家族を地域でささえるために保健師が地域に密着した様々な業務の中で関係者と協力する技術に着目し、個別支援のプロセスの中で具体的に明示した。

 以上、本論文は、質的記述的研究により、行政保健師が児童虐待予防の観点で個別支援を行った事例に着目し、個別支援で保健師が用いている関係職種と協力する技術を明確化し、支援プロセスとして構造化した。本研究はこれまで重要な保健師の能力・技術と考えられてきたにもかかわらず、定義や支援内容が明らかではなく、未だ理論化されてこなかった、保健師が専門職や地域住民と協力する技術を明確化し、保健師による個別支援・地域支援の方法論の確立、および、未だ社会問題となっている児童虐待の予防に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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