学位論文要旨



No 122644
著者(漢字) 涌水,理恵
著者(英字)
著者(カナ) ワキミズ,リエ
標題(和) 入院・手術のための家庭での心理的準備プログラムが日本の就学前の子どもと保護者の適応と不安に及ぼす効果 : ランダム化比較試験による検討
標題(洋) The Effects of At-Home Preparation Program for Surgery and Hospitalization on Adjustment and Anxiety for Japanese Preschool Children and Caregivers : A Randomized Controlled Trial
報告番号 122644
報告番号 甲22644
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2940号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 松山,裕
 東京大学 講師 金森,豊
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

<研究の背景(欧米)>

 欧米では、手術による精神的ダメージが最も大きいといわれる幼児期の患児らに、なんらかの心理的準備を行うという考え方が定着し、入院する子どもと親にプレパレーション(psychological preparation)をはじめとする心理的支援包括的プログラムが提供され、その有効性が多くのランダム化比較試験(randomized controlled trial、以下RCT)によって検証されてきた。プレパレーションは病院で子どもが経験するマイナスの影響を最小限に抑えるための重要な手段であることが示され、CLS(child life specialist)やHPS(hospital play specialist)によって、各病院で実践されている。

<研究の背景(日本)および意義>

 日本では、病院で子どもが起こす心理的混乱や、退院後にみせる一時的な退行(negative behavioral changes)の実態を捉えた研究が少なく、対策は立ち遅れていたが、近年になって、小児科の看護師を中心に欧米で有効性が実証されたプレパレーション技法を模倣した事例研究が盛んに行われている。しかし、欧米において有効性が示唆されたプレパレーションプログラムをわが国で適用する際には、日本の社会文化的な文脈を考慮したうえでデザインを再検討し、有効性を検証することが望ましい。これまで、手術を受ける就学前の幼児に対するプレパレーション実践の有効性をRCTにより明らかにした研究は日本では見当たらない。日本で、小児外科におけるプレパレーション実践に関するエビデンスを確立するためには、RCTによりプレパレーションの有効性を探索的に検証し仮説を呈示することが必要である。

<日本におけるプレパレーションスタイル>

 概して欧米では、子どもを中心としたプレパレーションが医療者から保護者と子どもに病院内で実施されるスタイルが多いが、日本の医療場面では通常、病院で医療者から就学前の子どもへ病状説明を含む直接的・具体的なアプローチは行われず、親が医療者から受けた説明を一旦吟味し、その後、子どもに必要だと判断した内容のみ説明するのが一般的である。また入院中に関しても、子どもが医療者と直接コンタクトする場面は限られており、親を介して医療者とコミュニケーションをとる姿が多くみられる。このように医療場面での医療者-親-子の関係性は、日本と欧米で必ずしも一致しない。

 日本では、概して親子関係の結びつきが強く、子が幼少であるほど一般的には親の権限が尊重される。よって日本の文化的背景を尊重すれば、家族を巻き込んだプレパレーションのスタイルが第一に考えられ、"家庭"という安心できる場において保護者が子どもに提供するプレパレーションのスタイルがわが国においては最適であり、かつ医療者にとっても負担が少なく望ましいスタイルであることが考えられた。

<研究目的>

 本研究では、医療者指導-親主体の"家庭"におけるプレパレーションが日本の就学前の子どもにとって有効であるという仮説を基に、鼠径ヘルニア根治術を受ける3〜6歳の子どもと保護者を対象に、家庭でのビデオ視聴をメインとしたプレパレーションの有効性をランダム化比較試験により検証した。

 なお今回研究の対象疾患とした鼠径ヘルニアは、小児外科疾患の中で最も頻度の高い疾患であり、わが国に於ける0〜14歳の小児外科の年間手術件数のうち、鼠径ヘルニア根治術の割合は8割以上を占める。

2. 方法

<調査期間・対象>

 対象は、2005年10月〜2006年2月に、都立A小児病院外科に鼠径ヘルニア根治術予定で予約入院をする就学前の幼児とその保護者とした。なお鼠径ヘルニア根治術に関して、A小児病院ではクリニカル・パスを適用し、入院は1泊2日で、手術1週間前に『術前検査』を、手術1週間後に『術後診察』を実施している。

<介入>

 手術1週間前の『術前検査』の時点で、全対象を2群へ無作為に割り付け、対照群には病院で行われている従来のケアすなわち『外来での術前オリエンテーションビデオの外来での集団視聴(1回)』を行い、介入群には従来のケアに加え『各家庭におけるビデオの反復視聴』を小冊子に沿って子どもに行うよう、保護者に依頼した。ビデオは9分に編集されており、主人公として鼠径ヘルニア根治術を受ける5歳の男児、脇役として男児の母、数名の病院(外来・病棟・手術室)スタッフが登場し、患児が手術当日に病院でルーチンに体験する各場面がリアルに描き出されている。小冊子はカラー見開き7頁から構成されており、家庭におけるプレパレーションの介入規程をはじめ、入院・手術に関する子どもへの推奨される説明方法が例示を含めまとめられている。

<データ収集>

  子どもの(1)術前の準備状況、(2)入院を通しての情動反応(麻酔導入時の様子も含む)、(3)周手術期のバイタルサイン、(4)退院後の行動変化、および、(5)保護者の不安をアウトカムとし、(1)以外のアウトカムに関しては2回以上経時的に繰り返しデータを収集した。

<分析>

 統計解析にはSPSS for Windows 12.0Jを使用した。2群比較に関して、属性および特性、また、各時期のスコアの比較には、t検定・χ2検定・Wilcoxonの順位和検定のいずれかを行い、経時変化パターンの群間比較の際には、Baselineスコアを調整したrepeated measures ANCOVA(Analysis of Covariance)を行った。

3. 結果

 161組の適格者のうち、158組(承諾率=98.1%)が研究への参加意思を示し、介入群(77組)あるいは対照群(81組)に割り付けられた。

<介入に関する質的な検討>

 介入群に家庭におけるビデオの視聴状況を尋ねたところ、平均視聴回数は3.2回であり(SD=2.4、Range:1-15)、小冊子の規定どおりに視聴した対象は73.6%、またビデオを家庭で一度も視聴しなかった対象は皆無だった。また61.1%が毎回、26.4%がほとんど保護者同伴で視聴し、毎回子ども一人で視聴した対象はいなかった。また介入の満足度を尋ねたところ、91.7%が「満足している」あるいは「どちらかといえば満足している」を選択した。

<各アウトカムにおける介入効果>

 子どもの(1)術前の準備状況では『手術を受ける理由(p=0.004)』『麻酔導入(p=0.029)』に関する保護者から子どもへの説明、『手術を受ける理由(p=0.02)』に関する子どもの自覚、またコーピングとしての『周囲の人との手術に関する(積極的な)会話(p=0.045)』に群間で差がみられた。(2)入院を通しての情動反応【表1】では、子どもの自己評価であるFace-scaleスコアでは経時変化のパターンに群間で差が認められ(p=0.038)、一方、保護者の代理評価であるVASスコアでは、群の主効果が有意であり(p=0.02)、介入群のスコアが対照群のスコアを常に下回っていた。麻酔導入時における子どもの様子(A)、情緒スコア(B)、協力行動スコア(C)はそれぞれ群間で有意な差はなかったが、(A)および(C)で介入群が対照群に比べ、落ち着きのある(A:p=0.075)、協力的な態度(C:p=0.097)をとっていた。(3)周手術期のバイタルサインでは『体温』に関しては、経時変化のパターンに群間で差がみられ(p=0.011)、『呼吸数』に関しては群の主効果が有意であり(p=0.005)、介入群の呼吸数は対照群の呼吸数を常に下回っていた。(4)退院後の行動変化では、有意ではないが群の主効果がみられ(p=0.084)、介入群のスコアは対照群のスコアを常に下回っていた。(5)保護者の状態不安の自己評価であるSTAI-Sスコアでは、群の主効果が有意であり(p=0.02)、介入群のスコアが対照群のスコアを常に下回っていた。

4. 考察

 本研究の介入遂行状況は先行研究と比較して、総じて望ましい結果であった。また各アウトカムに一定の介入効果がみられたが、その考察として第一に、入院・手術に関する今回のオリエンテーションビデオに、プレパレーションツールとしての一定の妥当性が得られ、同時に、ビデオ内容の補助的な解説を含んだ小冊子が、各アウトカムの介入効果に付加的な正の影響を与えた可能性が考えられた。欧米でも報告されている通り、幼少期の子どもにビデオという視覚的ツールを用いたプレパレーションはわが国においても有効であることが示された。第二に、「家庭」という安心した空間で、子どもたちは、家族と共に入院・手術体験をモデリングし、信頼する保護者から自らの気質や特性にあった適切な説明を受けたことで、心理的により準備した状態で、入院・手術というイベントに臨めた可能性が考えられた。

 アジア諸国の子どもは、見慣れない新しいものを避けたり怖がったりする傾向が強く、他人に対して強い人見知りをすると言われる。このような国民性を考慮し、病院だけでなく家庭でもプレパレーションを行う意義はありそうである。

5. まとめ

 「家庭におけるビデオの反復視聴をメインとしたプレパレーション」は、手術を受ける日本の幼児の(1)術前の準備状況、(2)入院を通しての情動反応、(3)周手術期のバイタルサイン、(4)退院後の行動変化、および(5)保護者の不安、に一定の介入効果をもたらし得るという本研究の仮説が提示された。

【表1】主要アウトカム―介入群および対照群における子どもの心理的混乱および保護者の不安の変化―

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、"家庭"におけるビデオ視聴をメインとしたプレパレーションが、日本の就学前の子どもにとって有効であるか否かを、鼠径ヘルニア根治術を受ける3〜6歳の子どもと保護者を対象に、ランダム化比較試験により探索的に検証した。本研究により、下記の結果を得ている。

1. 介入デザインの決定

 欧米では先行研究により、VTR等の視覚的ツールを用いたモデリングというプレパレーションの技法が、就学前の子どもにとって、最も有効な心理的準備を促すと考えられてきた。本研究では、日本の文化的背景に適したプレパレーションのデザインを検討した結果、親が子どもの個性やコミュニケーション能力を理解したうえで、家庭において、病院で迎える新しい体験を子どもに説明するプレパレーションのデザインが最も望ましいという結論に至り、医療者から提供される情報資源(VTR、小冊子)をもとに、家庭で親から子へ行われるプレパレーション(以下、介入)が、手術を受ける日本の子どもの情緒反応、身体反応、行動変化に及ぼす効果を、探索的なランダム化比較試験(以下、RCT)により検証した。

2. 介入の結果の要旨

【介入に関する質的な検討】

 介入群のうち、小冊子の規定どおりに視聴した対象は73.6%、またビデオを家庭で一度も視聴しなかった対象は皆無だった。また介入の満足度を尋ねたところ、91.7%が「満足している」あるいは「どちらかといえば満足している」を選択した。このように、本研究の介入遂行状況は、先行研究と比較して総じて望ましい結果であった。

【各アウトカムにおける介入効果】

 介入群・対照群ともに1)術前の準備状況((1)保護者から子どもへの術前情報提供、(2)手術に対する子どもの認識、(3)子どものコーピング)、2)子どもの情動反応((1)入院前から退院後にかけての経時変化、(2)麻酔導入時)、3)子どものバイタルサイン((1)体温、(2)心拍数、(3)呼吸数、(4)血圧)、4)子どもの行動変化、5)保護者の不安、を評価し、下記の結果を得た。

 1)術前の準備状況では、『手術を受ける理由(p=0.004)』『麻酔導入(p=0.029)』に関する保護者から子どもへの説明、『手術を受ける理由(p=0.02)』に関する子どもの自覚、またコーピングとしての『周囲の人との手術に関する(積極的な)会話(p=0.045)』に関して、介入群が対照群を上回り、準備状況が良好であった。

 2)入院を通しての情動反応では、子どもの自己評価であるFace-scaleスコア(p=0.038)、また、保護者の代理評価であるVASスコア(p=0.02)のそれぞれで、介入群のスコアが対照群のスコアを下回り、情動反応が抑えられていた。

 3)周手術期のバイタルサインでは、『体温』(p=0.011)および『呼吸数』(p=0.005)に関して、介入群が対照群を下回り、落ち着きを呈していた。

 4)退院後の行動変化の客観評価であるPHBQスコア(p=0.084)では、介入群が対照群を下回り、退行行動が抑えられていた。

 5)保護者の状態不安の自己評価であるSTAI-Sスコア(p=0.02)では、介入群が対照群を下回り、不安が抑えられていた。

 以上により、「家庭におけるビデオの反復視聴をメインとしたプレパレーション」は1)〜5)の各アウトカムに一定の介入効果をもたらし得るという仮説が提示された。

 以上、本論文により、「家庭におけるビデオの反復視聴をメインとしたプレパレーション」はわが国の就学前の幼児とその保護者とって有効であることが示され、「家庭」という安心した空間で、子どもは視覚的ツールにより家族と共に入院・手術体験をモデリングし、信頼する保護者から自らの気質や特性にあった適切な説明を受けることで、心理的により準備された状態で入院・手術に臨める可能性が考えられた。

 日本ではこれまで、手術を受ける就学前の幼児に対するプレパレーション実践の有効性をRCTにより明らかにした研究は見当たらず、本研究は、プレパレーション実践に関する探索的なRCTを試みたわが国初の研究として位置づけられ、今後、日本の小児外科におけるプレパレーション実践に関するエビデンスを確立するために重要な貢献をなしうることが十分に考えられ、その意義は大きい。

 よって本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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