No | 122645 | |
著者(漢字) | 伊藤,千顕 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イトウ,チアキ | |
標題(和) | タイにおける日本人勤務者のHIV感染リスクに関する研究 | |
標題(洋) | The Risk of HIV Infection among Japanese Business Expatriates in Thailand | |
報告番号 | 122645 | |
報告番号 | 甲22645 | |
学位授与日 | 2007.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(保健学) | |
学位記番号 | 博医第2941号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 国際保健学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1.緒言 近年、国境を越え移動する国際移動人口におけるHIV感染リスクがHIV/AIDS研究において注目されている。国際移動人口は、非移動人口と比較した場合、移動先での様々な社会環境や心理的変化の影響を受け性行動が活発化し、HIV感染に対して脆弱になる傾向があるからである。 タイは、エイズ蔓延国の中で最大の在外日本人人口を有する国のひとつであり、性交渉がHIV感染経路の首位を占めており、日本人勤務者における性交渉を介したHIV感染リスクが以前から指摘されていた。また、ヨーロッパからの海外駐在員を対象とした先行研究では、男性のHIV感染リスクが特に指摘されており、帰国後、配偶者へ感染を拡大させる可能性が危惧されている。 しかしながら、代表性を確保した調査が困難であることから、科学的根拠に基づいた研究は希少であり、この集団の性行動の実態やHIV感染リスクについては殆ど把握されていないのが実情である。 本研究は、世界最大の在外日本人勤務者コミュニティー(約2万人)を有するタイにおいて、日本人勤務者のHIV感染リスク行動を含む性行動を明らかにし、将来の効果的な介入を視野に入れた政策提言を目的するものであり、本研究は在タイ日本人勤務者のHIV感染リスク軽減に寄与しようとするものである。 2.目的 本研究の目的は、以下の4点である。 1.タイにおける日本人勤務者の属性・社会的背景等と性行動を明らかにする。 2.タイに来て以来の性行動の変化に影響を与える関連要因を探索する。 3.HIV感染リスク行動に影響を与える関連要因を探索する。 4.対象集団の中でハイリスク行動を取った回答者の主たる特徴を明らかにする。 3.方法 本調査は、タイ国バンコク日本人商工会議所(JCCB)の協力を得て、会員日系企業1,205社(2005年10月現在)に勤務する日本国籍を有した者を対象とした横断研究である。量的調査では、同会議所の会員名簿に記載されている住所に基づき、質問票を構築したインターネットサイトのアドレスと参加ID番号が記載された「アクセスカード」を、企業代表者経由で対象者に郵送・配布し、調査への参加を依頼した。その中で同意を得た者に対して、構造化された質問票を無記名自己記入式にてインターネット上で行った。また、量的調査を補完するため、フォーカスグループディスカッション(FGD)もバンコク市内にて行った。 質問票では、対象者の属性・社会的背景、タイに来て以来の心理的行動的変化、飲酒行動の変化、HIV/AIDSに関する知識・情報の主な入手経路、自身のHIV感染の可能性、HIV感染以外の性感染症・B型肝炎に関する診断歴、エイズ検査経験、エイズ検査に対する態度、職場における介入、タイにおける性行動等について質問した。本研究では性交渉を「膣・肛門性交」と定義し、不定期な性交渉相手を「同居していない、または金銭を介した性交渉相手」と定義した。 性行動の変化に関連した要因の探索においては、従属変数を、タイに来て以来の性交渉の「頻度の増減」と「相手の人数の増減」と設定した。また、HIV感染リスクの関連要因の探索においては、従属変数を「HIV感染リスク行動」とし、最後の性交渉をタイで、かつ不定期の相手と行った場合のコンドーム使用の有無、と設定した。 FGDでは、接待などにおける飲酒と性行動の関係、不定期の相手との性交渉におけるコンドームの使用とHIV感染、エイズに関する情報の入手経路等を核にした討議を、計8回38名(30〜50歳代男性)に対して行った。 統計学的分析にはSPSS13.0版を用いた。対象者の回答における男女差の比較にはカイ二乗検定を、性行動の変化およびHIV感染リスク行動の関連要因の探索には単変量解析を用いた。さらに、HIV感染リスク行動の関連要因の探索においては、単変量解析の結果において有意と判断された要因に関して、多重ロジステック回帰分析を行った。 研究における倫理面にも充分配慮し、調査前に、東京大学大学院医学系研究科・医学部とチュラロンコン大学倫理審査委員会より倫理審査を受け承認された。 4.結果 タイ在住日本人勤務者である対象者でアクセスカードの配布を試みた6,779名中、1,452名から回答を得た(回収率:21.4%)。 回答者の主な属性は、89.4%が男性、年齢の中央値が40歳(IQR:34-47歳)、65.5%が既婚者、67.3%が総従業員数が1,000人以下の企業に勤務していた。また、回答者の66.8%において、タイへ来て以来、飲酒の頻度が増加していた。尚、回答者の大多数が男性であったため、男性からの回答結果の分析に基づいて以下の記述を行う。 HIV/AIDSに関する知識に関しては、67.8%がHIV/AIDSに関する用語の定義、85.4%がタイと日本のHIV感染率の比較において、それぞれ適切な知識を持っていた。一方、HIV感染経路に関しては、可能性がある感染経路を多重回答において適切に回答できた者は全体の32.2%であった。 HIV/AIDS情報の主な入手経路に関しては、64.6%がインターネット、71.0%がテレビ、と回答した。テレビと回答した中で、93.5%がNHK国際放送と回答した。一方、タイの検疫所や空港、と回答したのは1.9%であった。 HIV/AIDSに対する企業の取り組みに関しては、職場にHIV/AIDS対策の担当者がいる、と回答した者は僅か1.2%であった。6.3%は勤務するタイの職場においてHIV/AIDSガイドラインが存在する、16.1%はタイの職場においてHIV/AIDSに関する教育に参加したことがある、と回答した。 性行動の変化に関しては、42.6%がタイに来て以来性交渉の頻度が増えた、と回答し、51.0%が性交渉の相手の人数が増えた、と回答した。また、タイにおいて、72.2%が性風俗産業従事者を含む不定期の相手と性交渉をしたことがある、と回答した。 回答者中1,046名(72.0%)が最後の性交渉をタイで行っていた。その中でも、性交渉の相手として最も多かったのは、性風俗産業従事者(50.4%)で、相手の多くはタイ人(82.0%)であった。また、最後の性交渉をタイで行った、と回答した1,046名中、32.2%が最後の性交渉でコンドームを使用していなかった。さらに、コンドームを使用した、と回答した者でも、性交渉において、体が触れ合う前にコンドームを使用したのは13.6%であった。 タイに来て以来の性行動の活発化に影響を与えた関連要因を探索した結果、男性、独身者、自由に使える1ヶ月のお金(お小遣い)が約15万円以上、寂しさ、疎外感、行動が活発、開放感等の項目が有意に影響を及ぼしていたことが判った。 HIV感染リスク行動に関連した要因を多重ロジステック回帰分析した結果、既婚者、タイに来て以来の飲酒の減少、HIV感染者は見かけで判断できるという考え、HIV感染以外の性感染症の診断歴、タイの職場におけるHIV/AIDSに関する教育の参加経験の項目が有意に影響を及ぼしていた。また、HIV/AIDSガイドラインが存在する職場に勤務した回答者の中にはHIV感染リスク行動をとった者がいなかった。 全回答者中94名(6.5%)が、ハイリスク集団であると考えられた。タイに来て以来、性交渉の頻度と相手の人数が増加し、さらに最後の性交渉がタイで、不定期の相手であったにもかかわらずコンドームを使用しなかった、と回答したからである。この94名の全てが男性で、81.9%が既婚者であった。そして、89.4%が自身のタイにおけるHIV感染は殆どない、17.0%がHIV感染以外の性感染症と診断されたことがある、と回答した。また、HIV/AIDSの主な情報入手経路はテレビ、と回答した中で、全ての人がNHK国際放送と答えた。一方、タイの検疫所や空港、と回答した回答者はいなかった。 ハイリスク集団の中で、HIV/AIDS対策の担当者がいる職場に勤務していた回答者は1.1%で、HIV/AIDSガイドラインが存在する職場に勤務していた回答者はいなかった。 5.考察 本研究を通して、タイにおける特に男性日本人勤務者のタイに来て以来の性行動の変化、性行動の変化とHIV感染リスク行動に影響を与える関連要因、対象集団の中でハイリスク行動を取った回答者の主な特徴、が明らかになった。 性行動の変化とHIV感染リスクの関連は、移動と性行動を検証した先行研究と同様、本研究においても、タイ渡航前後の性交渉の頻度の増減と相手の人数の増減に顕著な相違が認められた。特にバンコクでは、日本人を対象とした性風俗店が多く存在するため、現地の物価水準や海外勤務手当てによる経済的な余裕を背景に、日本から離れたことによる寂しさ、疎外感、開放感などの心理的な変化が、独身で30歳代の男性を中心に性行動を活発化させていると考えられる。また、仕事上や接待での飲酒の後、集団で性風俗産業を利用することもFGDの結果から明らかになったため、日本企業文化と現地の性行動との関連も示唆された。 また、ハイリスク行動を取った中の77名の男性が既婚者であったため、タイにおける本人の感染リスクだけでなく、日本へ帰国後の配偶者への感染拡大の可能性が、本研究の結果から最も懸念される点である。HIV感染者は見かけで判断できるという考えなど、HIV/AIDSに関する信条や知識、及び勤務する職場におけるHIV/AIDSの取り組みが、HIV感染リスク行動に関連すると示唆されたため、職場での介入やNHK国際放送などの在タイ日本語メディアを通しての啓発活動が有効であると考えられる。 6.結論・提言 本研究によって、対象集団である在タイ日本人勤務者における性交渉を介したHIV感染リスクが男性を中心に示唆されたため、この集団への介入プログラムの立案が急務である。特に、タイにおける不定期の相手との性交渉におけるコンドームの使用を促進するべきである。具体的には、NHK国際放送の利用などにより、HIV感染者は見かけで判断できないことの周知を図ったり、HIVの感染経路に関して適切な知識の啓発を行うことが肝心である。また、現地日系企業においては、職場におけるHIV/AIDSガイドラインの導入や、仕事上や接待での飲酒と性行動の関係について強調したHIV/AIDS教育なども有効である。今後は本研究の結果を、協力を得たJCCBの所報で発表し、企業の代表者・担当者を対象にフィードバックしていく予定である。 | |
審査要旨 | 本研究は、世界最大規模の在外日本人勤務者コミュニティーを有するタイにおいて、日本人勤務者のHIV感染リスク行動を含む性行動を明らかにし、将来の効果的な介入を視野に入れた政策提言を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1. 構造化質問票の回答の集計の結果、42.6%がタイに来て以来性交渉の頻度が増えた、と回答し、51.0%が性交渉の相手の人数が増えた、と回答したため、タイ渡航前後の性交渉の頻度の増減と相手の人数の増減に顕著な相違が認められた。 2. HIV/AIDSに関する知識に関しては、67.8%がHIV/AIDSに関する用語の定義、85.4%がタイと日本のHIV感染率の比較において、それぞれ適切な知識を持っていた。一方、HIV感染経路に関しては、可能性がある感染経路を多重回答において適切に回答できた者は全体の32.2%であった。 3. HIV/AIDS情報の主な入手経路に関しては、64.6%がインターネット、71.0%がテレビ、と回答した。テレビと回答した中で、93.5%がNHK国際放送と回答した。一方、タイの検疫所や空港、と回答したのは1.9%であった。 4. 仕事上や接待での飲酒の後、集団で性風俗産業を利用することもFGDの結果から明らかになったため、日本企業文化と現地の性行動の関連が示唆された。 5. タイに来て以来の性行動の活発化に影響を与えた関連要因を探索した結果、男性、独身者、自由に使える1ヶ月のお金(お小遣い)が約15万円以上、寂しさ、疎外感、行動が活発、開放感等の項目が有意に影響を及ぼしていたことが判った。 6. 本研究で定義したハイリスク行動を取った94名中、77名が男性で既婚者であったため、タイにおける本人の感染リスクだけでなく、日本へ帰国後の配偶者への感染拡大の可能性が示唆された。 7. ロジスティック回帰分析の結果、HIV感染者は見かけで判断できるという考えなど、HIV/AIDSに関する信条や知識、及び勤務する職場におけるHIV/AIDSの取り組みが、HIV感染リスク行動に関連すると示唆されたため、職場での介入やNHK国際放送などの在タイ日本語メディアを通しての啓発活動が有効であると考えられた。 以上、本論文は在タイ日本人勤務者の性行動の解析から、性交渉を介したHIV感染リスクが男性を中心に示唆されたため、この集団への介入プログラムの立案が急務であることを明らかにした。本研究は、代表性を確保した調査が困難であることから、科学的根拠に基づいた研究は希少であった当該題目において、性行動の実態を明らかにしHIV感染リスクを同定したことによって、将来の介入プログラム立案において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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