学位論文要旨



No 122646
著者(漢字) 小見,和也
著者(英字)
著者(カナ) オミ,カズヤ
標題(和) ハンチントン病原因遺伝子Huntingtinに関する分子生物学的解析
標題(洋) Molecular biological analyses of Huntington's disease gene
報告番号 122646
報告番号 甲22646
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2942号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 助教授 大迫,誠一郎
内容要旨 要旨を表示する

 ポリグルタミン病は、病因遺伝子の翻訳領域内にあるポリグルタミンをコードするCAGリピートの異常伸長を共通の原因とする疾患群である。現在までに9つの遺伝性神経変性疾患、すなわち、ハンチントン病 (Huntington's disease: HD)、球脊髄性筋萎縮症(SBMA)、歯状核赤核・淡蒼球ルイ体萎縮症(DRPLA)、Machado-Joseph病(MJD)、Spinocerebellar ataxia1型(SCA1)、2型(SCA2)、6型(SCA6)、7型(SCA7)、17型(SCA17)がポリグルタミン病として同定されている。これらの疾患にはCAGリピート長と発症年齢の関係など多くの共通性が認められる一方、それぞれの疾患に特徴的な選択的神経変性が知られており、個々の疾患発症機構については不明な点が多い。

 本研究では、HDの病因遺伝子(Huntingtin遺伝子)から産出されるHuntingtinタンパク質について、

(I) RNA干渉法(RNAi)による正常型タンパク質の機能解析

(II) 変異型タンパク質の凝集体形成機構の解析

を行った。

I. siRNA-mediated inhibition of endogenous Huntingtin gene expression induces an aberrant configuration of the ER network

 HDは、常染色体優性遺伝形式を示す遺伝性神経変性疾患で、主に中年期から初老期に発症し、舞踏様不随意運動、精神症状や痴呆をともなって進行する疾患である。HDの病因遺伝子(Huntingtin遺伝子)は1993年に同定され、その遺伝子が産出するHuntingtinタンパク質の異常伸長したポリグルタミン鎖が神経細胞に障害を与えることで疾患の原因になると考えられている。そのため、これまでの研究の多くがポリグルタミン鎖異常伸長をもつ「変異型Huntingtinタンパク質」の解析を目的としており、「正常型Huntingtinタンパク質」の生理機能に関しては未だ不明な点が多い。「正常型Huntingtinタンパク質」の機能を明らかにするためには、遺伝子機能の喪失による機能解析が有効な手段のひとつであると考えられるものの、Huntingtin遺伝子のノックアウトマウスは胎性致死であるためマウス生体における機能解析は困難である。細胞レベルではアンチセンスオリゴ法によるノックダウンが試みられたが、その抑制効果は部分的であり機能解析には結局不十分であった。

 そこで本研究では、効果的な遺伝子ノックダウン法であるRNAi法を用いて「正常型Huntingtinタンパク質」の機能解析を行った。Huntingtin遺伝子を標的とするshort interfering RNAを合成し、マウス神経芽細胞腫N2a細胞に導入したところ、Huntingtin遺伝子特異的にmRNA及びタンパク質の発現を85%以上抑制することに成功した。「正常型Huntingtinタンパク質」の機能喪失が細胞に与える影響を検討するため、RNAiを誘導した細胞のオルガネラについて、その形態・局在を蛍光抗体法や各オルガネラ特異的な染色剤を用いて解析した。その結果、RNAiを誘導した細胞では小胞体の断片化が観察された。また、小胞体の断片化に伴う小胞体ストレス関連タンパク質の発現上昇や、分泌経路の異常は認められなかった。T98G細胞(ヒト神経膠芽腫細胞腫細胞)でも同様の異常が観察されることから、「正常型Huntingtinタンパク質」の機能のひとつとして小胞体の形態形成に重要な働きをすることが示唆された。さらに、ミトコンドリアやゴルジ体、リソソームなど他のオルガネラの形態・分布に全く異常は認められないことから、「正常型Huntingtinタンパク質」は小胞体特異的にその形態形成・維持に関与しているものと考えられた。

II. Molecular recognition of aggregation-prone Huntingtin protein by 14-3-3 proteins induces an efficient polyglutamine aggregation 

 HDを含むポリグルタミン病に共通する現象として、変異タンパク質による凝集体形成が知られている。HDにおける凝集体形成の病理的意義については意見の分かれるところであるが、転写因子などの結合による遺伝子発現への影響や、ユビキチン・プロテアソーム系への障害などが多数報告されており、凝集体形成過程の疾患発症機構への関与が示唆される。「変異型Huntingtinタンパク質」のポリグルタミン鎖はin vitroではそれ自体で凝集体を形成するが、細胞内における凝集体形成過程は細胞性因子により調節されることが示されている。これまで凝集体形成を抑制する細胞性因子として、タンパク質の折りたたみ・分解に関わる因子が複数同定されているが、凝集体形成を促進する因子についてはほとんど解析が行われていない。

 本研究では、「変異型Huntingtinタンパク質」の凝集体形成過程について解析するため、GFPを融合した変異型Huntingtin遺伝子のエクソン1発現ベクター(Htt86Q-EGFP)を構築し、培養細胞を用いた一過性発現の系において検討した。Htt86Q-EGFPを発現したN2a細胞は高率に凝集体を形成したが、Htt86Q-EGFPからN末の17アミノ酸(N1-17)を欠失させた場合には凝集体形成率が有意に低下することが明らかとなった。他のアミノ酸領域を欠失させた場合には顕著な影響は認められないことから、Htt86Q-EGFPの凝集体形成には、異常伸長したポリグルタミン鎖に加えてN1-17も重要であると考えられた。次に、ポリグルタミン鎖のN末に存在するアミノ酸配列が凝集体形成に与える影響について検討するため、N1-17欠失Htt86Q-EGFPのN末に様々な特徴をもったアミノ酸配列を挿入したN末chimeric Htt86Q-EGFPを構築し、それらの凝集体形成を観察した。核移行配列、核排出配列、ER移行シグナル、ミトコンドリア移行シグナル、任意のタンパク質(GAPDH及びHsc70)の1-17アミノ酸などをN末に挿入したchimeric Htt86Q-EGFPでは、Htt86Q-EGFPに比べて凝集体形成は低率であった。一方、PrPの122-139アミノ酸をN末に挿入したところ、Htt86Q-EGFPと同程度の凝集体形成が観察された。PrPの122-139アミノ酸は、14-3-3タンパク質の結合部位として同定された領域であり、14-3-3タンパク質の結合によりPrPの凝集体形成が促進されることが報告されている。14-3-3タンパク質は脳組織で発現量の多いタンパク質ファミリーであり、神経変性疾患に関わる様々な異常タンパク質と結合し、凝集体(封入体)の形成に関与する可能性が近年提唱されている。そこで、14-3-3タンパク質とHtt86Q-EGFPとの結合について免疫沈降法による解析を行ったところ、14-3-3タンパク質はHtt86Q-EGFP とN1-17依存的に結合し、ポリグルタミン鎖の異常伸長はその結合を促進することを見出した。また、Htt86Q-EGFPと結合するのは14-3-3タンパク質の4つのアイソフォーム(β、γ、η、ζ)であることを確認した。Htt86Q-EGFPの凝集体形成に対する14-3-3の寄与を調べるため、14-3-3アイソフォーム特異的なRNAiを誘導した細胞における凝集体形成について検討した。その結果、14-3-3ζのノックダウンによりHtt86Q-EGFPの凝集体形成が有意に低下することが明らかとなった。以上の結果より、14-3-3ζはHtt86Q-EGFPのN1-17に結合し、その凝集体形成を促進する因子である可能性が示された。

 以上、本研究では、「正常型Huntingtinタンパク質」の機能喪失が小胞体の形態異常を誘導することを明らかにした。他のオルガネラの形態・分布には顕著な影響が認められないことから、「正常型Huntingtinタンパク質」は小胞体特異的にその形態形成に関わることが示唆される。

 また、「変異型Huntingtinタンパク質」の凝集体形成にはN末17アミノ酸が重要であることを見出し、凝集体形成を調節する因子として14-3-3ζを同定した。14-3-3タンパク質は「変異型Huntingtinタンパク質」のN末17アミノ酸に結合することが示された。さらに、14-3-3ζのノックダウンにより「変異型Huntingtinタンパク質」の凝集体形成が有意に減少することから、14-3-3ζの結合により変異型タンパク質の凝集体形成が促進されると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、ハンチントン病の病因遺伝子であるHuntingtin遺伝子について、正常型Huntingtinタンパク質のRNA干渉法(RNAi)による生理機能の解析及び変異型Huntingtinタンパク質の凝集体形成機構の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

RNAiによる正常型Huntingtinタンパク質の機能解析

1. マウスHuntingtin遺伝子を標的とするshort interfering RNAをマウス神経芽細胞腫Neuro2a細胞(N2a)に導入したところ、Huntingtin特異的にmRNA及びタンパク質の発現を85%以上抑制した。内在性正常型Huntingtinタンパク質のRNAiを誘導した細胞のオルガネラについて、その形態・局在を蛍光抗体法や染色剤を用いて観察した結果、小胞体の網状構造は失われ、その形態に異常が生じることが示された。

2. 小胞体の形態異常に伴う小胞体ストレス関連タンパク質の発現上昇や、分泌経路の異常は認められなかった。また、ミトコンドリアやゴルジ体、リソソームなど他のオルガネラの形態・分布に全く異常は認められないことから、正常型Huntingtinタンパク質は、哺乳動物細胞において小胞体特異的にその形態形成・維持に関与するものと考えられる。

変異型Huntingtinタンパク質の凝集体形成機構の解析

3. GFPを融合した変異型Huntingtinのエクソン1発現ベクター(Htt86Q-EGFP)を構築し、培養細胞を用いた一過性発現の系を用いて、変異型Huntingtinタンパク質の凝集体形成について解析した。その結果、Htt86Q-EGFPを発現したN2a細胞は高率に凝集体を形成したが、Htt86Q-EGFPからN末の17アミノ酸(N1-17)を欠失させた場合には凝集体形成率が有意に減少することが示された。

4. N1-17欠失Htt86Q-EGFPのN末に様々な特徴をもったアミノ酸配列を挿入し、凝集体形成を回復させる配列について探索を行ったところ、プリオンタンパク質(PrP)の122-139アミノ酸を挿入した場合に凝集体形成の回復が認められた。PrPの122-139アミノ酸は、14-3-3タンパク質の結合部位として同定された領域であり、14-3-3タンパク質の結合によりPrPの凝集体形成が促進されることが報告されている。14-3-3タンパク質とHtt86Q-EGFPとの結合について免疫沈降法による解析を行ったところ、14-3-3タンパク質はHtt86Q-EGFPとN1-17依存的に結合し、ポリグルタミン鎖の異常伸長はその結合を促進することが示された。また、Htt86Q-EGFPと結合するのは14-3-3タンパク質の4つのアイソフォーム(β、γ、η、ζ)であることが示された。

5. 14-3-3タンパク質のアイソフォーム特異的なRNAiを誘導した細胞におけるHtt86Q-EGFPの凝集体形成について検討した結果、14-3-3ζのノックダウンにより凝集体形成が有意に減少することが示された。即ち、14-3-3ζはHtt86Q-EGFPのN1-17に結合し、その凝集体形成を促進する因子として働くものと考えられる。

 以上、本論文は哺乳動物細胞において正常型Huntingtinタンパク質が小胞体の形態維持に関与することを明らかにした。また、変異型Huntingtinタンパク質の凝集体形成の促進因子として14-3-3ζの存在を明らかにした。ハンチントン病の発症には、正常型Huntingtinタンパク質の機能喪失及び変異型Huntingtinタンパク質による凝集体形成が関わることが報告されているが、その詳細なメカニズムは不明である。本研究の成果は、ハンチントン病発症の分子機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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