学位論文要旨



No 122648
著者(漢字) 白山,芳久
著者(英字)
著者(カナ) シラヤマ,ヨシヒサ
標題(和) ラオス国カムアン県におけるマラリア対策の進捗と今後について : 迅速診断キットを用いた熱帯熱マラリアのスクリーニング調査とGISマップの作成
標題(洋) The Progress of Malaria Control in Khammouane Province, Laos : An Active Case Detection (ACD) survey of P. falciparum malaria using Rapid Diagnostic Tests (RDTs), and development of Geographic Information System (GIS) maps
報告番号 122648
報告番号 甲22648
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2944号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 小林,廉毅
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

 東南アジアの発展途上国のひとつラオスでは、マラリアが疾病・死亡統計のトップにあり、人々に深刻な健康被害を与えている。マラリアによる罹患率・死亡率を高い対費用効果で下げると証明された対策の一つに、殺虫用薬剤を浸透させた蚊帳(Insecticide-treated Nets(ITNs))を用いた予防があげられる。

 研究地カムアン県では、2001年度、県人口の13.6%にあたる約4万人が悪性の熱帯熱マラリアに感染し医療施設を訪れたと報告されている。これまでITNsの配布やコミュニティー教育などがマラリア対策として行われてきた。私は2002年以降、ITNsの配布介入を中心にカムアン県におけるマラリア対策について研究を続けてきた。2003年に発表した『ITNsの住民のメンテナンス行動に関する研究』では、配布された蚊帳の使い方やメンテナンスに注目した調査を行い、半数以上の蚊帳が穴のあいたまま使用されている現状を報告し、適切な使い方やメンテナンス方法を周知する必要を訴えた。ただしこの時の調査では、血液塗沫標本検査を行わず臨床症状により医師がマラリアを診断したために、診断の妥当性が研究のリミテーションとして残った。今回の調査では、診断精度の高い迅速診断キットを採用することとした。2004年『マラリアKAP調査』では、住民のマラリアに対する土着の考え方や精霊信仰による伝統的治療儀礼の存在などを報告し、病院に行けない人や病院よりも伝統医療を好む人たちの意見も反映される受療/治療行動調査をあらためて行う必要があると考えた。特に、住民の間のマラリア治療薬へのアクセス・薬の選択・服用アドヒアランスなどについては調査がされていなかったため、今回はこの部分も含め調査を行った。

 県内の病院ベースで登録されたマラリア患者数は、1997年以降連続した減少傾向を示しているが、本当にマラリア対策が順調に進んでいるかを見極めるには、病院ベースの患者数のデータだけではなく、コミュニティーでのスクリーニング調査(Active Case Detection(ACD)調査)の結果と合わせて判断する必要がある。これまでACD調査では、現場での顕微鏡によるマラリア診断が難しくその精度が問題視されてきたが、正確かつ簡易に行えるマラリア迅速診断キットの普及により精度の高いACD調査が可能になった。

 本研究では、迅速診断キットを用いて介入後初めての大規模なACD調査を行い介入以前の感染率と比較し、マラリアコントロールの進捗状況を確認することを目的とした。さらに、マラリアのスクリーニング結果と、住民のマラリア予防・受療/治療行動の実態についての質問紙インタビューの結果との相関を検証し、この地域におけるマラリア感染のリスクファクター特定を行った。また、調査結果をラオス保健省マラリアセンタースタッフや現地のヘルススタッフにも分かりやすい形でフィードバックする努力として、地理情報GPSデータとリンクさせたGISマップを作成し、これらを検討することで県内の現状に適したマラリア対策の今後について提言を目指した。

[対象・方法]

 2005年6月から7月(雨季の間)にかけて、ラオス保健省マラリアセンター所属のマラリア専門医師、および現地ヘルススタッフらと共にACD調査を行った。研究の対象地は、カムアン県の中でも特にマラリアリスクの高い3郡(ボラパー郡・ナカイ郡・サイボトム郡)内、23箇所(3郡病院と20村)とし、世帯数で400世帯、家族メンバー数で2,000人程度の研究参加者数を目指した。最終的に403世帯、1,711人から調査協力を得た。

a) マラリアの診断には、最も感度・特異性が高い(94%, 90%: Mayxayら, Trop Med Int Health. 2004;9(3):325-9.)とされる熱帯熱マラリア迅速診断キットParacheck-Pf 〓(指先をプリックし採取した少量の血液から、熱帯熱マラリアの原虫抗原蛋白HPR-2 proteinをイムノクロマトグラフィー法により検出)を用いた。

b) マラリアの予防・受療/治療行動について、質問紙を用いたインタビュー調査を行った。

c) GPSデータは、Garmin社の携帯用受信機を用いて測定した。GPS情報データのコンピュータへの取り込み、マップ加工、及び調査データとGPSデータとの関連付けに用いるソフトウェアプログラムは、非営利目的であれば無償で利用可能なものを用いることにした。GISマップは、Windowsに標準装備のInternet Exploreで見られるように出力し、専用のビューワーソフト等なしに表示・操作できるようにした。

 集めたデータはSPSS version 11.0Jを用いて解析を行った。2005年5月に東京大学医学系研究科倫理審査委員会より承認を受け、2005年6月にラオス保健省マラリアセンターから研究許可を得た。同意書への署名を得た上で調査を行い、調査時に発見されたマラリア陽性者には無償で治療を提供した。

[結果]

 376人の5歳未満児を含む、計1,711人が研究に参加した。796人(46.5%)が男性、910人(53.2%)が女性であった。1,178人(68.8%)は多数派Lao-lum族、526人(30.7%)が少数派Lao-tum族であった。800人(46.8%)が仏教、904人(52.8%)は土着の精霊を信仰していた。就学経験があったのは、802人(46.9%)であった。917人(53.6%)は職業に就かない学生や子供で、648人(37.9%)は農業を営んでいた。

 スクリーニング結果は、陽性が12人(平均感染率:0.7%,12/1,711)、マラリア疑い(熱帯熱以外のマラリアを含む)が9人(0.5%)、陰性が1,690人(98.8%)であった。陽性者12人のうち、自覚症状を訴えていたのは5人だけで、残りは特に症状はないと答えた。脇下計測で体温が37.5度以上あったのも、12人のうち3人だけであった。また、70人(4.1%)から過去1年間のマラリア感染歴が報告された。

 高熱が出た際に、病院に行って診断/治療を受けると答えたのは174人(10.2%)のみで、658人(38.5%)は薬局で買った薬でセルフトリートメントをすると答えた。抗マラリア薬は、クロロキン、キニーネ、ファンシダール(SP)などがよく知られていたが、半数以上の世帯主は具体的な名前をあげることができなかった。治療薬は、1ドル未満で手に入るものがより使われていた。決められた量の薬をきちんと飲みきるようにしているかという問いに、2割の世帯主が飲みきらないときもあると答えた。

 1,575人(92.1%)が、毎晩かならず蚊帳に入って寝ると答え、268人(15.7%)は抗マラリア薬を予防内服することもあると答えた。木の伐採や田畑の手入れのため53.3%が森にいつも出入りをしており、蚊にどのくらいさされるかという質問には68.8%が頻繁にと答えた。世帯主に対し、コミュニティー教育への参加について質問したところ、87.3%が参加したことがあると答えたが、マラリア感染の原因について蚊にさされることとマラリア感染との関連について触れることができたのは39.0%だった。

 ロジスティック回帰により、年齢(5歳未満かどうか)[オッズ比:4.6]、蚊帳の使用状況(毎晩必ずかどうか)[オッズ比:6.0]、蚊にどのくらいさされるか(頻繁にかどうか)[オッズ比:25.2]、脇下の熱(37.5度)[オッズ比:1187.4]、過去1年間のマラリア感染歴(あったかどうか)[オッズ比:12.9]に、マラリア感染との相関に統計的有意(P<0.05)が認められた。

 以前の調査時には何人も陽性者が見つかったとされる村においても、今回の調査ではマラリア陽性が1人も見つからなかった一方、郡病院から遠く離れた村ではマラリア陽性者が見つかり、中には73人中6人が陽性(感染率8.2%)というような村もあった。この村の特徴を、出力されたGISマップで確認すると、郡病院から離れている、蚊帳を毎晩使う人の率が低い(53.4%)、ITNsのカバー率が低い(42.9%)、ITNsの薬剤再処理の率が低い(21.4%)、マラリア感染の原因に関する知識が低い(21.4%)ことなどがあげられた。

[考察]

 今回の調査での平均感染率(0.7%)は、介入以前(1990年代後半)に同県内で行われた調査で報告された感染率(5.1〜27.2%)に比べてかなり低くなっていたことから、マラリア介入の効果や県内の病院ベースのマラリア患者数の減少傾向を裏付ける結果となった。このようなマラリアの減少には、9割を超える高い蚊帳の使用率が達成されたこと、県内のマラリア媒介蚊の密度が減少していると報告されてきたこと、道路の舗装や村の電化が進むなど現地の人々の生活水準が底上げされたことなどが貢献していると考えられた。

 リスクファクター特定の分析では、それぞれのファクターの重要性を再認識するという意味で意義のある結果であった。また、受療行動に関して、病院へは行かずにセルフトリートメント(不完全な治療になりやすい)を行っている割合が多い点には注意が必要である。正確な診断にもとづいた抗マラリア薬の使用、さらに服用アドヒアランスを高く保つことは、耐性の広がりを抑えるため今後ますます重要な課題となってくる。迅速診断キットを用いて患者をいちはやく発見し、その場で治療の開始(薬を選択すれば1度の服用で治療可能)ができることは、特に医療機関へのアクセスが難しい地域では効果的な対策といえる。また、このような活動を現地のヘルススタッフらが積極的に行っていくことで、地域住民から医療サービスへの信頼を得ることにつながると思われる。

 GISマップ化したことにより、マラリア陽性者が見つかった場所、蚊帳やコミュニティー教育の普及率が低い村などが視覚的に確認できるようになった。現地のヘルススタッフにも分かりやすいフィードバックとなり、データとマップをもとに県内のどこでどういったマラリア対策を強化する必要があるか、地域の実状に合ったマラリア対策の意思決定に必要なデータを提供できた。

 迅速診断キットを用いたコミュニティーでのスクリーニングを行い、同時にGISマップ技術などを活用することで、県内のマラリアリスクのモニタリングがより効率的に行えると、本研究により確証を得た。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はラオス国カムアン県におけるマラリア対策(薬剤浸透蚊帳の配布)の効果を評価するため、迅速診断キットを用いた熱帯熱マラリアのスクリーニング及び質問紙インタビュー調査を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. 2005年6月から7月(雨季の間)に、県中のマラリアリスクの高い3郡内23か所において、403世帯1,711人が調査に参加した。最も感度・特異性が高いとされる熱帯熱マラリア迅速診断キットParacheck〓を用いてスクリーニングを行った結果、陽性が12人(平均感染率: 0.7%, 12/1,711)、疑いが9人(0.5%)、陰性が1690人(98.8%)であった。この結果は、介入以前に同県内で行われた調査で報告された感染率(5.1〜27.2%)に比べて低くなっており、マラリア対策の効果や県内の病院ベースのマラリア患者数の減少傾向を裏付ける結果が示された。

2. スクリーニングの結果と、質問紙インタビュー調査の結果との相関が検証され、この地域におけるマラリア感染のリスクファクターが示された。ロジスティック回帰分析により、年齢(5歳未満) [オッズ比: 4.6]、 蚊帳の使用状況(毎晩必ず) [オッズ比: 6.0]、蚊にどのくらいさされるか(頻繁に) [オッズ比: 25.2]、脇下の熱(37.5度) [オッズ比: 1187.4]、過去1年間のマラリア感染歴(あったかどうか) [オッズ比: 12.9]、5つの変数にマラリア感染との相関に統計的有意(P<0.05)が認められた。

3. マラリア予防に関する質問から、住民の間の高い蚊帳使用率(97.7%)、高い定期的な蚊帳の薬剤処理率(73.9%)が確認され、これらがこの地域でのマラリアリスク減少に貢献したと考えられた。マラリア陽性がより多く見つかった遠隔地の村(陽性率: 8.2%, 6/73)は、蚊帳使用率や定期的な蚊帳の薬剤処理率がそれぞれ53.4%、21.4%と低く、対策が十分に行き届いていない村であったことがわかった。遠隔地に重点を置きつつこれまでの対策を維持継続していく必要がある。

4. 受療行動やマラリア治療薬の使用に関する質問から、病院に行って診断治療を受ける人は10.2%のみで38.5%が薬局で買ったクロロキン・キニーネ・ファンシダールなどでセルフトリートメントを行っていることや、2割の世帯で決められた量の薬をきちんと飲みきらずに服用をやめてしまっていることなどが示された。正確な診断を受けたうえで用量を守って薬を使用することは耐性の広がりを抑えるためにも重要である。医療施設へのアクセスが難しいこの地域でも、迅速診断キットを活用したより正確な診断と治療が望まれる。

5. 調査の結果をラオス保健省スタッフや現地のヘルススタッフにも分かりやすい形でフィードバックする努力として、地理情報GPSデータと調査結果とをリンクさせたGISマップを作成している。マラリア陽性が見つかった場所、蚊帳やコミュニティー教育の普及率が低い村などがマップ上で視覚的に確認できるようになり、県内のどこでどういったマラリア対策を強化する必要があるかを検討するのにこのデータマップは有用である。

 以上、本論文はラオス国カムアン県におけるマラリア対策の効果をコミュニティーレベルで評価し、マラリア対策の今後についても具体的な提言を行っている。東南アジアにおけるマラリア対策の成功経験を世界と共有する貴重な研究であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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