学位論文要旨



No 122650
著者(漢字) 中村,公亮
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,コウスケ
標題(和) アフリカトリパノソーマ原虫に対するアスコフラノンのインビトロ及びインビボ効果に関する研究
標題(洋) In vitro/in vivo effects of ascofuranone on African trypanosomes
報告番号 122650
報告番号 甲22650
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2946号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 鈴木,洋史
内容要旨 要旨を表示する

 アフリカトリパノソーマ原虫による感染症は、ヒトではアフリカ睡眠病を発症し、一度感染すると死にいたる可能性が非常に高いことが知られており、現在においても多くの人々の健康と福祉に多大な被害を与えている。WHOでは、毎年約5〜7万人の感染者を確認しているが、実際には報告値よりもはるかに多くの患者が治療を受けることなく死亡していると考えられ、約7千万人が新たな感染の危険にさらされている。一方、この原虫は、家畜においては、ナガナ病と呼ばれる寄生虫症を引き起こすため、アフリカにおいて多くの貴重な動物性タンパク資源の損失を招いている。このような状況を背景として近年、WHOは、この寄生虫症を人類が早急に制圧すべき感染症の一つに掲げた。しかし、アフリカトリパノソーマ原虫は表面抗原の変異によって宿主血流中内において免疫システムを巧妙に回避し、ワクチンの開発など有効な対策を講じるに至っていない。そこで化学療法が唯一の治療手段となっているのが現状であるが、現在使用されている抗トリパノソーマ薬は、それらの大半が開発後60年以上経過したことによる多剤耐性株の出現、強い副作用、効果の原虫種特異性などが問題点となっている。このようなことから、特にヒトを治療の対象にした場合、副作用の少ない安全で、かつトリパノソーマ原虫の種を問わない即効性のある新規薬剤の開発が急務となっている。

 宿主血流中に寄生したトリパノソーマ原虫のエネルギー代謝は、主に解糖系に依存しており、解糖系酵素を高濃度に含むグリコソームと呼ばれるオルガネラ内で営まれている。ミトコンドリアは、ATP合成に直接的には関与しないが、その呼吸系における特殊な役割は原虫の増殖に不可欠であると考えられている。すなわち、グリコソーム内における解糖を常に進行させるためにはNADHの再酸化が必要であり、これにミトコンドリアの呼吸鎖が深くかかわっている。その呼吸鎖の末端酸化酵素として働くのがミトコンドリアに局在するシアン耐性末端酸化酵素(Trypanosome Alternative Oxidase; TAO)である。この酵素は宿主(哺乳類)には存在しないことから、アフリカ睡眠病制圧のための格好の薬剤標的となり得る。私の所属する研究室ではこの酵素を標的とした薬剤開発に関する研究が行われてきた。その結果、糸状菌の産生するアスコフラノンがTAOをきわめて低濃度で阻害することを見い出すに至った。本研究では、以上のような経緯を踏まえ、原虫細胞を用いてアスコフラノンの抗トリパノソーマ効果に関する基礎的な実験を行うとともに、標的とするアフリカトリパノソーマ原虫TAOの酵素としての解析を試みた。さらには、アスコフラノンを実際の抗トリパノソーマ薬として利用することを最終目標と考え、アスコフラノンの作用を増強するグリセロールとの併用効果とその作用機序について調べた。

1.ヒト感染性トリパノソーマ原虫のTAOアミノ酸配列決定

 これまでTAOの研究には非ヒト感染性トリパノソーマ原虫株Trypanosoma brucei bruceiが用いられてきた。しかし、ヒトを治療の対象にした場合、ヒト感染性トリパノソーマ原虫株由来のTAOを用いた種々の解析が必須である。そこで、私は、帯広畜産大学原虫病研究センター助教授・井上昇博士から分与されたヒト感染性トリパノソーマ原虫T. b. rhodesiense及びT. b. gambienseからTAOのクローニングを試みた。これらのTAOのcDNA配列の解析を行った結果、非ヒト感染性原虫T. b. brucei由来のTAOとヒト感染性T. b. rhodesiense及びT. b. gambiense由来のTAOとは、それぞれのアミノ酸配列において、完全に一致していた。このことは、TAOを標的とすることにより、トリパノソーマ原虫の種を問わないドラッグデザインが可能になることを示している。またこれまでT. b. bruceiの酵素を用いて蓄積されてきた実験結果がそのまま有力な情報として利用できることを示しており、この知見は以降の研究を進める上で極めて貴重な意味を持っている。

2.部位指定変異法による組み換えTAOの解析

 TAOはミトコンドリア内膜に存在する膜タンパク質であり、合成量が低いという制約がある上、酵素自体が非常に不安定であり生化学的解析は遅れている。そこで、TAOを含むalternative oxidase酵素ファミリーのアミノ酸配列において、保存性が高く、反応中心金属の鉄に配位すると考えられるdi-iron結合モチーフとその周辺のアミノ酸配列の重要性を調べるために、大腸菌を用いた組み換えTAOの部位指定変異解析を行った。酵素の評価システムとしては次の3つの方法を用いた。すなわち、(1)変異酵素で形質転換した大腸菌ヘム生合成系酵素欠損(ΔhemA)株呼吸鎖の末端酸化酵素がTAOのみであることを利用して大腸菌の成長曲線で活性を評価する方法、(2)TAOに対する薬剤阻害活性への変化をその大腸菌の増殖から簡便にスクリーニングする方法、及び(3)酵素学的にTAOのユビキノール酸化反応を測定する方法を用いた。現在データーバンクに登録されている約70種のalternative oxidase酵素のアミノ酸アライメントに基づいて、それらに共通して高度に保存されている領域内のアミノ酸残基をそれぞれアラニン残基に置換し、個々の残基の重要性についての解析を進めた。その結果、TAOにはこれまで活性に必須と考えられてきたdi-iron結合モチーフの他に、グルタミン酸残基とチロシン残基が6個のアミノ酸残基をはさんだ領域が、TAOの活性発現に重要な役割を果たしていることを明らかにすることができた。この新しいE(X)6Yモチーフは、alternative oxidase酵素に共通して見られるだけではなく、di-iron タンパク質として機能するΔ9-desaturaseやribonucleotide reductase R2 subunit (RNR)等に共通して存在しており、このE(X)6Yモチーフの普遍性と機能的重要性を示している。

 得られた変異酵素については、さらにアスコフラノンに対する感受性の変化について調べた。その結果、野生型酵素 (IC50値0.20 nM) に比べアスコフラノンに対して耐性を示す、E(X)6Yモチーフ近傍での部位指定変異、特にE216A (IC50値0.60 nM) とY247A (IC50値0.55 nM) の変異が明らかになった。このことは、TAOのこれらのアミノ酸がアスコフラノンとの相互作用に関わっていることを示唆している。

3.原虫を用いた薬剤アッセイとグリセロール効果の標的解析

 最後に、アスコフラノンの生体内での薬理効果を調べるために、マウスを用いた感染治療についての検討を行った。またin vivoでの効果を詳細に調べるために、ヒト感染性アフリカトリパノソーマ原虫株の血流型培養系を確立し、実際に、この系を用いて、アスコフラノンの抗原虫増殖抑制効果を明らかにした。すなわち、アスコフラノンは単独で極めて低濃度(MIC値: 3.36 nM, T. b. rhodesiense; 2.45 μM, T. b. gambiense)で死滅させることができ、アスコフラノンがこれまで研究されてきたT. b. bruceiのみならずヒト感染性の原虫に対し有望な抗トリパノソーマ剤であることが確認された。

 体内における薬剤の代謝などを考えた場合、効果の即効性を追及しなければならない。アフリカトリパノソーマ原虫はTAOを阻害することによる好気的エネルギー代謝の遮断が起きた場合、嫌気的エネルギー代謝を働かせると考えられてきた。嫌気的エネルギー代謝時に作用するグリセロールキナーゼ(GK)は、解糖系産物であるglycerol-3-phosphateとADPを基質としてグリセロールとATPを合成する。しかし、グリセロールを過剰に投与するとそのGK活性の逆反応が起こり、最終的に嫌気的呼吸鎖の遮断が起こるとされていたが明確な証拠はなかった。そこで、まず、ヒト感染性原虫に対するグリセロールとの併用効果について調べたところ、グリセロールを添加することでアスコフラノン単独の場合に比べ、約1/1000の低濃度で即効性を示すことが判った。グリセロールは、現在、実際にヒトの脳梗塞患者の治療時など臨床現場で使用されており、その安全性は実証されていることからAFの実用化にとっては貴重な知見が得られたと考えられる。さらに原虫体内において、グリセロールのGKに及ぼす影響を明らかにするため、GK遺伝子をノックダウンする目的で、二本鎖RNA干渉(dsRNAi)を可能とするトリパノソーマ原虫の組換え体を作成し、アスコフラノンとグリセロールとの併用効果をin vitroで調べた。その結果、予測に反して、GKノックダウン株にアスコフラノン感受性の上昇はみられなかった。この事実は、これまで考えられたきた様なGKの嫌気的エネルギー代謝への中心的な役割を再考すべきということを示している。またGKノックダウン株でもグリセロール併用効果が観察され、グリセロールの標的がGK以外であることが明確になった。

結語

 アフリカトリパノソーマ症は家畜の被害も含め多数のアフリカの人々を苦しめ、しかも特効薬が存在しない。本研究では、アスコフラノンが特にヒト患者への新規抗トリパノソーマ薬として極めて有望な薬剤であることを示すことができた。さらにアスコフラノンの抗トリパノソーマ効果にグリセロールが即効性と効果増強に有効であることを明らかにすることができた。すでにケニアにおいて中型動物を用いた感染治療実験も開始しているが、本研究が新しい抗トリパノソーマ剤として、一刻も早くアスコフラノンのヒトへの臨床応用へ近づくための有益な情報を提供したと確信している。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究で得られた成果は、アフリカトリパノソーマ原虫のエネルギー代謝系を標的として新規な抗トリパノソーマ症薬を開発しようとする研究潮流に大きな前進をもたらす内容を含んでおり、高く評価される。本研究では、アフリカトリパノソーマ原虫の呼吸鎖構成成分の一つであるユビキノール酸化酵素(TAO)が宿主となる哺乳類には存在しないことに着目し、TAO阻害剤を抗トリパノソーマ症薬として利用することの可能性が追求されている。すなわち、本研究では、酵素タンパク質としてのTAOの解析をもとに、TAOの特異的阻害剤であるアスコフラノン(AF)の抗トリパノソーマ効果をin vitro 系だけでなく実際に原虫を用いてin vivo 系で調べている。さらに、その際にはグリセロールと併用すればAFの効果が即効作用と同時に増強されることを明らかにし、その作用機序についても考察している。本研究成果の概要は次のとおりである。

1. これまでTAOの研究には非ヒト感染性アフリカトリパノソーマ原虫株T. b. bruceiが用いられてきた。しかし、ヒトを治療の対象にした場合、ヒト感染性の原虫株(T. b. rhodesienseとT. b. gambiense)を用いた解析が要求される。本研究では、T. b. rhodesiense及びT. b. gambienseからTAOのクローニングが試みられ、TAOのcDNA配列の解析が行われた。その結果、非ヒト感染性T. b. brucei由来のTAOとヒト感染性T. b. rhodesiense及びT. b. gambiense由来のそれとの間には、アミノ酸配列の完全一致が示された。このことは、TAOを標的にすれば、原虫の種を問わずに抗トリパノソーマ症薬をドラッグデザインすることができる可能性を示唆している。また、このことは、これまでT. b. bruceiのTAOを用いて蓄積されてきた研究結果がそのまま有力な情報として利用できることを示している。

2. TAOを含むalternative oxidase酵素ファミリーのアミノ酸配列の相同性解析を行ったところ、保存性が高く、反応中心金属の鉄に配位すると考えられるdi-iron結合モチーフの存在が明らかにされた。そこで、部位指定変異解析によってdi-iron結合モチーフ近傍のアミノ酸配列の重要性が調べられた。すなわち、大腸菌ヘム欠損株が作成され、シアン耐性で末端酸化酵素として働くTAOを組換え酵素として発現させることでその大腸菌の増殖をレスキューする実験系が組み立てられた。di-iron結合モチーフ近傍の主要アミノ酸を全てアラニンに指定変異するalanine-scanningによって、TAO活性活性に必須なモチーフ(-E(X)6Y-)の存在が明らかにされた。

3. AFのin vivoでの抗トリパノソーマ効果を調べるために、マウスを用いた感染治療実験が行われた。本研究では、ヒト感染性トリパノソーマ原虫株の血流型培養系が確立されている。この系を用いて、AFにヒト感染性原虫の増殖を抑制する効果があることが示された。すなわち、AFはT. b. rhodesienseに対してMIC値3.36 nM、T. b. gambienseに対してはMIC値2.45 μMの極めて低濃度で致死的効果を示すことが明らかにされた。この研究によって、AFがこれまで研究されてきたT. b. bruceiのみならずヒト感染性の原虫に対しても有望な薬剤である事が示された。アフリカトリパノソーマ原虫はTAOを阻害することによる好気的エネルギー代謝の遮断が起きた場合、嫌気的エネルギー代謝を働かせると考えられている。嫌気的エネルギー代謝時に作用するグリセロールキナーゼ(GK)は、解糖系産物であるglycerol-3-phosphateとADPを基質としてグリセロールとATPを合成し嫌気的代謝の主要な役割を担うと推測され、グリセロールを過剰に投与するとそのGK活性の逆の反応が起こり、最終的に嫌気的呼吸鎖の遮断が起こることが予測されてきた。そこで本研究では、実際にヒト感染性原虫を用いてグリセロールとの併用効果を調べたところ、グリセロールを添加することでAF単独の場合に比べ、約1000倍の感度で即効性を示すようになることが示された。グリセロールの併用効果の作用機序を明らかにするために、GKをノックダウンした原虫が創出され、原虫体内におけるグリセロールのGKに及ぼす影響が詳細に調べられた。

 以上のように、本研究では、in vitro 及びin vivo系を用いて、アフリカトリパノソーマ原虫由来のTAOに関する基礎的な知見が明らかにされ、その後、TAOの阻害剤であるAFの治療薬としての有効性が調べられた。特記すべきは、AFの抗トリパノソーマ作用に対するグリセロールの併用効果である。本研究は、新しい知の創出、価値ある知の発見をもたらしており、博士の学位の授与に値するものであると判断される。

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