学位論文要旨



No 122651
著者(漢字) 福山,祥子
著者(英字)
著者(カナ) フクヤマ,ショウコ
標題(和) トンガ人の栄養生態学 : 高肥満割合の集団における食物摂取と身体活動量の研究
標題(洋) Nutritional Ecology of Tongans : Study on Food Intake and Physical Activity Pattern in a Population with High Prevalence of Obesity
報告番号 122651
報告番号 甲22651
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2947号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 講師 李,廷秀
 東京大学 講師 春名,めぐみ
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 肥満はいまや先進国・開発途上国の別を問わず世界的な健康問題であるが,南太平洋の諸集団は特に肥満割合が高く,これを,エネルギー利用効率を上げるような「倹約遺伝子」の存在と関連付けた議論がしばしばおこなわれている.トンガ王国の肥満割合は世界で二番目である(男性47%,女性70%).同国の人々は19世紀後半から近隣諸国への移住を始め,現在では海外移住者からの送金によって経済が支えられている.近代化も急速に進み,この数十年で成人の平均体重が15kgほど増加し,糖尿病罹患率は倍増した.

 「肥満の生態学的モデル」(Swinburn and Egger, 2004)によって表されるように,定常体重はエネルギーの摂取・消費のバランスと,遺伝的要素の大きい生理学的調節によって決まる.ヒトの様々な集団において,いくつかの遺伝的多型と肥満との関連が示されているが,南太平洋集団についての先行研究では肯定的な結果が得られていない.遺伝的特性の貢献の有無は別としても,近代化にともなう人々の行動の変化が肥満割合を増加させたことは明らかである.

 本研究はトンガ人の高肥満割合をもたらす環境・行動要因を特定することを目的とし, 2つの章にまとめた.すなわち,トンガ人の身体活動量(第1章)とトンガ人の食物摂取(第2章)である.本研究の対象であるコロバイは,トンガの首都ヌクアロファから車で15分ほどの人口約600人の村である.本論文は,2004年11月から2005年1月と2005年10月から2006年3月の計7ヶ月間の現地調査で収集したデータに基づいている.

第1章 トンガ人の身体活動量

 体重はエネルギーの摂取と消費のバランスによって決まる.エネルギー消費レベルは基礎代謝量(basal metabolic rate: BMR)の何倍かという値で表すことができるが,この係数を身体活動レベル(physical activity level: PAL)とよぶ.他地域における疫学的な先行研究からは,身体活動量が肥満と関連していることが指摘されているが,南太平洋における身体活動研究は少なく,トンガにおいては全くない.本章は1)タイムアロケーション法によって,トンガの成人の行動を観察してPALを推定することを目的とした.さらに,2)加速度計によるエネルギー消費量の推定と,秤量の食事調査によるエネルギー摂取量の推定をもとに,エネルギーバランスを測定した.

 タイムアロケーション調査は,成人58人(男性22人,女性36人)を対象とした.2005年1月の連続6日間(月曜日から土曜日)にかけて,1.5時間ごとに毎日8回各16世帯を訪問し,対象者の活動を観察・記録した.FAO/WHO/UNUの活動ごとのエネルギー消費量を用いて,2720(人・1.5時間)の観察から,男女別に1日平均のPALを算出した.

 加速度計によるエネルギー消費量測定は,9人の成人(男4,女5)を対象として,各対象者に調査前日の夜から翌朝まで(約36時間)加速度計を装着してもらった.加速度計による推定エネルギー消費量(日本人の基礎代謝量に基づく)を,対象者のBMR(WHOの推定式から計算)で除してPALの推定値とし,このPALとBMRを乗じたものをエネルギー消費量の推定値とした.また,同日の食物摂取量を調理の段階から秤量し,第2章と同様にエネルギー摂取量を推定した.

 タイムアロケーション調査から得られたPALの推定値は男性で1.58 ± 0.10,女性で1.44 ± 0.04となり,男性において有意に高かったが,WHO/FAO/UNUの分類によるとどちらも「軽度」と「中程度」の中間であった.エネルギー消費量が明らかに過小評価された1人を除くと,食事調査から推定したエネルギー摂取量は,8人中7人で推定消費量よりも1割程度低かった.

 以上の結果より,1)男女の生業の違いを反映して,女性よりも男性の身体活動量が高いことが示され,2)エネルギー消費量が摂取量よりも高い傾向が観察されたが,調査が日曜に行われた1つのケースではその逆であった.

第2章 トンガ人の食物摂取

 高肥満割合の要因究明には,集団の食習慣にかんする詳細な情報と,栄養素摂取レベルやその摂取源の定量的なデータが不可欠である.トンガにおいては,24時間思い出し法による全国的な栄養調査や,質問紙による食物摂取頻度調査が実施されたが,栄養素摂取についての定量的なデータには欠いている.他の南太平洋集団について定量的食事調査は数多くあるが,一方で個人レベルの食行動の差異についてはほとんど研究されていない.肥満の個人差と関連する行動を見出すことは,同じ環境においても肥満傾向の個人差が生じる要因を明らかにする手がかりとなる.本章は,1)集団としての栄養素摂取レベルとその摂取源をあきらかにし,2)肥満の個人差と関連する食物摂取パターンをみいだすことを目的とした.

 成人39人について,2005年11月と2006年の2月の連続7日間ずつ,繰り返し24時間思い出し法による食事調査を実施した.そのうち全データがそろった34人(男性15人,平均(±SD)BMI 32.3 ± 4.4,女性19人;36.4 ± 5.4 kg/m2)のデータを分析した.また,ポーションサイズ推定のために,約70種類のメニューについて材料と出来上がり重量を測り,南太平洋地域の食品成分表を用いて,17種類の栄養素の摂取量を計算した.食物摂取パターンとBMIの関連をみるために,BMIとエネルギー摂取量,脂質あるいは輸入食品からのエネルギー摂取割合の相関を分析した.

 平均的にみた場合,対象者らは,通常1日3食,パン類(朝・昼)およびイモ・バナナと肉または魚(夕)を摂食していた.食物の種類に多少の季節差を認めたが,各栄養素摂取量には有意の季節差を認めなかった.14日間を通じた1日あたり平均エネルギー摂取量は男女でそれぞれ3017 ± 580,2614 ± 553 kcalであり,男性が有意に高かった.微量栄養素はFeのみ男性で有意に高く,その他は性差がなかった.Mg,ビタミンA,リボフラビンの摂取量は対象者の半数以上で,日本人の推定必要量を下回っていたが,その他の栄養素は充足していた.

 脂質,コレステロール,タンパク質,エネルギーは約5割を輸入食品から摂取していたのに対し,ビタミンC,A,Eは8割以上を国産食品から摂取しており,輸入食品がエネルギーを多く含む一方で,ビタミンなどの微量栄養素の含有量が少ないことが示された.また, FeとCaの摂取量について,それぞれカヴァ(コショウ科の植物の根から作る飲み物)とウミウシの摂取が最も寄与が大きい食品であったことは特徴といえる.

 エネルギー摂取量は多くの場合BMIと正に相関するが,本研究では相関がみられなかった.これはエネルギー必要量が除脂肪体重に比例することによると考えられる.本研究の対象者は全員のBMIが高く体脂肪率が高いため,BMIに差があっても除脂肪体重の差は小さい.同様の理由により,体重あたりのエネルギー摂取量はBMIと負に相関した.さらには,脂肪からのエネルギー摂取割合,輸入食品からのエネルギー摂取割合は,いずれもBMIと相関せず,これらの食物摂取パターンでは,トンガ人の肥満の個人差を説明できないことが示唆された.

 エネルギー摂取量の日間変動に着目すると,feastのあった5,7,13日目で高かった.14日間をfeastのあった3日間となかった11日間でわけて,体重あたりのエネルギー摂取量とBMIをプロットすると,双方で負に相関したが,回帰直線の傾きの絶対値はfeastのあった日のデータでより大きかった.エネルギー摂取量のfeast/non-feastの比をとると,BMIと有意な負の相関を示した(p = 0.016).この比には世帯の食事環境よりも,むしろ個人のエネルギー摂取調節が反映されていると考えられた.

総括

 女性よりも男性でPALが高いことは,トンガと同様に男性よりも女性のBMIが高いサモアやクック諸島でも報告されている.また,エネルギーバランスについては,トンガと食習慣が似ているサモアにおいて平日で低く日曜に高いという報告がある.肥満は長期間の過剰エネルギーの蓄積によっておこることから,本結果においてBMIと負に相関していたfeast/non-feastのエネルギー摂取量比は,長期間のエネルギーバランスを反映していると考えられる.

 近代化にともなって生じた肥満の個人差の増大について,以下のような過程が考えられる.過去の記述や村の高齢者の話から推測すると,数十年前まではトンガにおけるfeastの頻度は現在よりも明らかに低く,またnon-feastにおける食事もはるかに質素だった.そのような時代にはnon-feastにおける入手可能食物が少量であったために,feastにおける余剰エネルギー摂取は,non-feastの間に自然に相殺されていた.ところが輸入食品の流入と現金経済によっていつでも安定して食物が入手できる現在では,non-feastの間にも食物が十分にあるために,feastの余剰エネルギーを調節するか否かは個人の調節能力に依存するようになった.過去には潜在的だったその能力が,近代化によってもたらされた環境変化によって顕在化し,肥満の個人差を生じさせた.

結論

 タイムアロケーション調査は,身体活動レベルが男性よりも女性で低いことを示唆した.加速度計による調査は平日にはエネルギー消費量が摂取量を上回る傾向を明らかにした.食事調査はトンガ人がfeastのある日には過剰なエネルギーを摂取し,feastの習慣が彼らの高肥満割合に貢献していることを示した.さらに,BMIの高い対象者でみられたfeast/non-feastのエネルギー摂取量比の低さは,エネルギー摂取調節能力の低さを反映することを示唆した.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はトンガ人の肥満に寄与する環境・行動要因を明らかにすることを目的として,身体活動と食物摂取にかんする調査をおこなった.著者は2002年から2006年にかけて16ヶ月間にわたって調査地に滞在し,トンガ語を十分に習得して調査地域の人々とのラポールを築いたうえで,データ収集に臨んだ.本研究のデータはそのうち後半の7ヶ月間の調査にもとづいており,得られた主な結果は以下に要約される.

1. 成人58人を対象として6日間おこなったタイムアロケーション調査から,生業の男女差を反映して,身体活動レベル(Physical Activity Level: PAL)は女性(1.44 ± 0.04)よりも男性(1.58 ± 0.10)で高いと推定された.

2. 成人34人を対象として計14日間おこなった繰り返し24時間思い出し法による食物摂取調査から,Feastのある日におけるエネルギー摂取量(男性3786 ± 930 kcal,女性3229 ± 1000 kcal)は,feastのない日(男性2808 ± 571 kcal,女性2447 ± 460 kcal)よりも有意に高く,トンガにおけるfeastの習慣が高肥満割合に貢献していることが示唆された。

3. 個人ごとにFeast/non-feastにおけるエネルギー摂取量の比(Ratio of Energy intake on Feast/non-feast days: REF)をとると,REFはBMIと負の相関をしめし,低いREFはエネルギー摂取調節能力の低さを反映することが示唆された.

 以上,本論文は世界的に肥満割合が高いトンガにおいて,身体活動,食物摂取にかんする貴重な定量的データを提供し,さらにREFで表される食行動パターンが肥満の個人差を説明しうる可能性を示した.本研究は,全世界的な健康問題である肥満の環境・行動要因の解明とその解決に重要な貢献をすると期待され,学位の授与に値するものと考えられる.

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