学位論文要旨



No 122657
著者(漢字) 日下,智聖
著者(英字)
著者(カナ) クサカ,トシマサ
標題(和) 赤血球分化における鉄のホメオスタシスと遺伝子発現制御 : 赤血球系細胞における鉄応答性配列を介したヘム生合成律速酵素の発現調節機構解析
標題(洋)
報告番号 122657
報告番号 甲22657
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1202号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨 要旨を表示する

 哺乳動物の血球系細胞は、造血幹細胞からの正常な細胞運命決定により、好中球をはじめとする白血球、巨核球、赤血球へと終末分化する。その分化過程は巧妙かつ複雑な制御の元にあり、それらの分化・増殖の障害により、血液の癌、白血病などを発症する原因となる。近年臨床で有望視され、成功している白血病の治療法として、分化誘導剤を使用する方法がある。例えば、急性前骨髄球性白血病(APL)の代表的な治療法としては、内因性レチノイドである,all-transレチノイン酸(ATRA)を投薬することで、白血病細胞を成熟好中球へと分化誘導させ、高い完全寛解率が得られている。ATRA耐性の再発性・難治性APLには、新規合成レチノイドAm80や亜砒酸も臨床的に用いられ、高い有効性を示している。APL以外にヒト慢性骨髄性白血病細胞K562の古典的な分化誘導剤としてはヘミンが知られており、K562にヘミンを投薬することにより、当該の白血病細胞は赤血球へと分化誘導する。

 赤血球分化は、造血幹細胞から赤血球系への運命決定がなされる初期分化と、鉄を細胞内へ取り込みながらヘモグロビンを産生して赤血球として機能成熟する後期分化の2段階に分けられる。ヘミン投薬によるK562の赤血球分化誘導は、赤血球分化の後期過程を反映しており、後期分化におけるヘムの作用は赤血球分化の機能成熟を促進させる方向に働くと考えられる。一方で、初期分化に対するヘムの影響を検討するため、ヘム生合成関連化合物やその阻害剤存在下で、マウス骨髄細胞中の赤血球前駆細胞であるCFU-Eとより幼弱なBFU-Eを対象にコロニー形成能を解析した。はじめに、ヘム前駆体である5-アミノレブリン酸(ALA)とその代謝産物であるプロトポルフィリンIX (PPIX)の存在下、野生型マウス骨髄細胞を用いてコロニーアッセイを行った(図1)。ALAとPPIXは、細胞内に取り込まれるとヘムへと変換され、ヘム産生増加に伴う影響を検証できる。無添加培地と比較して、ALAはBFU-Eにおいてのみ、PPIXはBFU-E/CFU-E双方においてコロニー形成の抑制が認められた。特にBFU-Eにおいて著しい抑制が観察された事から、幼弱な程ヘム産生に伴う増殖抑制効果が強くなる傾向があり、後期分化とは相反して赤血球分化初期におけるヘム過剰は赤血球増殖障害となることが示唆された。

次に、鉄キレート剤desferrioxamine (DFO)とヘム生合成阻害剤succinylacetone (SA)を添加し、ヘム産生低下に伴う影響を調べた(図2)。3μMのDFO添加時にCFU-E数が3倍以上に増加することが認められ、BFU-Eでは変化が認められなかった。従って、鉄依存的なヘム生合成能の低下によっても、赤血球初期分化が促進されることが明らかとなった。一方、SA3μM処理で、CFU-E数が微増しており、全体としてはSAの効果は抑制的に強く現れたが、PPIXの結果と合わせて考えると、赤血球前駆細胞では分化の進行にとって細胞内ヘムの至適濃度が存在することが推測された。赤血球分化の初期と後期では、ヘモグロビン合成の有無から細胞内鉄濃度は大きく異なり、鉄代謝による分化関連遺伝子調節機構がヘム産生をコントロールしている可能性が考えられ、ヘム産生調節という観点から、ヘム生合成経路の初発酵素である赤血球型5-アミノレブリン酸合成酵素(ALAS-E)遺伝子に着目した。ALAS-E遺伝子mRNAの非翻訳領域(5'-UTR)には、トランスフェリン受容体や鉄貯蔵タンパク質フェチリンなどの鉄代謝関連遺伝子の間で保存性が高い、鉄応答性配列(IRE)が存在し、Iron regulatory proteins (IRP1および2、IRPs)が細胞内鉄濃度依存的にALAS-E IREに結合・乖離し、鉄利用度に応じた当該遺伝子の発現制御によりヘム産生をコントロールしていることがin vitro解析から明らかにされている。本研究では、赤血球分化段階に応じたヘム合成量の適切なコントロールを、ALAS-E IREによるALAS-E遺伝子発現調節が担っている可能性を追究した。

 ALAS-E IREの赤血球分化初期および後期に対する役割を同時に解析するため、遺伝子導入マウス(Tg)の確立を試みた。赤血球組織特異的に発現させるため、転写因子GATA-1遺伝子プロモーターを用い、その下流に野生型およびIREが欠失したALAS-E cDNAをそれぞれ連結させたトランスジーンを用いて(図3A)、野生型およびIRE欠失型ALAS-E遺伝子導入マウス(WT TgおよびΔIRE Tg)を作製した。確立された複数ラインのTgのうち、RT-PCR法により導入遺伝子の発現が同程度であるWT TgとΔIRE Tg A/Bの3ラインを選び、野生型マウス(Non Tg)をコントロールとして解析を進めた(図3B)。

 今回、確立したTgは内因性のALAS-Eプロモーターではなく、GATA-1プロモーターを用いているため、CFU-Eから発現する内因性ALAS-Eよりもより早期であるBFU-E辺りから外因性ALAS-E遺伝子を発現していると推測でき、赤血球初期におけるALAS-E過剰発現に伴うヘムの作用をモニタリングすることが可能となる。そこで、先程と同様にコロニーアッセイを行った結果、通常培地中では、WT Tg, ΔIRE Tgとも、Non Tgと比較して、BFU-Eではほとんどコロニーが形成されず、CFU-Eでもコロニー数が半減することがわかった。赤血球初期分化に対するALAS-E過剰発現はALAやPPIX同様に抑制的に作用することが明らかとなった。一方、DFOを添加すると、WT Tgでは、Non Tgと同様に無添加時よりもCFU-E数が3.2倍まで増加したのに対し、ΔIRE Tgではその変化が認められなかった(図4)。但し、BFU-E形成に対しては、DFOはNon Tg, ΔIRE TgおよびWT Tgすべてに対し無効であった。これらの結果から、ALAS-E IREが赤血球初期分化において、細胞内鉄代謝に応じてヘム産生を抑制することで赤血球初期分化をコントロールしていることが示唆された。

通常培地中では、WT TgとΔIRE Tgの間で顕著な差がなかったことと、定常状態飼育下、成体のΔIRE TgおよびWT Tg間で軽度な貧血が認められたが、両者に顕著な差はなかったことから、定常状態では鉄が過剰に存在し、IREが機能的でない条件に近いと推測されたので、次にIREが機能的である鉄欠乏状態を誘導するために、成体マウスに対し断続的な瀉血を行った。2週間にわたる断続的な瀉血後、ΔIRE Tgの末梢血においてのみ、UV照射下でポルフィリン由来と考えられる強い赤色蛍光が観察され、蛍光顕微鏡下でこの蛍光が赤血球由来であることを確認した(図5A-B)。続いてFACSによる定量的な解析を行った結果、瀉血後にΔIRE Tgの赤血球に蓄積した平均ポルフィリン量はWT Tgの15倍に達した(図5C)。尚、成熟赤血球に蓄積したポルフィリンは、HPLCによりPPIXと同定した。これらの結果から、赤血球後期分化において、ALAS-E IREは鉄の生物学的利用度に応じてポルフィリン合成をコントロールし、特に鉄欠乏状態において、ポルフィリン合成を抑制して赤血球での異常なPPIXの蓄積を回避する役割を担っていることが明らかとなった。

 瀉血されたΔIRE TgおよびWT Tgでの赤血球におけるポルフィリンの蓄積量とALAS-Eタンパク質発現レベルが相関するかを検証した結果、赤血球のポルフィリン量とALAS-Eタンパク質発現量は正の相関を示した(図6)。加えて、瀉血により成体の中でALAS-E IREへのIRPsの結合能が亢進しているか検証するため、ALAS-E IREをプローブとしたRNA EMSAを行い、赤血球中におけるIRPsのIRE結合能を測定した。その結果、Non Tg、ΔIRE TgおよびWT Tgすべての赤血球で、IRP1のIRE結合能は鉄欠乏状態時で亢進していた(図7)。以上の結果から、ΔIRE Tgにおけるポルフィリンの異常蓄積が、ALAS-E IREを介して翻訳が抑制されるはずの鉄欠乏状態でALAS-E IREが機能しないことから起こるALAS-E発現の異常亢進により惹起されることが明らかとなった。

 本研究からALAS-E IREは、(1)赤血球初期分化では、細胞内の低い鉄濃度に応じてALAS-E発現を抑制してヘム生合成量を低下させ、ヘムによる分化阻害作用が発揮されないように機能していること、(2)一方赤血球後期分化では、病理学的な鉄欠乏状態で鉄の生物学的利用度に応じて赤血球でのポルフィリン合成を制御することによりPPIX蓄積を防ぐのに機能していること、が示唆された。さらに、(3)鉄欠乏時にΔIRE Tgの赤血球内で蓄積したポルフィリンがPPIXのみであったことから、正常な鉄が十分に供給される状態では、赤血球においてALAS-Eがヘム生合成の律速酵素であることが実証された。今後、赤芽球系白血病や貧血、ポルフィリン症を含めた原因遺伝子未同定の遺伝性疾患には、ALAS-E IRE変異により惹起される疾患が存在する可能性がある。

図1 マウス野生型骨髄細胞を用いたヘム前駆体添加培地でのコロニーアッセイ

図2 ヘム生合成阻害剤・鉄キレート剤添加による細胞内鉄濃度低下条件における赤血球前駆細胞増殖能の検討

図3 ALAS-E IRE欠損遺伝子発現マウスの確立

図4 Desffetoxatmine (DFO)添加による細胞内鉄濃度低下条件における赤血球前駆細胞増殖能の検討

図5 瀉血による鉄欠乏状態誘導時にΔIRE Tgの赤血球で顕著なポルフィリン蛍光蓄積が観察された

図7 RNA EMSAによるIRPsのALASE IRE結合能の測定

審査要旨 要旨を表示する

 ガン細胞に対する分化誘導療法は急性前骨髄球性白血病(APL)に対するレチノイド投与をはじめとして、高い治療効果を上げつつあるが、分化誘導療法開発には細胞分化を制御する分子機構の解明は重要な課題である。ヒト慢性骨髄性白血病細胞K562の古典的な分化誘導剤としてはヘミンが知られており、K562にヘミンを投薬することにより、当該の白血病細胞は赤血球へと分化誘導するが、赤血球分化は、造血幹細胞から赤血球系への運命決定がなされる初期分化と、鉄を細胞内へ取り込みながらヘモグロビンを産生して赤血球として機能成熟する後期分化の2段階に分けられる。ヘミン投薬によるK562の赤血球分化誘導は、赤血球分化の後期過程を反映しており、後期分化におけるヘムの作用は赤血球分化の機能成熟を促進させる方向に働くと考えられる。一方で、初期分化に対するヘムの影響は、過去において検討が十分になされていない。

1. ヘムの赤血球型初期分化への影響

 赤血球初期分化に対するヘムの影響を解析するために、マウス骨髄細胞を用いたコロニーアッセイを行っている。その結果、細胞内に取り込まれるとヘムに変換され、細胞内ヘム濃度を上昇させると考えられる、ヘム生合成前駆体の5-アミノレブリン酸(ALA)ならびにプロトポルフィリンIX (PPIX)処理により、骨髄細胞中に含まれる赤血球型前駆細胞であるBFU-EおよびCFU-Eのコロニー形成能が、濃度依存的に抑制されたことを見出している。特に、CFU-Eと比較して幼弱な赤血球型前駆細胞であるBFU-Eコロニー形成に対して、より強い抑制作用を示している。しかし、ALAはCFU-Eコロニー形成に対しては、ほとんど影響を与えなかった。PPIXとALAとの作用の違いは、PPIXがヘム生合成経路の最後の生合成中間体であるのに対し、ALAがヘム生合成経路の最初の前駆体であることから、取り込みから細胞内でのヘムへの変換に要する時間の差が影響している可能性を指摘している。

 一方、細胞内のヘム濃度を低下させる薬剤として、ヘム生合成に鉄が利用されることから、細胞内の鉄キレート剤であるdesferrioxamine (DFO)とヘム生合成阻害剤succinylacetone (SA)の作用を検討している。DFOには、BFU-E/CFU-Eのコロニー形成能に対する促進作用が認められ、特にCFU-Eコロニー形成に対して、強い作用を示した。一方、SAはBFU-Eコロニー形成を強く低下させるのに対し、CFU-Eコロニー形成能には、僅かに促進的に作用するのを観察している。

 以上の結果から、幼弱な程、過剰なヘムによる増殖抑制効果が強くなる傾向があり、赤血球分化後期とは異なり赤血球分化初期におけるヘム過剰は赤血球増殖障害となる一方、鉄依存的なヘム生合成能の低下によっても、赤血球初期分化が促進される、と結論している。また、SA 3μM処理で、CFU-Eコロニー数が微増し、PPIXが濃度依存的に減少させることから、赤血球前駆細胞では分化の進行にとって細胞内ヘムの至適濃度が存在する可能性を推測している。

2. 生体内における赤血球型5-アミノレブリン酸合成酵素遺伝子鉄応答性配列の赤血球分化初期での役割

 本研究では、1の結果から、赤血球分化の初期と後期では、ヘモグロビン合成の有無により細胞内鉄濃度が大きく違いがあると推定し、鉄代謝による分化関連遺伝子調節機構がヘム産生をコントロールしている可能性を想定している。そこで、ヘム生合成経路の初発酵素としてヘム産生調節を行い、5'-UTRに鉄応答性配列(IRE)が存在する赤血球型5-アミノレブリン酸合成酵素(ALAS-E)遺伝子に注目し、細胞内鉄濃度による赤血球分化段階に応じたヘム合成量の適切なコントロールが、ALAS-E IREによるALAS-E遺伝子発現調節が担っていることを検証している。赤血球分化初期および後期に対する役割を同時に解析することを可能にするため、赤血球系組織での発現を誘起する転写因子GATA-1遺伝子プロモーターを用い、その下流に野生型またはIREが欠失したALAS-E cDNAを連結させたトランスジーンを用いて、2種の遺伝子導入マウス(WT Tg, ΔIRE Tg)を確立した。WT Tg, ΔIRE Tgの各骨髄細胞の赤血球系コロニーアッセイの結果、通常培地中では、WT Tg, ΔIRE Tgとも、BFU-Eコロニーがほとんど形成されず、CFU-Eコロニーでも野生型(Non Tg)と比較して、半減することが見出したことから、赤血球初期分化に対するALAS-E過剰発現はALAやPPIX同様に抑制的に作用することを明らかにした。一方、DFOを添加すると、WT Tgでは、Non Tgと同様に無添加時よりもCFU-E数が3.2倍まで増加したのに対し、ΔIRE Tgではその変化が認められないことから、ALAS-E IREが赤血球初期分化において、細胞内鉄代謝に応じてヘム産生を抑制することで赤血球初期分化をコントロールしていることを示唆した。

3. 生体内における赤血球型5-アミノレブリン酸合成酵素遺伝子鉄応答性配列の赤血球分化後期での役割

 通常の飼育下で成体のΔIRE TgおよびWT Tg間で軽度な貧血が認められたものの、両者に顕著な差がないことから、2週間にわたる断続的な瀉血を行い、IREが機能的であると推定される鉄欠乏状態を誘導での表現型を検討した結果、ΔIRE Tgにおいてのみ、末梢赤血球でPPIXが異常蓄積しているのを確認した。この結果により、赤血球後期分化において、ALAS-E IREは鉄の生物学的利用度に応じてポルフィリン合成をコントロールし、特に鉄欠乏状態において、ポルフィリン合成を抑制して赤血球での異常なPPIXの蓄積を回避する役割を担っていることを示唆している。

 また、瀉血されたΔIRE TgおよびWT Tgでの赤血球のポルフィリン量とALAS-Eタンパク質発現量とが正の相関を示すこと、また、Non Tg、ΔIRE TgおよびWT Tgすべての赤血球で、IRP1のIRE結合能が瀉血により亢進していることを確認し、瀉血時のΔIRE Tgにおけるポルフィリンの異常蓄積が、ALAS-E IREの脱制御によるALAS-E過剰発現が原因であることを明らかにしている。

 以上、日下智聖の研究業績は、赤血球分化機構の研究から、ヘム生合成系酵素遺伝子であるALAS-EのIREの生理機能研究に発展させ、特に、赤血球初期分化で、細胞内の低い鉄濃度を感知することでALAS-E発現の抑制を介して、ヘム合成量を適正量まで低下させることで、ヘムによる分化阻害作用発揮を阻止する機能をもつことを示唆した。この知見は、これまでのALAS-E IREの機能研究に新たな視点を与えるものであり、また、ALAS-E IREが進化上、高い保存性を有することに合理的な説明を与える結果であると認められる。以上から、本研究は、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと考えられた。

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