学位論文要旨



No 122663
著者(漢字) 砂原,一公
著者(英字)
著者(カナ) スナハラ,ヒサト
標題(和) 光誘起電子移動を制御機構とした環境感受性蛍光プローブの開発とその応用
標題(洋)
報告番号 122663
報告番号 甲22663
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1208号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 助教授 富田,泰輔
 東京大学 講師 池谷,裕二
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 環境感受性蛍光プローブは、化学構造の変化を伴うことなく周辺の環境に応じてその蛍光特性が変化する蛍光色素である。これまでタンパク質や細胞膜を標的に使われてきたが、励起波長が短いものが多く、細胞に与える障害を考えると細胞イメージング用蛍光プローブとして応用するには新たなプローブの開発が必要である。しかし環境感受性蛍光団の蛍光変化に対する知見は乏しく、新しいプローブの開発には試行錯誤が要求される。一方、当教室では光誘起電子移動(PeT)を消光原理とした蛍光プローブの論理的設計法を確立し、さまざまな標的に対する蛍光プローブの開発に成功している。これらの蛍光プローブは標的分子と特異的に反応・結合することで化学構造が変化し、それに伴い電子密度が大きく変化することで蛍光がoffからonへと変化する。

 私はベンゼン環部位のHOMOエネルギーを変化させた種々のboron dipyrromethene (BODIPY)誘導体を合成し、その蛍光特性を精査することで、溶媒の誘電率に依存して蛍光on/offの境界が変化することを見出した(Figure 1)。具体的には、CH3CN中では3、7は蛍光を発し9、11は無蛍光であるが、溶媒をCH2Cl2とすると3、7、9は蛍光を発し11は無蛍光へと変化する。さらにBenzene中においては3から11のすべてが蛍光を持つようになる。このようにPeTを用いることで系統的に環境感受性蛍光プローブの開発が可能となった。

 本研究ではこの知見に基づき、PeTを用いて蛍光特性を制御した環境感受性蛍光プローブの開発とその応用を行った。

【本論】

1. タンパク質表面環境の測定

 BODIPYを蛍光団とした環境感受性蛍光プローブは溶媒中では劇的な蛍光強度変化を示した。そこで生物試料への応用としてまず、蛍光on/off境界の異なる蛍光プローブを用いてBSA表面環境の検出を試みた。BSA添加による蛍光強度変化を示す(Figure 2)。7、9ではBSA添加により蛍光上昇が観察され、3、11では蛍光変化はほとんど見られなかった。極大吸収波長のシフトから(Table 1)、いずれの化合物もBSAとの相互作用は確認される。7、9では水中からBSA表面の疎水的環境へと変化したことを検出してPeTの解除により蛍光強度が上昇したと考えられる。一方3はPeTが起こらず、11ではPeTが起こりすぎてBSAの表面環境では消光解除されなかったと考えられる。

 以上の蛍光特性変化と、各溶媒で示す蛍光on/off境界(Figure 1b)を比較することにより、BSA表面環境はacetone程度と見積もられた。これは蛍光on/offを調節した化合物を作成できるようになり、ライブラリーとして応用することで得られた結果である。

 このように、生物試料への応用が可能であることが確認され、またPeTにより蛍光制御することでその周辺環境に適切な蛍光プローブを選択することができることが示された。次にこれを利用したセンサー分子の開発について述べる。

2. グルタミン酸可視化蛍光バイオセンサーの開発

 L-グルタミン酸(Glu)は中枢神経系において主要な興奮性神経伝達物質であり、学習・記憶や神経細胞死などの重要な働きを担っている。グルタミン酸自体の検出法はさまざまあるが、イメージングに使えるプローブの報告例はほとんどない。そこで生細胞でグルタミン酸を特異的かつリアルタイムに検出するセンサー分子の開発を行った。

 共同研究先の廣瀬研究室ではグルタミン酸受容体(GluR)を直接利用し、これに蛍光プローブをラベルしたバイオセンサーを開発している。一般にバイオセンサーは、標的分子と結合すると大きく構造が変化するタンパク質を用いており(Figure 3a)、その結合部位の近傍に環境感受性蛍光プローブがラベル化されている。標的分子の結合前、蛍光プローブは親水的環境により消光しているが、標的分子との結合によりタンパク構造が変化して疎水的環境へと変化することで蛍光を発するようになる。しかしながらGluRはグルタミン酸の結合による構造変化が小さいことが知られており、環境感受性蛍光プローブをラベルしてもその蛍光変化が小さく、蛍光上昇は30%程度である。これは環境変化に合った適切なプローブではないからであると考えて、より蛍光強度変化の大きなセンサー分子とするためにPeTにより蛍光on/offの境界を調整した化合物を種々合成し網羅的に検討した。

 長いリンカー、短いリンカーを持つ誘導体の合成、市販品の検討、さらなる合成展開を繰り返し検討した。その結果、25をGluRにラベル化したセンサーER-25(Figure 3b)が最も大きな蛍光変化(75%上昇)を示した。一方、比較対象として類似構造D20350をラベルしたER-D20ではPeTは起こらないが20%の蛍光上昇を示した。この蛍光上昇の差である55%はGlu添加によるタンパク質の微少な構造変化を25が検出して、PeTが解除されることに由来すると考えられる。

 このER-25のセンサーとしての機能評価を行った。Glu添加による吸収スペクトルの変化および励起・蛍光波長(ex. 508 nm, em. 518 nm)の変化はなく蛍光強度のみが上昇した(Figure 4a)。Glu濃度に依存した蛍光強度変化より解離定数Kdを算出したところER-25で944 nM、ER-D20で323 nMであり(Figure 4b)、未ラベル体のKd(480 nM)に匹敵することからラベルしたプローブはGlu結合を妨げないことが示された。また今回用いたGluRはAMPA型受容体に分類されるためAMPAと結合して蛍光上昇を示した以外は、その他のリガンドによる蛍光変化がないことから高い選択性が保たれていることが示された(Figure 4c)。最後にER-25を神経細胞表面へと固定し、シナプス間隙のGluイメージングを行った。電気刺激に伴うGlu放出による蛍光上昇の検出に成功した。

 このように、環境感受性蛍光プローブの蛍光特性をPeTで制御することにより、受容体の機能を損なうことなく蛍光強度のみを大きく変化させたバイオセンサーの開発に成功した(Figure 5)。

3. 蛍光制御した新規HaloTagリガンドの開発

 タンパク質の細胞内局在や動的挙動を解析する手法として近年、プロメガ社がHaloTagテクノロジーを開発した。これは無蛍光性のHaloTagタンパク質と蛍光色素から成るHaloTagリガンドとの結合を利用したタンパク質の蛍光標識技術のことである。代表的な蛍光タンパク質であるGFPと比較して、経時的な観察において多重染色が容易に行える点で魅力的であるが、現在、市販の緑色リガンドであるdiAcFAMは未ラベル体のwashがされにくくS/N比が悪いという問題点がある。そこで環境感受性蛍光プローブの利用を考えた。ラベル前はPeTにより消光しており、ラベル化されてタンパク質表面の環境を検出して初めて蛍光を発することができれば、S/N比よい観察が期待できる。

 既存のリガンドdiAcFAMを参考にBODIPYを蛍光団とする新規HaloTagリガンドをデザイン・合成した(Figure 6)。HaloTagタンパク質との結合に必要なReactive linkerを持ち、ベンゼン環部位には異なる置換基を有する化合物を合成した。これらについて各溶媒による蛍光測定を行ったところそれぞれ異なる蛍光on/offの境界を示した(Figure 7)。27はどの溶媒においても蛍光を発するが、28はDMSO(ε=48.9)より高極性では無蛍光であり、29はCH2Cl2(ε=9.14)より高極性では無蛍光であった。次にHaloTagタンパク質を発現したHeLa細胞をリガンド標識後、細胞を固定化し顕微鏡で観察した(Figure 8)。その結果、視野全体に広がった細胞のうち限られた細胞のみが染色されたことから、新規リガンドはHaloTagタンパク質に認識されることが強く示唆された。また28と29の間には蛍光強度の違いが観察された。PeTの起こりやすい29で蛍光が弱いことはタンパク質表面環境を認識しても十分に消光解除されなかったことを示唆しており、狙い通りの機能を有していることが明らかとなった。

 最後にdiAcFAMとの比較を行った。28はHaloTagタンパク質を発現した細胞だけが光っているのに対し、diAcFAMではその周りの細胞からの蛍光も観察された(Figure 9)。このように新規に開発した蛍光制御したHaloTagリガンドによってS/N比よく観察することに成功した。

【結論】

 PeTにより蛍光制御を可能とした環境感受性蛍光プローブの開発とその応用を行った。蛍光on/offの境界を変化させた蛍光プローブを系統的に合成できるようになり、ライブラリーとして用いることでタンパク質(BSA)の表面環境の見積もりに成功した。また適切なプローブを選択することで、(1)イメージングを可能とする波長と蛍光強度変化を有するグルタミン酸可視化蛍光バイオセンサーの開発、(2)既存のリガンドより有用な新規HaloTagリガンドの開発に成功した。本研究により、環境感受性蛍光プローブのPeTを利用した設計法とさらなる応用の可能性を示すことができた。

Figure 1. (a)BODIPY誘導体の構造

(b)溶媒変化に伴う蛍光on/offの境界の移動

Figure 2. BSAの有無によるBODIPY誘導体の蛍光変化

Table 1. BSAの有無によるBODIPY誘導体の分光学的性質

figure 3. (a)一般的なバイオセンサーの模式図

(b)BODIPY誘導体の構造

Figure 4. (a)Glu添加による蛍光スペクトル変化 (b)用量反応曲線 (c)各リガンドに対する選択性

Figure 5. (a)神経細胞表面に固定化したER-25の蛍光イメージング像 (b)電気刺激に伴うGluの蛍光検出

Figure 6. (a)diAcFAMの構造 (b)デザインした新規HaloTagリガンドの構造

Figure 7. (a)各リガンドの蛍光on/off環境の変化

27は常に蛍光であり境界がないので、28(---)、29(-・-・)のみ示す。

Figure 8. 各リガンドをロードしたHeLa細胞のイメージング

(上)蛍光像 (下)透過像

Figure 9. バックグランド蛍光の比較

審査要旨 要旨を表示する

 環境感受性蛍光プローブは、化学構造の変化を伴うことなく周辺の環境に応じてその蛍光特性が変化する蛍光色素であるが、これまでに開発されてきた蛍光プローブの励起波長は短く、細胞に与える障害を考えると細胞イメージング用蛍光プローブとして応用するには新たなプローブの開発が必要であった。しかし環境感受性蛍光団の蛍光変化に対する知見は乏しく、新規蛍光プローブは試行錯誤的に開発するしか方法がなかった。本論文は、長波長で機能する環境感受性プローブを論理的に開発し、これを応用することで様々な新規事象の計測を実現することを狙ったものである。

 本論文ではまず第1章で、光誘起電子移動(PeT)を消光原理とした蛍光プローブの論理的設計法を確立し、boron dipyrromethene (BODIPY)誘導体のベンゼン環部位のHOMOエネルギーを種々変化させたプローブ群が、溶媒の誘電率に依存して蛍光特性が変化する環境感受性プローブライブラリーとして機能することを明らかとした(Figure 1)。例えば、CH3CN中では3、7は蛍光を発し9、11は無蛍光であるが、溶媒をCH2Cl2とすると3、7、9は蛍光を発し11は無蛍光へと変化する。さらにBenzene中においては3から11のすべてが蛍光を持つようになる。このようにPeTを用いることで系統的に環境感受性蛍光プローブを開発することが初めて可能となった。

 次に第2章では、上述の蛍光プローブライブラリーを用いてBSA表面環境の検出を試み、BSA添加による各プローブの蛍光強度変化を精査することで(Figure 2)、BSA表面環境はacetone程度と見積もることに成功した。本結果は、環境感受性プローブライブラリーを用いることで初めて得られる知見であり、その有用性が示された。

 さらに第3章では、リガンド-レセプター相互作用による周辺環境変化に適切な蛍光プローブを選択することで、高感度グルタミン酸可視化蛍光バイオセンサーの開発を行った。L-グルタミン酸(Glu)は中枢神経系において主要な興奮性神経伝達物質であり、学習・記憶や神経細胞死などの重要な働きを担っているが、イメージングに使えるプローブの報告例はほとんどない。そこで名古屋大医学部廣瀬研究室と共同して、グルタミン酸受容体(GluR)にL-Gluが結合した際に起こる構造変化を、最大の蛍光変化として観察可能なプローブの開発を行った。環境感受性蛍光プローブライブラリーのベンゼン環電子密度、リンカーの長さ等を種々検討し、25をGluRにラベル化したセンサーER-25(Figure 3b)が最も大きな蛍光変化(75%上昇)を示すことを見いだした。最終的にはER-25を神経細胞表面へと固定し、シナプス間隙のGluイメージングを行い、電気刺激に伴うGlu放出による蛍光上昇の検出に成功した(Figure 4)。

 第4章では、近年開発されたタンパク質ラベル化手法であるプロメガ社のHaloTagテクノロジーに環境感受性プローブを適用し、HaloTagタンパク質との結合に必要なReactive linkerを持ち、ベンゼン環部位には異なる置換基を有する化合物を種々開発した。これらのプローブ類を、HaloTagタンパク質を発現したHeLa細胞に適用した結果、視野全体に広がった細胞のうち限られた細胞のみが染色され、HaloTagタンパク質に認識され、タグ化後タンパク質表面環境を認識してその蛍光特性が変化することが明らかとなった。さらに、開発したプローブの中でも28は、HaloTagタンパク質を発現した細胞だけが光り、既存の試薬であるdiAcFAMのように周辺細胞からの蛍光が観察されなかったことから、28はS/N比よくHaloTagタンパク発現細胞を観察可能な、極めて有用な蛍光プローブであることが明らかとなった(Figure 5)。

 以上本研究は、PeTを蛍光制御原理とすることで環境感受性蛍光プローブライブラリーの構築が可能であることを明らかにし、また開発したライブラリーを活用することで (1)タンパク質(BSA)の表面環境の計測、(2)大きな蛍光強度変化を示す新規グルタミン酸可視化蛍光バイオセンサーの開発、(3)S/N比の高い新規HaloTagリガンドの開発、にそれぞれ成功したものである。プローブ開発原理の確立から、プローブの合成・開発、各種生物系への適用まで幅広く研究した論文であり、博士(薬学)の授与に値するものであると判断された。

Figure 1. (a)BODIPY誘導体の構造

(b)溶媒変化に伴う蛍光on/offの境界の移動

Figure 2. BSAの有無によるBODIPY誘導体の蛍光変化

Figure 3. (a)一般的なバイオセンサーの模式図

(b)BODIPY誘導体の構造

Figure 4. (a)神経細胞表面に固定化したER-25の蛍光イメージング像 (b)電気刺激に伴うGluの蛍光検出

Figure 5. 28を用いた高S/N比細胞蛍光標識の実現

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