学位論文要旨



No 122664
著者(漢字) 中村,聡
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,サトシ
標題(和) 超強酸触媒による4H-1,2-ベンズオキサジン合成反応の開発と反応機構解析
標題(洋)
報告番号 122664
報告番号 甲22664
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1209号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 助教授 浦野,泰照
内容要旨 要旨を表示する

 分子が示す酸性度は最も単純な物理化学的パラメータの1つである。現代の有機化学分野にあって、単なるプロトン化に基づく化学反応はあまりにも単純であり、一見するともはや議論され尽くしたようにも思われる。しかし実際には分子の酸性度を利用した有用かつ特異な反応は現在も開発され続けており、またごく単純な構造を有する分子についてですら、その酸性度に基づく物性の詳細な理解が未だ得られていない例が知られている。中でも、筆者は(1)新規な超強酸触媒反応により高効率的かつ有用な有機化合物の合成を可能とし、かつその反応機構を理解すること、(2)計算化学的手法を用いて、有機化合物の酸性度という単純な、しかし重要な物理化学的パラメータの起源を理解することを目的とし、以下に示す各課題に取り組んだ。

(1) 超強酸触媒による4H-1,2-ベンズオキサジン合成反応の開発と反応機構解析

 酸素官能基を有する芳香環は基礎化学および応用化学の分野における最も重要な基本骨格の1つである。既にいくつかの工業的、もしくは実験室レベルでの芳香族酸素官能基化反応が開発されているが、反応基質に対する一般性や位置選択性などに制限があり、高効率的かつ位置選択的な芳香環の酸素官能基化反応の開発は重要な研究課題である。また、炭素-水素結合に対する直接的な官能基導入反応は近年の反応化学分野における主要な研究課題の1つであり、新たな方法論の提示は反応化学的にも大きな意義を有する。4H-1,2-ベンズオキサジン1は、ニトロオレフィンとベンゼンを基質とする超強酸触媒反応により初めて合成されたヘテロ環化合物である(Figure 1)。本反応は、ニトロ基を酸素源として利用した新規な芳香環の直接的酸素官能基化反応として捉えることができる。また1は穏和な加熱条件下で合成中間体o-ベンゾキノンメチドを与えることから、新たなビルディングブロックとしての活用も期待される。ところが本反応には基質一般性に大きな制限があり、より一般的な4H-1,2-ベンズオキサジン骨格の合成反応が望まれていた。そこで本研究では、ニトロアルカンを用いた4H-1,2-ベンズオキサジン合成反応の開発とその反応機構の解析を行った。

【分子内環化反応による4H-1,2-ベンズオキサジン骨格の形成】

 より一般的な4H-1,2-ベンズオキサジン骨格形成反応の開発を目的として、まず2-ニトロ-3-フェニルプロパン2の分子内環化反応を検討した。その結果、2を塩基処理して得られるaci-ニトロ塩3を過剰量のTFAに加えることで、4H-1,2-ベンズオキサジン骨格4が得られることが明らかとなった(Scheme 1(a))。しかしながら本法では反応収率の改善が難しく、また芳香環上に置換基を有する場合には環化反応が全く進行しなかった。そこで本反応の効率化を図り、系中でのaci-ニトロ体生成を促進するためにニトロ基α位にエステル基を導入した2-ニトロ-3-フェニルプロピオン酸メチル5aを基質として環化反応を検討した。その結果、5aを過剰量の超強酸トリフルオロメタンスルホン酸(CF3SO3H, TFSA)存在下で穏やかに加熱することにより4H-1,2-ベンズオキサジン6aが得られることを見出した(Scheme 1(b))。本反応は共溶媒としてクロロホルムを用いることで収率が大きく改善した。またルイス酸触媒を用いて同様の環化反応を検討したところ、塩化チタンや塩化ジルコニウムを用いた場合に低収率ながら6aが得られるに留まり、TFSAが本環化反応に極めて適した触媒であることが示された。次に、反応基質の一般化を目指して芳香環上に種々の置換基を有する3-アリール-2-ニトロプロピオン酸メチル類を基質として同様の条件下で反応を行ったところ、芳香環上に電子吸引性の置換基を有する場合には環化反応が収率よく進行し、4H-1,2-ベンズオキサジン骨格が得られることが判明した(Table 1)。一方で、芳香環上電子供与性置換基の存在は、環化反応の進行を著しく阻害した。また本環化反応の進行にはニトロ基α位にエステル基の存在が必須であり、アセチル基やベンゾイル基、アミド基など同様にカルボニル基を有する官能基に変換した場合でも対応する環化体は得られなかった。同時に、本環化反応は6員環形成に特異的であることも明らかとなり、対応するアリールニトロアルカンを基質としても5員環、7員環、もしくは8員環を与える環化反応は進行しなかった。本反応は4H-1,2-ベンズオキサジン骨格の一般的な形成を実現した初めての例である。また、得られた環化体はいずれも穏和な反応条件下で芳香環上の官能基を損なうこと無くo-ベンゾキノンメチド類や多置換フェノール類へと変換できることが明らかとなり、酸素官能基含有芳香族化合物の前駆体としての合成化学的な有用性が示された。

【ジカチオン性反応活性種の分子内1,3-双極子付加反応の可能性】

 本反応の反応機構を明らかとするため、まず反応の酸度依存性について詳細な検討を加えた。酸触媒としてTFAを用いた場合には環化反応は全く進行しなかったが、TFSAの添加に伴って環化体の収率が向上した。すなわち、環化反応の進行は反応媒体の酸性度に強く依存し、Hammettの酸度関数から推測するとα位エステル基のプロトン化が進行する程度の酸性度が要求されることが明らかとなった。また5aの塩基処理により得られるaci-ニトロ塩を用いて同様に解析したところ、反応の進行に要求される酸性度がやや低下した。これらの結果は、系中における酸触媒α-プロトン脱離に伴うaci-ニトロ中間体の形成が環化反応の進行に必須であることを強く示している。一方で、aci-ニトロ塩から反応を開始しても依然として高い酸性度が要求されることから、環化過程における真の活性種は単なるaci-ニトロカチオンよりも高活性な化学種であり、その発生にはTFSAの超強酸性が要求されることが示唆される。続いてaci-ニトロ化に続く環化過程を検討するため5aの環化反応にTFSA-dを用いた重水素化実験を行ったところ、ベンジル位プロトンの置換は観測されなかった。この結果から、当初想定されていたaci-ニトロカチオン7のベンジル位プロトンが脱離して生成する中間体8の6π-電子環状反応(Scheme 2(a))の関与は否定された。そこで、芳香環部位とaci-ニトロ部位が協奏的に結合を形成する1,3-双極子付加型の遷移構造9を経る反応過程について考察した(Scheme 2(b))。中間体として生成する環化付加体10は、水の脱離と芳香族性の回復に伴い4H-1,2-ベンズオキサジン骨格を与えると考えられる。理論化学計算による解析を試みたところ、中性のaci-ニトロ体9、もしくはモノプロトン化体である11または12を初期構造とする場合、本環化過程には大きな活性化障壁(44-47 kcal/mol)が存在することが示された(Scheme 2(c))。それに対して、エステル基カルボニル酸素およびaci-ニトロ基酸素が同時にプロトン化されたジカチオン13を初期構造とする反応過程では活性化障壁が大きく減少した(29 kcal/mol)。この結果は、上述した反応速度の酸度依存性とともに、本環化反応過程におけるジカチオン性反応活性種の関与を示唆するものである。

(2) 反応性混成軌道法によるメルドラム酸の異常酸性の理解

 メルドラム酸14のDMSO中での酸性度(pK(a,DMSO))は25℃で7.3を示し、これは環状ジケトン構造を有する類縁体ジメドン15(pK(a,DMSO)=11.2)や鎖状ジエステル構造を有する類縁体マロン酸ジメチル16(pK(a,DMSO)=15.9)と比較して異常に高い酸性度である(Figure 2)。この物性の起源について多くの検討がなされているが、その詳細は未だ明らかでない。そこで新たに開発された局在化分子軌道法であるRHO法を用いて脱プロトン化の反応性軌道を算出し、その反応性について解析を行った。

 14を含む一連のカルボニル化合物のLUMOのエネルギー準位とDMSO中でのイオン化自由エネルギー(ΔGO(i,DMSO))の間には明確な相関が見られないのに対して(Figure 3)、カルボニルα位C-H結合部位を反応中心とする空分子軌道からなる反応性軌道(空RHO)のエネルギー準位はΔGO(i,DMSO)と良好な相関を示した(Figure 4(a))。この結果は、これらの分子の酸性度が遷移状態における塩基の被占軌道との軌道間相互作用の大きさに強く影響を受けていることを示す。14の軌道を定性的に比較すると、LUMOは大きく非局在化しているのに対して、空RHOは反応中心であるC-H結合部位に局在化した(Figure 4(b))。またその組成に注目すると、空RHOはσ*(CH)を主成分として隣接するπ*(CO)からのin phaseの相互作用を受けていることが明らかとなった(Figure 4(c))。すなわち、空RHOの反応性は主にこれら2成分の相互作用によって支配されていることが示唆される。これらの知見をもとにすると、従来は異常であるとされてきたメルドラム酸の高い酸性度の起源は空軌道どうしの良好な相互作用により生じる反応中心での高い電子受容能であり、これを指標とすることで他のカルボニル化合物と同様に解釈できることが明らかとなった。

Figure 1. 4H-1,2-ベンズオキサジン

Scheme 1. アリールニトロアルカン類の酸触媒分子内環化反応

Table 1. 3-アリール-2-ニトロプロピオン酸メチルの超強酸触媒分子内環化反応による4H-1,2-ベンズオキサジンの合成

Scheme 2. 想定される反応機構 (a)6π-電子環状反応 (b)分子内1,3-双極子付加反応 (c)想定されるカチオン性活性種

Figure 2. メルドラム酸およびその構造類縁体の化学構造と酸性度 (a)メルドラム酸 (b)ジメドン (c)マロン酸ジメチル

Figure 3. 代表的なカルボニル化合物における標準イオン化自由エネルギー(ΔGO(i,DMSO))とLUMOのエネルギー準位の関係

Figure 4. (a)標準イオン化自由エネルギー(ΔGO(i,DMSO))と空RHOのエネルギー準位の関係 (b)14の空RHO (c)空RHOの組成の概略

審査要旨 要旨を表示する

 中村聡は、「超強酸触媒による4H-1,2-ベンズオキサジン合成反応の開発と反応機構解析」と題し、以下の研究を行なった。

目的 分子が示す酸性度は最も単純かつ重要な物理化学的パラメータの1つである。分子に含まれる官能基はその化学的環境に応じて固有の酸性度ないし塩基性度を有する。分子の「プロトン化」ないし「脱プロトン化」は、これらの物理化学的なパラメータに基づいた分子間の相互作用により進行し、多種多様な化学反応、そしてそれを利用した多彩な化学現象が発現される。東京大学大学院薬学系研究科薬化学教室では、プロトン化に基づく特異な反応の開発とその反応機構解析を進めてきた。そこで、(1)新規な超強酸触媒反応により高効率的かつ有用な有機化合物の合成を可能とし、かつその反応機構を詳細に理解すること、(2)計算化学的手法を用いて有機化合物の酸性度の起源を理解することを目的とし、以下に示す各課題に取り組んだ。

結果

(1) 超強酸触媒による4H-1,2-ベンズオキサジン合成反応の開発と反応機構解析

 4H-1,2-ベンズオキサジンはニトロオレフィンとベンゼンを基質とする超強酸触媒反応により、薬化学教室において初めて合成されたヘテロ環化合物である。本骨格は穏和な加熱条件下で合成中間体o-ベンゾキノンメチドを与えることが明らかとなっており、新たなビルディングブロックを提供するものとして期待される。また本反応はニトロ基を酸素源として利用した新規な芳香環の直接的酸素官能基化反応として捉えることもでき、反応化学的にも大きな興味が持たれる。ところが本反応には基質一般性に大きな制限があり、より一般的な4H-1,2-ベンズオキサジン合成反応の開発が強く望まれていた。

 そこで、より一般的な4H-1,2-ベンズオキサジン骨格形成反応の開発を目的として、アリールニトロアルカンの分子内環化反応について詳細な検討を加えた。その結果、過剰量のTFA中で2-ニトロ-3-フェニルプロパン1のaci-ニトロ塩2が4H-1,2-ベンズオキサジン骨格3を与えることを見出した(Scheme 1(a))。しかしながら本法では反応収率の改善が困難であり、また芳香環上に置換基を有する場合には環化反応が全く進行しなかった。そこで基質を2-ニトロ-3-フェニルプロピオン酸メチル4aとして環化反応を検討したところ、クロロホルムを共溶媒として過剰量の超強酸トリフルオロメタンスルホン酸(CF3SO3H, TFSA)存在下で穏やかに加熱することにより4H-1,2-ベンズオキサジン5aが得られることを見出した(Scheme 1(b))。また本反応は高い基質一般性を有し、基質の芳香環上に種々の電子吸引性置換基を有する場合にも収率よく進行して対応する4H-1,2-ベンズオキサジンが得られることが判明した(Table 1)。本反応は4H-1,2-ベンズオキサジン骨格の一般的な形成を実現した初めての例である。また、得られた環化体はいずれも穏和な反応条件下で芳香環上の官能基を損なうこと無くo-ベンゾキノンメチド類や多置換フェノール類へと変換できることが明らかとなり、本反応が優れた酸素官能基含有芳香族化合物合成法であることが示された。

 本論文では、本環化反応の反応機構についても併せて検討を行っている。4から超強酸触媒により生成するaci-ニトロ体の環化機構としては当初(a)6π-電子環状反応、もしくは(b)分子内Friedel-Crafts反応が想定されたが、(a)は重水素化実験により、また(b)は生成物のレジオ選択性および反応速度の官能基依存性から否定された。これらに対して、反応速度の酸度依存性、反応中間体の捕捉実験、また理論化学計算はいずれも(c)ジカチオン型aci-ニトロ中間体7の分子内1,3-双極子付加反応(Scheme 2)を強く支持し、その特異な反応機構が明らかとなった。

(2) 反応性混成軌道法によるメルドラム酸の異常酸性の理解

 また計算化学的手法による有機化合物の酸性度の起源の理解を目指して、新たに開発された局在化分子軌道法である反応性混成軌道法(Reactive Hybrid Orbital法、RHO法)を用いてメルドラム酸の酸性度について解析を行った。メルドラム酸8はDMSO中においてその構造類縁体であるジメドン9もしくはマロン酸ジメチル10と比較して遥かに高い酸性度を示すことが知られている(Figure 1)。この物性の起源については多くの検討が報告されているが、その詳細は未だ明らかでなかった。

 8を含む一連のカルボニル化合物のLUMOのエネルギー準位とDMSO中でのイオン化自由エネルギーの間には明確な相関が見られないのに対して(Figure 2)、カルボニルα位C-H結合部位を反応中心とする空分子軌道からなる反応性軌道(空RHO)のエネルギー準位はイオン化自由エネルギーと良好な相関を示すことが明らかとなった(Figure 3(a))。この結果は、これらの分子の酸性度が遷移状態における塩基の被占軌道との軌道間相互作用の大きさに強く影響を受けていることを示す。8の空RHOは反応中心であるC-H結合部位に局在化し、σ*(CH)を主成分として隣接するπ*(CO)からのin phaseの相互作用を受けていることが明らかとなった(Figure 3(b))。本研究は、従来は異常とされてきたメルドラム酸の高い酸性度が軌道相互作用に基づいて定性的に理解できることを明らかにしており、また一連のカルボニル化合物についても同様の指標をもって酸性度を評価できることを初めて示した。

 以上のように、本研究の成果は有機反応化学および有機理論化学の基礎研究に有意に貢献するものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認められる。

Scheme 1. アリールニトロアルカン類の酸触媒分子内環化反応

Table 1. 3-アリール-2-ニトロプロピオン酸メチルの超強酸触媒分子内環化反応による4H-1,2-ベンズオキサジンの合成

Scheme 2. ジカチオン型aci-ニトロ中間体の分子内1,3-双極子付加反応

Figure 1. メルドラム酸およびその構造類縁体の化学構造と酸性度 (a)メルドラム酸 (b)ジメドン (c)マロン酸ジメチル

Figure 2. 代表的なカルボニル化合物における標準イオン化自由エネルギー(ΔGO(i,DMSO))とLUMOのエネルギー準位の関係

Figure 3. (a)標準イオン化自由エネルギー(ΔGO(i,DMSO))と空RHOのエネルギー準位の関係 (b)8の空RHO (c)空RHOの組成の概略

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