学位論文要旨



No 122669
著者(漢字) 美多,剛
著者(英字)
著者(カナ) ミタ,ツヨシ
標題(和) 多核希土類不斉触媒を用いた新規反応開発および光学活性医薬品の効率的合成法への適用
標題(洋)
報告番号 122669
報告番号 甲22669
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1214号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 講師 杉浦,正晴
 東京大学 助教授 浦野,泰照
 東京大学 助教授 金井,求
内容要旨 要旨を表示する

 私は、本学博士課程において、D-グルコースから誘導した配位子1と希土類金属から調製される錯体触媒を用いて、以下に示す触媒的不斉付加反応の開発および、それを鍵反応として用いた光学活性化合物の効率的合成法の開発に携わった。また、本希土類錯体触媒の高次構造の解明に向けた取り組みも行った。

【α,β-不飽和カルボン酸誘導体に対するシアニドの触媒的不斉共役付加反応】

 γ-アミノ酪酸(GABA)は、中枢神経系で抑制性の神経伝達物質として働き、不安感や興奮を鎮める化合物である。近年では(S)-β-イソブチル-GABA(プレガバリン(5))が次世代の抗てんかん薬として注目を集めている。光学活性なβ-置換γ-アミノ酪酸の合成において、α,β-不飽和カルボン酸誘導体に対するシアニドの触媒的不斉共役付加反応は強力な手法の一つではあるが、これまでの報告例は、Harvard大学のJacobsen教授らが開発した反応例のみで、反応基質もβ-アルキル誘導体に限られていた。今回私は、不斉配位子1およびガドリニウムトリイソプロポキシドからなる希土類錯体触媒を用いることで、種々のα,β-不飽和N-アシルピロール2に対するシアニドの不斉共役付加反応が効率良く進行し、高い化学収率、不斉収率で対応するβ-シアノピロールアミド誘導体3が得られることを見い出した(Scheme 1)。なお、本反応はβ-アルキル誘導体のみならず、反応性の低いβ-アリール、β-ビニル、およびα,β-二置換体においても高い反応性、選択性を与えた最初の例である。また、この触媒的不斉共役付加反応を利用して、プレガバリン5をはじめ、γ-アミノ酪酸誘導体7の不斉合成法の開発にも成功した(Scheme 2)。

【メソアジリジンに対するシアノ基による触媒的不斉開環反応】

 光学活性なβ-アミノ酸は生物活性天然物の骨格に数多く見られるキラルユニットであり、特に環状β-アミノ酸は、シスペンタシン類に代表されるように抗真菌作用を示すなど興味深い生物活性を有している。一方で、そのオリゴマーがα-アミノ酸と同様にヘリックス構造を有することが近年報告され、構造的にも注目を集めている化合物である。光学活性な環状β-アミノ酸の不斉合成法としては、光学分割法のほか、光学活性なアミンを用いジアスレテオ選択的に不斉を導入する方法が一般的であり、効率的な触媒的不斉反応の開発は今だ達成されていなかった。そこで私はメソアジリジンに着目し、それに対してシアニドの不斉開環反応を施し、シアニド部位を加水分解することで、短工程にて効率良く光学活性なtrans-β-アミノ酸が得られると考え検討を開始した。詳細な検討の結果、上述のガドリニウム錯体触媒を用いることにより、種々のメソ-p-ニトロベンゾイルアジリジン8のシアニドによる不斉開環反応が進行し、高い化学収率、不斉収率で対応するβ-アミノニトリル誘導体9を取得することに成功した(Scheme 3)。この反応は、0℃から60℃程度の温和な条件で高い選択性が発現し、しかも生成物が結晶として得られるため、一回の再結晶操作で光学的に純粋なβ-アミドニトリル9を取得することが可能である。なお、得られたβ-アミドニトリル9はシアノ基の加水分解、およびアシル基の除去を一挙に行うことで、収率良くβ-アミノ酸10へと誘導することができた。本加水分解条件においては、α位のエピメリ化率は1%以下であり、これはtrans-β-アミノ酸の新しい触媒的不斉合成法といえる。

【メソアジリジンに対するアジド基による触媒的不斉開環反応、および抗インフルエンザ薬タミフルの第二世代合成法の開発】

 引き続き、共同実験者と共にアジド基(TMSN3)を用いたメソアジリジンの触媒的不斉開環反応の検討にも取り組み、ガドリニウムに代わり、イットリウム(Y)を中心金属とした場合に、高い選択性、反応性にて開環体12が得られることを見い出した(Scheme 4)。さらに、この触媒反応を鍵反応として用いた1,2-ジアミン13、および抗インフルエンザ薬タミフル14の触媒的不斉全合成を達成した。抗インフルエンザ薬タミフル14は宿主細胞からのウィルスの拡散に必須であるノイラミニダーゼを阻害することで、抗インフルエンザ活性を示す。新型インフルエンザH5N1型においても効果があるとされる唯一の経口特効薬である。共同実験者と共に開発した初期の第一世代の合成法では、アリル位酸化反応において工業的に取り扱いの困難な二酸化セレンを用いており、また、その酸化反応の効率を高めるため、C2対称な1,2-ジアミン誘導体への一時的な誘導が必要であり、そのため工程終盤の保護基着脱の煩雑さが避けられなかった。これらの問題点を解決すべく、私は抜本的な合成ルートの改良検討を行い、より効率的な第二世代の合成法を確立した(Scheme 5)。アジドによる開環体15を再結晶操作により99% eeまで光学純度を高めた後、非対称なジアミン誘導体16へ導き、アジド基のアセチル基への変換、続くNISを用いる環化反応、E2脱離反応を経ることによりジヒドロオキサジン17を構築した。塩基性条件化、ジヒドロオキサジン環の加水分解、生じるアセトキシ基の加水分解、Dess-Martin試薬を用いた酸化反応を経ることで、エノン19へと光学純度を損なうことなく誘導した。引き続き、ジエチルホスフォリルシアニドを用いたシアノヒドリン誘導体20の合成、Boc基による隣接基関与を巧みに利用した熱環化によるオキサゾリジノンの合成、およびその窒素基の保護を行うことでイミド誘導体21とした。触媒量の炭酸セシウムによる選択的な開環、生じた二級アルコールの酸化、立体選択的な還元を経ることで、望みの立体を有するアリルアルコール22とした。続いて、光延反応を応用したアジリジン23の合成、3-ペンチル基の導入、アセトアミドの形成を経ることで、タミフル前駆体24の合成に成功した。最後に、24をエタノール分解の条件に伏すことで、Cbz基の脱保護も同時に進行し、タミフルのフリー体が生じ、リン酸塩化を経ることで、タミフル(14)の全合成を達成した。この合成法は二酸化セレンを用いない点、および二つのアミン部位の差別化に伴う効率性という点で優れており、全体を通して、危険な試薬の使用、および煩雑な操作の回避に成功した合成ルートである。

【希土類金属錯体の高次構造変化によるエナンチオ選択性の逆転現象】

上述の不斉触媒の活性種、ならびに本触媒反応の遷移状態を推定すべく、本希土類錯体触媒の単結晶の調製を行い、X線結晶構造解析によりその立体構造を明らかにした。すなわち、Gd(OiPr)3、およびD-グルコース由来の配位子25から錯形成を行い、結晶化溶媒としてEtCN/ヘキサンを用いたところ単結晶Aが収率80%で得られた(Figure 1)。X線結晶構造解析の結果、ガドリニウムが4つ、配位子が5つ、および中心に1つの酸素原子を内包する結晶構造(4:5+oxo)であることがわかった。また、La(OiPr)3と配位子26からは、THFを結晶化溶媒として用いた際に、単結晶Bが47%の収率で得られた(Figure 2)。X線結晶構造解析の結果、ランタン原子が6つ直線的に連なり、8つの配位子と2つの水酸基が配位した結晶構造(6:8)であることがわかった。得られた結晶を用いて種々の不斉触媒反応を試みたところ、ボスフィノイルケトイミン28の不斉Strecker反応を行った際に、用いる触媒の高次構造の違いによるエナンチオ選択性の逆転が観測された(Scheme 6)。

 すなわち、従来の方法に従い、Gd(OiPr)3と不斉配位子1, 25, or 26より系中にて調製したガドリニウム触媒を用いた場合には、(S)体のアミノニトリル誘導体27が高いエナンチオ選択性にて得られた。続いて、結晶Aを用いて反応を行ったところ、興味深いことにエナンチオ選択性が完全に逆転し、逆の絶対立体配置の目的物29が高い選択性で得られた。一方で、結晶Bを用いた際には、エナンチオ選択性の逆転は確認されなかった。その結晶Bをアセトニトリルに溶かしてESI-MS分析を行うと、その親ピーク(6:8)の他に2:3および、4:5+oxoのMSピークが確認され、溶液中においては、2:3および4:5+oxo錯体の平衡状態にあることが予想された(Figure 2-b)。また系中にて調製したガドリニウム錯体においても、結晶Bと同じようなMSスペクトル(6:8, 2:3, 4:5:+oxo)が観測されることから、結晶Bは、Gd(OiPr)3より系中で調製した錯体の活性部位を有していることが示唆された。一方で、Gd{N(SiMe3)2}3から調製したガドリニウム錯体は2:3錯体を単独のピークのみを与え、しかもこれを用いた場合には選択性、反応性ともに向上することがわかっている。これらの実験事実より、Gd(OiPr)3を用いた際に生成する6:8、2:3、4:5+oxo錯体の間には平衡が存在し、その中でも、6:8錯体が解離して生じる2:3錯体が系中発生法における真の触媒活性種であると考えられる(Scheme 7)。また、2:3錯体と共に生じる4:5+oxo錯体は、両者の反応性の違いから(Scheme 6)、この場合触媒としての活性をほとんど示さないと予想される。一方で、4:5+oxo錯体のみを含む結晶Aを用いると、それ自身が触媒活性種として機能するため、2:3錯体とは別の遷移状態を経て反応が進行し、立体が逆転したと考えられる。これらの結果は希土類錯体触媒の高次構造変化によるエナンチオ選択性の逆転現象という、世界で例のない極めて珍しい現象であり、有機合成化学のみならず、機能性高分子化学の分野においても貢献できる研究成果であると自負している。

Scheme 1. Catalytic Enantioselective Conjugate Addition of Cyanide to α,β-Unsaturated N-Acylpyrroles

Scheme 2. Conversion to γ-Aminobutyric Acid Derivatives

Scheme 3. Catalytic Enantioselective Ring-Opening Reactions of meso-N-Acylaziridines with TMSCN

Scheme 4. Catalytic Enantioselective Ring-Opening Reactions of meso-N-Acylaziridines with TMSN3

Scheme 5. 2nd Generation of Tamiflu Synthesis

Figure 1. (a) X-ray structure of crystal A prepared from ligand 25. (b) Chemical structure of A.

Stereochemistry of the ligands and chlorine atoms on the catechol moieties are omitted for clarity.

Figure 2. (a) X-ray structure of crystal B prepared from ligand 26. (b) Chemical structure of B.

Scheme 6. Enantioselective Strecker Reaction

Scheme 7. Proposed Equilibrium in Catalyst Solution

審査要旨 要旨を表示する

美多は「多核希土類不斉触媒を用いた新規反応開発および光学活性医薬品の効率的合成法への適用」というタイトルで以下の研究をおこなった。

【α,β-不飽和カルボン酸誘導体に対するシアニドの触媒的不斉共役付加反応】

 γ-アミノ酪酸(GABA)は中枢神経系で抑制性の神経伝達物質として働き、例えば(S)-β-イソブチル-GABA(プレガバリン)は次世代の抗てんかん薬として注目を集めている。光学活性なβ-置換γ-アミノ酪酸の合成において、α,β-不飽和カルボン酸誘導体に対するシアニドの触媒的不斉共役付加反応は強力な手法の一つではあるが、これまでの報告例は、Harvard大学のJacobsen教授らが開発した反応例のみで、反応基質もβ-アルキル誘導体に限られていた。それに対して美多は、不斉配位子1およびガドリニウムトリイソプロポキシドからなる希土類錯体触媒を用いることで、基質一般性の高いα,β-不飽和N-アシルピロール2に対するシアニドの不斉共役付加反応を見い出した(Scheme 1)。本反応を利用して、プレガバリンをはじめ、様々なγ-アミノ酪酸誘導体の不斉合成法の開発に成功した。

【メソアジリジンに対するシアノ基による触媒的不斉開環反応】

 光学活性なβ-アミノ酸は生物活性天然物の骨格に数多く見られるキラルユニットであり、特に環状β-アミノ酸は、シスペンタシン類に代表されるように抗真菌作用を示すなど興味深い生物活性を有している。光学活性な環状β-アミノ酸の不斉合成法としては、光学分割法のほか、光学活性なアミンを用いジアスレテオ選択的に不斉を導入する方法が一般的であり、効率的な触媒的不斉反応の開発は達成されていなかった。美多はメソアジリジンに対してシアニドの不斉開環反応を施し、シアニド部位を加水分解することで、短工程にて効率良く光学活性なtrans-β-アミノ酸が得られると考え検討を開始した。詳細な検討の結果、上述のガドリニウム錯体触媒を用いることにより、種々のメソ-p-ニトロベンゾイルアジリジン4のシアニドによる不斉開環反応に成功した(Scheme 2)。得られたβ-アミドニトリル5はシアノ基の加水分解、およびアシル基の除去を一挙に行うことで、収率良くβ-アミノ酸へと誘導することができた。

【メソアジリジンに対するアジド基による触媒的不斉開環反応、および抗インフルエンザ薬タミフルの第二世代合成法の開発】

 引き続き、共同実験者と共にアジド基(TMSN3)を用いたメソアジリジンの触媒的不斉開環反応の検討にも取り組み、ガドリニウムに代わり、イットリウム(Y)を中心金属とした場合に、高い選択性、反応性にて開環体が得られることを見い出した(Scheme 3)。さらに、この触媒反応を鍵反応として用いた1,2-ジアミン、特に抗インフルエンザ薬タミフルの第二世代触媒的不斉合成を達成した。この合成法はシアノホスフェートのアリル転位を鍵工程とするものであり、全体を通して、危険な試薬の使用、および煩雑な操作の回避に成功した合成ルートである。

【希土類金属錯体の高次構造変化によるエナンチオ選択性の逆転現象】

 上述の不斉触媒の活性種、ならびに本触媒反応の遷移状態を推定すべく、本希土類錯体触媒の単結晶の調製を行い、X線結晶構造解析によりその立体構造を明らかにした。すなわち、Gd(OiPr)3、およびD-グルコース由来の配位子8から錯形成を行い、結晶化溶媒としてEtCN/ヘキサンを用いたところ単結晶Aが収率80%で得られた(Figure 1)。X線結晶構造解析の結果、ガドリニウムが4つ、配位子が5つ、および中心に1つの酸素原子を内包する結晶構造(4:5+oxo)であることがわかった。また、La(OiPr)3と配位子9からは、THFを結晶化溶媒として用いた際に、単結晶Bが47%の収率で得られた(Figure 1)。X線結晶構造解析の結果、ランタン原子が6つ直線的に連なり、8つの配位子と2つの水酸基が配位した結晶構造(6:8)であることがわかった。

 得られた結晶を用いて種々の不斉触媒反応を試みたところ、ホスフィノイルケトイミン10の不斉Strecker反応を行った際に、用いる触媒の高次構造の違いによるエナンチオ選択性の逆転が観測された(Scheme 4)。すなわち、従来の方法に従い、Gd(OiPr)3と不斉配位子1, 8, or 9より系中にて調製したガドリニウム触媒を用いた場合には、(S)体のアミノニトリル11が高いエナンチオ選択性にて得られたのに対し、結晶Aを用いて反応を行ったところエナンチオ選択性が完全に逆転し、逆の絶対立体配置の12が高い選択性で得られた。これらの結果は希土類錯体触媒の高次構造が不斉触媒の機能の支配因子となることを示したものである。

 以上の結果は医薬の効率合成に大きく貢献すると同時に、不斉触媒の構造と機能に対しての重要な知見を与えるものであり、博士(薬学)の授与にふさわしいものと結論した。

Scheme 1. Catalytic Enantioselective Conjugate Addition of Cyanide to α,β-Unsaturated N-Acylpyrroles

Scheme 2. Catalytic Enantioselective Ring-Opening Reactions of meso-N-Acylaziridines with TMSCN

Scheme 3. Catalytic Enantioselective Ring-Opening Reactions of meso-N-Acylaziridines with TMSN3

Figure 1

Scheme 4. Enantioselective Strecker Reaction

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