学位論文要旨



No 122672
著者(漢字) 浅香,聡
著者(英字)
著者(カナ) アサカ,サトシ
標題(和) メダカ初期胚形成異常変異体hirameの単離と解析
標題(洋)
報告番号 122672
報告番号 甲22672
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1217号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 助教授 武田,弘資
 東京大学 助教授 青木,淳賢
内容要旨 要旨を表示する

 個体発生は受精にはじまり卵割、原腸形成や器官形成など様々な過程を経ることにより進行し、生体がつくられていく。このように発生は、おおまかな胚のパターン形成が段階的に進行することにより胚全体の形態が形成され、その後、組織化がおこり多様な細胞からなる胚が形成されていく。

 この胚の形態を作っていくための過程は大きく3つに分けることができる。まず、体の位置情報を規定する軸形成過程。その後細胞が移動し、胚としての形を作り上げていく胚形態形成過程。そして、移動した細胞が増殖、分化し各器官を作り上げていく器官形成過程の3つである。

 体軸形成と器官形成の過程については、これまでに多くの研究がなされてきたが、近年胚形態形成過程のメカニズムについても様々なことが明らかになってきている。この過程では卵割した細胞が胚全体に広がっていくepibolyやinvolutionという細胞移動、またその後、体軸に向かい細胞が集まる移動(収束)と体長を伸ばす方向への移動(伸張)の2つの方向への細胞移動などにより胚体が形成されていくことが知られている。このように、胚形態形成に関わる個々の細胞現象は次第に明らかになってきているが、それらの現象がどのような遺伝子により制御されているのかについては不明な点が多いのが現状である。

 本研究において私は、この胚形態を形成する過程に重要な遺伝子とその機能を明らかにする目的でメダカを用いた遺伝学解析を行った。大規模変異体スクリーニングにより300種の変異系統を確立し、それらの変異体の中から原腸形成期後の初期胚において形態学的に異常を示す変異体を単離することに成功した。さらに、その変異体原因遺伝子を同定し、変異体表現型の解析から胚形態形成における、その遺伝子の細胞移動、増殖、接着などの制御メカニズムを解明した。

〔方法・結果〕

hir変異体は扁平胚の表現型を示す

 スクリーニングは、変異原ethyl nitroso ureaによりゲノムに点変異を入れることにより行った。hir変異体はこの点変異により扁平胚という、今まで他の種でも観察されたことのない表現型を示す。hir変異体では受精後26時間(26h)まで異常は観察されない。しかし、神経形成中期(28h)から扁平胚の表現型が観察され、54hでは胚の背腹軸方向の厚みが野生型と比較して著しく薄くなる。

 この扁平胚を示しているときの体の構造について切片を用いて解析したところ、野生型では背側から神経管、脊索、背大動脈、腸管と各組織が存在するのにたいし、hir変異体においては神経管、脊索は存在するものの、背大動脈、腸管が完全に欠損していた。

 さらにhir変異体は心臓原基形成異常を示すことを見出した。野生型においては体の中心に一つの心臓原基が形成されるが、hir変異体においては体の左右に一つずつの心臓原基が存在していた。

hir変異体では一度形成された組織が発生の進行とともにその形態を崩す

 心臓発生においては、体の左右に生じた予定心臓領域の細胞が、胚形態形成に伴って体の中心に向かって移動し、体の中心で融合し、一つの心臓となることが知られている。hir変異体においてはこの細胞移動に異常があるため、心臓原基形成異常を示すことが考えられたため、hir変異体における細胞移動について詳細な解析を行った。

 胚形成初期の細胞移動を解析するために、予定心臓領域を蛍光色素で標識し、体の中心までの移動を経時的に観察したところ、hir変異体における予定心臓領域の細胞の移動も野生型同様に進行していた。このことからhir変異体の胚形態形成における細胞移動には異常がないことが明らかになった。

 ところが、その後の細胞の状態を観察し続けたところhir変異体において特徴的な変化がみられた。細胞移動が終了した時期において、脳の一部を標識し、その組織状態を経時的に観察したところ、野生型においては標識した脳の細胞は一ヶ所にとどまっていたのにたいし、hir変異体においては発生が進むと標識した細胞の一部が脳から離れていくことが観察された。以上のことからhir変異体においては一度細胞が集まり組織を形成するが、発生の進行とともに組織形態が崩れることが明らかになった。

hirame変異体では腸管は一度形成されるもののその後形態が崩れ消失する

 腸管においても、この組織形態の崩壊と同じことが起こっていることが考えられたため、腸管欠損の過程について詳細な解析を行った。発生の段階的に腸管部の切片を作製したところ、hir変異体においても発生の初期では腸管が正常に形成されていた。しかし、その後、腸管の形態が崩れ、最終的には腸管が消失することが明らかになった。これらのことからhir変異体においては一度組織が形成されるが、その後の維持に異常が生じるものと考えられる。

hirame変異体原因遺伝子はyes assocated Protein (YAP)である

 hir変異体原因遺伝子を同定するためにポジショナルクローニングを行った結果、hir変異体の原因遺伝子はyes associated protein (YAP)をコードしていることが明らかになった。hir変異体における変異はナンセンス変異であり、YAPの164番目のロイシンがストップコドンとなっていた。このYAPのメダカにおけるmRNAの発現をin situ hybridizationにより検討したところ、野生型胚では全ての時期に全身で一様の発現パターンを示した。またhirではmRNAの発現が著しく低下していたため、YAPタンパクは発現していなことが考えられる。

hirame変異体における腸管・血管欠損は細胞死によるものではない

 YAPは細胞の生死の制御に関与することが知られているため、hir変異体における腸管の消失が細胞死によるものであるかについての検討を行った。腸管部横断切片にたいしてTUNELアッセイを行ったところ野生型ではアポトーシスは検出されなかったのにたいし、hir変異体においては胚の背側でアポトーシスが亢進していた。このことからメダカの発生においてもYAPが細胞の生死を制御する働きがあることが考えられる。しかし、血管、腸管部では、腸管消失前の時期でも、消失過程においてもアポトーシスはほとんど検出されなかった。このことからhir変異体の血管、腸管欠損は細胞死が原因でないものと考えられた。つまりYAPは組織形態維持において、細胞死制御以外の働きをもつことが示唆された。

hirame変異体の表現型にはTEAD結合ドメインとWW-2ドメインが関与する

 hir変異体の異常にたいして、YAPの7つのドメインのうちどれが重要であるのかを明らかにするため、YAPの各ドメインにたいしてデリーションミュータントを作製し、そのmRNAをhir胚にインジェクションすることでそのレスキュー能を調べた。その結果、TEAD結合ドメインを欠損したものと,WW-2ドメインを欠損したmRNAにおいてレスキューが不可能であった。一方で、YAPは転写活性化ドメインを有することから、転写活性化因子として働くことが知られているが、転写活性化ドメインの欠失ミュータントのmRNAではレスキュー可能であった。これらのことから、TEADファミリー転写因子と相互作用するTEAD結合ドメインとプロリンリッチモチーフが結合するWW-2ドメインが発生期におけるYAPの機能に重要であると考えられる。

hirame変異体においては発生の進行とともに細胞の極性構造が失われる

 hir変異体において組織形態が崩れることから細胞接着になんらかの異常があるものと考え、細胞接着について詳細な解析を行った。まず、細胞極性構造を観察するため、GAP-43 GFPをインジェクションすることにより細胞膜表面を可視化し細胞形態を観察した。34hにおいては野生型とhir変異体どちらにおいても細胞の極性構造が形成されていたのにたいし、41hではhir変異体胚のあらゆる領域の細胞で極性が失われ、細胞が丸くなっている様子が観察された。

 次にこの極性異常が細胞接着の異常によるものであるのかを明らかにするために、まず細胞間接着について細胞接着分子であるE-カドヘリンに対して免疫染色を行った。この結果、野生型と同様のE-カドヘリンの発現がhir変異体においても見られた。さらに細胞間接着構造を電子顕微鏡を用いて解析した結果、細胞間の接着構造である接着結合はhir変異体においても野生型同様に存在していた。これらのことから、hir変異体では細胞間接着は正常であるものと考えられた。

 細胞間接着は正常であったので、次に細胞と細胞外基質との接着について解析を行った。細胞外基質の1つであるラミニンにたいし免疫染色を行った結果、野生型においてはベーサル面に強い発現がみられるのにたいし、hir変異体においては発生の初期から、その発現量が減少していた。このことからhir変異体においては細胞外基質からのシグナルが得られないことがアピコ・ベーサルな細胞極性を形成できない原因ではないかと考えている。

 そこでYAPが細胞外基質成分の発現を介して細胞極性を制御しているかどうかを明らかにするため細胞移植実験を行った。hir変異体由来の細胞を野生型胚に移植した場合、hir変異体由来の細胞は極性構造を正常に形成することが観察された。一方で、野生型由来の細胞をhir胚に移植した場合、野生型由来の細胞で極性構造の形成は観察されなかった。以上のことからYAP遺伝子が細胞外基質発現を介して細胞極性を制御している可能性が強く示唆された。

〔総括〕

 本研究において私は、初期胚の形態形成に関わる遺伝子の同定とそのメカニズムを解明する目的で、変異体スクリーニングを行い、hir変異体を単離した。そして、原因遺伝子のクローニングから形態形成に関わる分子としてYAPを同定し、発生における新規機能を見出した。YAPはTEAD結合ドメイン,WW-2ドメインを介してTEADファミリー転写因子と相互作用し、ラミニンなどの細胞外基質の発現を誘導しているものと考えられる。そして細胞外基質からのシグナルを介して細胞の極性構造の形成を制御することにより胚形態の維持に関与しているものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 個体発生は受精にはじまり卵割、原腸形成や器官形成など様々な過程を経ることにより進行し、生体がつくられていく。これら胚形成に関する研究は遺伝子欠損マウスを用いた解析が盛んであり、そこに関わる遺伝子などが明らかになってきている。しかしながら、マウスでは遺伝子の網羅的な探索が難しいことや、また体内で発生が進行するため、細胞移動や組織形成の過程を時経的に観察することが困難であるなどの理由により、胚形態形成過程の詳細なメカニズムは不明な点が多く、この過程を解析できる実験系の開発が重要であった。「メダカ初期胚形成異常変異体hirameの単離と解析」と題した本研究においては、まず脊椎動物でありながら遺伝学や発生学を行うことが容易であるメダカを用いて、胚形態形成不全となる変異体を単離することに成功した。さらには、それら変異体の中の一つhirame変異体の解析により、胚形態形成に関わる遺伝子を同定し、その新規メカニズムを明らかにしている。

1. 初期胚形成異常を示すメダカ変異体のスクリーニング

 本論文では先ず、胚の形態を形成する過程に重要な遺伝子とその機能を明らかにするため、京都で行われたERATOプロジェクト、メダカを用いた大規模変異体スクリーニングに参加し、プロジェクト全体で300種の変異系統を確立した。それらの変異体の中から初期胚において形態学的に異常を示す変異体を単離することに成功した。

2. hirame変異体原因遺伝子の同定

 初期胚形成に異常を示す変異体の一つhirame変異体は扁平胚という、他の種ではみられていない表現型を示す。このhirame変異体の原因遺伝子の同定を遺伝子マッピングにより行い、yes associated protein (YAP)の遺伝子領域に変異が存在することを明らかにした。この変異はナンセンス変異であり、hirame変異体に内在するYAP mRNA量を測定したところ、野生型と比較し、その発現が著しく減少していた。

3. 発生期におけるYAPの機能についての解析

 hirame変異体は扁平胚の表現型以外にも心臓原基形成異常、腸管・血管形成不全といった組織形成異常を示す。YAPは現在までに細胞の生死に関与することが知られている分子であったことから、hirame変異体の組織形成異常に対する細胞の生死の異常の関与を調べた。この結果、組織形成異常には、細胞の生死の異常は関与しないことが示されたことから、YAPは発生期において細胞の生死の制御以外の機能をもつことが示唆された。

 発生期におけるYAPの機能を明らかにするため、組織形成の異常について詳細な解析を行ったところ、hirame変異体においても、初期においては腸管、血管などの組織が正常に形成されていた。しかし、発生が進むとともにその形態を崩すため、最終的に組織が消失することが明らかになった。このことから、YAPは発生期において組織形態の維持に関わることが示唆された。

 hirame変異体における組織形態の崩壊時には細胞極性の消失が観察されたことから、細胞接着異常が組織崩壊に関与する可能性を検討した。細胞間接着、細胞-細胞外基質間の接着についてそれぞれ検討したところ、hirame変異体においては細胞間接着に異常が認められなかったが、細胞外基質のラミニンの発現量が減少していることを見出した。さらに、細胞移植実験により、細胞極性の維持はYAPの細胞非自律的な機能によるものであることが明らかにされた。以上のことから、YAPはラミニンの発現を介して細胞の極性を制御し、胚形態維持に関与することが強く示唆された。

 本論文では、胚形態形成のメカニズムを解明する目的でメダカを用いた大規模変異体スクリーニングを行い、多数の変異体の単離に成功した。また、それらの変異体の一つであるhirame変異体の解析を行い、その原因遺伝子yes associated protein (YAP)の同定とその新規機能を明らかにしている。YAPは現在までに細胞の生死の制御に関与することが培養細胞の実験系において報告されてきた分子であるが、今回、発生期において細胞極性を制御することにより、組織形態の維持に関与することが示唆された。YAPに関しては遺伝子欠損マウスも存在するが、発生の初期に胚性致死となること、また母体内で発生が進むため、致死に至るまでの過程が観察できないため、個体における機能はほとんど明らかにされていない分子であった。メダカ変異体hirameの解析においては、メダカ胚が体外で発生が進行するため胚観察や操作が容易であるという点を活かし、様々な手法を用いてYAPの機能解析を行っている。以上のように、この研究は独創性が高く、また高度な技能も必要とされる研究であり、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと判断される。

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