学位論文要旨



No 122673
著者(漢字) 及川,司
著者(英字)
著者(カナ) オイカワ,ツカサ
標題(和) 浸潤突起形成の分子メカニズムに関する研究
標題(洋) Molecular mechanism of podosome formation : The role of phosphoinositides and the Tks5/FISH-N-WASP pathway
報告番号 122673
報告番号 甲22673
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1218号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

 がん細胞は、周囲の正常組織を破壊しながら増殖し続けて腫瘍を形成し、さらに悪性度を増して周囲の組織に浸潤し、他の遠隔臓器に転移する。このようながん細胞の特性は、正常細胞において、がん遺伝子あるいはがん抑制遺伝子に何らかの変異が生じると発現する。近年、多くの細胞増殖を制御する因子の発見とその作用機構の解明によって、正常の細胞増殖におけるがん遺伝子とがん抑制遺伝子産物の作用機構や、それらの変異によるがん細胞の異常増殖機構が次第に解明されてきたが、なおその全容は理解されていない。一方、がん細胞の浸潤、転移に関しては、正常細胞の接着や運動の機構が十分に解明されていないために、がん遺伝子とがん抑制遺伝子の変異からがん細胞の浸潤、転移能の獲得に至る機構については、ほとんどわかっていない。他方、細胞のがん化、腫瘍の形成と増殖、浸潤、転移のすべての過程で、がん細胞は周囲の正常組織の細胞や細胞外基質(ECM)と密接に相互作用するが、近年の血管新生、間葉細胞、ECMの研究の進展によって、この相互作用機構が徐々に明らかになってきている。本研究ではこうしたがん細胞-周辺組織相互作用の中でも、ECMの分解に必要とされるがん細胞の浸潤突起形成機構について、時間、空間的な分子制御機構を明らかにすることを目的とした。

 浸潤突起(podosome/invadopodia)は上皮由来のがん細胞や形質転換細胞に見られ、アクチンフィラメント(F-actin)のコアを持ち、接着分子、アダプター分子、ECM分解酵素など多くの分子が集積する。アクチンフィラメントのコアは、様々なタイプの動的なアクチン重合に関わるWASPファミリータンパクのひとつである、N-WASPにより重合が促進されることが知られている。本研究で私は、浸潤突起のモデルとして恒常的活性化型Src(Src Y530F)で形質転換した繊維芽細胞(NIH-src)を用い、N-WASPによるアクチン重合に至る分子機構について解析した。またこれまでにあまり注目されていなかった細胞膜イノシトールリン脂質についても浸潤突起形成への関わりについて検討した。

1. 浸潤突起においてアクチン重合より前に起こる、タンパク複合体形成の解析

 NIH-srcはECMとの接着面に、太いアクチンフィラメントのコアからなるリング状の浸潤突起を形成するが、N-WASPのアクチン重合ができない変異体(N-WASPΔVCA)を発現させると、浸潤突起形成を抑制した(Fig.1A,B)。しかしこのN-WASPΔVCA自身は、浸潤突起様部位に局在できた。この部位には、浸潤突起形成に必須であることが知られるアダプター分子、Tks5/FISHも集積していたが、太いアクチンフィラメントのリングは存在していなかった(Fig.1B)。このことからTks5/FISHがN-WASPによるアクチン重合に先立って、浸潤突起の前駆体となるタンパク質複合体を形成させているのではないかと考え、Tks5/FISHの結合タンパクを探索した。Tks5/FISHのSH3ドメインに結合するタンパク質を、質量分析装置を用いて解析した結果、N-WASPとDynaminを同定した(Fig.2)。N-WASPはTks5/FISHの全てのSH3ドメインに結合することから、Tks5/FISHは浸潤突起においてN-WASPの濃度を高め、アクチン重合を増強しているのではないかと考えた。SH3ドメインの個数が違うTks5/FISH変異体を作成し(Fig.3A)、これとN-WASPとの結合能を調べたところ、SH3ドメインの長さ依存的に結合するN-WASPの量が増えた(Fig.3B)。またこれらの変異体を、RNAiによりTks5/FISHの発現を抑制したNIH-srcに発現させたところ、SH3ドメインの長さ依存的に浸潤突起形成を回復した(Fig.3C)。ところがPXドメインだけを欠いたもの(deltaPX)が十分に浸潤突起を回復させないことや、PXドメインがPI(3,4,)P2やPI(3,4,5)P3を含むいくつかのイノシトールリン脂質と結合することから、Tks5/FISHはこのPXドメインを介してFA近傍の細胞膜へリクルートされている可能性が考えられた。RNAiによる発現抑制実験の結果、Tks5/FISHとDynaminはNIH-srcにおいて、N-WASPに依存せずフォーカルアドヒージョン(FA)に局在することがわかった。また、DynaminのFAへの局在はTks5/FISHに依存していることもわかった。従って、Tks5/FISHがPXドメインを介して細胞膜へ局在することが浸潤突起形成の重要なステップとなっていることが示唆された。

2. 浸潤突起においてアクチン重合より前に起こる、細胞膜イノシトールリン脂質の変化の解析

 種々のイノシトールリン脂質に特異的に結合するタンパク質ドメインを細胞内に発現させると、それぞれのイノシトールリン脂質の細胞内での局在が観察できる。この方法を用いて、NIH-srcにおけるイノシトールリン脂質の局在を観察した。浸潤突起においては、PI(3,4)P2に特異的に結合するTapp1のPHドメインや、PI(3,4)P2とPI(3,4,5)P3に特異的に結合するAktのPHドメインが強く濃縮していた(Fig.4)。こうしたイノシトールリン脂質の浸潤突起への濃縮が浸潤突起形成以前に起こるのか、それとも浸潤突起形成の結果として起こるのかを調べる目的で、N-WASPやTks5/FISHの発現を抑制し、浸潤突起を形成できなくしたNIH-srcにおいて、同様にイノシトールリン脂質の局在を観察した。その結果、N-WASP、Tks5/FISHいずれを発現抑制したNIH-srcにおいても、Tapp1PHやAktPHのFAへの濃縮が見られた(Fig.5)。PI3-kinaseの阻害剤はNIH-srcの浸潤突起形成とマトリゲルへの浸潤を抑えた。さらに、NIH-srcにおけるTapp1PHやAktPHの過剰発現は浸潤突起形成を抑制した(Fig.6)。これらのことから、FAにおけるPI(3,4)P2やPI(3,4,5)P3の濃縮が、Tks5/FISHを含むタンパク質複合体の局在と活性化に必要であることが示唆された。

3. 細胞膜イノシトールリン脂質の変化とタンパク複合体形成、浸潤突起形成に至るシグナル伝達のモデル

 浸潤突起においてPI(3,4)P2が強く濃縮しているのに対し、Tks5/FISHのPXドメインの脂質結合特異性はそれほど高くない。さらに、イノシトールリン脂質結合ドメインの発現による浸潤突起形成の抑制も、劇的なものとはいえない。従って、Tks5/FISHをFA近傍へと局在させるメカニズムとして、イノシトールリン脂質以外にタンパク質間の相互作用が重要な役割を果たしていると予想される。特にDynaminは、アダプター分子であるGrb2との結合を介してFAへ局在できるため、PXドメインを介して膜近傍に局在したTks5/FISHを安定化していることも考えられる(Fig.7)。

 本研究において次のことを明らかにした。(1)NIH-srcの浸潤突起において、アクチンフィラメントの重合が起こる以前に、浸潤突起の前段階であるタンパク質複合体(Tks5/FISH, Dynamin, N-WASP)がFA近傍に形成される。(2)NIH-srcでは浸潤突起の形成以前に、FA近傍の細胞膜においてPI(3,4)P2やPI(3,4,5)P3が産生される。(3)Tks5/FISHはPXドメインを介してPI(3,4)P2やPI(3,4,5)P3と結合し、このことが少なくともTks5/FISHのFAへの局在化のメカニズムのひとつとなっていると考えられる。特にPI(3,4)P2は細胞内における存在量が圧倒的に少なく、その役割が詳しくわかっていないが、浸潤突起のような特殊な構造物を作るシグナルとして使われている可能性がある。(4)Tks5/FISHによる浸潤突起形成には、脂質結合とタンパク質複合体(Tks5/FISH, Dynamin, N-WASPなど)の形成が必要である。つまり、PI(3,4)P2の産生、あるいはPI(3,4)P2とTks5/FISHのPXドメインとの間の相互作用を何らかの形で阻害できれば、浸潤突起形成を抑制できるかもしれない。しかし一方で、どのようにしてSrcの活性化がFAにおけるPI(3,4)P2の産生につながっているのかは今後の課題として残されている。

Fig.1

A. NIH-srcに見られる、アクチンフィラメント(F-actin)に富んだ浸潤突起

B. N-WASPΔVCAは浸潤突起形成を抑制するが、Tks5/FISHと共に浸潤突起様のアグリゲーションを形成する

Fig.2 A.Tks5/FISHのドメイン構造 B.Tks5/FISHのSH3ドメインとDynamin,N-WASPとの結合

Fig.3 A. Tks5/FISH変異体の模式図 B. Tks5/FISH変異体による免疫沈降(IP)と抗N-WASP抗体による結合N-WASPの検出 C.RNAiによりTks5/FISHを発現抑制したNIH-srcに、Tks5/FISH変異体を発現させたときの浸潤突起形成率

Fig.4 NIH-srcにおけるTapp1PHドメインの局在

Fig.5 Tks5/FISHの発現抑制を行ったNIH-srcにおけるTapp1PHドメインの局在

Fig.6. イノシトールリン脂質結合ドメインの発現による浸潤突起形成の抑制効果

Fig.7 フォーカルアドヒージョンから浸潤突起形成に至るメカニズムの模式図

審査要旨 要旨を表示する

 申請者、及川司の論文は、がん細胞やマクロファージの浸潤において中心的な役割を果たすと考えられている浸潤突起に関する細胞生物学的研究の成果を述べたものである。浸潤突起は骨形成や炎症といった生理的状況、またがん細胞の浸潤・転移といった病的状況において、細胞が周囲の基質を分解するために必要な構造であると考えられているが、その形成過程の分子メカニズムには不明な点が多い。従って、特にがんの浸潤を特異的に抑制することを考えた場合、浸潤突起の形成過程を分子レベルで詳しく理解することは、副作用の少ない薬剤の開発などに欠かせない。

 論文の前半は、浸潤突起においてアクチン繊維の重合が起こる以前に、フォーカルアドヒージョン近傍にタンパク質複合体が形成されているという発見と、複合体を形成する分子の機能解析である。恒常的活性化型Src(Src Y530F)で形質転換した繊維芽細胞(NIH-src)において、N-WASPのアクチン重合ができない変異体(N-WASPΔVCA)を発現させると、浸潤突起形成を抑制した。しかしこのN-WASPΔVCA自身は、浸潤突起様部位に局在できた。N-WASPΔVCAがフォーカルアドヒージョンを構成する分子の近傍に局在することと、アダプター分子であるTks5/FISHと共局在することから、次のようなモデルを提唱した。すなわち、Srcの恒常的な活性により形成される浸潤突起は、フォーカルアドヒージョンにおける何らかの変化が引き金となって、Tks5/FISHやN-WASPが集められることにより形成されるというものである。実際に、Tks5/FISHはN-WASPと結合し、N-WASPによる浸潤突起形成を促進していることを明らかにした。

 論文の後半では、フォーカルアドヒージョンにおける変化として形質膜のイノシトールリン脂質に注目し、その動態を解析している。浸潤突起の形成はPI3-キナーゼの活性に依存していた。また、浸潤突起が形成される以前のフォーカルアドヒージョン近傍の形質膜には、PtdIns(3,4)P2やPtdIns(3,4,5)P3といった、PI3-キナーゼの産物が集積していた。さらに、Tks5/FISHはそのPXドメインによって、これらのイノシトールリン脂質と結合できた。従って、Tks5/FISHはPXドメインを介してこれらのイノシトールリン脂質と相互作用することで、Srcの活性に依存的にフォーカルアドヒージョンの近傍へ集積できるものと考えられる。以上により、これまでは不明だった形質膜におけるイノシトールリン脂質の変化から、N-WASPによる浸潤突起形成に至るメカニズムの一端が明らかになった。

 本研究は浸潤突起形成の分子メカニズム関する細胞生物学に大きく貢献するものである。よって、申請者の及川司は、博士(薬学)の学位を授与されるにふさわしいと判断する。

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