学位論文要旨



No 122677
著者(漢字) 河野,望
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,ノゾム
標題(和) 遺伝子欠損マウスを用いた細胞内II型PAFアセチルハイドロラーゼの機能解析
標題(洋)
報告番号 122677
報告番号 甲22677
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1222号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 浦野,泰照
 東京大学 助教授 楠原,洋之
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 生体膜のリン脂質二重構造は細胞の様々な機能の発現や調節に重要な役割を果たしている。感染、炎症等様々な病態時において、活性酸素が産生されることが知られており、この活性酸素は生体膜のリン脂質を酸化し、酸化リン脂質を生成する。酸化リン脂質は生体膜の物理化学的性質、および膜タンパク質の機能に影響を与え、病態の進展に関与することが示唆されている。酸化ストレスにより傷害を受けた生体膜の修復機構において、ホスホリパーゼA2による酸化リン脂質の分解が関与すると考えられているが、その分子実態、および酸化リン脂質分解反応の生体における重要性はいまだ不明である。

 細胞内II型PAFアセチルハイドロラーゼ[PAF-AH(II)]は、血小板活性化因子(PAF)の2位のアセチル基を加水分解する酵素として当研究室で精製・クローニングされた。本酵素はN末端がミリストイル化されており、セリンエステラーゼのコンセンサス配列を有するものの、他の細胞内タンパク質と相同性を示さない、非常にユニークなホスホリパーゼである。当研究室ではこれまでに、PAF-AH(II)はPAFのみならず、リン脂質の2位の不飽和脂肪酸が酸化・開裂して生じる、いわゆる酸化リン脂質も効率よく加水分解できること、PAF-AH(II)過剰発現細胞は酸化ストレスによる細胞死に対して耐性になることを明らかにしており、本酵素が酸化ストレスに対する防御機構として働いていることが示唆されている。しかしながら、本酵素の個体レベルでの機能はほとんど明らかになっていない。

 本研究ではPAF-AH(II)欠損マウスを作製し、生理的、病理的条件下における本酵素の機能を解析した。

【方法と結果】

PAF-AH(II)ノックアウトマウスの作製

 マウスPAF-AH(II)の遺伝子は4番染色体に位置し、11のエキソンから構成されている。活性セリンを含む第8、9エキソンをネオマイシン耐性遺伝子で置換したターゲティングベクターを作製し、常法によりPAF-AH(II)ノックアウトマウスを作製した。作製したPAF-AH(II)欠損マウスでは、mRNA,タンパク質レベルともに本酵素の発現が消失していた。肝臓、腎臓の抽出液を用いてPAF-AH活性を測定したところ、PAF-AH活性も完全に消失していた。一方、この欠損マウスはメンデルの法則に従って得られ、正常に発育し、外見上顕著な異常は示さなかった。

PAF-AH(II)欠損マウス胎児繊維芽細胞は酸化ストレスに対して感受性である

 そこでまず、マウス胎児繊維芽細胞を単離し、ストレス刺激に対する感受性を細胞の生存率で評価した。その結果、酸化ストレス刺激であるtert-butyl hydroperoxide(tBuOOH)を一過的に処理する条件において、PAF-AH(II)欠損マウスの細胞は野性型マウスの細胞より低濃度のtBuOOHで細胞死が起こることを見出し、酸化ストレスに対して感受性であることがわかった(Fig.2)。

PAF-AH(II)欠損マウスではLPS誘導急性腎不全からの回復が遅延する

 PAF-AH(II)は主に上皮細胞に発現しており、上皮細胞の発達した腎臓、肝臓等の臓器で発現が高い(Fig.1)。そこで、PAF-AH(II)欠損マウスに対して、肝臓、腎臓の病態モデルを試し、本酵素の病理的条件下における機能を探索した。まずはじめに、リポポリサッカライド(LPS)誘導急性腎不全モデルを行った。野性型マウスにLPSを腹腔投与すると、血中の腎障害マーカーであるBUN(Blood Urea Nitrogen)値が投与後12時間をピークに一過的に上昇し、投与後24時間には通常のレベルまで回復した。一方、PAF-AH(II)欠損マウスでは投与後12時間では野性型マウスと同様のBUN値の上昇が見られたが、その後の回復が有意に遅れ、投与後24時間においてもなお、高いBUN値を示した(Fig.3A)。そこで、腎臓の組織像を観察した結果、投与後24時間のPAF-AH(II)欠損マウスの腎臓では、野性型マウスに比べて、より強い尿細管上皮細胞の傷害が観察された(Fig.3B)。以上の結果から、PAF-AH(II)欠損マウスでは特にLPSによる腎障害からの回復時に異常を来し、腎障害が延長することがわかった。

PAF-AH(II)欠損マウスではCCl4誘導肝障害からの回復が遅延する

 LPS誘導急性腎不全において、抗酸化剤の前処理により腎不全が緩和されることから、酸化ストレスの関与が示唆されている。そこでより直接的に脂質過酸化が関与する他の病態モデルとして、四塩化炭素(CCl4)による肝障害モデルを行った。野性型マウスにCCl4を腹腔投与すると、肝障害マーカーである血中GPT値が投与後48時間をピークとして、顕著に上昇した。その後GPTは減少し、正常な値まで回復が見られた。PAF-AH(II)欠損マウスでは投与後48時間以降のGPT値が野性型マウスに比べ有意に高く、CCl4による肝障害からの回復においても遅延が認められた(Fig.4)。

PAF-AH(II)欠損マウスはFe-NTAによる腎障害に対して耐性である

 Fe-NTAは鉄とそのキレート剤の混合物であり、マウスに投与すると酸化ストレスによる腎障害を引き起こす。Fe-NTAをマウスに投与したところ、野性型マウスではBUN値の持続的な上昇がみられたが、PAF-AH(II)欠損マウスではBUN値の上昇がほとんど見られなかった(Fig.5A)。Fe-NTA投与後120時間後の腎組織像を観察したところ、野性型マウスでは腎尿細管の顕著な壊死が観察されたが、PAF-AH(II)欠損マウスではそのような障害がまったく起こっておらず、ほぼ正常な腎組織像を示した(Fig.5B)。これらの結果から、PAF-AH(II)欠損マウスはFe-NTAによる腎障害に耐性であるという予想外の結果が得られた。

PAF-AH(II)欠損マウスはグルタチオンの分解過程に異常がある

 血中から糸球体を通過し、尿細管管腔に入ってきた三価のFe-NTAは管腔内に存在するcystenylglycinやcysteinにより二価に還元され、二価のFe-NTAが活性酸素を生成し、尿細管に障害を与える。Cystenylglycinやcysteinは尿細管管腔でグルタチオンが分解されることにより生成することから、腎臓の活発なグルタチオン代謝がFe-NTAの腎毒性に必要である。そこでPAF-AH(II)欠損マウスにおけるグルタチオン代謝を調べたところ、野性型マウスに比べて、グルタチオンの分解が遅くなっており、これがFe-NTAの腎障害に耐性となる原因であると考えられた(Fig6)。

【まとめ、考察】

 本研究において私は、PAF-AH(II)欠損マウスが酸化ストレスによる組織障害からの回復に異常を来すことを見出し、本酵素が酸化ストレスに対する防御機構として機能していることを個体レベルで初めて明らかにした。また富山大医学薬学研究部との共同研究により、神経特異的PAF-AH(II)過剰発現マウスは脳虚血ストレスに耐性になることを明らかにしている(Stroke,in press)。以上の結果より、PAF-AH(II)はおそらく酸化ストレスにより生じた酸化リン脂質を加水分解することで、生体膜の機能を回復させていると予想される。また、Fe-NTA投与による腎臓の病態モデルの解析から、PAF-AH(II)が腎のグルタチオン代謝に関与するという本酵素の新しい生理機能を見出した。今後は酸化リン脂質の検出系を確立し、病態時におけるPAF-AH(II)の機能および酸化リン脂質が及ぼす影響についてさらなる解析をするとともに、グルタチオン代謝におけるPAF-AH(II)の機能についてより詳細な解析を進め、PAF-AH(II)の上皮細胞における機能の分子機構を明らかにしていきたい。

[Fig.1]マウスにおけるPAF-AH(II)の発現

A, 臓器分布(ウェスタンブロッティング).

B, 腎臓の免疫組織染色.Bar:50μm

[Fig.2]マウス胎児繊維芽細胞のtBuOOH処理による細胞死

[Fig.3]LPSによる腎障害からの回復の遅延

A, LPS投与後のBUN値の経時変化.

B, LPS投与後24hの腎組織像.Bar:100μm

[Fig.4]CCl4投与による肝障害からの回復の遅延

A. CCl4投与後の血中GOT値の経時変化.B. CCl4投与後72hの肝組織像.Bar:200μm

[Fig.5]Fe-NTA投与による腎障害

A, Fe-NTA投与後のBUN値の経時変化.

B, Fe-NTA投与後120hの腎組織像.Bar:100μm

[Fig.6]腎におけるグルタチオンの分解速度の評価

審査要旨 要旨を表示する

 生体膜のリン脂質二重構造は細胞の様々な機能の発現や調節に重要な役割を果たしている。感染、炎症等様々な病態時において、活性酸素が産生されることが知られており、この活性酸素は生体膜のリン脂質を酸化し、酸化リン脂質を生成する。酸化リン脂質は生体膜の物理化学的性質、および膜タンパク質の機能に影響を与え、病態の進展に関与することが示唆されている。酸化ストレスにより傷害を受けた生体膜の修復機構において、ホスホリパーゼA2による酸化リン脂質の分解が関与すると考えられているが、その分子実態、および酸化リン脂質分解反応の生体における重要性はいまだ不明である。

 細胞内II型PAFアセチルハイドロラーゼ[PAF-AH(II)]は、血小板活性化因子(PAF)の2位のアセチル基を加水分解する酵素として当研究室で精製、クローニングされた。本酵素はN末端がミリストイル化されており、セリンエステラーゼのコンセンサス配列を有するものの、他の細胞内タンパク質と相同性を示さない、非常にユニークなホスホリパーゼである。当研究室ではこれまでに、PAF-AH(II)はPAFのみならず、リン脂質の2位の不飽和脂肪酸が酸化・開裂して生じる、いわゆる酸化リン脂質も効率よく加水分解できること、PAF-AH(II)過剰発現細胞は酸化ストレスによる細胞死に対して耐性になることを明らかにしており、本酵素が酸化ストレスに対する防御機構として働いていることが示唆されている。しかしながら、本酵素の個体レベルでの機能はほとんど明らかになっていない。

 本研究で河野はPAF-AH(II)欠損マウスを作製し、生理的、病理的条件下における本酵素の機能を解析した。

PAF-AH(II)ノックアウトマウスの作製

 マウスPAF-AH(II)の遺伝子は4番染色体に位置し、11のエキソンから構成されている。河野は、活性セリンを含む第8、9エキソンをネオマイシン耐性遺伝子で置換したターゲティングベクターを作製し、常法によりPAF-AH(II)ノックアウトマウスを作製した。作製したPAF-AH(II)欠損マウスでは、mRNA,タンパク質レベルともに本酵素の発現が消失しており、肝臓、腎臓のPAF-AH活性も完全に消失していることがわかった。しかしながら、この欠損マウスはメンデルの法則に従って得られ、正常に発育し、外見上顕著な異常は示さなかった。

PAF-AH(II)欠損マウス胎児繊維芽細胞は酸化ストレスに対して感受性である

 河野は、PAF-AH(II)の機能を知る手がかりとして、PAF-AH(II)欠損マウスから胎児繊維芽細胞を単離し、ストレス刺激に対する感受性を細胞の生存率で評価した。その結果、酸化ストレス刺激であるtert-butylhydroperoxide(t-BuOOH)を一過的に処理する条件において、PAF-AH(II)欠損マウスの細胞は野性型マウスの細胞より低濃度のt-BuOOHで細胞死が起こることを見出し、酸化ストレスに対して感受性であることを明らかにした。

PAF-AH(II)欠損マウスではLPS誘導急性腎不全からの回復が遅延する

 PAF-AH(II)は主に上皮細胞に発現しており、上皮細胞の発達した腎臓、肝臓等の臓器で発現が高いことがわかっている。そこで河野は、PAF-AH(II)欠損マウスに対して、肝臓、腎臓の病態モデルを試し、本酵素の病理的条件下における機能を探索した。はじめに河野は、リポポリサッカライド(LPS)誘導急性腎不全モデルを行った。野性型マウスにLPSを腹腔投与すると、血中の腎障害マーカーであるBUN(Blood Urea Nitrogen)値が投与後12時間をピークに一過的に上昇し、投与後24時間には通常のレベルまで回復した。一方、PAF-AH(II)欠損マウスでは投与後12時間では野性型マウスと同様のBUN値の上昇が見られたが、その後の回復が有意に遅れ、投与後24時間においても、高いBUN値を示した。そこで河野は、LPS投与後24時間の腎臓の組織像を観察した。その結果、PAF-AH(II)欠損マウスの腎臓では、野性型マウスに比べて、より強い尿細管上皮細胞の傷害が観察された。以上の結果から、PAF-AH(II)欠損マウスでは特にLPSによる腎障害からの回復時に異常を来し、腎障害が延長することがわかった。

PAF-AH(II)欠損マウスではCCl4誘導肝障害からの回復が遅延する

 LPS誘導急性腎不全において、抗酸化剤の前処理により腎不全が緩和されることから、酸化ストレスの関与が示唆されている。そこで河野は、より直接的に脂質過酸化が関与する他の病態モデルとして、四塩化炭素(CCl4)による肝障害モデルを行った。野性型マウスにCCl4を腹腔投与すると、肝障害マーカーである血中GPT値が投与後48時間をピークとして、顕著に上昇した。その後GPTは減少し、正常な値まで回復が見られた。PAF-AH(II)欠損マウスでは投与後48時間以降のGPT値が野性型マウスに比べ有意に高く、CCl4による肝障害からの回復においても遅延が認められた。

PAF-AH(II)欠損マウスはFe-NTAによる腎障害に対して耐性である

 Fe-NTA(ferric nitrilotriacetate)は鉄とそのキレート剤の混合物であり、マウスに投与すると酸化ストレスによる腎障害を引き起こすことが知られている。河野は腎臓の酸化ストレスモデルとしてFe-NTAによる腎障害を行った。Fe-NTAをマウスに投与したところ、野性型マウスではBUN値の持続的な上昇がみられたが、PAF-AH(II)欠損マウスではBUN値の上昇がほとんど見られなかった。次に河野は、Fe-NTA投与後120時間後の腎組織像を観察した。その結果、野性型マウスでは腎尿細管の顕著な壊死が観察されたが、PAF-AH(II)欠損マウスではそのような障害がまったく起こっておらず、ほぼ正常な腎組織像を示すことがわかった。これらの結果から、PAF-AH(II)欠損マウスはFe-NTAによる腎障害に耐性であるという予想外な現象を見出した。

PAF-AH(II)欠損マウスはグルタチオンの分解過程に異常がある

 マウスに投与した三価のFe-NTAは糸球体濾過を受け、原尿中において二価に還元される。二価のFe-NTAはヒドロキシラジカルを生成し、尿細管上皮細胞に障害を与え、結果として腎障害を引き起こす。原尿中には尿細管管腔でグルタチオンが分解されることにより生成するcysteinylglycinやcysteineが存在しており、これらの物質が三価のFe-NTAを二価に還元する。すなわち、腎尿細管における活発なグルタチオン代謝がFe-NTAによる腎障害に重要である。そこで河野は、PAF-AH(II)欠損マウスにおけるグルタチオン代謝を調べたところ、野性型マウスに比べてグルタチオンの分解が遅くなっており、これがFe-NTAの腎障害に耐性となる原因であると考えられた。

 以上のように河野は、PAF-AH(II)欠損マウスが酸化ストレスによる組織障害からの回復に異常を来すことを見出し、本酵素が酸化ストレスに対する防御機構として機能していることを個体レベルで初めて明らかにした。また富山大医学薬学研究部との共同研究により、神経特異的PAF-AH(II)過剰発現マウスは脳虚血ストレスに耐性になることを明らかにしている。以上の結果より、PAF-AH(II)はおそらく酸化ストレスにより生じた酸化リン脂質を加水分解することで、生体膜の機能を回復させていると予想される。また河野は、Fe-NTA投与による腎臓の病態モデルの解析から、PAF-AH(II)が腎のグルタチオン代謝に関与するという本酵素の新しい生理機能を見出した。

 本研究は、個体レベルでPAF-AH(II)の機能を生理的、病理的側面から解析することにより、PAF-AH(II)が酸化ストレスに対して防御的に機能することを示し、またPAF-AH(II)がグルタチオン代謝に関与するといった非常に新しい概念を提供したことから、薬学(博士)に充分値するものと判断した。

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