学位論文要旨



No 122684
著者(漢字) 巻出,久美子
著者(英字)
著者(カナ) マキデ,クミコ
標題(和) リゾホスファチジルセリンによるマスト細胞機能の制御
標題(洋)
報告番号 122684
報告番号 甲22684
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1229号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 東,伸昭
 東京大学 助教授 青木,淳賢
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 マスト細胞の細胞膜上のIgE受容体がIgE抗原複合体により架橋されるとマスト細胞は脱顆粒し、ヒスタミンやセロトニンなどのケミカルメディエーターを放出し、即時型アレルギー反応が引き起こされる。リゾホスファチジルセリン(lysoPS)がin vitroにおいてIgE依存的なマスト細胞の脱顆粒反応を著しく促進することが古くから知られている(図1)。しかし、その生理的意義については不明な点が多く残されていた。修士課程で私はホスファチジルセリン(PS)を特異的に加水分解してlysoPSを産生する酵素、PS特異的ホスホリパーゼA1(PS-PLA1)ノックアウト(KO)マウスの解析を行い、本酵素がlysoPSの産生を介し即時型アレルギー反応の進展に深く関与することを見出した。ところで、マスト細胞は即時型アレルギー反応以外にも、様々な炎症部位に集積し、活性化されることが知られているが、そのメカニズムについてはよくわかっていない。本研究で私は、PS-PLA1 KOマウスでは炎症初期の好中球の集積とTNF-αの放出が抑制されていることを見出し、炎症部位ではlysoPSの産生とマスト細胞の活性化が引き起こされていることを明らかにした。また、lysoPSがマスト細胞の遊走因子としても機能する可能性を見出した。

【方法と結果】

lysoPSは炎症部位でマスト細胞の脱顆粒を引き起こす

 最近、当研究室の解析により、PS-PLA1の発現が様々な炎症刺激により顕著に上昇することがわかってきた。カゼイン腹膜炎においても、腹腔中にPS-PLA1の発現が16時間前後をピークに劇的に上昇することがわかっている。また、カゼイン腹膜炎では好中球を主体とする炎症性細胞が同様の経時変化で腹腔に集積することが報告されている。そこで、好中球集積へのPS-PLA1の関与を考え、PS-PLA1(-/-)マウスにカゼイン腹膜炎を誘導したところ、PS-PLA1(-/-)マウスでは好中球の集積が顕著に抑制されていた(図2)。腹腔の炎症における好中球の集積には主にマスト細胞から放出されるTNF-αが重要であることが知られていることから、腹腔のTNF-α量を調べたところ、WTマウスで有意に検出されるTNF-αがPS-PLA1(-/-)マウスでは検出限界以下であった(図3)。さらに、トルイジンブルー染色により腹腔マスト細胞の活性化を調べたところ、WTマウスでは脱顆粒したマスト細胞が多く観察されるのに対し、PS-PLA1(-/-)マウスでは脱顆粒の程度が著しく減弱していることがわかった(図4)。よって、PS-PLA1により産生されたlysoPSがマスト細胞を活性化しているものと考えられた。そこで、実際にカゼイン腹膜炎の腹腔にlysoPSが検出されているのか調べることにした。

 lysoPSはマスト細胞の活性化の他、これまでにin vitroにおいていくつかの生理活性が報告されているが、生体内でlysoPSが検出された例はない。そこで、今回新たにlysoPSの検出系を確立した。膜からリゾリン脂質を引き抜くことができる高濃度のアルブミンを含むバッファーでマウス腹腔を洗浄し、腹腔洗浄液から固相カラムを用いてリゾリン脂質画分を分画し、ESI-マススペクトロメトリーにてlysoPSの検出を行った。その結果、PBS処理マウスにおいては18:0(ステアリン酸)を有するlysoPSがわずかに検出されるのみであったが、カゼイン処理により18:1(オレイン酸),18:2(リノール酸),20:4(アラキドン酸),22:6(ドコサヘキサエン酸)などの不飽和脂肪酸を有するlysoPSが著しく上昇した(図5)。また、これらのlysoPSの上昇はPS-PLA1(-/-)マウスでは認められなかった(図5)。よって、カゼイン腹膜炎においては、PS-PLA1によって産生されたlysoPSが確かに存在することが明らかとなった。

lysoPSはGPR34を介してマスト細胞の遊走を引き起こす

 マスト細胞上にはlysoPS受容体の存在が想定されているが、その分子実体は不明である。最近、薬化学教室との共同研究により様々なlysoPS誘導体が有機化学的に合成され、マスト細胞の脱顆粒促進活性を指標にした構造活性相関研究が行われた。その結果、lysoPSよりも十倍程度強い活性を示す誘導体、リゾホスファチジルスレオニン(lysoPT)が同定された(図6)。一方、orphan GPCRであったGPR34がlysoPS応答性を示すことが最近報告された。マスト細胞はGPR34を発現していることから、lysoPS/lysoPTがGPR34を介してマスト細胞の脱顆粒を促進していると予想された。しかし、GPR34安定発現CHO細胞を作製してGPR34のlysoPT応答性を調べたところ、GPR34はlysoPSに応答して細胞内Ca(2+)濃度の上昇、cAMPの産生抑制、ERKのリン酸化を引き起こすものの、GPR34はlysoPTには一切反応性を示さなかった(図7)。よって、GPR34はlysoPSによるマスト細胞脱顆粒促進作用には関与しないことが示唆された。

 次に、GPR34が関与する機能を探ることにした。まず、未熟なマスト細胞として位置づけられる骨髄由来培養マスト細胞(BMMC)においてGPR34が発現していることを確認した(data not shown)。このBMMCを用い、様々なlysoPS応答性を調べたところ、BMMCがlysoPSに走化性を示すことを見出した(図8)。そこで、この反応がGPR34を介しているのかを確認するために、GPR34発現CHO細胞のlysoPSに対する細胞遊走活性を調べた。その結果、コントロール細胞ではlysoPSに反応しないが、GPR34発現細胞はlysoPSの濃度依存的に遊走することが確認された(図9)。このことから、lysoPSはマスト細胞に対し、従来の脱顆粒促進活性に加え、GPR34を介して細胞遊走活性をも有することが明らかとなった。

【まとめと考察】

 マスト細胞はIgE依存的な即時型アレルギー反応の担い手である。また、古くからマスト細胞は炎症部位に集積し、そこで脱顆粒することにより炎症の進展・終結反応に何らかの役割を持つことが想定されていた。しかし、これまで、マスト細胞が炎症部位に集積し、脱顆粒するメカニズムやその意義は全く不明であった。私は本研究によりこれらの謎の一端を明らかに出来たのではないかと考えている。

 私はまず、PS-PLA1(-/-)マウスにカゼイン腹膜炎を誘導すると、好中球の集積、TNF-α量が抑制されていることを見出した。さらに、MSを用いた高感度検出系を構築し、lysoPSが炎症部位で産生されてくることを初めて明らかにした。炎症部位でPS-PLA1により産生されたlysoPSがマスト細胞の脱顆粒を引き起こし、TNF-αの放出を介して好中球の集積に関与しているものと考えられる。さらに、lysoPSがlysoPS受容体GPR34を介し、未熟なマスト細胞の遊走を促進することが強く示唆された。従って、マスト細胞はこれらのシステムを利用して炎症部位に集積し、脱顆粒している可能性がある。本研究により、lysoPSがマスト細胞の脱顆粒、遊走促進活性を有する新たな炎症性メディエーターであることが明らかとなった(図10)。マスト細胞の脱顆粒におけるlysoPSのターゲット分子の実体を明らかにしていくことが今後の課題である。

図1. lysoPSはIgE依存的なマスト細胞の脱顆粒反応を促進する

図2. KOマウスでは好中球の集積が抑制されている

図3. KOマウスでは腹腔TNF-α量が少ない

図4. KOマウスではマスト細胞の脱顆粒が抑制されている

図5. カゼイン腹膜炎ではlysoPSが産生される

図6. lysoPTはlysoPSよりも強いマスト細胞脱顆粒促進活性を示す

図7. GPR34はlysoPT応答性を示さない

図8. lysoPSによるBMMGの遊走

図9. lysoPSはGPR34を介して細胞遊走を引き起こす

図10. 炎症部位におけるlysoPSの役割

審査要旨 要旨を表示する

 マスト細胞の細胞膜上のIgE受容体がIgE抗原複合体により架橋されるとマスト細胞は脱顆粒し、ヒスタミンやセロトニンなどのケミカルメディエーターを放出し、即時型アレルギー反応が引き起こされる。リゾホスファチジルセリン(lysoPS)がin vitroにおいてIgE依存的なマスト細胞の脱顆粒反応を著しく促進することが古くから知られているが、その生理的意義については不明な点が多く残されていた。巻出は修士課程でホスファチジルセリン(PS)を特異的に加水分解してlysoPSを産生する酵素、PS特異的ホスホリパーゼA1(PS-PLA1)ノックアウト(KO)マウスの解析を行い、本酵素がlysoPSの産生を介し即時型アレルギー反応の進展に深く関与することを見出した。ところで、マスト細胞は即時型アレルギー反応以外にも、様々な炎症部位に集積し、活性化されることが知られているが、そのメカニズムについてはよくわかっていない。巻出は博士課程において、PS-PLA1 KOマウスでは炎症初期の好中球の集積とTNF-αの放出が抑制されていることを見出し、炎症部位ではlysoPSの産生とマスト細胞の活性化が引き起こされていることを明らかにした。また、lysoPSがマスト細胞の遊走因子としても機能する可能性を見出した。

lysoPSは炎症部位でマスト細胞の脱顆粒を引き起こす

 最近、当研究室の解析により、PS-PLA1の発現が様々な炎症刺激により顕著に上昇することが明らかとなりつつある。カゼイン腹膜炎においても、腹腔中にPS-PLA1の発現が16時間前後をピークに劇的に上昇することがわかっており、またカゼイン腹膜炎では好中球を主体とする炎症性細胞が同様の経時変化で腹腔に集積することが報告されている。そこで巻出は、好中球集積へのPS-PLA1の関与を考え、PS-PLA1(-/-)マウスにカゼイン腹膜炎を誘導したところ、PS-PLA1(-/-)マウスでは好中球の集積が顕著に抑制されていることを見出した。このとき、PS-PLA1(-/-)マウスではWTマウスに比較して腹腔のTNF-α量が顕著に少なく、さらに、腹腔マスト細胞の脱顆粒反応も減弱していた。次に、巻出は新たにlysoPSの検出系を確立し、実際にカゼイン腹膜炎の腹腔にlysoPSが検出されているのか調べた。その結果、PBS処理マウスにおいては18:0(ステアリン酸)を有するlysoPSがわずかに検出されるのみであったが、カゼイン処理により18:1(オレイン酸),18:2(リノール酸),20:4(アラキドン酸),22:6(ドコサヘキサエン酸)などの不飽和脂肪酸を有するlysoPSが著しく上昇することを見出した。また、これらのlysoPSの上昇はPS-PLA1(-/-)マウスでは認められなかったことより、カゼイン腹膜炎においては、PS-PLA1によって産生されたlysoPSが確かに存在することが明らかとなった。

lysoPSはGPR34を介してマスト細胞の遊走を引き起こす

 マスト細胞上にはlysoPS受容体の存在が想定されているが、その分子実体は不明である。最近、薬化学教室との共同研究により様々なlysoPS誘導体が有機化学的に合成され、マスト細胞の脱顆粒促進活性を指標にした構造活性相関研究が行われている。その結果、lysoPSよりも十倍程度強い活性を示す誘導体、リゾホスファチジルスレオニン(lysoPT)が同定された。一方、orphan GPCRであったGPR34がlysoPS応答性を示すことが最近報告された。マスト細胞はGPR34を発現していることから、lysoPS/lysoPTがGPR34を介してマスト細胞の脱顆粒を促進していると予想された。しかし、GPR34安定発現CHO細胞を作製してGPR34のlysoPT応答性を調べたところ、GPR34はlysoPSに応答して細胞内Ca(2+)濃度の上昇、cAMPの産生抑制、ERKのリン酸化を引き起こすものの、GPR34はlysoPTには一切反応性を示さなかった。よって、GPR34はlysoPSによるマスト細胞脱顆粒促進作用には関与しないことが示唆された。次に、巻出はGPR34が関与する機能を探った。まず、未熟なマスト細胞として位置づけられる骨髄由来培養マスト細胞(BMMC)においてGPR34が発現していることを確認し、このBMMCがlysoPSに走化性を示すことを見出した。そこで、この反応がGPR34を介しているのかを確認するために、GPR34発現CHO細胞のlysoPSに対する細胞遊走活性を調べた結果、コントロール細胞ではlysoPSに反応しないが、GPR34発現細胞はlysoPSの濃度依存的に遊走することが確認された。このことから、lysoPSはマスト細胞に対し、従来の脱顆粒促進活性に加え、GPR34を介して細胞遊走活性をも有することが明らかとなった。

 マスト細胞はIgE依存的な即時型アレルギー反応の担い手である。また、古くからマスト細胞は炎症部位に集積し、そこで脱顆粒することにより炎症の進展・終結反応に何らかの役割を持つことが想定されていた。しかし、これまで、マスト細胞が炎症部位に集積し、脱顆粒するメカニズムやその意義は全く不明であった。巻出は本研究によりこれらの謎の一端を明らかにしたと考えている。

 巻出はまず、PS-PLA1(-/-)マウスにカゼイン腹膜炎を誘導すると、好中球の集積、TNF-α量が抑制されていることを見出した。さらに、MSを用いた高感度検出系を構築し、lysoPSが炎症部位で産生されてくることを初めて明らかにした。炎症部位でPS-PLA1により産生されたlysoPSがマスト細胞の脱顆粒を引き起こし、TNF-αの放出を介して好中球の集積に関与しているものと考えられる。さらに、lysoPSがlysoPS受容体GPR34を介し、未熟なマスト細胞の遊走を促進することが強く示唆された。従って、マスト細胞はこれらのシステムを利用して炎症部位に集積し、脱顆粒している可能性がある。

 本研究により、lysoPSがマスト細胞の脱顆粒、遊走促進活性を有する新たな炎症性メディエーターであるという非常に新しい概念を提供したことから、薬学(博士)に充分値するものと判断した。

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