学位論文要旨



No 122689
著者(漢字) 林,幾雄
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,イクオ
標題(和) γ-セレクターゼ阻害活性を有する抗nicastrin抗体の作製と性状解析
標題(洋)
報告番号 122689
報告番号 甲22689
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1234号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 γセクレターゼはβ-amyloid precursor protein(APP)の膜内配列を切断し、amyloid β peptide(Aβ)の産生を行うことから、アルツハイマー病(AD)発症に重要な膜内プロテアーゼと考えられる(図1)。一方、γセクレターゼによる膜内配列切断は、発生・分化に重要な役割を果たすNotchシグナリングの活性化にも必須であり、近年、Notchシグナリングの異常亢進による細胞の癌化が報告されている(図1)。したがって、γセクレターゼはADと癌という二大疾患において重要な創薬ターゲットと考えられる。

 γセクレターゼは活性中心サブユニットであるPSEN(presenilin、PS)と、NCSTN(nicastrin、NCT)、APH-1、PEN-2から構成される、高分子量膜蛋白質複合体がその本体である(図2)。そのうちNCTはI型1回膜貫通蛋白質であり、他の構成因子と異なり、大きな細胞外ドメイン(NECD)を有する。ごく最近、NECDはγセクレターゼ基質の受容体として機能することが指摘された。すなわち、NECDと基質の相互作用は、γセクレターゼを標的とする創薬戦略における新たな標的分子機構と考えられる。これまでに、Sf9-baculovirus発現系において膜蛋白質を発現させた際、感染細胞から生じる発芽型ウイルス粒子(BV)上に、適切な修飾を受けた活性型膜蛋白質がディスプレイされ集積することが報告されている。したがって、膜蛋白質を発現したリコンビナントBVは、活性を持つ膜蛋白質を特異的に認識する抗体の作製に適した免疫原と考えられる。そこで私はNCTを発現させたBVを免疫原として抗NCTモノクローナル抗体を作製し、その機能解析を行った。

【方法・結果】

(1)抗NCTモノクローナル抗体の作製と性状解析

生化学的解析

 ヒトNCTを発現する組み換えバキュロウイルスを、BVのエンベロープ蛋白質であるgp64を発現するトランスジェニックマウスに対して免疫し、複数の陽性クローンを得た。欠損変異体を用いた解析から、いずれの抗体もNECD部分を認識していることが確認された。NCTはNECD部分においてN結合型糖鎖付加を受け、細胞内輸送とフォールディングの状態に応じ、Endo H感受性の未成熟型NCT(imNCT)からEndo H耐性の成熟型NCT(mNCT)へと修飾が進展することが知られている。このうち成熟型NCTのみが、すべての構成因子を含む活性型γセクレターゼ複合体に含まれる。しかし現在までにNECD部分にエピトープ領域を持ち、成熟型NCTを認識できる抗体は作出されていなかった。そこで、得られたモノクローナル抗体が活性型γセクレターゼ複合体に含まれる成熟型NCTを認識できるかどうかを、免疫沈降実験により確認した。HeLa細胞膜可溶画分を抗NCTモノクローナル抗体(A52xxA)または抗NCT細胞内領域抗体N1660、抗PS1抗体G1L3で免疫沈降し、各構成因子に対する抗体でイムノブロット解析した。その結果、BVから得られたモノクローナル抗体は、未成熟型NCTのみを免疫沈降する群(A5201s:A5201A、A5202A、A5217A、A5220A)と未成熟型および成熟型NCTをともに免疫沈降する群(A5226s:A5215A、A5218A、A5226A)を含んでいた(図3)。またA5226sはPS1、APH-1、PEN-2のいずれも共沈降したのに対し、A5201sは少量のAPH-1aLしか共沈降しなかった。これらの結果から、A5226sのエピトープ部位は活性型γセクレターゼ複合体に含まれる成熟型NCT上に露出しているのに対し、A5201sの結合部位は複合体の形成に伴うNCTの構造変化により、成熟型NCT上ではマスクされていることが示唆された。

免疫細胞化学

 免疫沈降において異なる反応性を示したA5201AおよびA5226Aが認識するNCTが、どのような細胞内局在を示すかについて、培養細胞を用いた免疫染色によって検討した。いずれの抗体もNCTノックアウトマウス線維芽細胞(NKO細胞)では反応性を示さなかった(data not shown)。野生型NCTを発現させたNKO細胞では、A5201AはERマーカーと一致する細胞内膜系の染色像を示したのに対し、A5226Aは顆粒状の染色像を示した(図4)。A5226Aが認識する顆粒状構造は脂質ラフトのマーカーであるコレラトキシンサブユニットBの染色とよく一致した。ERには未成熟型NCTが局在すること、また脂質ラフトには活性型γセクレターゼが局在するとの報告から、これらの結果は免疫沈降の結果と同様、A5201Aは未成熟型NCTを認識し、A5226Aは成熟型NCTを認識することを示すと考えられた。

 A5201AとA5226Aの反応性について、本研究から得られた結果を下表にまとめる。

(3)in vitroγセクレターゼ活性に与える影響の検討

 A5218AおよびA5226Aは活性型γセクレターゼ複合体に含まれる成熟型NCTと結合することから、これらのA5226s抗体がγセクレターゼの活性に影響を与える可能性を考えた。そこで人工基質を用いたin vitroγセクレターゼ反応系にA5201A、A5218A、A5226Aを添加して、de novo合成されたAβ量を指標にγセクレターゼ活性の変化を測定した。その結果、A5218AおよびA5226Aを終濃度10μg/ml添加した場合に、γセクレターゼ活性が約20%阻害された(図5)。さらにこれらの抗体は、in vitroにおいて基質とNCTとの結合を阻害した。これらの結果から、成熟型NCTと結合する抗体は、NECDと基質の結合阻害を介して、γセクレターゼ活性を阻害することが示唆された。

(4)γセクレターゼ活性依存的な癌細胞の増殖に与える影響

 γセクレターゼ活性阻害活性を示したA5226Aがγセクレターゼ活性依存的な癌細胞の増殖を阻害するかどうかについて検討した。まず、低分子量γセクレターゼ阻害剤DAPTを用いて酵素活性依存的に増殖する株をスクリーニングしたところ、非小細胞性肺癌由来A549細胞がDAPT感受性を示し、100μM DAPT処理72時間で細胞増殖が約20%抑制された(図6A)。一方、HeLa細胞はDAPT感受性を示さなかった。次に、A5226AをA549またはHeLa細胞の培地中に加えて96時間培養した。その結果、A549細胞の増殖はA5226Aの濃度依存的に阻害され、100μg/mlで約50%の抑制がみられた(図6B)。一方、マウスIgG画分はA549細胞の増殖に影響を与えなかった(図6C)。これらの結果から、A5226A抗体はγセクレターゼ活性依存的なA549細胞の増殖を抑制する活性を有することが示唆された。

【まとめ】

 本研究において、私はNCTを発現するBVを免疫原として作製した抗NCT抗体のうちA5218AおよびA5226Aが(1)γセクレターゼ複合体を保った条件下で成熟型NCTと結合すること、(2)in vitroにおいてγセクレターゼ活性を阻害すること、(3)γセクレターゼ活性依存的な癌細胞の増殖を抑制することを明らかにした。現在までにNCTを標的とするγセクレターゼ阻害剤の報告はなく、私の観察は、NCTがγセクレターゼ阻害剤の標的となる可能性を初めて示すものである。γセクレターゼに類似した構造と切断機能を持つプロテアーゼとしてSPP等のファミリー分子が同定されているが、これらはγセクレターゼと異なりNCTのような基質受容体として機能するサブユニットを持たない。したがって、A5226sはγセクレターゼ特異的に阻害能を発揮すると期待される。今後、本抗体を用いてin vivoでの阻害活性の検討や細胞増殖の阻害機構の解明を行うとともに、A5226sのscFv化やin vitro affinity maturationによる高親和性抗体の作製を試み、抗NCT抗体がADおよび癌の分子標的治療薬として実用化される可能性を探っていきたい。

図1:γセクレターゼによる膜内配列切断

図2:γセクレターゼ複合体の構成因子

図3:抗NCT抗体による免疫沈降実験

図4:抗NCT抗体を用いた免疫染色

表:抗NCT抗体A5201AとA5226Aの反応性

図5:抗NCT抗体がin vitro γセクレターゼ活性に与える影響

図6:抗NCT抗体A5226Aがγセクレターゼ活性依存的な細胞増殖に与える影響

審査要旨 要旨を表示する

 γセクレターゼはβ-amyloid precursor protein(APP)の膜内配列を切断し、amyloid β peptide(Aβ)の産生を行うことから、アルツハイマー病(AD)発症に重要な膜内プロテアーゼと考えられる。一方、γセクレターゼによる膜内配列切断は、発生・分化に重要な役割を果たすNotchシグナリングの活性化にも必須であり、近年、Notchシグナリングの異常亢進による細胞の癌化が報告されている。したがって、γセクレターゼはADと癌という二大疾患において重要な創薬ターゲットと考えられる。

 γセクレターゼは活性中心サブユニットであるPSEN(presenilin、PS)と、NCSTN(nicastrin、NCT)、APH-1、PEN-2から構成される、高分子量膜蛋白質複合体がその本体である。そのうちNCTはI型1回膜貫通蛋白質であり、他の構成因子と異なり、大きな細胞外ドメイン(NECD)を有する。ごく最近、NECDはγセクレターゼ基質の受容体として機能することが指摘された。すなわち、NECDと基質の相互作用は、γセクレターゼを標的とする創薬戦略における新たな標的分子機構と考えられる。これまでに、Sf9-baculovirus発現系において膜蛋白質を発現させた際、感染細胞から生じる発芽型ウイルス粒子(BV)上に、適切な修飾を受けた活性型膜蛋白質がディスプレイされ集積することが報告されている。したがって、膜蛋白質を発現したリコンビナントBVは、活性を持つ膜蛋白質を特異的に認識する抗体の作製に適した免疫原と考えられる。そこで申請者はNCTを発現させたBVを免疫原として抗NCTモノクローナル抗体を作製し、その機能解析を行った。

(1)抗NCTモノクローナル抗体の作製と性状解析

生化学的解析

 ヒトNCTを発現する組み換えバキュロウイルスを、BVのエンベロープ蛋白質であるgp64を発現するトランスジェニックマウスに対して免疫し、複数の陽性クローンを得た。欠損変異体を用いた解析から、いずれの抗体もNECD部分を認識していることが確認された。NCTはNECD部分においてN結合型糖鎖付加を受け、細胞内輸送とフォールディングの状態に応じ、Endo H感受性の未成熟型NCT(imNCT)からEndo H耐性の成熟型NCT(mNCT)へと修飾が進展することが知られている。このうち成熟型NCTのみが、すべての構成因子を含む活性型γセクレターゼ複合体に含まれる。しかし現在までにNECD部分にエピトープ領域を持ち、成熟型NCTを認識できる抗体は作出されていなかった。そこで、得られたモノクローナル抗体が活性型γセクレターゼ複合体に含まれる成熟型NCTを認識できるかどうかを、免疫沈降実験により確認した。HeLa細胞膜可溶画分を抗NCTモノクローナル抗体(A52xxA)または抗NCT細胞内領域抗体N1660、抗PS1抗体G1L3で免疫沈降し、各構成因子に対する抗体でイムノブロット解析した。その結果、BVから得られたモノクローナル抗体は、未成熟型NCTのみを免疫沈降する群(A5201s:A5201A、A5202A、A5217A、A5220A)と未成熟型および成熟型NCTをともに免疫沈降する群(A5226s:A5215A、A5218A、A5226A)を含んでいた。またA5226sはPS1、APH-1、PEN-2のいずれも共沈降したのに対し、A5201sは少量のAPH-1aLしか共沈降しなかった。これらの結果から、A5226sのエピトープ部位は活性型γセクレターゼ複合体に含まれる成熟型NCT上に露出しているのに対し、A5201sの結合部位は複合体の形成に伴うNCTの構造変化により、成熟型NCT上ではマスクされていることが示唆された。

免疫細胞化学

 免疫沈降において異なる反応性を示したA5201AおよびA5226Aが認識するNCTが、どのような細胞内局在を示すかについて、培養細胞を用いた免疫染色によって検討した。いずれの抗体もNCTノックアウトマウス線維芽細胞(NKO細胞)では反応性を示さなかった(data not shown)。野生型NCTを発現させたNKO細胞では、A5201AはERマーカーと一致する細胞内膜系の染色像を示したのに対し、A5226Aは顆粒状の染色像を示した。A5226Aが認識する顆粒状構造は脂質ラフトのマーカーであるコレラトキシンサブユニットBの染色とよく一致した。ERには未成熟型NCTが局在すること、また脂質ラフトには活性型γセクレターゼが局在するとの報告から、これらの結果は免疫沈降の結果と同様、A5201Aは未成熟型NCTを認識し、A5226Aは成熟型NCTを認識することを示すと考えられた。

(3)in vitro γセクレターゼ活性に与える影響の検討

 A5218AおよびA5226Aは活性型γセクレターゼ複合体に含まれる成熟型NCTと結合することから、これらのA5226s抗体がγセクレターゼの活性に影響を与える可能性を考えた。そこで人工基質を用いたin vitro γセクレターゼ反応系にA5201A、A5218A、A5226Aを添加して、de novo合成されたAβ量を指標にγセクレターゼ活性の変化を測定した。その結果、A5218AおよびA5226Aを終濃度10μg/ml添加した場合に、γセクレターゼ活性が約20%阻害された。さらにこれらの抗体は、in vitroにおいて基質とNCTとの結合を阻害した。これらの結果から、成熟型NCTと結合する抗体は、NECDと基質の結合阻害を介して、γセクレターゼ活性を阻害することが示唆された。

(4)γセクレターゼ活性依存的な癌細胞の増殖に与える影響

 γセクレターゼ活性阻害活性を示したA5226Aがγセクレターゼ活性依存的な癌細胞の増殖を阻害するかどうかについて検討した。まず、低分子量γセクレターゼ阻害剤DAPTを用いて酵素活性依存的に増殖する株をスクリーニングしたところ、非小細胞性肺癌由来A549細胞がDAPT感受性を示し、100μM DAPT処理72時間で細胞増殖が約20%抑制された。一方、HeLa細胞はDAPT感受性を示さなかった。次に、A5226AをA549またはHeLa細胞の培地中に加えて96時間培養した。その結果、A549細胞の増殖はA5226Aの濃度依存的に阻害され、100μg/mlで約50%の抑制がみられた。一方、マウスIgG画分はA549細胞の増殖に影響を与えなかった。これらの結果から、A5226A抗体はγセクレターゼ活性依存的なA549細胞の増殖を抑制する活性を有することが示唆された。

 本研究において、申請者はNCTを発現するBVを免疫原として作製した抗NCT抗体のうちA5218AおよびA5226Aが(1)γセクレターゼ複合体を保った条件下で成熟型NCTと結合すること、(2)in vitroにおいてγセクレターゼ活性を阻害すること、(3)γセクレターゼ活性依存的な癌細胞の増殖を抑制することを明らかにした。現在までにNCTを標的とするγセクレターゼ阻害剤の報告はなく、申請者の観察は、NCTがγセクレターゼ阻害剤の標的となる可能性を初めて示すものである。以上、本研究の内容はアルツハイマー病ならびに癌の治療標的としてのγセクレターゼとNCTについて重要な情報をもたらすものであり、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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