学位論文要旨



No 122714
著者(漢字) 高島,信也
著者(英字)
著者(カナ) タカシマ,シンヤ
標題(和) 遷移金属化合物における電子相転移の臨界現象
標題(洋)
報告番号 122714
報告番号 甲22714
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第251号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 石本,英彦
 東京大学 教授 滝川,仁
 東京大学 教授 吉澤,英樹
 東京大学 助教授 野原,実
内容要旨 要旨を表示する

1.研究背景

 強相関電子系の研究において、臨界点は大きな注目を集めている。複数の相が競合する臨界点近傍ではそれらの相の間で自由エネルギーが拮抗しているため、小さな外部刺激によって状態変化を起こすことが可能となり、巨大で高速な応答を得ることができるといった特徴がある。また、臨界点近傍では相関長が発散するため、相転移現象を物質の個性によらないユニバーサルな振る舞いとしてとらえることができる。多彩な相転移現象を示す強相関電子系において電子相境界に存在する臨界点近傍での臨界挙動を知ることは、相転移の統一的理解の観点からも、臨界点近傍での高速・巨大応答を期待した物質開発の指針を得るという見地からも重要な課題となっている。

 強相関電子系の中心となる遷移金属化合物では、電子間クーロン反発による局在性と波動関数の重なりによる遍歴性が拮抗している。そのため、これらのパラメータを制御することによりモット絶縁体、遍歴電子磁性、フェルミ液体など様々な電子状態が現れ、各領域の間において電子相の拮抗する臨界点が実現する。モット絶縁体と金属が競合するモット臨界点は、理論的な取り扱いでは気液相転移に等価とみなせる。(V1-xCrx)2O3においてその等価性が証明されたが、最近有機導体のモット臨界点における臨界挙動が非従来型であることが明らかとなり大きな議論を生んでいる。遍歴電子磁性とフェルミ液体の間で磁気秩序−無秩序状態が拮抗する磁気量子臨界点では、スピン揺らぎの効果による非フェルミ液体的振る舞いが予言されている。実験的にも多くの系でスピン揺らぎ理論によく従う臨界挙動が見られているが、最近、純良な試料においてはスピン揺らぎ理論からはずれた振る舞いを示す物質が増えている。これらの臨界点に対する最近の研究からは、試料の純度によって臨界挙動が変化するのではないかという疑問が生じる。典型的な系を対象に、クリーンな電子状態、さらには乱れを制御した場合において、臨界相での物理を問い直してみる必要がある。

2.目的

 本研究の目的は、遷移金属化合物における電子相関に起因して現れる二つの電子相臨界点であるモット臨界点及び磁気量子臨界点が、クリーンな電子状態において実現された場合にどのような臨界挙動を示すかを明らかにすることである。対象とする系には、これらの臨界点を持ち、標準的な理解に従う臨界挙動を示す典型的な二つの物質を用いた。一つ目はモット臨界点及び反強磁性量子臨界点を有するNiS2-xSex系である。この系では電子相関コントロールに従来Se置換が行われ、モット転移を示す代表的な物質であることが知られている。また、反強磁性量子臨界点に到達するx=1.0ではスピン揺らぎ理論によく従う臨界挙動を示す。二つ目は弱強磁性体ZrZn2である。多結晶体の圧力効果や元素置換から、この物質の強磁性量子臨界点近傍の臨界挙動は、スピン揺らぎ理論によってよく理解されることが知られている。

 これらの典型物質の純良な単結晶試料において、さらに系を乱さずに電子相関を制御する方法として圧力を用いて臨界点を実現させることで、典型的な振る舞いを示すと思われていた臨界挙動がどのように変化するかを考察する。特に、NiS(2-x)Sex系ではクリーンな系としてNiS2、乱れた系としてNiS(1.7)Se(0.3)を用い、臨界現象における不純物効果を明らかにする。

3.実験

 NiS2及びNiS(1.7)Se(0.3)は臭素を輸送剤に用いた気相輸送法により育成された単結晶試料を測定に使用した。ZrZn2単結晶は溶融凝固法を用いて育成した。Znは蒸気圧が高いため、蒸発による欠損を防ぐために反応容器をTa管に封入することで組成比どおりの高品質な単結晶試料を得ることに成功した。これらの単結晶試料に対し圧力を印加することで臨界点に到達した。圧力装置は、NiS2及びNiS(1.7)Se(0.3)に対してはキュービックアンビル型圧力発生装置、ZrZn2はピストンシリンダー型圧力発生装置を使用した。また、NiS2の反強磁性量子臨界点近傍における低温測定にはブリッジマン型圧力発生装置を用いた。これらの圧力装置により電子相関効果を制御し、四端子法による圧力下電気抵抗率測定を行った。

4.モット臨界点の臨界性と不純物効果

 NiS2及びNiS(1.7)Se(0.3)はいずれも常圧下においてモット絶縁体であるが、圧力を印加することによっていずれも鋭い一次の金属絶縁体転移を示し、低温側で金属相が現れた。NiS2ではP>2.6GPaで金属相が現れるのに対し、NiS(1.7)Se(0.3)ではSe置換によりバンド幅が広くなっているため、より低圧のP>1.2GPaから金属相が出現した。NiS2の圧力下金属相は残留抵抗率が1μΩcmを下回り、かなり長い平均自由行程を持ったクリーンな電子状態であることがわかった。一方NiS(1.7)Se(0.3)の金属相では残留抵抗率がNiS2の100倍程度大きく、Se置換は不純物散乱にも寄与することが示唆される。

 NiS2、NiS(1.7)Se(0.3)いずれも圧力を印加するに従い金属絶縁体転移温度が上昇し金属相が安定化する。相境界線においてNiS2では200K付近まで鋭い一次転移が観測されたのに対し、NiS(1.7)Se(0.3)においては、120K以上ではクロスオーバー的な変化を示した。一次転移が終端するモット臨界点が、NiS2においては(Pc,Tc)〜(3.4GPa,220K)であるが、NiS(1.7)Se(0.3)では(Pc,Tc)〜(1.5GPa,110K)と著しく低温に移り変わり、Se置換を行うことでクロスオーバーとして振る舞う領域が拡大することが明らかとなった。NiS(1.7)Se(0.3)では置換に伴うランダムポテンシャルの影響により電子状態が乱れ、インコヒーレントな電子状態が実現されやすくなってしまったためにクロスオーバー的な振る舞いを示す領域が拡大したと考えられる。

 NiS2のモット臨界点近傍において、伝導率をオーダーパラメータとみなし臨界指数の評価を行った。一次転移に伴う伝導率の飛び幅の推移は平均場的な指数を持つことがわかり、NiS2のモット臨界点近傍における臨界挙動は標準的な振る舞いを示すことが示唆された。(V(1-x)Crx)2O3同様に標準的な臨界挙動を示すことから、モット臨界点のユニバーサリティは乱れの有無によらないことがわかった。

5.NiS2反強磁性量子臨界点の臨界挙動

 金属相における反強磁性秩序に伴い電気抵抗率の温度依存性に折れ曲がりが見られる。電気抵抗率の温度微分をとることでTNを決定し、TN→0となる量子臨界点はNiS2においてPQCP〜7.5GPaで実現された。臨界点近傍において抵抗率に見られた臨界挙動はSe置換によって実現される場合と大きく異なり、スピン揺らぎ理論にはあまり従わない。電気抵抗率の温度依存性には、臨界点にあまり関係なくT2のフェルミ液体的な振る舞いが見られたが、その温度範囲はおよそ2Kより下とかなり狭い。また、臨界点から離れることにより通常はフェルミ液体的振る舞いを示す領域が拡大するが、そのような振る舞いはNiS2の圧力誘起量子臨界点近傍では見られなかった。

 Se置換による臨界挙動とクリーンなNiS2における圧力下での臨界挙動が大きく異なっていることから、不純物散乱が臨界挙動に大きな影響を与えることが明らかとなった。クリーンな系ではフェルミ面上においてスピン揺らぎによる準粒子散乱が強い場所と弱い場所が存在するといった異方性が影響するのに対し、乱れた系では異方性が平均化されるため振る舞いが異なってくるのではないかと考えられる。

6.ZrZn2強磁性量子臨界点の臨界挙動

 育成した単結晶は残留抵抗率が0.45μΩcm程度のかなり純良な試料であった。常圧および圧力下における電気抵抗率の温度依存性には、量子臨界点以外で期待されるフェルミ液体的なT2の振る舞いがほとんど見られず、広い圧力範囲で非フェルミ液体的挙動を示すことが明らかとなった。これは多結晶試料において報告されているスピン揺らぎ理論によく一致する振る舞いと大きく異なる。純良な試料では臨界点の存在が不明確になり、観測される臨界挙動が変化することが明らかとなった。

 抵抗率の温度依存性の指数を評価すると、最低温で支配的な指数は、あまり圧力によらないが、10K付近で支配的な指数は臨界圧Pc〜1.6GPaを境に変化し、臨界点の存在が高温側で見えることが明らかとなった。臨界圧を境に準粒子散乱に支配的な揺らぎが変化していると考えられる。

7.まとめ

 本研究では、高品質単結晶に対し乱れを伴わない電子状態のコントロール法として圧力を印加することで、これまで典型的な臨界挙動を示すと考えられていた物質の電子相臨界点をクリーンな電子状態で実現することに成功した。クリーンなNiS2のモット臨界点近傍における臨界挙動は標準的な振る舞いを示し、乱れの有無によってユニバーサリティが変化しないが、その臨界温度にはSe置換の影響が大きく見られることが明らかとなった。一方、NiS2の反強磁性量子臨界点近傍及びZrZn2の強磁性量子臨界点近傍で見られた臨界挙動は従来の置換系や多結晶での振る舞いと大きく異なり、不純物散乱が臨界性に大きく影響することが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「遷移金属化合物における電子相転移の臨界現象」は、遷移金属化合物における強電子相関に起因した電子相転移に着目し、モット臨界点および磁気的量子臨界点近傍で現れる臨界現象を電子系のクリーンネスの観点から評価した研究である。論文は全七章からなる。

 第一章では研究の背景が述べられている。遷移金属化合物では電子間の相互作用の程度に応じて様々な電子相が実現されるが、特徴的な3つの電子相である常磁性Fermi液体、遍歴電子磁性、及びMott絶縁体について説明している。これらの電子相境界を特徴づける磁気的量子臨界点とMott臨界点を取りあげ、これら臨界点近傍で現れる臨界現象の標準描像と物質例が概観されている。これを受けて、最近報告されはじめた標準描像に従わない物質を取り上げ、この異常が何に起因するものかを明らかにする必要があるという本論文の方針について触れられている。

 第二章では研究の目的が述べられている。問題意識として、クリーンな電子系で実現される臨界点において標準描像が破綻している可能性を指摘し、これを検証する舞台として、典型的な電子相転移を示す物質NiS(2-x)Sex及びZrZn2が最適であることを論じている。これら典型物質のクリーンネスを制御した単結晶試料において、圧力による電子相制御を行いその臨界挙動を観察することで、クリーンリミットに近づくことでどのように標準描像が破綻していくかを明らかにするという戦略が述べられている。

 第三章では実験方法が述べられている。目的を達成する舞台として重要となるクリーンネスを制御した単結晶試料の準備、及び、清浄な電子状態を保ったまま臨界点を実現するために利用した圧力発生装置について説明している。

 第四章では、NiS(2-x)Sex系が示すMott金属絶縁体転移の臨界現象について述べられている。前半ではクリーンな系であるNiS2の圧力下におけるMott転移について述べられている。Mott転移を示す圧力領域の電気抵抗率の詳細な測定により、1次のMott転移線が終端するMott臨界点の位置を明らかにし、温度-圧力相図を完成させた。更に、Mott転移線に沿った伝導率の飛び幅から見積もった臨界指数が平均場的な振る舞いを示すという結果を得ている。この結果をMott転移の臨界性が調べられている(V(1-x)Crx)2O3、及び分子性有機導体と比較することで、Mott転移点における臨界現象のユニバーサリティクラスには乱れ影響がほとんどないと結論している。後半では、乱れを導入したNiS(1.7)Se(0.3)におけるMott転移について述べられている。NiS(1.7)Se(0.3)ではNiS2に比べてMott臨界点の臨界温度が著しく低下していることを示し、Se置換に伴う電子系の乱れが臨界温度に大きな影響を与えることを実証している。

 第五章では、NiS(2-x)Sex系の反強磁性量子臨界点について述べられている。ここでは第一に、圧力とSe置換によって得られた電子相図を総合的に検討し、置換に伴う乱れが増大するにしたがって温度-圧力相図に占める反強磁性金属相の領域が縮小することを示した。第二に、反強磁性量子臨界点近傍の臨界挙動が、乱れた系では標準的なSCR理論に良く従うが、クリーンなNiS2では標準描像が破綻していることを明らかにしている。この原因としてFermi面上におけるスピン揺らぎの不均一性が重要であると指摘している。Se置換系では乱れによってFermi面の異方性が弱まり、不均一を考慮しないSCR理論によく従うのに対し、クリーンにすることによって異方性があらわになったと議論している。

 第六章では、典型的な遍歴電子弱強磁性体ZrZn2の強磁性量子臨界点の臨界挙動について述べられている。多結晶試料はSCR理論によく従うとされていたが、極めて純良な単結晶試料では極めて広い温度-圧力相空間において非Fermi液体的な振る舞いが現れ、量子臨界点の存在が明確でなくなることから、クリーンな系における従来描像の破綻を明らかにしている。

 第七章では、本論文において行われた研究について総括的な議論が行われ、本研究で得られた知見がまとめられている。

 以上、本研究は磁気的量子臨界点を極めて清浄な電子系において実現させたことにより、強相関電子系の量子臨界相の理解には"乱れ"が本質的な役割を果たすことを実証した。これらの結果は強相関電子の物理学、物理工学に貢献すること大である。博士(科学)の学位を授与できると認める。

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