学位論文要旨



No 122715
著者(漢字) 塚原,規志
著者(英字)
著者(カナ) ツカハラ,ノリユキ
標題(和) Pt(997)表面におけるNO分子の吸着状態と拡散過程
標題(洋) Adsorption states and diffusion processes of NO molecules on the Pt(997) surface
報告番号 122715
報告番号 甲22715
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第252号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 吉信,淳
 東京大学 教授 広井,善二
 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 助教授 高木,紀明
 東京大学 助教授 佐々木,岳彦
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 遷移金属表面上でのNO分子の吸着状態・化学反応は、3元触媒における、窒素酸化物(NOx)の還元反応の基礎課程として盛んに研究がなされてきた。その中で近年注目される吸着系として、Pt(111)ステップ表面上でのNO分子の吸着状態が挙げられる。表面欠陥は、その表面での化学反応や表面拡散などに非常に大きな影響を与える。よって、本研究で注目した、Pt(997)ステップ表面上でのNO分子の吸着状態・拡散に関する研究・情報はその基礎的な観点からのみならず、工業面、環境面などから見ても重要であることは明らかである。

 Pt(111)表面でのNOの吸着状態の解明が、ここ数年でやっと解明されたという背景から、Pt(111)ステップ表面での研究は、注目されてはいたが、その研究報告例が極端に少ないのが現状である。特に、Pt単原子ステップでのNO分子の吸着サイトは、実験的には証明されていないのが現状である。

 そこで、本研究ではまずこのPtステップ表面に吸着したNO分子の吸着状態の解明を1番目の目的として実験を行った。赤外反射吸収分光(IRAS)、走査トンネル顕微鏡(STM)という、表面吸着分子の観察に非常に強力な手法を相補的に用いることにより詳細な解析を行うことができた。また本研究では、吸着状態の解明の後、NOの表面拡散に注目し、研究を行った。原子スケールにおいて、拡散は吸着サイト間の確率的なランダムウォークと考えることができる。NO単分子の表面拡散、つまり吸着サイト間ホッピングに関する研究は、これまで例がほとんどない。そこで本研究では、このPt(997)表面におけるNO分子のサイト間ホッピングについて研究を行った。様々な基板温度での測定に加え、時間分解のIRAS測定により、NO分子の吸着サイト間ホッピングを観察し、簡単なモデルでそれを解析した。

2.実験

 本研究では、1つのサンプル表面に対し、同位置でIRAS、STM測定を行える本研究室オリジナルの実験装置を用いた。三重の熱シールドにより、サンプルは液体Heで約6Kまで冷却可能である。

 実験はすべて1.0×10(-10)Torr以下の超高真空下で行った。基板はPt(997)を用いた。これはPt(111)単結晶表面を、表面垂直方向から約6.5°傾いた面であり、[112]方向に約20.1Å周期の単原子ステップを持つ(Fig.1)。表面は、超高真空下でのNeイオンスパッタとアニールを繰り返すことによって清浄化を行った。さらに、2×10(-7)Torrの酸素雰囲気下でのアニールをおこない、表面の不純物を除いた。清浄表面の確認は、低速電子線回折(LEED)とSTM、そしてIRASでの吸着CO分子の振動ピークの形状で行った。

3.結果・考察

−Pt(997)ステップ表面におけるNO分子の吸着状態−

 図1に、90Kにおいて、Pt(997)表面にNO分子を吸着させたときの様々な被覆率でのIRASスペクトルを示した。低被覆率領域(図1(a))では、1484cm(-1)、1630cm(-1)にそれぞれピークが観測された。被覆率を上げていくと(Fig.1(b))、さらに1700cm(-1)にも新たなピークが現れ、1484cm(-1)、1630cm(-1)のピーク位置は高振動数側へのシフトが見られた。さらに被覆率を上げると(図1(c),(d))、1700cm(-1)のピーク強度の増加、1484cm(-1)と1630cm(-1)のピーク強度の減少が見られた。また、1615cm(-1)にもピークが現れた。最後に飽和被覆率では(図1(e))、1504cm(-1)に新たなピークが現れた。

 過去のPt(111)表面に吸着したNO分子の実験に関する報告[1,2,3]から、1484cm(-1)、1700cm(-1)に現れたピークは、テラスのfcc-ホローサイト、オントップサイトに吸着したNO分子のN-O伸縮振動モードと帰属できる。一方、1630cm(-1)のピークは、Pt(111)表面でのこれまでの報告にはない。また、過去のPt(211)、Pt(533)表面でのNO吸着状態の研究[4,5]では、1620cm(-1)にピークが観測され、これはステップのブリッジサイトに吸着したNO分子の伸縮振動モードであると帰属されている。今回の1630cm(-1)、及びFig.1(d)などで見られる1615cm(-1)のピークも近い振動数を持つので、ステップのブリッジサイトのNO分子に由来するものと考えられる。しかし、このIRASピークからは、テラスのfcc-ホローサイト、オントップサイト以外の吸着サイトにNO分子が吸着していることがわかっても、その吸着サイトを特定することはできない。今回はこれをSTMで直接観察することで吸着サイトを決定した。

 図2は、基板温度86KでNO分子が吸着したPt(997)のSTM像である。このSTM像は、図1のIRASスペクトルの(b)にそれぞれ対応する被覆率である。NO分子はこの測定条件では輝点として見えていることがわかる。図2(a)で、ステップに1種類、テラスに2種類の輝点が見られた。過去のPt(111)上のNO分子のSTM像[1]と、図1(b)ではテラスにオントップ種が見え始めた状態であることから、テラスでより明るく見える輝点(少数)がオントップのNO分子、それと比較して暗く見える輝点がホローのNO分子である。これらはp(2×2)構造を形成している。

 テラスの輝点のサイトがわかれば、それを基準としてステップの吸着種の吸着サイトを直接特定することができる。図2(b)は、図2(a)の白の長方形部分を拡大した像である。ここに図のようにレジストリを重ねてみると、ステップにある輝点が、ブリッジサイトに位置していることがわかる。

 また、ステップ吸着種の近傍のテラスには、ホロー吸着種や、オントップ吸着種が存在することがあり、これらの影響で、図1(d)などで見られる1615cm(-1)のピークが現れると考えられる。

−Pt(997)表面におけるNO分子の表面拡散過程−

 図3は、基板温度を76Kに固定させて測定した時間分解スペクトルである。これを見ると、オントップ吸着種が減少し、他のサイトの吸着種が増加している。この強度変化は、オントップ吸着種が、最近接ホロー、またはステップへホッピングしていることで説明される。強度変化から、被覆率変化に変換することで、図4が得られた。これを1次の反応速度論を基に解析し、速度定数を見積もった。ここから、そのホッピングのパラメータを決めることができる。同様の実験を70Kから77Kまでで行い、それぞれを図4のようにアレニウスプロットに乗せる。これより、オントップからのホッピングの活性化エネルギーを200meV、前指数因子を2×10(11)と見積もることができた。オントップからの行き先は、約9割がホローへ、残りがステップへ行く。これは、Pt(997)のテラスが、Pt原子列が9列並んでいるということに由来していると思われる。つまり、テラスの中央のオントップ吸着種は最近接のホローへ、テラスの端のオントップ吸着種はステップへそれぞれ移動するのではないかと考えられる。

 さらに、100Kから110Kでは、テラスのホロー吸着種が、ステップへホッピングにより移動する様子もIRASによって観測された。図5は、105KにおけるIRASスペクトルの時間変化である。これも、上述のサイト間ホッピングであると思われるが、テラス上でNO分子がホロー-ホロー間のホッピングを繰り返し、ステップの隣に来た後、ステップへ移動する、というモデルで説明され、単純な1次の反応速度論では説明ができない。本研究ではこれを動的モンテカルロ法によるシミュレーションによって解析を行っている。吸着分子間相互作用を考慮し、詳細な解析がこのシミュレーションでは可能である。詳細は論文で議論していく。

4.まとめ

 本研究では、IRASとSTMという、相補的に表面の情報を得られる手法を組み合わせた装置を使うことで、Pt(997)ステップ表面上のNO分子の吸着状態を詳細に調べることができた。また、複数の吸着サイトの存在から、それらのサイト間ホッピングの様子を、IRASのピーク強度変化として観測することに成功した。そして、これらの解析により、単一NO分子のホッピングの活性化エネルギー・前指数因子を見積もることに成功した。

[参考文献][1] M. Matsumoto, K. Fukutani, T. Okano, K. Miyake, H. Shigekawa, H. Kato, H. Okuyama, M. Kawai, Surf. Sci. 454 (2000) 101.[2] M. Matsumoto, N. Tatsumi, K. Fukutani, T. Okano, Surf. Sci. 513 (2002) 485.[3] H. Aizawa, Y. Morikawa, S. Tsuneyuki, K. Fukutani, T. Ohno, Surf. Sci. 514 (2002) 394.[4] R.J. Mukerji, A.S. Bolina, W.A. Brown, J. Chem. Phys. 119 (2003) 10844, J. Phys. Chem. B 108 (2004) 289.[5] E.H.G. Backus, A. Eichler, M.L. Grecea, A.W. Kleyn, M. Bonn, J. Chem. Phys. 121 (2004) 7946.

fig.1:NO分子をPT(997)表面に吸着させたときのIRASスペクトル。(基盤温度90K、分解能4cm(-1)、500回積算)

図2:NO分子が吸着したPt(997)表面のSTM像。(86K、Vs=-0.1V、It=0.2nA 100Å×50Å、(a)0.2ML、(b)(a)の一部の拡大像。レジストリの交点は基盤のPt原子に対応する。

図3:0.02MLのNO分子の吸着したPt(997)表面の時間分解IRASスペクトル。(76K)

図4:図3の強度変化から見積もったそれぞれの吸着種の被覆率変化(点)と、反応速度論とのフィッティング曲線(線)。

図5:70Kから77Kまでの時間分解測定からのアレニウスプロット。

図6:0.02MLのNO分子の吸着したPt(997)表面の時間分解IRASスペクトル。(105K)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,Pt(997)表面におけるNOの吸着状態と表面拡散について赤外反射吸収分光(IRAS)と走査トンネル顕微鏡(STM)を用いて実験を行い,精緻で定量的な解析を行うことにより,表面拡散のキネティクスと吸着ポテンシャルエネルギーについて議論を行っている.論文は6章からなり、第1章は本研究の背景と目的,第2章は実験装置と実験方法,第3章は実験の基本原理,第4章はPt(997)表面におけるNOの様々な吸着状態,第5章はPt(997)表面におけるNOの表面拡散,そして第6章は結論について記述されている.さらに,付録として解析に用いた動的モンテカルロ法のプログラムリストなどを含んでいる.

 遷移金属表面におけるNO分子の吸着状態と表面反応は,三元触媒における窒素酸化物(NOx)の還元反応の素過程を解明する立場から,研究がなされてきた。Ptは三元触媒を構成する金属であるが,NOの解離反応にステップが重要な役割を果たしていることが分かっている.ステップをはじめとした表面欠陥は、その表面での化学反応や表面拡散などに大きな影響を与える.本研究では,よく規定されたステップ表面であるPt(997)におけるNO分子の吸着状態と表面拡散に関する研究を行った.得られた結果は,学問的にも重要あるばかりでなく,応用面からみても表面反応キネティクスをシミュレートする際の基礎データを提供すると考えられる.

 本研究の第4章では,Ptステップ表面に吸着したNO分子の吸着状態を明らかにした.赤外反射吸収分光(IRAS)、走査トンネル顕微鏡(STM)を相補的に用いることにより,吸着状態とその安定性について解析を行った.また,共同研究者による第一原理計算も参考にして帰属を行った.その結果,Pt(997)表面では,テラスのオントップサイト,テラスのホローサイト,ステップのブリッジサイト,ステップ直下のホローサイトに吸着することが明らかになった.低温から徐々に吸着系を加熱していくことにより,吸着状態のエネルギー的な安定性を決定した.吸着エネルギーの小から大へ並べると次のような結果が得られた:ステップ直下のホローサイト→テラスのオントップサイト→テラスのホローサイト→ステップのブリッジサイト.

 本論文の第5章では,NO分子の表面拡散素過程について,温度を精密にコントロールして実験とモデルに基づく速度論的解析を行った.時間分解IRAS測定により、NO分子の吸着サイト間のホッピングを観察し,実験結果に即した微視的なモデルで解析し,それぞれの吸着サイト間ホッピングの活性化エネルギーと前指数因子を決定することに成功した.これらの結果から,Pt(997)表面における吸着ポテンシャルエネルギー面を定量的に記述することができた.さらに,これらの熱的拡散だけではなく,極低温における初期吸着状態の解析から,非熱的な吸着エネルギー散逸に由来する過渡的な拡散についても議論を行い,表面衝突から吸着サイトへのトラップまでの過渡的拡散距離を見積ることに初めて成功した.

 以上のように,Pt(997)ステップ表面におけるNO分子の吸着と拡散の微視的過程が本論文によって初めて明らかとなった.

なお,本論文の第4章は,吉信淳,山下良之,向井孝三,相澤秀明,第5章は吉信淳,山下良之,向井孝三との共同研究であるが,論文提出者が主体となって,実験の遂行,分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

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