学位論文要旨



No 122718
著者(漢字) 堀,輝人
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,テルヒト
標題(和) 地殻変動観測のための絶対波長安定化レーザー光源の開発
標題(洋)
報告番号 122718
報告番号 甲22718
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第255号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 助教授 新谷,昌人
内容要旨 要旨を表示する

 レーザー干渉計を用いた精密計測は、産業、学術を問わず、さまざまな分野で応用されている。その一つとして、地球計測分野における、地球の地殻変動・潮汐、および地震波由来の水平加速度検出への応用がある。これらを観測する装置として傾斜計が挙げられるが、大きく分けて二つのタイプがあり、一つは水管傾斜計のような長基線傾斜計、もう一つは短基線のボアホール傾斜計である。水管傾斜計は基線が長いことで良い検出精度が得られるが、長基線ゆえに設置場所が地上付近の横坑に限られ、降雨や気圧変化などによる地表付近のノイズの影響が避けられないという欠点がある。一方、ボアホールタイプの傾斜計は地下深部や海底などにも設置可能で地表付近のノイズの影響を避けることができるが、短基線ゆえに検出素子のドリフトや設置の不安定要因のために長期的な地殻変動の検出には不向きとされている。

 そこで、東京大学地震研究所ではこのようなトレードオフを打開すべくドリフトの小さいボアホール傾斜計の開発を目指し、検出器としてレーザー干渉計(マイケルソン干渉計)を採用している。レーザー干渉計は安定度が9桁以上もある光の波長を基準とした変位計測法であるので、高感度、低ドリフトという特長がある。また、レーザー波長が既知であるので、それを基準にして傾斜計設置後の較正が容易に行えるという特長もある。

 このような観点から東京大学地震研究所ではボアホールタイプのレーザー傾斜計を試作しているが、この傾斜計は将来的に海底での地殻変動観測に用いる予定であり、その際校正や保守が極めて不便であることを考えると、光源には小型、低消費電力、長寿命、周波数の長期安定性などの特長を持ったレーザーを使用する必要が生じてくる。そこで、海底での観測用の光源として、現在地上観測用いられているHe-Neレーザーよりもはるかに低消費電力である半導体レーザー(LD)を使用することが検討されている。

 ただし、LDは小型、低消費電力、長寿命という長所がある一方、He-Neレーザーと比べて線幅が非常に広く、安定度が低い(一般的な線幅は、He-Neが数十kHzであるのに対し、LDでは数MHz〜数十MHz)。そのため、精度の良い計測を行うためには周波数安定化が必要である。

 本研究は、このレーザー傾斜計の光源となるLDの周波数安定化であり、東京大学地震研究所との共同研究である。LDには線幅の狭い(1MHz程度) Distributed Bragg Reflector(DBR)タイプのものを用いた。その他線幅の狭いLDとしては外部共振器型LD(Extended Cavity LD,ECLD) が挙げられるが、ECLDは機械的な振動に対して脆弱であり、光フィードバックに関しての耐久性もあまり無いため、DBR-LDを選択する方が本研究の目的に適っている。

 本研究で用いたDBR-LDには、発振波長チューニング端子としてDBR control regionの他、phase control regionも設けられており、3-section構造となっている。どちらの端子も広くチューニングするとモードホップが起きるが、不感帯がなく発振波長付近の全ての波長をカバーしているphase control端子の方を、安定化のfeedbackを還す制御端子として用いた。一般にDBR-LDのチューニングタイプには2種類存在するが、我々が用いたのはノイズの少ないThermally-inducedタイプの波長チューニングであった。これは、線形であるその挿引特性のよさも去ることながら、システム全体を低消費電力のものに組み上げたいという必要性とも変調帯域の観点では合致する結果となった。すなわち、Thermally-inducedタイプの使用では変調周波数が高く取れないところが場合によってはネックとなりうるが、今回我々の目的の一つに低消費電力という要請があり、そのような変調器を選んだところ強誘電性液晶シャッターにたどりついたのだが、この強度変調周波数の帯域幅がThermally-inducedタイプと同程度(数kHz)であったため、ちょうど特性の合う組み合わせとなった。よってデメリットは全く生じなかった。

 また、安定化の手法として用いたのは長期安定度が得られない2-mode法のような手法ではなく、絶対値の安定性が得られる原子の吸収線を基準にする安定化法である。本研究で用いたDBR-LDの波長は852 nmであるので、原子(参照物質)としてはその波長付近に吸収線が存在するAr(アルゴン)やCs(セシウム)が候補に挙げられるが、Arの場合にはスパーク放電やアーク放電を用いて原子団を励起せねばならず、本研究の目的の一つである低消費電力という条件に反する。よってその必要のないCsの吸収線を用いることにした。

 安定化は飽和吸収分光法の一つであるModulation Transfer method(MT法)を用いて行い、pump光に強度変調と周波数変調を同時にかけてS/Nの良い吸収信号(MT信号,Cs-D2線の超微細構造)とその微分信号を得ている。この微分信号をservo回路へ通してfeedback信号とし、LDのphase control regionに負帰還させてやることにより、周波数安定化を行った。また、LD自体はペルチエ素子で温度制御している。

 過去の論文では、Csの吸収線を用いてDBR-LDをMT法で安定化したものが報告されているが、フィードバックは外部共振器に還しており、DBR sectionは変調や制御には用いられておらず、また、変調にはEOMやAOMのような消費電力の大きい素子を用いているため、本研究の安定化法として採用することはできない。

 また、4-section型のDBR-LDを用いて周波数安定化を行った論文もあり、本研究と同じく誤差信号をphase control regionにフィードバックしているものの、ロックする周波数の安定度が参照光や光フィルターの安定度で決まってしまうので、ユニバーサルかつ高い安定度を得るのは難しいと考えられる。

 本研究において最も重要な点は、『実用的で実装に耐えうる種々の特性(小型、低消費電力、長寿命、長期周波数安定性、機械的振動に対する耐久性)を十分に備えた』安定化レーザー光源の開発、という点であり、トータルを考慮した実用的なシステム作りという重要な動機および要求が根底にある。

 よって上記のように消費電力を犠牲にして周波数安定度のみを稼いだり、絶対安定度が得られないような手法で安定化を行ったりという事は避けなければならず、また、その点に関しては光学素子や安定化の手法を慎重に選択することで対応を図った。

 その結果、最終的に小型・長寿命(数年以上)かつ低消費電力(従来の10分の1以下の2W以下)で、かつ観測に十分な長期周波数安定度を備えたレーザー光源システムを開発することに成功した。

 周波数安定化システムでは強度変調の復調を3倍波で行うことにより位相の改善を試みたが、帯域拡大よりはむしろS/N改善の効果が目立った。また、光をセルに通過させることで生じる強度ノイズを取り除くために、復調を行う前に飽和吸収信号から線形ドップラー型吸収信号を差し引くテクニックを利用した。その効能を調べたところ、やはり十分なノイズ抑制効果があったと同時に、我々が特に必要な長期安定度の方でより大きく貢献していることが確認できた。

 レーザーの周波数安定度は、光の周波数が高すぎるために直接測定することができないので、同じシステムで独立に安定化された2台のレーザーのビート周波数を測定することにより評価する。これにより、一般的に周波数安定度の比較に用いられているアラン分散と呼ばれる量を求めることができ、定量的な比較・検討が可能になる。レーザー干渉計型の傾斜計で地殻変動を観測するには、絶対値で10(-8)の安定度が必要であるので、これが本研究の一つの目標となる。本研究で我々が開発したシステムも最終的にアラン分散により評価したが、その結果、測定した領域全域(Gate Time 0.01s〜5000s)において10(-8)よりもよい周波数安定度であることが分かった。周波数安定化を行っていないFreerunの状態では、実験によりGate Time 300s以上の長期安定度が10(-8)より悪い値であることが分かったため、本研究による絶対周波数安定化の重要性を確認できた。

 以上のように、本研究で長期のfield useに耐えうる実用的な周波数安定化システムを構築することに成功した。実装に必須である性能(小型・低消費電力・長寿命・耐久性)は、慎重な素子・装置選びをしたことによって十分に備わり(消費電力は従来の10分の1)、また、その制限の中で最大限の周波数安定度を得られるようさまざまな工夫を施した結果、実用上の要求値を十分上回る高精度な安定化システムを開発することに成功した(長周期側で周波数安定度は10kHz程度までに到達した)。

図1. 3-section DBR-LDの構造

図2. 周波数基準としたCs-D2線の超微細構造とその微分信号

図3. 周波数安定化システム

図4. アラン分散による安定度評価

審査要旨 要旨を表示する

 レーザー干渉計を用いた精密計測は、産業、学術を問わず、さまざまな分野で応用されている。その一つとして、地球計測分野における、地球の地殻変動・潮汐、および地震波由来の水平加速度検出への応用がある。東京大学地震研究所ではこのようなトレードオフを打開すべくドリフトの小さいボアホール傾斜計の開発を目指し、検出器としてレーザー干渉計(マイケルソン干渉計)を採用している。この傾斜計は将来的に海底での地殻変動観測に用いる予定であり、その際校正や保守が極めて不便であることを考えると、光源には小型、低消費電力、長寿命、周波数の長期安定性などの特長を持ったレーザーを使用する必要が生じてくる。そこで、海底での観測用の光源として、現在地上観測用いられているHe-Neレーザーよりもはるかに低消費電力である半導体レーザー(LD)を使用することが検討されている。ただし、LDは小型、低消費電力、長寿命という長所がある一方、He-Neレーザーと比べて線幅が非常に広く、安定度が低い(一般的な線幅は、He-Neが数十kHzであるのに対し、LDでは数MHz〜数十MHz)。そのため、精度の良い計測を行うためには周波数安定化が必要である。

 本研究の目的は、このレーザー傾斜計の光源となる絶対波長(周波数)が安定化されたLD光源の開発である。本研究において最も重要な点は、『実用的で実装に耐えうる種々の特性(小型、低消費電力、長寿命、長期周波数安定性、機械的振動に対する耐久性)を十分に備えた』安定化レーザー光源の開発、という点であり、トータルを考慮した実用的なシステム作りという重要な動機および要求が根底にある。

 今回の装置では、LDには線幅の狭い(1MHz程度)Distributed Bragg Reflector(DBR)タイプのものを用い、低消費電力という要請を満たすため、強誘電性液晶シャッターを安定化に必要な光変調器に選んだ。また、絶対値の安定性が得られる原子の吸収線を基準にする安定化法を用いた。本研究で用いたDBR-LDの波長は852nmであるので、原子(参照物質)としてはその波長付近に吸収線が存在するCs(セシウム)を用いた。これも、本研究の目的の一つである低消費電力という条件から選んだ。

 安定化は飽和吸収分光法の一つであるModulation Transfer method(MT法)を用いて行い、pump光に強度変調と周波数変調を同時にかけてS/Nの良い吸収信号(MT信号,Cs-D2線の超微細構造)とその微分信号を得ている。この微分信号をservo回路へ通してfeedback信号とし、LDのphase control regionに負帰還させてやることにより、周波数安定化を行った。また、LD自体はペルチエ素子で温度制御している。

 本研究で開発すべき装置では、消費電力を犠牲にして周波数安定度のみを稼いだり、絶対安定度が得られないような手法で安定化を行ったりという事は避けなければならず、また、その点に関しては光学素子や安定化の手法を慎重に選択することで対応を図った。

 その結果、最終的に小型・長寿命(数年以上)かつ低消費電力(従来の10分の1以下の2W以下)で、かつ観測に十分な長期周波数安定度を備えたレーザー光源システムを開発することに成功した。

 また、新しい試みとして周波数安定化システムでは強度変調の復調を3倍波で行うことにより位相の改善を試み、S/Nの改善が実現した。また、光をセルに通過させることで生じる強度ノイズを取り除くために、復調を行う前に飽和吸収信号から線形ドップラー型吸収信号を差し引くテクニックを利用した。その効能を調べたところ、やはり十分なノイズ抑制効果があったと同時に、我々が特に必要な長期安定度の方でより大きく貢献していることが確認できた。

 レーザーの周波数安定度は、光の周波数が高すぎるために直接測定することができないので、同じシステムで独立に安定化された2台のレーザーのビート周波数を測定することにより評価した。これにより、一般的に周波数安定度の比較に用いられているアラン分散と呼ばれる量を求め、定量的な比較・検討を行った。レーザー干渉計型の傾斜計で地殻変動を観測するには、絶対値で10(-8)の安定度が必要であるので、これが本研究の一つの目標となる。本研究で我々が開発したシステムも最終的にアラン分散により評価したが、その結果、測定した領域全域(Gate Time 0.01s〜5000s)において10(-8)よりもよい周波数安定度であることが分かった。周波数安定化を行っていないフリーランの状態では、実験によりGate Time 300s以上の長期安定度が10(-8)より悪い値であることが分かったため、本研究による絶対周波数安定化の重要性を確認できた。

 以上のように、本研究で長期のfield useに耐えうる実用的な周波数安定化システムを構築することに成功した。実装に必須である性能(小型・低消費電力・長寿命・耐久性)は、慎重な素子・装置選びをしたことによって十分に備わり(消費電力は従来の10分の1)、また、その制限の中で最大限の周波数安定度を得られるようさまざまな工夫を施した結果、実用上の要求値を十分上回る高精度な安定化システムを開発することに成功した(長周期側で周波数安定度は10kHz程度までに到達した)。

 また、本論文の研究内容は、東京大学地震研究所との共同研究であるが、本人の寄与が極めて大きいことが認められた。したがって、博士(科学)の学位を授与できるものと認める。

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