学位論文要旨



No 122737
著者(漢字) 成瀬,康
著者(英字)
著者(カナ) ナルセ,ヤスシ
標題(和) 誘発反応により引き起こされる自発活動の位相リセットとその機能的役割に関するEEG/MEGを用いた研究
標題(洋) An EEG/MEG Study on Phase Resetting of Spontaneous Activity Caused by Evoked Response and Its Functional Role
報告番号 122737
報告番号 甲22737
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第274号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 眞溪,歩
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 教授 岡田,真人
 東京大学 助教授 久恒,辰博
 情報通信研究機構 主任研究員 藤巻,則夫
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では,Electroencephalography(EEG)及びMagnetoencephalography(MEG)にて計測される自発活動が外部刺激に誘発された誘発反応によりリセットされることを示し,自発活動のリセットには脳内における情報処理を早める機能的役割がある可能性があることを示した.

 第1章では,本論文の背景を説明し,本論文で扱う研究目的を導いた.脳活動には自発活動と誘発反応がある.自発活動は外的な刺激が存在しない場合でも観測され,周期的な活動として見られる場合が多い.それに対して,誘発反応は外的な刺激により誘発される脳活動である.本研究では,刺激後のEEGをevent-related potential(ERP),MEGをevent-related field(ERF)と呼ぶ.同一刺激に対して複数回のERP/ERFを測定しそれらを加算平均したaveraged ERP/ERFが誘発反応を反映していると一般的に考えられている(evoked model).evoked modelの前提として自発活動は外的な刺激に影響されないという考えがある.しかし,近年,刺激により自発活動の位相リセットが起こることが示され,averaged ERP/ERFは刺激によってリセットされた自発活動を反映しているというモデルが提案された(phase resetting model)(Makeig 2002).しかし,自発活動は刺激によりリセットされないとの反論もあり(Mazaheri 2006),未だ議論がなされている.また,averaged ERP/ERFの成分の中でevoked modelに基づく成分とphase resetting modelに基づく成分が共存している可能性もある.本論文の目的は,1)EEG/MEGにより計測される自発活動,特にα波が刺激によりリセットされるか否か,2)averaged ERP/ERFの成分の中で,どの成分がevoked modelに基づいており,どの成分がphase resetting modelに基づいているか,3)α波のリセットはどのような機能的役割を担っているのかを調べることである.

 第2章では,視覚刺激提示前のα波から刺激提示後のalpha ringingへのシームレスさとaveraged ERP/ERFとの関係について調べ,α波が視覚刺激によりリセットされるか否か,及びaveraged ERP/ERFがいずれのモデルに基づいているかについて検討した.alpha ringingとは刺激提示後400ms以降に見られるα波周波数帯域のaveraged ERP/ERFである.alpha ringingに最もシームレスにつながるα波が持つ刺激提示時の位相をadjustment angle(λ)とし,以下のように試行を4つのsubsetに分類した.

ここで,Sm,xk,θkはそれぞれm番目のsubset,k番目の試行,k番目の試行の刺激提示時のα波位相を表す.このように分類すると,subset 1〜4のα波とalpha ringingとの位相差(Δψ)はそれぞれ,0,π/2,π,-π/2rad程度となる.各subsetのaveraged ERP/ERFを求めた結果(図1),シームレスさに従ってP100成分のピーク値が小さくなることが明らかになった(図2).また,試行間でのalpha ringingの位相の揃い度合いがシームレスさの影響を受けた.これらの結果は刺激提示前のα波と刺激提示後にみられるalpha ringingとの間に関連があることを示している.故に,alpha ringingは刺激によってリセットされたα波の表れであろうと推察され,alpha ringingに関してはphase resetting modelが支持された.またP100成分はα波のリセットのみで説明することが困難であることから,evoked modelに基づいた反応を含んでいると推察された.更に,alpha ringingが刺激によりリセットされたα波の表れであるとすると,各subsetのα波のリセット量は各subsetのα波とalpha ringingとの位相差Δψである.このことは,リセット量とP100成分の大きさとの間に相関があることを示し,P100成分がα波のリセットを引き起こしている可能性を示唆している.

 第2章においてα波は刺激によりリセットされることが示された.しかし,刺激によりα波がリセットされないと主張する研究もある(Mazaheri 2006).そこで,第3章では,複数のα波ジェネレータを仮定したα波の生成モデルを作成し,α波のリセットに関するシミュレーションを行い,α波のリセットが確認出来る条件について調べた.本研究では隣接し相互作用する9個のα波ジェネレータによるα波のモデルを構築した.個々のジェネレータのモデルは先行研究(Jansen 1995, David 2003)で使われたものを基に構築した.ノイズを付加することにより,これらのジェネレータはα波周波数帯域で発振した.次に,ジェネレータに外部刺激を模した入力を付加した.図3は3つのジェネレータに刺激を付加した時の各ジェネレータの活動である.その結果,刺激を受けたジェネレータの活動はリセットされることが分かった.実際にEEG/MEGで観測されるα波は,これらのジェネレータの活動の空間的な総和を反映している.EEG/MEG計測結果と比較するために,以降の解析はこれらのジェネレータの活動の総和に対して行った.ランダムな位相時に刺激を入力した100試行分のデータを作成し,加算平均したところ,P100に相当すると考えられる成分及びalpha ringingを再現出来た.このモデルにおいては刺激によりα波がリセットされ,それが試行間で同期することでalpha ringingが生成されているため,alpha ringingはphase resetting modelに基づいて構成されていると言える.更に,P100成分は刺激を付加されたことにより振幅が増加したことから,誘発反応を含んでいることが示唆された.次に,この総和のα波が刺激によりリセットされているように観測できるか否かを調べたところ,刺激を付加したジェネレータ数が多くなるに従って刺激によりα波がリセットされたように観測された(図4).しかし,刺激が付加されたジェネレータ数が少数の場合は,刺激を付加された個々のジェネレータはリセットされているにもかかわらず,総和のα波ではリセットを確認することが出来なかった.α波がリセットされたように観測されるか否かは刺激が付加されたジェネレータ数に依存することが示唆された.

 第2章で行った実験からα波は刺激によりリセットされることが明らかとなったが,α波のリセットの機能的役割は未だ明らかになっていない.そこで,第4章では,フラッシュ刺激提示時のα波及びμ波の位相に従ったReaction Time(RT)の変化,ボタン押し時におけるα波及びμ波の位相状態,刺激によるα波及びμ波の位相応答とRTとの関係を調べ,α波及びμ波がリセットされることの機能的役割を調べた.位相応答とは刺激が入力されたことによる位相変化であり,リセット量を表している.フラッシュ刺激は,常に十分知覚できる強フラッシュと検出閾値付近の弱フラッシュの2種類とした.フラッシュ刺激時のα波及びμ波の位相に従ってRTが変化すること,ボタン押し時におけるα波及びμ波の位相が特定の位相となったこと,位相応答とRTとの間に関連が見られたことから,RTにα波及びμ波の位相が影響を及ぼしていることが分かった.更に,強フラッシュ時と弱フラッシュ時を比較すると,弱フラッシュ時の方が刺激提示時の位相からRTへの影響が大きかった.また,位相応答とRTとの関係も弱フラッシュ時の方が強い関連が見られた.これらは,α波及びμ波は外部刺激が小さい時により強く脳内処理に関与していることを示唆する.この結果を表す脳内処理過程はleaky integrator modelを用いて説明出来る.このモデルは,脳活動を過去に向かって指数関数的に減衰する重みをかけた後積分した値(leaky integrated value)がある一定の閾値を超えた場合に脳が処理を進めることができると考えるものである.強フラッシュ時は誘発反応が大きいためα波及びμ波の位相状態に依存せず閾値を超えることができるが,弱フラッシュ時は誘発反応が小さいことからその時の位相に従って閾値を超えるタイミングが異なる(図5).それ故,刺激提示時の位相に従ってRTが変化する.また,位相応答とRTとの関係は位相が刺激により進められるとRTが早くなるという関係であった.図5中"Bad timing"ではleaky integrated valueが閾値を超えるためには次のα波のピークを待たなければならない.しかし,ここで位相が進むことで次のピークが早く到達する.このことから,リセットは弱い刺激の処理を促進させる働きがあると推測される.

 第5章では,本研究の総合的な結論を述べた.本研究では,1)刺激によりα波がリセットされること,2)alpha ringingはphase resetting modelに基づき,P100成分はevoked modelに基づいていることを実験,及びモデルを使ったシミュレーションにより示した.更に,3)α波の刺激によるリセットは弱い刺激に対する脳内処理を促進する働きを担っていると推察された.

図1.各subsetにおけるaveraged ERP.緑線がα波周波数帯域のaveraged ERPであり,青線がβ及びγ周波数帯域のaveraged ERPを表す.赤点線は刺激提示前のα波からの外挿結果.外挿したα波とalpha ringingとの間の位相差をΔΨとするとSubset 1〜4の位相差はそれぞれΔΨ=0,ΔΨ=π/2,ΔΨ=π,ΔΨ=-π/2rad程度となる.

図2.P100成分のピーク値のsubset間での比較.リセット量(Δψ)の絶対値が大きくなるとピーク値が大きくなる.

図3.3つのジェネレータに刺激を入れたときの各ジェネレータの活動(右図).0msが刺激入力時を表している.各線が各ジェネレータの活動を表す.左図は刺激を付加したジェネレータを表す.

図4.刺激を付加したジェネレータ数を変化させたときの刺激によるPhase-preservation index(PPI)の変化.PPIはオシレータの安定性を表す指標であり,安定していれば1に近づき,不安定であれば(リセットされれば)0に近づく.Rは刺激を付加したジェネレータ数を表す.刺激を付加したジェネレータ数が増加するに従ってPPIが減少している.

図5.弱フラッシュ時を想定したleaky integrated modelのシミュレーション結果.1列目が"Good timing"に刺激が入った時の結果を表しており,2列目が"Bad timing"に刺激が入った時の結果を表している.1行目はα波の波形,2行目は誘発活動の波形,3行目はα波と誘発活動を加算した波形,4行目はleaky integrated valueを表す.4行目の赤線が閾値を表しており,Good timingの時の方がBad timingの時よりも閾値に到達する時間が早い.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章から構成される.

 第1章は序論として,本論文の背景と目的を説明している.脳には自発活動と誘発反応の2つの活動があり,その2つの活動を非侵襲的に計測するためにはMagnetoencephalography (MEG)もしくはElectroencephalography (EEG)が優れていることを説明している.そして,MEG,EEGにて計測される,外部刺激により引き起こされた事象関連電位が誘発反応を反映していると考える仮説(Evoked model)と外部刺激によりリセットされた自発活動を反映していると考える仮説(Phase resetting model)があり,phase resetting modelを支持する条件である,自発活動が刺激によりリセットされるか否かにおいて議論がなされていることを概観している.これらを踏まえて,自発活動の中でα波に注目し,1)α波が刺激によりリセットされるか及びそのリセットの原因を調べる,2)α波のリセットがMEG,EEGで検出出来る条件を明らかにする,3)α波のリセットの機能的意味を明らかにする,という本研究の目的を導いている.

 第2章では,実験的に,α波が刺激によりリセットされること,そして誘発反応がそのリセットを引き起こしていることを示している.事象関連電位の長潜時成分にalpha ringingというα波周波数帯域の成分が存在している.本研究では刺激提示前のα波からalpha ringingへのシームレスさに従って事象関連電位の短潜時成分であるP100成分が変化することを明らかにしている.このことは,alpha ringingが刺激によってリセットされたα波の表れである,つまりalpha ringingがphase resetting modelに基づいていることを意味している.更に,P100成分がevoked modelに基づいた誘発反応である可能性が高いことを指摘し,P100成分の大きさがα波のリセット量に従って変化することから,誘発反応がα波のリセットの原因であると考察している.

 第3章では,モデル的手法を用いることにより,MEG,EEGでα波のリセットが検出出来る条件を示している.既存のα波のモデルは,α波ジェネレータを1つとして構築されていた.しかし,実際には,α波ジェネレータは複数あることが知られている.そこで,9つのジェネレータが二次元的に配置され,隣り合うジェネレータ同士が相互作用するというモデルを構築し,MEG,EEGでα波のリセットが検出出来る条件について考察している.構築したモデルのシミュレーション結果から,MEG,EEGでα波のリセットを検出するためには刺激のサイズが十分大きい必要があることを明らかにしている.α波がリセットされないと主張した先行研究の刺激のサイズは小さく,α波がリセットされると主張した第2章における刺激のサイズは大きいことから,これまでの実験結果を統一的に説明出来る結果である.

 第4章では,実験的手法とモデル的手法を組み合わせることでα波のリセットの機能的意味を明らかにしている.まず,α波の位相が反応時間に与える影響を実験的に調べ,弱い刺激時において影響が強くなることを明らかにしている.この結果は,leaky integrator modelでよく説明できることを確認し,leaky integrator modelを用いることでα波のリセットが弱い刺激に対する処理を早めることを示している.

 第5章では,総合的な議論を行い,結論を述べている.実験的手法,モデル的手法を相補的に組み合わせることにより,1)刺激により誘発された誘発反応によりα波はリセットされ,2)α波がMEG,EEGにて検出可能か否かは刺激のサイズに依存し,3)α波の機能的役割は弱い刺激に対する処理を速めることであるという結論を導いている.

 以上のように,本論文は,MEG/EEGで計測される自発活動・誘発活動の関係を位相リセットの観点から論じ,その検証を実験・理論・シミュレーションを組み合わせた手法によって行っており,複雑理工学上貢献するところが大きい.なお,本論文の第2,3,4章は,眞溪歩,早川友恵,藤巻則夫との共同研究であるが,論文提出者が主体となって解析及び検討を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

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