学位論文要旨



No 122739
著者(漢字) 大森,一二
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,カズジ
標題(和) がん抑制蛋白質p53依存性転写におけるクラスリン重鎖の機能解析
標題(洋)
報告番号 122739
報告番号 甲22739
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第276号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 教授 藤原,春彦
 東京大学 助教授 小嶋,徹也
 東京大学 客員教授 江角,浩安
 国立がんセンター 部長 田矢,洋一
内容要旨 要旨を表示する

1、研究の背景

 p53遺伝子には、人のがんで約50%に変異が認められるもっとも重要ながん抑制遺伝子である。正常な細胞ではp53蛋白質はMDM2蛋白質によりユビキチン化を受け、ユビキチン・プロテアソーム系により分解を受けて不活性化されている。しかし、細胞にがん遺伝子の活性化や、DNA損傷刺激などのストレスが生じると、p53はリン酸化やアセチル化などの翻訳後修飾を受け、MDM2による抑制が解除されp53の蓄積・活性化がおきる。活性化されたp53は核内で転写因子として機能し、細胞周期停止やアポトーシス誘導に関わる因子を誘導し細胞増殖を停止させ、あるいは死に至らしめる。このようにして、p53は異常な細胞を下流遺伝子の転写を介して排除することによりがんを抑制している(図1)。

 p53による転写を媒介するコファクターとして、p300ヒストンアセチル化酵素が必須の役割を果たしている。活性化したp53はp300と結合するが、p300は蛋白質アセチル化酵素活性を持っておりp53のリジン残基やp53結合配列周辺のクロマチンヒストンをアセチル化し、基本転写因子の動員を促進しp53結合配列周辺の遺伝子の転写活性化に働くことが知られている。しかし、p300がp53の転写のコファクターとして機能するために、p300のみで十分であるのか、あるいは他の因子が必要であるのかはわかっていなかった。

2、結果と考察

第一章 クラスリン重鎖のp53依存的転写における必要性

 p53結合蛋白質クラスリン重鎖の同定

 p53変異体の活性を解析し、Ser46がPheに置換したp53(p53S46F)は野生型p53と比較して強い転写活性を有していることを示した。Ser46Phe変異のようにp53活性が上昇する変異はほとんど例が無く、p53による転写活性化機構を解析する上で有用と考えられた事から、p53S46F変異体の解析を進めた。Ser46はp53の転写活性化領域に位置しており変異によりp53の転写に関わる因子との結合が変化したためであると考えられた。そこでp53の結合蛋白質の探索をおこなったところ、p53に対してクラスリン重鎖(CHC)が結合していることが分かった。野生型よりも転写活性の上昇したp53S46F変異体において、CHCへの結合能が上昇していた事から、CHCのp53依存性転写に関与している可能性が示唆された。

 クラスリン重鎖の一部は核内に存在する

 CHCは今までは、エンドサイトーシス時や、トランスゴルジ槽からリソソームへの小胞輸送時の小胞形成に必須の役割をする蛋白質であり、細胞質で機能する蛋白質として知られていた。CHCが核内で機能するという報告は今までに無かったので、まずCHCが核内に局在するかどうかを検討した。細胞分画や免疫電子顕微鏡による解析の結果、CHCの一部は核に存在することをはじめて示した。

 CHCはp53による転写に必須である

 CHCがp53による転写に関わっていることが示唆された事から、p53依存性転写へのCHCの寄与を解析した。そのために、RNA干渉法でCHCの発現を減弱させたときのp53依存性転写を解析したところ、CHCの発現を減弱させるとp53による転写が大きく減弱していた事(図3)から、p53による転写にはCHCが必要であることが強く示唆された。さらにクロマチン免疫沈降法による解析の結果から、CHCはp53の活性化に依存してp53応答遺伝子のプロモーターに結合することが分かり、CHCがp53に結合し、p53による転写のコファクターとして機能することが強く示唆された。

 CHCはp53とp300との結合を増強する。

 次に、CHCがどのようなメカニズムでp53による転写の活性化をしているかを調べた。以前からp53のコファクターとして知られるp300の関与を検討した。CHCとともに、p300を導入したところ、CHCあるいはp300単独の場合よりも、p53による転写活性が顕著に増強された事から、CHCはp300と協調的にp53による転写を活性化させていることが示唆された。さらに、CHCを細胞に強制発現させることにより、p53とp300との結合が強化された(図4)。CHCはp53とp300との結合を促進させることでp53による転写を活性化させていると考えられた。

第二章 p53転写活性化時におけるクラスリン重鎖の多量体化状態

 第一章では、p53による転写にはCHCが必須の役割をし、その機能はp300とp53との結合の媒介であることを示した。CHCはエンドサイトーシスや小胞輸送における機能にはC末端部の3量体形成ドメインを介した3量体形成が必須である。しかし、第一章で明らかとなったp53による転写の活性化にCHCの3量体形成が必要であるのか、あるいはCHCのエンドサイトーシス・小胞輸送における機能がp53による転写と関連しているのか、などの問題は解明されていない。そこで、p53による転写の活性化にCHCの3量体化が必要であるかを解析した。

 p53結合部位の解析から、CHCとp53との結合にはCHC(全1675アミノ酸)の833-1406の領域で十分であり、p53応答遺伝子のプロモーターを用いたレポーターアッセイから、CHC833-1406は全長CHCと同様にp53による転写を活性化する機能が有ることが分かった(表1)。

 そこで、CHC833-1406が3量体形成能を持つか否かを解析したところ、CHC833-1406は全長CHCとは異なり、3量体を形成しないことがわかった。さらにCHC断片のエンドサイトーシスに与える影響を解析したところ、全長CHCがエンドサイトーシスを活性化できることとは異なり、CHC833-1406はエンドサイトーシスの活性化機能がなかった事から、CHCのエンドサイトーシス機能とp53による転写の活性化は、独立した別個の機能であることが強く示唆された。

第三章 がんにおけるクラスリン重鎖の変具

 第一章でCHCがp53による転写活性化に必要であることが示されたことから、もしCHCの遺伝子に異常が起こっていれば、p53の活性の低下を招き、発がんに関わっている可能性が考えられた。そこで、がんにおけるCHCの遺伝子異常の有無を文献検索した結果、がんでCHC遺伝子の関与した二種類の転座(Anaplasmic lymphoma kinase(ALK)遺伝子、TFE3遺伝子との転座)が報告されていた。それらの転座により異常なCHCとの融合蛋白質が生じて、p53活性に変化を及ぼす可能性が示唆された。そこで、第三章ではp53の活性化に及ぼすCHC融合蛋白質の影響を解析し、CHC遺伝子異常と発がんの関係について考察した。

 がんで報告されていたCHC-ALK、CHC-TFE3の融合蛋白質によるp53による転写に及ぼす影響を解析したところ、CHC融合遺伝子は野生型CHCと異なりp53とともに導入したときにp53による転写活性を上昇させる働きが大きく減弱していた。この結果より、CHCの転座が報告されたがんではCHCの転座によりp53の機能が損なわれおり、CHCの遺伝子異常が発がんに関わることが示唆された(図5)。

3、総括

 がん抑制蛋白質p53にはCHCが結合することが分かった。CHCは細胞質だけでなく核にも一部存在しておりp53活性化時にp53応答遺伝子プロモーターに結合した。CHCの発現を抑制するとp53応答遺伝子の誘導が減弱した事から、CHCはp53による転写に必須であった。CHCによるp53活性化にはCHCによるエンドサイトーシスは必要ないことがわかった。CHCはp53とp300の結合を増強することでp53による転写を活性化しており、p300によるp53活性化にはCHCが必要であることが強く示唆された。

 一部のがんではCHCと他の遺伝子の融合遺伝子が生じているが、そのCHC融合遺伝子は野生型CHCと異なり、p53による転写を活性化することができなかった。この結果よりCHCの遺伝子異常がp53の機能欠損を引き起こし、発がんに関与している可能性が示唆された。

図1 p53によるがん抑制機構

p53によるがん抑制はp53による標的遺伝子の転写を介しておこなわれる.

図2 p53へのCHCの結合

H1299細胞にp53-FLAGを発現させ、CHCとの結合を免疫沈降で解析した.p53変異体間でCHCへの結合能(左パネル)と転写活性(右パネル)を比較したところ、両者の間には正の関連姓が見られた.

図3 p53依存性転写においてCHCが必要である

内在性野生型p53を発現するMCF-7細胞のCHCの発現をRNAi法で抑制した.ガンマ線照射により、p53を活性化させたときのp53応答遺伝子(MDM2,p21(maf1))の発現は、CHCの発現抑制こより大きく減弱していた。

図4 CHCによるp53-p300結合の増強

H1299細胞にp53-p300とともにCHCを発現させ、p300とp53との結合を免疫沈降法で解析した。CHCを導入することにより、p53とp300との結合が増強した.

表1 CHC変異体のエンドサイトーシスとp53活性化における機能の要約

p53による転写の活性化には3量体形成、エンドサイトーシス活性化は必要ない

図5 癌で発見されたCHC融合蛋白質のp53活性化能の解析

がんではCHC-ALK,CHC-TFE3の二種類の転座が報告されている。それらの融合遺伝子産物のp53依存性転写に与える機能を21(maf1)プロモーターを用いたレポーターアッセイで解析した。その結果、野生型CHCとは異なりCHC融合遺伝子にはp53依存性転写を活性化させる能力が無いことが分かった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなり、第一章はクラスリン重鎖のp53依存的転写における必要性、第二章はp53転写活性化時におけるクラスリン重鎖の多量体化状態、第三章はがんにおけるクラスリン重鎖の変異について記述されている。p53がん抑制蛋白質は、人のがんの約50%で変異が認められ、がん抑制において中心的な役割を担う蛋白質である。この蛋白質は正常細胞では不活性化の状態に保たれているが、DNA損傷やストレスの負荷により活性化される。この活性型p53は転写因子として働き、1)細胞周期を停止させDNAの修復を行う、あるいは2)修復不能な細胞をアポトーシスに導き排除するための、さまざまな分子の発現誘導を行う。p53の補助分子としてp300ヒストンアセチル化酵素が知られているが、本研究では、このp300がp53の機能をどのように制御しているのかを、分子レベルで理解することを目的とした。

1. クラスリン重鎖のp53依存的転写における必要性

 p53の変異の中で、Ser47がPheに変異をした患者が報告されている。この変異p53蛋白質は転写能が恒常的に活性されているものと予想されていた。まずこの変異p53蛋白質に結合する蛋白質を同定することを試み、クラスリン重鎖を明らかにした。この結合は変異p53蛋白質だけではなく、正常のp53にも結合していることが明らかになり、生理的な活性化制御メカニズムが明らかになるものと予想された。クラスリン重鎖を過剰発現させるとp53依存的転写反応が促進されたこと、逆にクラスリン重鎖の発現を抑制するとp53の転写活性も抑制されたことから、クラスリン重鎖はp53活性化の鍵となる分子であると予想された。一方、p53の補助分子であるp300との関連についても検討し、クラスリン重鎖と同時にp300を細胞内に過剰発現させると、p53依存的な転写が顕著に増加した。さらに、クラスリン重鎖はp300とも結合することが明らかになったことから、クラスリン重鎖はp53とp300との相互作用を取り持つscaffold蛋白質ではないかと予想された。

2. p53転写活性化時におけるクラスリン重鎖の多量体化状態

クラスリン重鎖と相互作用するp53の結合部位の同定を行い、N末端領域1〜101アミノ酸残基であることを明らかにした。一方、三量体形成に関わるクラスリンリピートを欠損したクラスリン重鎖でもp53の活性化は起こること、さらにさまざまな欠失を行ったクラスリン重鎖を作製しp53結合部位の同定を行ったところ、クラスリン重鎖の中間に位置するクラスリンリピートドメイン833〜1675アミノ酸残基がp53との結合に必須であることを明らかにした。この833〜1675アミノ酸残基に相当する部位がp300と一緒に共沈降することから、この部位にp53だけでなくp300も結合することが明らかになった。p53の転写活性を指標に、クラスリン重鎖833〜1675アミノ酸残基の部位とp300の効果について検討を行ったところ、p53の転写活性は両者の添加により強く増強され、p53とp300は異なるクラスリン重鎖上に結合していることが示された。

3. がんにおけるクラスリン重鎖の変異

 クラスリン重鎖が本来のp53がん抑制蛋白質の転写活性化の重要なscaffold蛋白質であることが示されたことから、クラスリン重鎖の変異ががん化の原因となる症例が存在すると予想される。そこで、がんにこけるクラスリン重鎖の遺伝子異常について調べた。その結果、クラスリン重鎖遺伝子がanaplastic lymphoma kinase(ALK)遺伝子にインフレームで融合した転座をもつB細胞リンホーマと、転写因子TFE3遺伝子と融合した転座をもつもう1つは腎細胞がんが存在した。これら二種類の転座で作られるキメラ分子が、p53分子の転写活性可能に及ぼす影響についてp53の転写活性能を指標とした実験結果では、前者は活性を上昇させたのに対し、後者は逆に抑制する結果が得られた。

 以上、本研究では、従来細胞内輸送に関わる分子として知られていたクラスリン重鎖が、がん抑制蛋白質p53のscaffold蛋白質として機能し、p53の転写活性可能を促進していることを、詳細な分子構造を考察しながら検討し、明らかにしたものである。本研究の契機になったp53蛋白質の変異(Ser47Phe)の発見と性質に関しては既知の報告であるが、その後のp53新規結合蛋白質であるクラスリン重鎖の発見から、その詳細な結合部位の同定、p300との結合、さらにはp53とp300の相互作用を助けることによる介在機能など、一部に関しては既にGENES & DEVELOPMENT誌に公表されており、論文提出者の寄与が十分あると判断される。また今後公表予定の部分についても論文提出者が単独で行った独創的な研究であり、また、がん研究における重要な知見を提言するものである。従って、博士(生命科学)の学位を授与するに値するものと判断される。

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