学位論文要旨



No 122748
著者(漢字) 松本,圭史
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ヨシフミ
標題(和) メダカ属近縁種における視覚系オプシンの遺伝子重複と吸収光文化 : 魚類視覚システムの多様化進化を理解するためのモデルとして
標題(洋) Gene duplication and spectral differentiation of visual opsins among closely related medaka (Oryzias) species as a model to understand diverse evolution of fish visual systems
報告番号 122748
報告番号 甲22748
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第285号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 河村,正二
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 助教授 松本,直樹
内容要旨 要旨を表示する

序論

 視覚は眼球の網膜中に存在する光受容細胞である視細胞に、光が当たることにより開始する。視細胞は桿体細胞と錐体細胞の2種類がある。桿体細胞は薄暗闇で働き明暗の識別を担い、錐体細胞は色覚を担う。これら視細胞の外節膜中には光受容物質である視物質が多量に産生される。視物質は7回膜貫通タンパク質であるオプシンとレチナールの複合体である。視物質に特定の波長が吸収されると、レチナールの立体構造の変化が引き金となり、細胞内に光情報を伝達する。

 脊椎動物の視物質は進化系統学的に5タイプに分類できる。桿体細胞で発現し明暗の識別を担うRH1(Rod opsin)と、残りの4タイプは錐体細胞で発現し色覚を担い、M/LWS(Middle to long wavelength-sensitive;赤型)、RH2(Rod opsin like 2;緑型)、SWS2(Short

wavelength-sensitive type 2;青型)、SWS1(Short wavelength-sensitive type 1;紫外線型)である。爬虫類、鳥類はこれら5つのタイプからそれぞれ1種類ずつの視物質遺伝子を持つのに対して、哺乳類は緑型と青型を失っていることが知られている。一方、魚類は5タイプ全ての視物質遺伝子を有しているだけでなく、それぞれのタイプのどれかで遺伝子重複を起こし複数のサブタイプを持つ種も存在する。従って、魚類は脊椎動物の中で最も高度な色覚系を有していると考えられる。しかしこれまで、ゲノム中の全視物質遺伝子が単離されたのは当研究室で明らかにしたゼブラフィッシュのみであり、魚類視物質遺伝子レパートリーの全貌やその意義は定かではなかった。そこで、私はゼブラフィッシュと系統学的に大きく離れたモデル生物であるニホンメダカ(Oryzias latipes)を用いて、全視物質遺伝子を単離し、それらのゲノム構成、最大吸収波長(λmax)、相対的発現量を明らかにすることにより、魚類視物質遺伝子の特徴をより深く理解したいと考えた。さらにそれらの結果から、魚類が多種類の視物質遺伝子を持つ意義について考察したいと考えた。

 さらに、ニホンメダカを含むメダカ属の、ゼブラフィッシュに無い特徴として、近縁種が系統維持されていることが挙げられる。メダカ属はニホンメダカの他に、ルソンメダカ(O.luzonensis)、インドメダカ(O.curvinotus)、スラウェシメダカ(O.celebensis)などを含む約20種からなり、アジア全域に種が広く分布し、これら野生種が系統維持されている。従って、異なる環境に生息する種の比較を行う上で非常に有用な生物である。また、rRNAの配列により、メダカ属の種の系統関係も明らかにされており、進化系統学的解析を行うにも便利である。そこで私は、様々な地域に生息するメダカ種の視物質遺伝子を調べ、そのレパートリーやλmaxの種間比較を行うことにより、どのような相違点があるのかを明らかにし、それらが進化的にどのように成立したのか、さらにそれら成立要因が自然選択によるものであるのかを明らかにすることを目的とした。

結果

1.ニホンメダカ全視物質遺伝子の単離と、その吸収波長及び眼球での相対的発現量

 ニホンメダカの既存のBACゲノムライブラリー及び自作のラムダファージゲノムライブラリーをDNAプローブによりスクリーニングし、全視物質遺伝子を単離した。その結果、ニホンメダカには青型、赤型に2つずつ(SWS2-A,SWS2-B,LWS-A,LWS-B)、緑型に3つ(RH2-A,RH2-B,RH2-C)、紫外線型(SWS1)、桿体型(RH1)にそれぞれ1つずつの計9種類の視物質遺伝子が存在することを明らかにした。さらに、それらのゲノム構成は、SWS2とLWSはゲノム上で隣接して、3つのRH2も隣接して存在し、一方RH1とSWS1とはそれぞれ単一コピーであることを明らかにした(図1)。ニホンメダカのゲノム中にはこれら9種類以外の視物質遺伝子が存在しないことをゲノムサザンハイブリダイゼーション及びゲノムデータベースの解析により確認した。このことから、ニホンメダカ視物質遺伝子の遺伝子重複は、魚類の祖先で起こったwhole genome duplicationによるものではなく、local duplicationであることが明らかになった。次に、これら9種類の視物質を、培養細胞を用いた系によりIn vitroで再構成し、吸収波長を測定した。その結果、3種類のRH2及び2種類のSWS2のλmaxは互いに大きく異なり、一方2種類のLWSはほぼ同様の値を示すことが明らかとなった(RH2-A:452nm,RH2-B:516nm,RH2-C:492nm,SWS2-A:439nm,SWS2-B:405nm,LWS-A:561nm,LWS-B:560nm)。また、SWS1及びRH1のλmaxはそれぞれ、352nm、502nmであった。3種類のRH2のλmaxは452nmから512nmと約60nmの大きな差があり、これまで報告されているRH2のλmax値のほぼ全領域を網羅するものであった。特にRH2-Aのλmaxは一般的なRH2のλmax(470nm〜510nm)に対し、大きく短波長シフトしていた。一方、

2種類のSWS2のλmaxの差も約40nmと非常に大きく、SWS2-Aが一般的なSWS2のλmax(430nm〜450nm)を示すのに対して、SWS2-Bは大きく短波長シフトしていた。

 次に各視物質遺伝子の網膜上での相対的発現量を、リアルタイムRT-PCRにより定量した。その際、濃度既知のRNAから各遺伝子の相対的なRT効率の相違を求めることにより補正した。その結果、赤型、緑型、青型、紫外線型それぞれのタイプ間において相対的発現量に大きな違いが見られた。さらに青型、緑型のサブタイプ間においても発現量に差が見られた(図3)。

 これらの結果は、当研究室で明らかにされているゼブラフィッシュの視物質遺伝子レパートリー・吸収波長・相対的発現量の結果と大きく異なっていた。つまり、ゼブラフィッシュとメダカの視物質はそれぞれの種の生息環境に独自に適応したと考えられる。

2.メダカ属における視物質遺伝子の種間比較

 メダカ属の種はアジア全域の広い地域に分布している。そこで、様々なメダカ種を比較することにより、視物質遺伝子レパートリー・吸収波長・相対的発現量は、生息場所の違いによりどのような相違点があるのかを明らかにすることを試みた。

 ニホンメダカで明らかにした配列情報を基に、ルソンメダカ、スラウェシメダカ、サラシノラムメダカ、インドメダカ、タイメダカの5種からRT-PCRにより全視物質遺伝子を単離した。さらに、遺伝子の有無をゲノムサザンハイブリダイゼーションにより確認した。視物質遺伝子レパートリーはルソンメダカ、インドメダカはニホンメダカと同様であったが、サラシノラムメダカ、スラウェシメダカ、タイメダカにおいて異なっていた。これら3種は共通してSWS2-Aを欠失し、さらにタイメダカではSWS2-Bも欠失しており、サラシノラムメダカのRH2-Bには1塩基の欠失によるフレームシフトが生じていた。濁度の高い水に生息しているタイメダカ、夜行性のサラシノラムメダカは短波長成分の少ない環境に生息していることが知られており、短波長域での細かな波長識別への選択圧が緩んだため、これら欠失が許容されていると推測できる。

 次に単離した全視物質の吸収波長を測定し、λmaxを決定した。その結果、SWS1、SWS2-A、SWS2-B、RH2-B、RH2-Cにおいて種間でλmaxに違いは見られなかった。一方RH2-Aにおいて種間で大きなバリエーションが見られた(ニホンメダカ:453nm、ルソンメダカ:447nm、スラウェシメダカ:463nm、サラシノラムメダカ:469nm、インドメダカ:460nm)。

 ルソンメダカ、インドメダカ、スラウェシメダカのそれぞれの視物質遺伝子の相対的発現量をリアルタイムRT-PCRにより明らかにした。その結果、視物質遺伝子の発現量のパターンは種内での個体差はなく、種間で大きく異なっていた。このことは、メダカはλmaxを変えるだけでなく、厳密な発現制御により視物質遺伝子の発現量を調節することでも、生息する光環境に適応していることが示唆された。

3.メダカ緑型RH2視物質の吸収波長の進化変遷と自然選択

 RH2-Aのλmaxのみがメダカ種間で大きく異なっていた。そこで、RH2-Aのλmaxの多様性は進化的にどのように変遷してきたのか、さらにこのような多様性はどのような自然選択によるのかを検討した。まず、遺伝子系統樹のそれぞれの分岐点における祖先型アミノ酸配列を最尤法により推定した。さらにそれら祖先型視物質を点変異導入により実際に作成し、吸収波長を測定した。その結果、祖先型視物質のλmaxは祖先型A:469nm、祖先型B:454nm、祖先型C:463nm、祖先型D:448nm、祖先型E:463nm、祖先型F:462nmであった。メダカ属RH2-Aのλmaxはニホン、ルソンメダカの約450nmのグループとそれ以外の460〜470nmのグループに分けられるが、これはニホン、ルソンメダカのグループにおいてより多くの短波長シフトが生じたためであることが明らかとなった。さらに、各枝に起こったアミノ酸の変化を祖先型視物質に対して点変異を導入することにより、どのアミノ酸座位の効果でλmaxのシフトが生じたのかを検証した。その結果、祖先型Aから祖先型Bへの15nmの非常に大きな短波長シフトは94番目のアミノ酸座位の効果により生じ、その他の枝におけるシフトは多くのアミノ酸座位の小さな効果の積み重ねにより生じたことが明らかとなった。さらに最尤法によりアミノ酸変化の自然選択を検討したところ、94番目のアミノ酸座位に強い正の自然選択が検出され、その他のアミノ酸変化は中立進化であることが示された。

 一方、RH2-BとRH2-Cのλmaxは種間で違いは見られなかった。しかし興味深いことに、RH2-BとRH2-Cとの系統樹により、遺伝子間で頻繁にgene conversion(遺伝子変換)による配列の均一化が生じたことが示唆された。そこで、遺伝子間でのgene conversionを検出するGENECONVを用いて解析したところ、それぞれの種において、RH2-BとRH2-C間でのgene conversionが強く支持された。RH2-BとRH2-Cはgene conversionが生じているにもかかわらず、そのλmaxはRH2-Bでは約512nm、RH2-Cでは約492nmと種間で強く維持されていた。このことから、RH2-BとRH2-Cとのλmaxの約24nmの差は、gene conversionに抗して維持されている7アミノ酸座位によりもたらされていると考えた。そこでRH2-Cの配列に対して、7アミノ酸座位をRH2-B型のアミノ酸に置換し、吸収波長を測定した結果、RH2-Bと同じλmaxを示した。従って、これら7アミノ酸座位のみの効果によりRH2-BとRH2-Cとのλmaxの差が生じたことが示された。さらに最尤法により、7座位の自然選択を検証したところ、4つのアミノ酸座位に正の自然選択が検出された。つまり、RH2-Aの種間でのλmaxの多様化と、RH2-BとRH2-Cのλmax値の機能分化は自然選択すなわち環境への何らかの適応の結果生じたものであることが示唆された。

結論

 ニホンメダカの視物質遺伝子レパートリーとそのゲノム構成を決定し、それら視物質のλmaxと相対的発現量を明らかにした。さらに、メダカ属の5種について視物質遺伝子を単離し、そのλmaxと相対的発現量を決定した。その結果、メダカは視物質遺伝子レパートリーを変えるだけでなく、相対的発現量を変化させることにより、生息環境に適応してきたと考えられる。また、これらの結果はゼブラフィッシュでこれまで当研究室で明らかにされているパターンとも異なっていた。つまり魚類は遺伝子重複により、多くの視物質遺伝子を持ち、そのλmaxや発現量を変え、環境に適応してきたと考えられる。さらに、メダカ緑型視物質の進化的変遷と、それらの自然選択について検討し、緑型視物質が正の自然選択を受けていることを明らかにした。

発表論文1)Matsumoto, Y., Fukamachi, S., Mitani, H. and Kawamura, S. (2006). Functional characterization of visual opsin repertoire in Medaka (Oryzias latipes). Gene, 371 (2): 268-278.

図1 ニホンメダカ視物質遺伝子のゲノム構成

図2 ニホンメダカ視物質の吸収波長

図3 ニホンメダカ視物質遺伝子の眼球における相対的発現量

図4 RH2-Aの分子系統樹

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなり、第1章はニホンメダカの視物質オプシン遺伝子のレパートリーの解明について、第2章は外国メダカの視物質オプシン遺伝子のレパートリーの解明について、第3章はメダカ属全体における緑型オプシンの吸収波長の進化的変遷過程とそこに働いた自然選択の検証について述べられている。

 色覚は動物の重要特徴であり、その進化過程の研究は動物の環境適応の仕組みを明らかにする上で究めて重要である。そのなかでも魚類の色覚は水中という多様性に富む光環境を反映して多様であることがこれまでに明らかにされてきており、動物の色覚進化研究の優れたモデルである。脊椎動物の視物質遺伝子は進化系統的に5タイプに分類される。これらは桿体に発現し薄明視を担う桿体タイプ(RH1)と、錐体に発現し色覚を担う赤タイプ(LWS)、緑タイプ(RH2)、青タイプ(SWS2)、紫外タイプ(SWS1)である。高等霊長類以外では魚類にのみ5タイプ内にさらにサブタイプの形成による視物質多様化が見られ、多様な水中光環境への適応と考えられる。しかしこれまでゼブラフィッシュ以外の魚種ではゲノム中のすべての視物質オプシン遺伝子のレパートリーとそれらの吸収波長及び発現パターンは完全に明らかにされておらず、その実像と意義は不明なことが多かった。メダカはゼブラフィッシュと約3億年前に分岐したゼブラフィッシュとは進化的に遠い種である一方でメダカ属内の多くの近縁種はアジアの多様な気候に広く分布している。したがってメダカはゼブラフィッシュとの比較から魚類全体での視物質オプシン遺伝子レパートリーの進化に関する知見を提供するだけでなく、メダカ属近縁種間の比較から視物質オプシン遺伝子レパートリーと環境適応との関連についても重要な知見を提供しうる。さらに、メダカ属内種は様々な研究機関で飼育されており入手が容易であり、飼育・繁殖が容易で遺伝学的・発生学的研究技術も適用しやすく、ゲノムデータベースも充実している。論文発表者がこのようなメダカの研究対象としての優れた特性に着目した点がまず秀逸といえる。

 論文第1章で論文提出者はニホンメダカには単一コピーの桿体型オプシン遺伝子と紫外線型オプシン遺伝子の他、3種類の緑型オプシン遺伝子、2種類の青型オプシン遺伝子、そして2種類の赤型オプシン遺伝子が存在することを示し、それらの進化的起源を分子系統樹解析から明らかにした。これにより魚類の進化の過程で遺伝子重複によるオプシン遺伝子の多様化が繰り返し生じてきたことが明らかになった。さらに緑型の3つのサブタイプ間、青型の2つのサブタイプ間で吸収波長が大きく分化してきたことを明らかした点も新規性が高い。

 論文第2章ではニホンメダカを含む様々なメダカ属内種の視物質オプシン遺伝子レパートリーの種間での保存性と多様性を明らかにすることができた。その生態的意義には未解決な部分が多く残されてはいるものの、今後の研究展開のための必要な強固な土台を構築した業績は高く評価すべきである。

 論文第3章では3種類の緑型オプシン遺伝子の吸収波長の進化的変遷の原因となるアミノ酸置換を分子進化学的方法により推定し、その効果を視物質再構成実験により検証した。これは進化の過程を実験室で再現した点で学術的意義が深い。さらに、分子進化学的方法により、それらのアミノ酸置換に正の自然選択が働いたことを示した。この点も従来の研究にない画期的な成果といえる。

 これらの成果はメダカをモデルとした魚類さらには脊椎動物の視覚研究に強固で新たな基盤をもたらす重要な成果である。

 なお、本論文第1章の内容は深町昌司、三谷啓志、河村正二との共著論文として学術誌に発表されているが論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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