学位論文要旨



No 122749
著者(漢字) 山中,直岐
著者(英字)
著者(カナ) ヤマナカ,ナオキ
標題(和) 昆虫の脱皮・変態を制御する神経ペプチドに関する研究
標題(洋)
報告番号 122749
報告番号 甲22749
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第286号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 講師 尾田,正二
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 東原,和成
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 昆虫の脱皮・変態は内分泌系によって巧妙に支配されているが、ここで中心的な役割を果たすのが、前胸腺と呼ばれるホルモン腺である。脳が分泌するペプチドホルモンである前胸腺刺激ホルモン(PTTH)に刺激された前胸腺は、ステロイドホルモンであるエクジソンを分泌する。このエクジソンが昆虫体内の各組織に作用することで、脱皮・変態が直接誘導される。

 しかし一方で、PTTH以外の前胸腺調節因子の存在を示唆する知見が、これまでに数多く報告されている。脱皮・変態の統御機構を明らかにする上で、こうした未知の因子を同定し、それらがエクジソン分泌を制御する分子機構の詳細を解析することは不可欠である。

 そこで本研究では、鱗翅目昆虫であるカイコの前胸腺に作用して脱皮・変態を支配する新たな因子を同定し、それらが昆虫の成長を制御する機構を解明することを目的とした。

【結果】

1. 新規前胸腺抑制因子BMSの同定

 我々はまず、エクジソン分泌促進の際にセカンドメッセンジャーとしてはたらくcAMPに着目し、前胸腺培養系とHPLCによるcAMP定量系とを組み合わせた検定法(cAMP法)を考案した。このcAMP法を前胸腺調節活性の検定系としてカイコ脳約1万2千個を出発材料に精製を行ったところ、1つの画分に強い前胸腺抑制活性を見出し、4段階のHPLCによってこの活性物質の単離に成功した。

 質量分析による解析の結果、単離された物質はmyosuppressinと呼ばれるペプチドに共通するアミノ酸配列を有していたため、これをカイコmyosuppressin(BMS)と命名した。in situハイブリダイゼーションと免疫染色による解析の結果、BMSは脳の2対の神経分泌細胞で産生され、脳に付随する内分泌器官から体液中に分泌されるホルモンであることが示唆された。

 また、前胸腺培養系での機能解析の結果からは、BMSがcAMP蓄積のみならず前胸腺からのエクジソン分泌も抑制すること、その抑制作用は既に知られていた前胸腺抑制因子である前胸腺抑制ペプチド(PTSP)よりも強く、PTTHやPTSPとは異なる経路で前胸腺に作用すること、がそれぞれ確認された。

2. BMS受容体の同定

 BMSがPTTHやPTSPとは異なる経路で前胸腺に作用することが示されたことから、前胸腺にはBMS特異的な受容体が発現しているものと予測された。そこで、我々が作成した前胸腺cDNAライブラリーから構築されたESTデータベースを利用し、BMS受容体(BMSR)を同定することに成功した。発現解析の結果、BMSRは予想通り前胸腺において強く発現していた。またHEK293培養細胞を用いた発現系により、BMSRが高い特異性でBMSを受容することを明らかにした。

3. 新規前胸腺抑制機構の発見

 myosuppressinはFMRFamide-related peptide(FaRP)と呼ばれる、C末側に共通配列を有するペプチドファミリーに属している。BMSRの機能解析の過程で、カイコと同じ鱗翅目昆虫であるタバコスズメガ(Manduca sexta)由来の他のFaRPが、この受容体を弱く活性化することが分かったため、BMS以外のカイコ内在性FaRPが、BMSRを介して前胸腺を抑制している可能性が考えられた。そこで次に、FaRPを高感度に認識するELISA系を構築してBMS以外のカイコFaRPの精製を試み、新規FaRPの単離・同定に成功した。

 質量分析による解析の結果、精製したFaRPはFMRFamideと呼ばれるペプチドに相同性があり、ゲノム情報から同定した遺伝子(Bommo-FMRFamide;BRFa)はさらに3つのFaRPをコードしていた。これら4種類のペプチドは予想通りBMSRをuMレベルで活性化し、前胸腺培養系でもエクジソン分泌抑制作用をもつことが確認された。

 uMレベルという高濃度での抑制活性は、BRFaが体液を介してではなく、神経投射などによって局所的な高濃度で前胸腺に作用していることを予想させた。そこでBRFaの発現パターンを確認すると、中枢神経系特異的に、特に前胸腺に近接する胸部神経節において高い発現が見られた。そこでさらにin situハイブリダイゼーションと免疫染色により、胸部神経節の神経分泌細胞がBRFaペプチドを産生し、軸策を直接前胸腺に投射していることを確認した。また、この前胸腺上の軸策を摘出してTOF-MS測定用プレートに乗せ、レーザーを直接照射してTOF-MSを測定すること(Direct MS)に成功し、遺伝子配列から予測した4種類のBRFaペプチド全てが前胸腺表面に運ばれていることを明らかにした。

 この前胸腺投射BRFa神経の生理作用をさらに検証するため、電気生理学的な手法を用いて、5齢幼虫の成長過程における神経発火頻度の変化と、体液中のエクジソン濃度変動との関連を調べた。その結果、前胸腺のはたらきが抑制されている5齢前半にはBRFa神経は頻繁に発火しているのに対して、前胸腺が活性化する5齢終盤には、BRFa神経の発火が抑制されていることが確認できた。このように、前胸腺投射BRFa神経はPTTHなどのホルモンと協調しながら、抑制性のシグナルを伝達することで前胸腺のはたらきを調節しているものと考えられる。

4. Gタンパク質共役型神経ペプチド受容体の網羅的同定とその発現解析

 ここまでの研究では、前胸腺に強く発現していたBMSRの機能解析が、新規前胸腺抑制機構の発見につながる重要なポイントになった。このことから、何らかの方法で前胸腺に高発現している神経ペプチド受容体を網羅的に同定できれば、それらの機能を詳細に解析することで、前胸腺に作用する神経ペプチド群の全体像がつかめるのではないか、という着想を得た。

 そこで、カイコゲノムのドラフトシーケンスを利用して、既に知られていた40種類のキイロショウジョウバエGタンパク質共役型神経ペプチド受容体(神経ペプチドGPCR)のカイコホモログ(BNPR)を網羅的に同定する戦略を立てた。これにより、139個のゲノム断片から、既に知られていた8種類の受容体に加えて、新たに40種類のBNPR(BNPR-A1〜A35,BNPR-B1〜B4)を同定することに成功した。

 次にこれら計48種類の受容体について、12組織、2ステージで定量RT-PCR法を用いた発現解析を行ったところ、既知の受容体の発現パターンはいずれも過去の報告と良く一致していた。そこで、さらにこの発現解析結果の妥当性を検証するため、既知の神経ペプチドの未知の受容体を、BNPRの発現パターンから推定できるかを検証することにした。

 allatotropinおよびallatostatinは、幼若ホルモン(JH)産生器官であるアラタ体に作用し、そのJH合成活性を刺激および抑制するペプチドである。側心体・アラタ体複合体に高い発現が見られた6種類のBNPR(BNPR-A1,A6-a,A10,A11,A16,B3)について、HEK293培養細胞を用いた発現系でそのリガンドとなるペプチドを解析したところ、BNPR-A1およびA16が、それぞれallatostatin、allatotropinを特異的に認識することが示された。こうした結果から、今回の発現解析の結果を基に、前胸腺などの器官に作用するペプチドを探索することの妥当性が確認できた。

5. 前胸腺に発現するBNPR-B4の解析

 組織別発現解析の結果から、5齢幼虫への脱皮直前の時期に前胸腺で高い発現を示す受容体、BNPR-B4が同定された。そこで、前胸腺におけるBNPR-B4の発現量の変動パターンをさらに詳細に解析した結果、この受容体は各幼虫期の脱皮直前に、極めて一過的に前胸腺に発現することが明らかになった。この時期の前胸腺は脱皮を誘導するエクジソンを大量に分泌した後の不活性化過程にある。そこで、エクジソン分泌前の4齢2日目の前胸腺を用いて、エクジソンによるBNPR-B4の発現誘導機構を検証した。その結果、BNPR-B4は一定時間エクジソンにさらした後に、エクジソンを培地から除いた時にのみ一過的に発現が誘導されることが分かった。この結果は、BNPR-B4が体液中のエクジソンピーク後のネガティブフィードバックの過程において、前胸腺で何らかの役割を果たしていることを示唆している。

【結論】

 本研究では、新たな生物検定系を用いて精製・単離した新規前胸腺抑制因子BMSの機能解析を足掛かりに、その受容体の同定、さらに同じ受容体に作用するBRFaの同定と機能解析という流れで、昆虫の脱皮・変態統御機構の解析を進めてきた。また、その過程で得られた着想を基にカイコ神経ペプチドGPCRの網羅的同定を行い、未知の前胸腺制御因子のさらなる存在を示唆する知見を得た。これまでPTTHという刺激性のホルモンによる活性調節のみが専ら研究されてきた脱皮・変態統御機構において、抑制因子の存在、さらに神経投射による制御機構の存在を明確に示した意義は大きく、今後はこうした抑制機構を作動させる要因の解明が重要になってくると考えられる。また、BNPRの発現解析の結果は、前胸腺に限らず脱皮・変態に関与する他の多くの組織においても、未だ同定されていない制御因子が数多く存在することを示唆している。前胸腺に発現するBNPR-B4のリガンド同定に加え、こうした未知の因子を同定し、その詳細な機能解析を進めることで、昆虫の脱皮・変態という複雑かつ魅力的な現象の全容に迫ることができるものと確信する。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は11章からなり、第1章で昆虫の脱皮・変態とその内分泌制御に関する研究の現状ならびに本研究の目的が述べられている。

 第2章では、まず、昆虫の脱皮・変態を制御する前胸腺からのエクジステロイド分泌促進の際にセカンドメッセンジャーとしてはたらくcAMPに着目して、前胸腺培養系とHPLCによるcAMP定量系とを組み合わせた検定法(cAMP法)を考案した。このcAMP法を前胸腺調節活性の検定系としてカイコ脳約1万2千個を出発材料に精製を行い、4段階のHPLC精製によって1つの活性物質を精製した。次に、質量分析による解析の結果、単離された物質はmyosuppressinと呼ばれるペプチドに共通するアミノ酸配列を有していることから、これをカイコmyosuppressin(BMS)と命名した。

 第3章では、前胸腺培養系での機能解析を行い、BMSがcAMP蓄積のみならず前胸腺からのエクジステロイド分泌も抑制すること、その抑制作用は既に知られていた前胸腺抑制因子である前胸腺抑制ペプチド(PTSP)よりも強く、PTTHやPTSPとは異なる経路で前胸腺に作用すること、をそれぞれ明らかにした。また、in situハイブリダイゼーションと免疫染色による解析の結果、BMSは脳の2対の神経分泌細胞で産生され、脳に付随する内分泌器官から体液中に分泌されるホルモンであることを示した。

 第4章では、前胸腺cDNAライブラリーから構築したESTデータベースを利用し、BMS受容体(BMSR)を同定した。発現解析の結果、BMSRは予想通り前胸腺において強く発現していた。またHEK293培養細胞を用いた発現系により、BMSRが高い特異性でBMSを受容することを明らかにした。

 第5章では、myosuppressinがFMRFamide-related peptide(FaRP)と呼ばれる、C末側に共通配列を有するペプチドファミリーに属しており、BMS以外のカイコ内在性FaRPが、BMSRを介して前胸腺を抑制している可能性が考えられたことから、FaRPを高感度に認識するELISA系を構築し、これをアッセイ系として新たなカイコFaRPの精製・単離を行った。質量分析による解析の結果、単離したFaRPの一つはFMRFamideと呼ばれるペプチドに相同性があり、ゲノム情報から同定した遺伝子(Bommo-FMRFamide;BRFa)はさらに3つのFaRPをコードしていた。これら4種類のペプチドは予想通りBMSRをマイクロMレベルで活性化し、前胸腺培養系でもエクジステロイド分泌抑制作用をもつことを確認した。マイクロMレベルという高濃度での抑制活性は、BRFaが体液を介してではなく、神経投射などによって局所的な高濃度で前胸腺に作用していることを予想させた。そこでBRFaの発現パターンを確認すると、中枢神経系特異的に、特に前胸腺に近接する胸部神経節において高い発現が見られた。そこでさらにin situハイブリダイゼーションと免疫染色により、胸部神経節の神経分泌細胞がBRFaを産生し、軸索を直接前胸腺に投射していることを確認した。また、この前胸腺上の軸索を摘出してTOF MS測定用プレートに乗せ、レーザーを直接照射してTOF MSを測定すること(Direct MS)に成功し、遺伝子配列から予測した4種類のBRFaペプチド全てが前胸腺表面に運ばれていることを明らかにした。

 この前胸腺投射BRFa神経の生理作用をさらに検証するため、電気生理学的な手法を用いて、5齢幼虫の成長過程における神経発火頻度の変化と、体液中のエクジステロイド濃度変動との関連を調べた。その結果、前胸腺のはたらきが抑制されている5齢前半にはBRFa神経は頻繁に発火しているのに対して、前胸腺が活性化する5齢後期には、BRFa神経の発火が抑制されていることが確認できた。これらの結果から、前胸腺投射BRFa神経はPTTHなどのホルモンと協調しながら、抑制性のシグナルを伝達することで前胸腺のはたらきを調節していると考察している。

 第6章および第7章では、ゲノムデータベースを用いたGタンパク質共役型神経ペプチド受容体の網羅的同定とその発現解析の結果をまとめ、前胸腺に時期特異的に発現する受容体を見いだすとともに、幼若ホルモンの生合成を調節する神経ペプチド類の受容体を同定した結果について述べられている。

 第8章は本研究の総括、第9章は材料と方法、第10章は謝辞、第11章は参考文献となっている。

 なお、本論文の一部は共同研究による実験結果も含まれているが、いずれも論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上、本論文は、昆虫の脱皮・変態に関与する新規神経ペプチドおよび受容体、さらにその機能を明らかにしたもので、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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