学位論文要旨



No 122753
著者(漢字) 三上,温子
著者(英字)
著者(カナ) ミカミ,アツコ
標題(和) 固着期から流れ藻期における褐藻ホンダワラ類の純一次生産量の推定
標題(洋) Estimating the net primary production of Sargassum species (Phaeophyceae) throughout different life stages : from fixation to drifting
報告番号 122753
報告番号 甲22753
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第290号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小松,輝久
 東京大学 教授 小池,勲夫
 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 助教授 道田,豊
 東京海洋大学 教授 田中,次郎
内容要旨 要旨を表示する

 褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ属とその近縁種を含むホンダワラ類により構成される藻場は"ガラモ場"とよばれている.ホンダワラ類は大型海藻類のなかで最も高度に分化した器官を持っており,葉部が変形し内部にガスをもつ気胞という器官はホンダワラ類の大きな特徴である.この気胞の浮力により,ホンダワラ類は数mに達する藻体を上向きに伸長させ,波などで基質から切り離された藻体は,"流れ藻"となって海面を浮遊する.

 ガラモ場は,あらゆる動物の棲み家,魚類などの産卵場,幼稚仔魚の保護育成場となり,水質浄化などの環境形成作用を持つ.また,流れ藻も,浮遊する藻場として独自の生態系を成し,魚類の産卵場,幼稚魚の保護育成場となっている.このように,ホンダワラ類は,固着期から流れ藻期に至るまで,沿岸生態系を支える一次生産者および生物生産の場として,環境保全,漁業資源維持にとって重要な役割を果たしている.また,ガラモ場は日本の藻場の約3割と最も大きな割合を占めており,その生物量や純一次生産量の把握は,藻場や沿岸生態系の保全や管理,物質循環やエネルギー循環の解明のために大変重要な課題である.しかしながら,複数の種から成る"混生群落"であるガラモ場の純一次生産量を,1年間を通して測定し,評価した研究はなく,流れ藻期におけるホンダワラ類の純一次生産量を推定した例もない.また,流れ藻期におけるホンダワラ類の生産生態は,ほとんど分かっていない.そこで,本研究では,流れ藻となって浮遊し沈降するまでのホンダワラ類の生態を明らかにするとともに,固着期と流れ藻期を通じた混生群落であるガラモ場およびホンダワラ類の純一次生産量の推定を目的とした.本研究の概要は次の通りである.

調査地と調査対象種

 伊豆半島下田市大浦湾の志太ヶ浦に分布するガラモ場を調査地とした.静岡県は日本で第3位のガラモ場面積を有する県であり,分布の中心となる伊豆半島のガラモ場は太平洋岸の代表的なガラモ場といえる.本調査地のガラモ場における優占種上位3種であるオオバモク(Sargassum ringgoldianum Harvey),アカモク(Sargassum horneri(Turner)Agardh),ヤツマタモク(Sargassum patens Agardh)を研究の対象とした.これら3種はいずれも,日本沿岸および朝鮮半島と中国の一部に広く分布するホンダワラ類であり,オオバモクとヤツマタモクは多年生,アカモクは一年生の種である.

固着期におけるホンダワラ類の純一次生産量の推定方法

 これまでに行われた大型海藻群落の純一次生産量推定方法には,層別刈り取り法や生長追跡による現存量法と陸上植物の群落光合成理論に基づく数学モデル法がある.これらは,密度が均一で大規模な純群落に適した方法であり,複数の種が混生し,パッチ状の小規模群落を形成する本調査地のガラモ場には適さない.そこで本研究では,ホンダワラ類3種の1個体当たりの純一次生産量を推定し,これに各種の個体密度を乗じることで,ガラモ場単位面積当たりの純一次生産量を推定した.

 ホンダワラ類1個体の純一次生産量は,個体の光合成の中心である葉部の光-光合成速度曲線,葉部の生物量,群落内の光強度を乗じ,この値から夜間の藻体による呼吸量を減じて求めた.測定は,2001年12月から2002年12月の1年間に亘り毎月行い,月毎に推定された純一次生産量を合計して,年間純一次生産量を算出した.

 ホンダワラ類の個体密度は,2002年4月にライントランセクト上の方形枠調査により測定した.ガラモ場面積は,方形枠調査で得られたsea-truthデータをもとに2002年3月に調査海域を撮影した空中写真の教師付き判別を行い,ガラモ場の分布面積を推定した.この分布面積にトランセクト別,深度別のホンダワラ類3種の平均個体密度を乗じ,毎月の3種の1個体当たりの純一次生産量から,ガラモ場全体の年間純一次生産量を求め,さらに単位面積当たりの年間純一次生産量を推定した.

固着期におけるホンダワラ類の純一次生産量

 ホンダワラ類3種の混生群落であるガラモ場の年間純一次生産量は,5.9kg dry wt.m(-2) y(-1)と推定された.また,オオバモク,アカモク,ヤツマタモクのうち1種のみが出現した方形枠の個体密度を用い,各純群落とした場合の年間純一次生産量は,それぞれ4.3kg dry wt. m(-2) y(-1),4.0kg dry wt. m(-2) y(-1),5.0kg dry wt. m(-2) y(-1)と推定された.これまで,現存量法によるヤツマタモク,ノコギリモク,アカモク純群落の年間純一次生産量は,それぞれ5.5kg dry wt. m(-2) y(-1),8.3kg dry wt. m(-2) y(-1),4kg dry wt. m(-2) y(-1)と報告されている.本研究の推定値はこれらとほぼ同等な範囲であったが,これまでの推定値が限られた範囲の群落から求められているのに対し,本研究はガラモ場全体の個体密度から平均値を求めたこと,ガラモ場面積を求めたこと,混生群落であるガラモ場の純一次生産量を推定したことで,実際の純一次生産量をより良く反映できる.

 これまでの新生生物量を純一次生産量とみなす現存量法では,ホンダワラ類群落の年間純一次生産量は,年間最大生物量の1.0〜1.4倍と推定されている.一方,本研究の場合,年間純一次生産量は年間最大生物量の3.0〜6.0倍となった.このように本研究の値が大きくなったのは,光合成による純炭素固定量を求めたことで,新生生物量だけでなく,溶存態有機物(DOM)として海水中に溶出する有機物も,純一次生産量として推定しているからである.海中の炭素循環等を把握する上では,本研究のようにDOMを含めた藻場の純一次生産量を評価することが重要である.

ガラモ場からのホンダワラ類の流出量

 ガラモ場から流出する流れ藻量を推定するため,次の方法を用いた.1)永久方形枠内の個体密度と枝長の測定により,ホンダワラ類がガラモ場の基質から脱落する時期と量を求めた.2)ガラモ場から脱落する前に標識をつけたアカモク個体の,湾内への打ち上げ数を測定することで,湾内へ打ち上がる流れ藻の割合を求め,残りを湾外へ流出する流れ藻の割合として推定した.

 永久方形枠内の個体密度調査の結果,ホンダワラ類3種ともに成熟期における脱落生物量が最も多かった.打ち上げ藻調査の結果,本調査地のガラモ場から発生した流れ藻のうち,湾外への流出量は約74%と推定された.

流れ藻期のホンダワラ類の生態

 流れ藻となったホンダワラ類の浮遊期間,光合成・呼吸速度,生長量,生物量を調べるため,繁茂期前後3ヶ月の期間,ガラモ場から毎月採取したホンダワラ類を屋外実験水槽に浮かべて培養し,培養開始から藻体が沈むまでの期間,各種の測定を行った.また,培養流れ藻との比較のため,実際の流れ藻を採集し,その光合成速度を測定した.

 培養流れ藻の最大浮遊期間は,オオバモクで60〜220日,アカモクで20〜140日,ヤツマタモクで30〜180日であった.流れ藻となった時点の年齢の若さと浮遊できる能力には相関関係があることが分かった.また,ホンダワラ類は,流れ藻となってからも生長し,固着期の個体と同時期に成熟した.枝の生長は,流れ藻となってから約1ヶ月間は活発だが,その後の生長は少なくなった.枝の生長速度は,年齢が若いときの個体ほど大きく,同時期の固着期における個体の生長速度よりは小さかった.

 流れ藻期における葉部の光合成速度は,同時期の固着期における葉部の光合成速度とほぼ同程度で,呼吸速度は流れ藻期の葉部のほうが大きかった.流れ藻期における1個体当たりの光合成速度は,浮遊期間が長くなるにつれ小さくなり,呼吸速度は大きくなった.これは,老化するにつれて光合成の中心となる葉部が脱落し,陸上植物の非同化器官に相当する枝部や茎部,基部といった器官の割合が多くなるためと考えられる.また,下田沖合から採集した実際の流れ藻と培養流れ藻の光合成・呼吸速度は,ほぼ同程度であった.

流れ藻期のホンダワラ類の純一次生産量

 湾外へ流出する月毎の流れ藻量に,培養流れ藻の実験から推定した月毎の浮遊生物量の変化割合を乗じて,浮遊する流れ藻量を月毎に求めた.これに,1個体当たりの光合成・呼吸速度の測定から得た,単位生物量当たりの光-光合成速度曲線と海面の光強度を乗じて,流れ藻の純一次生産量を推定した.その結果,流れ藻純一次生産量は,固着期におけるガラモ場年間純一次生産量の約20〜40%と推定された.この値は,流れ藻が湾外へ流出した後,移動する途中で海岸に打ち上げられることなく,海底に沈降する場合の推定値で,流れ藻による純一次生産量のポテンシャルな値であるが,固着期における純生産量と比較して無視できないことが明らかとなった.

 以上,本研究により,混生したガラモ場の純一次生産量を推定することができた.ホンダワラ類の固着期であるガラモ場は生物量に対する純一次生産量が大きく,地球上の植物群落の中で高い純一次生産力を持つことが示された.さらに,ホンダワラ類の流れ藻期における生態,特に浮遊期間と成熟時期の関係や生長,光合成能力を明らかにし,ポテンシャルな純一次生産量を初めて推定できた.本研究は,ホンダワラ類の炭素固定能力の把握や,沿岸生態系における炭素循環やエネルギー循環へのホンダワラ類の寄与の把握に不可欠な新しい知見をもたらした.

審査要旨 要旨を表示する

 褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ属とその近縁種を含むホンダワラ類により構成される藻場はガラモ場とよばれる.ホンダワラ類は葉部が変形し内部にガスをもつ浮き袋状の気胞を持ち、その浮力により繁茂期に数mに達するまで藻体を伸長させることができる。波などで基質から切り離されたホンダワラ類の藻体は気胞の浮力により海面を浮遊し、流れ藻とよばれる.ガラモ場は日本の藻場面積の約3割と最も大きな割合を占めているため、その生物量や純一次生産量の把握は物質循環やエネルギー循環の解明のために重要である。しかし、複数の種からなる"混生群落"であるガラモ場の純一次生産量を測定した研究はなく、流れ藻期におけるホンダワラ類の生態を調べた研究や純一次生産量を推定した研究もない。本論文では、流れ藻となって浮遊し沈降するまでのホンダワラ類の生態を明らかにするとともに、ガラモ場での固着期から脱落流出した流れ藻期までのホンダワラ類の純一次生産量を推定することを目的に研究を行った。

 第2章では、伊豆半島下田市大浦湾志太ヶ浦に分布するガラモ場を調査地に選び、優占種上位3種のオオバモク(Sargassum ringgoldianum Harvey)、アカモク(Sargassum horneri (Turner)Agardh)、ヤツマタモク(Sargassum patens Agardh)を対象として固着期であるガラモ場での純一次生産量の推定を行った。まず、混生群落であるガラモ場全体の生物量を推定するために、3本の定線に沿った方形枠内の海藻種と個体密度、底質、底深の連続調査と空中写真の画像解析を行った。底深と画像分類結果から対象海域を12区画に分けた後、それぞれの区画内のガラモ場面積と方形枠調査による海藻種ごとの密度をもとに個体数の分布を得た。この方法を開発したことにより混生したガラモ場の平均株密度分布が推定できた。次に、差動式検容計の一種であるプロダクトメータを用いて個体の光合成器官である葉部と気胞の光合成-光曲線を個体の上部と下部に分けて毎月測定した。現場において、群落内外の光環境を光量子計により10分間隔で1年間継続して計測するとともに、対象種ごとに標識した個体の生長、成熟状態の潜水調査と種ごとの個体の採集を毎月行った。採集個体の上部と下部の葉部、気胞、茎部の湿重量を測定し、毎月の個体の上部と下部それぞれの平均的な器官ごとの生物量を得た。現場で得られた光環境データから、ガラモ場群落内部における光合成有効放射を推定し、上部と下部の葉部と気胞の生物量と光合成-光曲線、現場の光環境、呼吸量から純一次生産量を求めた。小さな海藻個体全体の呼吸と光合成を測定できる装置を用いて酸素電極法によりこのモデルの妥当性を確認した後、ガラモ場の1年間の純一次生産量を推定した。この値は混生群落ガラモ場としては初めてのものである。

 第3章では流れ藻期のホンダワラ類の生態観察と純一次生産量の推定を行った。ガラモ場からのホンダワラ類の流出量の変化を調べるために優占種3種を対象に永久方形枠を設けて、最大主枝長と脱落個体数を潜水により2-3週間間隔で調べた。また、アカモク1000個体を標識し、海岸に打ち上げられる標識個体を計数し、ガラモ場から流出する割合を74%と推定した。優占種3種について繁茂期前後2ヶ月間、それぞれ毎月10個体採集した。採集した個体を大型水槽で流れ藻として培養し、成熟状態、茎部、枝部の生長、海面に浮遊する生物量、底面に沈降した生物量を測定した。その結果、成熟前の個体は実験中に成熟すること、成熟前の流れ藻では枝部が生長し生物量も増加したが成熟後は増加しないこと、培養流れ藻の浮遊期間は各種とも最長5ヶ月、成熟期を過ぎると1ヶ月程度であることを明らかにした。プロダクトメータによる培養流れ藻個体の上部下部の葉部の光合成-光曲線の測定、酸素電極法による培養流れ藻個体全体の光合成-光曲線の測定を毎月行ったところ、前者では月変化がなかったが、後者では最大光合成速度が減少した。実験中、光合成を担う葉部と気胞がほぼ一定の割合で脱落したことから、流れ藻となった個体は葉部と気胞の脱落により浮遊期間中の光合成-光曲線の最大値が減少すると考えられた。ガラモ場からの脱落量、流れ藻としての流出量、流れ藻の浮遊期間、浮遊期間中の光合成-光曲線、流れ藻実験中の光環境をもとに流れ藻期の純一次生産量を推定した。その結果、流れ藻期では固着期のホンダワラ類の10-40%の純生産量があることが初めて示され、外洋域では流れ藻の純一次生産量が植物プランクトンに比べて非常に大きいことが明らかとなった。

 なお、本論文第2、3章は、青木優和、横濱康継、小松輝久との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上の結果は海洋環境学、海洋生態学、水産学など学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(環境学)の学位を授与できると認めた。

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