学位論文要旨



No 122754
著者(漢字) 吉田,英嗣
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ヒデツグ
標題(和) 火山体の崩壊に伴う大規模土砂移動と流域の地圏環境変動
標題(洋) Sediment Transport and Geoenvironmental Changes of Drainage Basins Associated with Catastrophic Sector Collapse of Volcanic Edifice
報告番号 122754
報告番号 甲22754
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第291号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 助教授 池田,安隆
 東京大学 助教授 春山,成子
内容要旨 要旨を表示する

 湿潤変動帯に属する日本列島の平野は,山地からの土砂供給によって形成された堆積平野である.従来,山地のうち非火山に関しては,その削剥速度や土砂供給プロセスの研究が進んできたが,山地のうち火山については,こうした研究はほとんどなされてこなかった.日本の国土のなりたちを考える上で,火山を重要な土砂供給源とみなし,インフラや人口が集中する平野の形成に及ぼす火山の影響を適切に評価していくことが強く要請されている.そこで,火山体の大規模山体崩壊に伴う土砂移動に着目して,火山の侵食現象を評価することを試みた.日本には地球上の活動的な火山の約10%が存在し,その多くは成層火山である.成層火山において必然的に発生するとされる大規模山体崩壊は,火山体における最大の侵食現象と捉えられる.本研究では,2.4万年前の浅間火山の大規模山体崩壊に伴う土砂移動を対象とし,堆積地形と堆積物の諸特徴,崩壊規模,土砂移動の実態を明らかにした.そして,崩壊土砂が流域規模の地形形成に与える影響を論じ,平野の埋積に寄与する土砂量を評価するとともに,島弧火山の崩壊に伴う土砂移動の意義を示した.

 1章では,本研究の背景と目的を述べた.

 2章では,浅間火山と周辺諸火山の活動史を概説し,浅間火山とその周辺の地形,地質の概要を記述した.

 3章では,浅間火山の大規模山体崩壊に由来する地形を記載した.すなわち,崩壊した黒斑火山の地形と山体崩壊起源堆積物が分布する各地(軽井沢,佐久,上田,応桑および吾妻峡谷,中之条,子持,関東平野北西部)の地形の特徴を,既往研究成果,国土地理院発行の空中写真や地形図の判読と現地調査などに基づき,系統的に記述した.

 4章では,流れ山の地形学的特徴を記載し,山体崩壊起源堆積物の層相と粒度組成,全岩化学組成を示した.

 流れ山は,軽井沢,佐久,応桑,中之条に分布し,給源から離れるにつれてその大きさを減じる.山体崩壊起源堆積物は流れ山の分布の有無によらず,給源山体をなしていたと考えられる「ブロック」と,木片や土壌,円礫が混じる「マトリクス」とから構成される.「ブロック」は,ジグソークラックなどの脆弱な構造によって特徴づけられる.「マトリクス」には層理や級化構造,火砕流堆積物などが有するパイプ構造のほか,土石流堆積物にしばしば見出される空隙など,いずれも認められなかった.

 山体崩壊起源堆積物の粒度組成は,径3cm以下の「マトリクス」について,流れ山が分布する中之条と流れ山が分布しない関東平野北西部において検討した.その結果,両地域に共通して2峰性の類似した粒度組成が得られ,セントヘレンズ火山の岩屑なだれ堆積物が示す平均的な組成と類似することが明らかとなった.また,露頭における露出径3cm以上の「クラスト」の投影断面が占める面積の比率は,中之条で40%弱,関東平野北西部で約20%である.円礫に限れば両地域に共通して5-10%程度であった.

 山体崩壊起源堆積物を31地点において採取し,それらの全岩化学組成を調べたところ,およそ50-60重量%のSiO2を含有すること,堆積域ごとに系統的な差異は認め難く,崩壊源である黒斑火山の岩石の組成に近いことが明らかとなった.また,「ブロック」か「マトリクス」かの違いや堆積物の鉛直方向における組成変化も見出し難い.すなわち,山体崩壊起源堆積物の全岩化学組成は均一性が高いといえる.ただし,崩壊起源堆積物の基底部のみは下位の河成層の組成と近似していた.その理由については6章で詳述した.

 5章では,浅間火山の大規模山体崩壊の量的規模を土砂収支の観点から吟味した.

 大規模山体崩壊を発生させた火山体は,崩壊による特有の地形変化を経ることが知られている.その地形変化の特徴を浅間火山に適用して崩壊前後の山体を復元し,崩壊土砂量を4.0km3と推定した.次に,山体崩壊起源堆積物の分布に基づき,堆積土砂量を推定した.軽井沢および佐久において1.8-2.1km3,上田において0.1km3,応桑において0.4-0.5km3,中之条および子持において0.1-0.2km3,関東平野北西部において2.6km3と見積もられ,合計で5.0-5.5km3におよぶことが明らかとなった.

 崩壊土砂量と堆積土砂量との差分は,両者の密度差に起因する「ほぐれ」による効果によって主に説明され,土砂移動に伴う異質岩塊の付加による効果は副次的であった.すなわち,堆積土砂の大部分は山体を構成していた物質からなることが物質収支的にも裏付けられた.

 6章では,5章までに述べた地形地質学的特徴をもとに,浅間火山の大規模山体崩壊に伴う土砂移動メカニズムを考察するとともに,土砂の長距離移動要因を地形学的に検討した.

 まず,流れ山が佐久と中之条に分布することにより,浅間火山南麓を下った崩壊土砂は佐久,北麓を下った崩壊土砂は中之条にそれぞれ達するまで岩屑なだれとして移動したと考えられた.そして,「ブロック」の径が給源からの距離に対して指数関数的な減衰傾向にあることから,流れ山が分布しない上田や子持および関東平野北西部に至るまで,流れが一続きであったと解釈した.4章で詳述した山体崩壊起源堆積物の層相や物理化学的特性は,流れが岩屑なだれとしての性質を関東平野北西部まで保持していたことを示す.さらに岩屑なだれは,プラグフローとしての性質を有していたと推察された.すなわち,堆積物中に認められる脆弱な「ブロック」は,「マトリクス」の降伏強度と粘性によって支えられながら運ばれてきた.そして,堆積物中に円礫など異質岩塊が存在することは,流れの接地部に強いせん断応力が働いて,これらを巻き込んだ可能性を意味する.この考えは,堆積物の基底部に限って全岩化学組成が下位の河成層の組成と近似することによって支持される.

 また,山体崩壊起源堆積物が給源から90-100km遠方に達した理由のひとつに,プラグフローを長距離にわたって維持させた吾妻川河谷の地形特性を挙げた.吾妻川河谷は中途に広大な堆積盆をもたずに谷口まで急勾配であり,河谷幅が狭かった.このために,岩屑なだれは吾妻川河谷において側方へ広がることを制限され,その層厚を大きく保ったまま移動した可能性を指摘した.

 7章では,大規模山体崩壊が流域の地形形成に与えた影響を,突発的な土砂供給による地形変化とその後の長期的な地形発達という視点から論じた.

 山間河谷から谷口にかけては次のようにまとめられる.中之条では,崩壊土砂の一部が既存の段丘面にのりあげて堆積し,新たな地形面を形成したこと,晩氷期に側方侵食が卓越し,その後は現在まで下刻が継続してきたことを示した.子持においても,崩壊土砂は既存の段丘面を覆うロームを削剥しながらこれをのりこえていったこと,最終氷期最盛期前後には,山体崩壊起源堆積物が再堆積するなどして下流側で小規模な谷埋めが生じたこと,晩氷期には側刻が,完新世には下刻が卓越したことを示した.吾妻川河谷における土砂供給に伴う河床高度の変化による影響は,1万年間以上継続したと判断された.

 主な土砂堆積域である関東平野北西部においては,多量の山体崩壊起源堆積物が現在に至るまで地形発達を規定し続けてきたことを指摘した.崩壊土砂の堆積は,地表面の緩傾斜化と河床高度の増大を引き起こし,最終氷期最盛期以降に河成の扇状地が発達する余地を狭める結果となった.

 8章では,前章までに示した成果を踏まえて,土砂供給源として火山を捉えるための新しい見方を提示した.

 4.0km3と推定された2.4万年前における崩壊土砂量は,浅間火山が噴出する5000年間の,日本の平均的な成層火山における8000-10000年間程度の総噴出量に相当していた.そして,日本の非火山山地全域が44年間に削剥される量に匹敵することが明らかとなった.山地の削剥過程において,火山体の大規模山体崩壊現象を無視できないことを量的に明示した.

 さらに,崩壊土砂が河谷を数10km以上も短時間で移動しうることを,島弧における崩壊に伴う大規模土砂移動の特質のひとつと位置づけた.河谷沿いや河成平野は人間活動の主要な場であるため,崩壊土砂が河谷を下って長距離を移動するならば,人間社会を含めた流域の自然環境は壊滅的な打撃を受けることが想定される.本研究によって,数km3程度の大規模土砂移動が生じうること,崩壊に伴う土砂移動速度が大きいこと,土砂の移動距離が長く,かつ給源からの距離が増すにつれて同心円的にリスクが低下していくとは限らないことなどの知見を得た.今後,防災施策を流域規模で構築していくにあたり,これらの成果を基礎資料として有効に活用していくことが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

 日本を含む湿潤変動帯島弧の平野は,山地からの土砂供給によって形成された堆積平野である.従来,山地のうち非火山に関しては,削剥速度や土砂供給プロセスの研究が進んできたが,火山に関する研究はほとんどなされてこなかった.インフラや人口が集中する平野の形成に及ぼす火山の影響を評価することが強く要請されている.日本には地球上の活動的な火山の約10%が存在し,その多くは成層火山である.成層火山において必然的に発生する大規模山体崩壊は,火山体における最大の侵食現象である.こうした背景のもとに,本論文は,2.4万年前の浅間火山の大規模山体崩壊に伴う土砂移動を対象として,堆積地形と堆積物の諸特徴,崩壊規模,土砂移動の実態を明らかにした.そして,崩壊土砂が流域の地形形成に与える影響を論じ,平野の埋積に寄与する土砂量を評価して,島弧火山の崩壊に伴う土砂移動の意義を示した.

 本論文は9章で構成されており,1章では,研究の背景と目的が述べられている.2章では,浅間火山と周辺諸火山の活動史や地形地質の概要が記述されている.3章から8章が論文の主部であり,9章にて全体の結論が述べられている.

 3章では,浅間火山の大規模山体崩壊に直接由来する全地形を対象として,その特徴を記載している.山体崩壊起源堆積物のつくる地形は給源から90-100km遠方にまで分布しており,山体崩壊に伴う地形形成領域としては地球上で最長の部類に属することが示された.

 4章では,大規模山体崩壊現象を特徴づける流れ山の地形学的特徴,山体崩壊起源堆積物の層相,粒度組成,全岩化学組成が示されている.流れ山は通常一箇所に集中するが,本事例では4地域に分散していることに意義を見出し,流れ山が給源から離れるにつれて指数関数的に縮小することを実証した.他方,浅間火山の山体崩壊起源堆積物のマトリクス部の粒度組成は,崩壊源からの距離によらず一定で,2峰性を示し,セントヘレンズ火山の岩屑なだれ堆積物の組成と類似することが明らかにされた.また,山体崩壊起源堆積物の全岩化学組成は,どの地域の堆積物でも崩壊源である黒斑火山の岩石の組成に近いこと,堆積物の粒径や深度による違いも無く,山体崩壊起源堆積物の全岩化学組成は均一性が高いことが実証された.

 5章では,浅間火山の大規模山体崩壊規模が定量的に吟味されている.崩壊前後の山体の形状を復元し,崩壊土砂量が4.0km3と推定された.山体崩壊起源堆積物の分布に基づき,GISを用いて堆積土砂量が合計5.0-5.5km3と推定された.崩壊土砂量と堆積土砂量との差分は,両者の密度差に起因する「ほぐれ」効果によって説明され,堆積土砂の大部分は山体を構成していた物質からなることが物質収支的に裏付けられた.

 6章では,5章までに述べた地形地質学的特徴をもとに,浅間火山の大規模山体崩壊に伴う土砂移動メカニズムが考察されている.とくに,崩壊土砂の長距離移動をもたらした要因について,従来にない地形場の条件を重視した検討がなされている.すなわち吾妻川河谷は中途に広大な堆積盆をもたずに谷口まで急勾配であり,河谷幅が狭かったために,岩屑なだれは吾妻川河谷において側方へ広がることを制限され,その層厚を大きく保ったまま移動した可能性が指摘された.

 7章では,大規模山体崩壊が流域の地形形成に与えた影響が長期的な視点から論じられた.土砂が通過した山間河谷における崩壊土砂の影響は,1万年間以上継続したこと,土砂の主要な堆積場となった関東平野北西部においては,多量の山体崩壊起源堆積物が現在に至るまで地形発達を規定し続けてきたことが指摘された.

 8章では,土砂供給源として火山を捉えるための新しい見方を提示した.2.4万年前における崩壊土砂量は,日本の非火山山地全域が44年間に削剥される量に匹敵することが明らかにされた.また数km3もの崩壊土砂が,数10km以上の距離を短時間で移動しうることが,島弧における崩壊に伴う大規模土砂移動の特質であるとされた.

 以上のように、本研究は,綿密な野外調査と最新技術に基づく堆積物分析を行い,人間活動が集中する堆積平野への土砂供給源としての火山が有する環境学的,防災的意義を新たに見出し,実証している。なお、本論文の4〜6章は,須貝俊彦,大森博雄,坂口 一との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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